『男女の友情は存在する』と婚約者に言われましたが、やっぱり存在しませんでした
「ウスターシュ様、以前にもお伝えしましたが、セリア様との距離の取り方にお気を付け下さいませ」
「セリアは令嬢でただ一人、騎士科に所属している。そんなことを言っては、練習相手が誰もいなくなるだろう。困っている人間を助けるのは、騎士として当たり前のことだ」
「しかし、学園には口さがない者もおります。現にお二人が秘密の恋人だと噂されています」
「言わせておけばいい。"男女の友情"は存在する。そんな陳腐な噂に惑わされるべきではない」
「――"男女の友情"ですか?」
ティファニーは思わず聞き返した。すると剣技場から別の女性の声が聞こえた。赤髪をポニーテールに結わった活発そうな令嬢が、こちらに手を振っている。
「ウスターシュ様! 早く早く。練習始まってますよ」
「セリア、今行く! じゃあな。ティファニー」
ウスターシュは、少し伸びた茶髪をかきあげ、剣技場に消えていった。ティファニーも銀髪をなびかせ、身を翻した。その碧眼には、かすかに涙がにじんでいた。
ティファニーは貿易業で財を成す伯爵家・マニュエル家の長女である。一方、婚約者であるウスターシュは、由緒正しい騎士の名門・エッフェル侯爵家の嫡男だ。
エッフェル侯爵家は、騎士の名門で、辺境で広大な領地を治めている。ただどうしても領政が軍事に傾きがちで、主要産業である鉄鋼業を活かしきれていない。二人の婚約はエッフェル侯爵たっての希望だった。
婚約の初顔合わせの日、まだ幼かったウスターシュが、騎士らしく跪き「あなたを一生かけてお守りしたい」と言った。ティファニーもそんな彼に政略以上のものを感じ「よろしくお願いします」と返事をした。
フランボワーズ王国の貴族は教育と社交を兼ねて、15歳で王立学園に入学する。ウスターシュは騎士科、ティファニーは普通科に入った。入学後、二人はより信頼を深めていくはずだった。しかしティファニーの婚約への期待は少しずつ薄れていった。
ウスターシュは、いわゆるお人好しだ。いい意味でも悪い意味でも、分け隔てのない人だった。だから、セリアという子爵令嬢に、剣技の稽古の相手をしてくれと言われて、断りきれなかった。
セリアはもともと子爵家の末妹。天真爛漫で兄たちへの甘え方をよく弁えている。ウスターシュの流されやすさも相まって、二人の関係はどんどん進展していった。ティファニーはそれを苦々しく見守るしかなかった。
ティファニーが、涙がこぼれぬよううつむいて廊下を歩いていると、先ほどのやり取りを見ていた令嬢に声をかけられた。
「ティファニー様、聞きまして? ウスターシュ様とセリア様が遠乗りに行かれたと」
もともと社交界では、羽振りがいいマニュエル家を良く思わない古参貴族は多い。令嬢たちは一見気の毒そうな顔をして、ウスターシュとセリアの話を誇張しながら、ティファニーの耳に入れてくる。
「乗馬の練習だそうですね。セリア様は馬に乗るのがお上手じゃないそうで、練習に付き合ってあげたそうですわ」
「あら、この前は市井の劇場へ観劇に出かけられたそうですわ」
「セリア様が剣技大会で入賞したら、流行の劇を観に行こうと約束していたそうですわ。でも恋愛話は退屈で、ほとんど寝てしまったと、ウスターシュ様がおっしゃっておりました」
「まあ! 美しい"男女の友情"ですわね。もし私がウスターシュ様の婚約者でしたら、泣き暮らしておりますわ」
ティファニーは、そんな令嬢たちの嫌味たらしい物言いにも辟易していた。だがこの婚約は政略である。ティファニーのわがままでどうこうできるものではない。
このままウスターシュと結婚するのであれば、家の役に立ちたい。くだらない噂は気にせず、彼が剣を振るう間に、自分は勉強を頑張ろう。
ティファニーは幼い頃から父親であるマニュエル伯爵と、近隣諸国を巡り、自然と外国語を身に着けた。エッフェル侯爵家の鉄鋼業を上手く諸外国に売り込むことができれば、エッフェル家、マニュエル家双方の利益になる。ティファニーは教科書をギュッと握りしめ、図書室に向かった。
目の前を普通科の男子生徒が通り過ぎる。ティファニーは、ふと自分が男だったら、こんな政略結婚に振り回されずに、生きることができるのにと思った。留学をしたり、商会を立ち上げたり、兄さんたちみたいに生きたかった。彼女は図書室へ続く渡り廊下で一人溜息をついた。
