自若とした木々
15.5.8 駄作反省。推敲。
伸びやかなみどりの手足
枝葉の先へと広がっていく
高々と天蓋を覆うアーチの頂点
梢の先から空が始まっている
夜の終わり
光が射して
楠は止めていた息を吐く
洩れ出した吐息は
スパイシーで鮮烈な香り
木漏れ陽の透明な影
時雨は大粒の雫に
五月の風は梢を揺さぶる
人に愛あるといい
夢あるというのは
ただ生きるのではなく
生かすものとして生きていること
木々の営みの何気無さを
震えるような感動をもって
受け入れたくて
自若とした木々たちは
吸って吐くだけのことに
深く生かす意味を持つ
限りない蒼の透明に
映し出された己の影を踏みつつ
世界とわたしは考える
どれほどまでに
他者のための意味になれるのかを
*
緑の濃くなってきた木々は、その吐息まで濃くなってきたようです。伸びやかに高々と木々は茂っています。わたしの早朝の香りは木々の香りに包まれています。その香りは少しスパイシーな鮮烈さです。
人に愛あるといい/夢あるというのはと、いう三連は、新川和江の『長十郎の村』にインスパイアされたところです。それでも、この雰囲気が着想として浮かんだとき、震えるような感動があったのです。
木々はいつも自若としています。自若とは、デジタル大辞泉によると「重大事に当たっても、落ち着いていて、心や態度に少しの乱れもないさま。」ということだそうです。わたしなどは、なかなかに辿り着けない境地です。
夜に近づく中で、自他の境界が曖昧になる黄昏時、自分だけでない誰かにとっての愛であり夢であれるのかと考える瞬間がありました。その時に、世界も一緒に考えてくれているような気がしたので、世界とわたしと、しています。
お読み頂いてありがとうございます。