お嬢様逃避行
先程からどうも屋敷の中が慌ただしく感じられますわ。それも病に冒されてベッドに横たわるだけの私にすらわかるほどだなんて、いったいどうしたのかしら?
そうは思っても私はもはや自分で歩くことも出来ないので、誰かが来てくれることを祈って鈴を鳴らすことにしました。これはお父様が私に買ってくださったもので、使用人を呼ぶ出す時に鳴らすよう言われています。
それにしても誰も来てはくれません。もう一度鈴を鳴らしてみようかしら……。
「鈴の音はここかー!? おおっ、お嬢様みーっけた!」
……鳴ったはずの鈴の音は轟音にかき消されてしまいました。まさか壁の向こうから人がやってくるとは思わなかったのですが。色々とおかしなことはあるのですが何から聞いてみたものかわからず、私は口に手を当てて目をぱちくりさせることしか出来ません。
「あれっ!? もしかしてお嬢様じゃなかった? ごめんなー。壁壊しちゃってごめんなー。師匠が鈴の音がする部屋にお嬢様がいるって聞いてたからつい嬉しくなって壁を突き抜けちゃったんだよ。それでさ! お嬢様どこにいるか知らない? ええと、名前はなんだったっけな……」
部屋に飛び込んできた赤毛の女の子はどうやら私、ベロニカ=ガゼットを探しに来ていたようです。状況は全く読めませんが、私はこの女の子になにか運命めいたとてもおもしろそうな予感を感じました。今まで生きてきた中でこんなことを感じたことはないのですが、私の中の何かが、彼女に着いて行け! と強く叫んでいるようにも思えます。
「名前はベロニカ、ですよ。それに部屋も間違えてません。壁については……そうですね。後でお父様に謝ることにいたしましょう?」
するとどうでしょう、女の子は先程まで私がしていたのと全く同じ表情を浮かべたのです。すぐに嬉しそうな表情には変わりましたが、その様子がとてもかわいらしくてつい頭を撫でてしまいました。うーん、壁を吹き飛ばした女の子とはとても思えないほど手触りの良い髪です。ああ、このままずっと撫でていたい……。寝たきりの私に合わせて近くまで来てくれているのもいじらしいです。
「うがー! 撫でられてる場合じゃないんだってば! 私はお嬢様をこっから連れださなきゃいけないんだから!」
残念なことに頭の上の手は払いのけられてしまいました……。不思議と痛くはありませんでしたが、何やら不穏なことを言っていたような?
「ええと、今私を連れ出す、と仰いましたか?」
「仰ったぞ!」
ああ、得意げな表情で胸を張る仕草もなんて可愛いのでしょう。私に妹がいたら……、等と常日頃考えていましたが、実物ならこの娘のような妹が欲しかったですね。
そもそも私は兄妹の中でも末っ子でしたし、なによりこうして寝たきりになっている期間のほうが長いのですから、こうした年下の子はおろか同年代の人とお話したことも数えるほどしかありません。ああっ、どうしてお父様は――。
「あー、ごめんなー。いきなり壁ぶち抜いて現れたら混乱するよなー。でも出来たらアタシも反応が欲しいかなーって」
「はっ。これは失礼いたしましたわ。私をここから連れ出すというのはその、出来ればやめていただきたいのですが……。今屋敷の中が慌ただしいようですが、これはお父様達がなにか問題に面しているということでしょうし、なにより私がいなくなったら心配をかけてしまいますわ」
「なーに、気にするなって! だいじょーぶだからさっ」
何を、と言おうとしても口がうまく動きませんでした。気付いた時には私は空を飛んでいたのです。何が起きたのか全く分かりませんわ!?
「うわっぷ、手を振り回すなよお嬢様! 体勢が崩れる!」
消えたと思った女の子は、私を抱きかかえて飛んでいました。ちら、と首を回してみると私がさっきまで寝ていた屋敷はもう大分小さくなっています。一体今の一瞬で何が起きたのかしら。
原因がこの女の子であるのは明白なのですけれど……。そういえばまだお名前を伺っておりませんでしたわね。
「ええと、貴女名前はなんと仰いますの?」
「アタシか? アタシはラグ! 誇り高き炎龍の子だ!」
「驚きました。まさか龍人に会えるだなんて……。それにしてもラグ、私達はどこへ向かっているのかしら」
魔族、と呼ばれる人達の中でも特に尊いとされる龍人は、心無い人々のせいでかなり数を減らしてしまったと聞いています。それなのに目の前にいるラグからは、そんな悲壮感を見人も感じません。むしろ活き活きとして――とても、羨ましい。
今向かっている先には、彼女をここまでさせる何かがあるのかしら。そう考えると、私もなんだかわくわくしてきました。
「いやー、アタシもそんな珍しいもんじゃないって。龍の子はアタシ以外にも4人いるしな! それから今向かってるのはロイユ島だぜ、師匠がお嬢様に用があるんだってさ!」
「私に用、ですか。しかもわざわざ連れ出すだなんてよほど大事なことなのですね。それとラグ、出来れば私のことも名前で呼んで欲しいですわ。お嬢様って呼ばれるのあまりすきではありませんの」
「そっか、んじゃーベロニカ!」
家族以外に名前を呼ばれるというのは長らく味わっていない感覚です。もちろん嫌というわけではありません。むしろ心地よく感じるくらいです。
そして私は、彼女をここまで動かした師匠というお方が私のような者にどんな用事があるのだろう、ということで頭のなかを一杯にして行きました。
短さに拍車がかかっています。どうにかしたい。