『ふふ。さっき剣技場の前でしていた"男女の友情"って話、面白いね』
いきなり隣国のノワゼット語で話しかけられ、ティファニーははっと振り返った。そこには黒髪の青年が立っていた。
『ノワゼット語がしゃべれるんですか?』
『嗜む程度には。君はマニュエル伯爵令嬢だね』
どこかで見覚えのある黒髪の青年は、翠色の瞳でまっすぐにティファニーを見た。
『はじめまして。ティファニー・マニュエルと申します』
ティファニーは、カーテシーで挨拶した。
『こちらこそはじめまして。僕はドラクロワ公爵家のエルネストだ』
『ドラクロワ公爵令息ですか!? 気がつかず申し訳ありません』
ドラクロワ家は筆頭公爵家だ。ティファニーは今更ながら、その次男が自分と同じ学年に在籍していることを思い出した。
『あはは、堅苦しいのはいいよ。僕は家を継がないし。外交官を志しているんだ。エルネストって呼んで』
『では、エルネスト様。私のことはティファニーと』
『ウスターシュ殿とセリア嬢の噂なら、僕も耳にしているよ。これも何かの縁だ。あそこのガゼボで話さないか?』
ティファニーはエルネストにエスコートされ、ガゼボに腰を掛けた。ウスターシュとセリアの話は既に学園中に広まっている。ティファニーは迷った末、差し障りのない範囲で事情を説明した。
『つまり"男女の友情"が存在するということは、僕たちの間にも友情が成り立つってことだよね?』
『それはどういう意味ですか?』
『僕も"友達"として、ティファニーと仲良くしたいなと思って』
エルネストは怪しく微笑む。ティファニーは小首をかしげた。
『例えば、今週末観劇に行くとか? 今人気の海賊劇』
『もしかして、"海賊王・ガストンの秘宝"ですか?』
"海賊王・ガストンの秘宝"は半年前から上演されている今話題の劇。ティファニーは瞬く間にその目を輝かせた。
『そうそう、君好きでしょ』
『なぜそれをご存じなんですか?』
『さて、どうしてだろうね?』
ティファニーは小さい頃からガストンの絵本が好きで、ずっとこの劇を観に行きたいと思っていた。ただ、ウスターシュは観劇が好きではない。誘っても、すぐに寝てしまう。ティファニーは仲の良い令嬢も誘ったが、海賊の話は興味がないと断られてしまった。
これまで彼女は学園で変な噂が立てられないように、男子生徒との距離感については気を付けてきた。でも、婚約者であるウスターシュは"男女の友情"は存在すると言った。劇を観に行くくらい、自分にも許されるはずだ。ぜひ行きたい。
『分かりました、ぜひ』
『では決まり。こちらで席は押さえておく』
ティファニーにとって、"男女の友情"は忌々しい言葉だった。けれど、今は少しだけ輝いて聞こえた。
その週末、エルネストとティファニーは約束通り、"海賊王・ガストンの秘宝"を観に行った。エルネストは、家紋のない馬車でティファニーを迎えに来て、彼女のために一番いいボックス席を用意していた。
「こんな席、初めてです」
「ドラクロワ家でこの劇場を援助しているから、この席は必ず当家のために用意されているんだ」
初めて見る"海賊王・ガストンの秘宝"は、ティファニーの想像を超えるものだった。役者の演技や歌が素晴らしいだけではなく、舞台装置も凝っている。途中、会場に水しぶきが飛び、観客が沸き上がった。
『なかなか見ごたえがある劇だったね、ティファニー』
海賊王・ガストンの舞台は古代ノワゼットだ。観劇後、エルネストは、わざとノワゼット語で感想を言った。
『少し原作の小説とは解釈が違いましたが、そこも含めて面白かったです。今日はお誘い頂き、ありがとうございます。エルネスト様』
『実は君が図書室で、この原作を借りているのを見て、この話が好きなんじゃないかと思ったんだ』
『まあ、そうだったんですね!』
海賊王・ガストンの話は有名で、絵本や劇、歌にもなっているが、原作は小説だ。最近は、この劇の評判が独り歩きして、原作があることすら知らない人もいる。エルネストも小説からこの劇に興味を持ったと聞いて、ティファニーは急に親近感がわいた。
『次は僕が気に入っているカフェに行かないか? 公爵家の名前を使えば、個室を貸し切りにできる。ショコラケーキがおいしいんだ』
『ええ、ぜひ!』
ティファニーはすぐにそのカフェが気に入った。エルネストとケーキを食べながら、毎週のように社会情勢について意見を交わした。ある週は外交、ある週は軍備。それは、彼女の本来の婚約者であるウスターシュや他の令嬢たちとはできないことだった。
エルネストはクラスは違えど、ティファニーと同じ普通科。それとなく他の令嬢たちに彼の評判を聞くと「冷たい」「冷酷」「怖い」と返された。
違う。彼は頭が良すぎるのだ。自分と同じかそれ以上に巧みに外国語を操り、それぞれの国の産業や文化についても詳しい。ティファニーは学園の中で、よく勉強している方だと自負していたが、それでもエルネストからは彼女の期待を上回る意見が返ってくる。ティファニーですら、令嬢たちのくだらない噂話を疎ましく感じることがあるのだから、彼はなおさらだろう。
カフェの帰りに画廊に寄ったり、植物園に行ったりもした。人目を気にしてか、エルネストは必ず貸し切りにしてくれた。"男友達"ができてから、ティファニーの日常はとても楽しく、そして充実していた。
「ティファニー、最近はドラクロワ公爵令息と仲良くしているようだな」
ティファニーはある日、父であるマニュエル伯爵に呼び出された。
「はい。"友達"として、とてもよくして頂いています」
「ドラクロワ家は、筆頭公爵家というだけではなく、隣国・ノワゼット王国とも深いつながりがある。我が家にとっても得難い縁だ。失礼が無いように交流するのだぞ」
エルネストの母君はノワゼット王国の第三王女だ。両国の親睦のため、フランボワーズ王国に降嫁した。
「ええ、もちろん」
「エルネスト殿はあの家の次男だったな」
「外交官を目指していると伺いました」
「よろしい」
よろしい? 何がよろしいのか、ティファニーには想像もつかなかったが、父は満足そうに微笑んだ。
ティファニーは段々とウスターシュやセリアのことも気にならなくなっていた。
「ティファニー様! 私、見たのです! 王都のカフェでウスターシュ様とセリア様が仲良くお茶をしているところを」
「ウスターシュ様とセリア様はお友達なのでしょう? カフェでお茶をするくらい普通のことですわ」
「え? 普通なのでしょうか?」
「だって、あなたも"お友達"とはカフェでお茶をなさるでしょう?」
相変わらず令嬢たちは、ウスターシュたちのことを告げ口をしてくる。ティファニーにとって、そんな痴話はどうでもよかった。そんなことに頭を悩ませるよりも、エルネストと貿易摩擦の話をした方が100倍楽しい。
先ほどの令嬢が怪訝な顔をしていると、珍しくウスターシュが普通科の教室までやって来た。
「ティファニー、すまない。相談がある」
「どうされましたか?」
「学園のサマーパーティーだが、セリアをエスコートしてもいいか?」
「セリア様を? どうしてですか?」
サマーパーティーは生徒会主催のフランクな会だ。基本的には誰をエスコートしても問題ないのだが、婚約者がいる者は婚約者をエスコートするのが一般的だ。
「彼女は剣技一本でここまで来た。だから婚約者がいない。エスコートを頼める相手が俺しかいないと言うんだ」
本当に、他にいないのだろうか? 確かにセリアの兄は全員既婚者だが、婚約者がいない令息なんて騎士科にいくらでもいそうなもの。そうは思ったが、ティファニーは笑顔で続けた。
「分かりましたわ。ではサマーパーティー、セリア様とどうぞお楽しみ下さい」
「君は"男女の友情"に理解があって助かる」
ティファニーに告げ口した令嬢は、哀れみの表情を浮かべて、ティファニーの元を去っていった。
結局ティファニーは、その年のサマーパーティー自体を欠席することにした。その方がウスターシュがセリアを連れていても、自然に見えると思ったからだ。
代わりに、エルネストがドラクロワ家の王都郊外にある別荘に誘ってくれた。湖畔に立つ別荘は静かで避暑にぴったりだ。使用人は管理人夫妻しかいないため、湖畔に置かれたテーブルセットでエルネストがお茶を淹れてくれた。
「公爵令息の手ずからありがとうございます」
「これはノワゼット王国から取り寄せた紅茶だ。お口に合えばいいが」
ティファニーは紅茶を一口すすった。オレンジのフレーバーが夏らしい紅茶だった。
「さわやかでおいしいわ」
「気に入ったかい? もしよければ、お裾分けするよ」
「いいんですか?」
ティファニーがパッと目を輝かせた。その後しばらく二人は、茶葉の輸入の話で盛り上がった。
「やはりノワゼット産の茶葉は品質が優れているわね。フランボワーズに輸入する商会を立ち上げたら、一財産築けると思うの」
「そうかもね。こちらにはほとんど入ってきていないから」
二人はいつものように時が過ぎるのも忘れ、語り合った。
「それにしても、ウスターシュ殿も大胆だな。まさかサマーパーティーでセリア嬢をエスコートしたいとは。君は行かなくてよかったのか?」
「所詮、生徒会のお遊びですし、退屈ですわ」
「君らしい」
「それよりもこの別荘に招待して頂いてうれしい。空気がおいしいですわ」
「僕のお気に入りの場所を、"友達"にも気に入ってもらえてうれしいな」
「――ウスターシュはああ言っていましたけど、"男女の友情"なんて本当に存在するのかしらね?」
ティファニーは遠くを見ながら言った。
「じゃあ、僕と賭けをしてみる?」
「エルネスト様と賭けですか?」
「もし"男女の友情"が存在するなら、僕たちはこのまま友達。もし"男女の友情"が存在しないなら――」
その時、風が吹いて、木の葉がテーブルセットの上に舞い落ちた。
「その賭け、どちらに転んでも、あなたに得があるようには思えませんが」
「え、そうかな? 僕には得しかないよ」
相変わらず面白いことをおっしゃる、とティファニーは思った。
「その賭け、乗ったわ。私は『男女の友情は存在する』に賭ける」
「君はそちらに賭けるのか」
「――だって、あなたが言い出したことだから」
「では僕は『存在しない』に賭ける」
「ありがとう」
ティファニーはまた一口、紅茶をすすった。そよ風が彼女の頬を優しく撫でた。
サマーパーティーの後、令嬢たちの噂は苛烈さを増した。ウスターシュとセリアを浮気者だと非難する者もいれば、ティファニーを真実の愛を邪魔する悪役だと罵る者もいた。
これにはあのウスターシュも焦った。突然婚約者らしくティファニーにドレスを送り、観劇に誘ったが、ティファニーはそれを断った。感想も言い合えない相手と、劇を観ても楽しくないからだ。
一方、移り行く季節をティファニーはエルネストと"友達"として過ごし、ことあるごとに湖畔の別荘を訪れた。秋には葉が色を変えて、冬には山の上に雪が積もった。別荘の管理人とも仲良くなり、彼女が来ると聞くと、シカやウサギを仕留めて、ジビエとして振る舞ってくれるようになった。
「坊ちゃまはいい"ご友人"を持ちましたな」
「ああ、気の置けない"親友"だよ」
このまま、ウスターシュと政略結婚したとしても、この"友情"は永遠だ。そう思っていたある日、事件は起こった。
「ティファニー、本当にすまなかった」
「ウスターシュ様、頭をお上げ下さい。――セリア様のご懐妊おめでとうございます」
ティファニーはその碧眼に一片の感情も孕まずに、祝福の言葉を述べた。ウスターシュは憔悴しきっている。エッフェル侯爵からこってり絞られたのだろう。
「遠乗りの帰りに土砂降りにあって、近くにあった小屋で休んでいたら、いつの間にかそういう雰囲気になって。まさかあの一回で――」
ウスターシュは頭を抱えながら言った。
「そうでしたか」
ウスターシュの焦りをよそに、ティファニーはエルネストから分けてもらったノワゼット産の紅茶をすすった。
「父は予定通り、君を正妻に迎え、彼女を愛妾にするのはどうかと言っている」
「あら、エッフェル侯爵らしい斬新な案ですわね」
「――俺もその案に賛成だ。君と婚約して8年になる。我が家の鉄鋼業も君の家なしでは立ち行かない。彼女への責任は果たすが、君を妻として大切にすると誓う」
ウスターシュは苦々しく言った。どうして結婚する前から愛妾がいる男に嫁がなければならないのか。
「我が父からは、あなた方との事業からは手を引く、婚約もなかったものにすると伺っておりますが」
エッフェル家の鉄鋼業は、その品質や産出量は魅力的だが、販路や輸送経路に多くの問題を抱えていた。そのためティファニーの父・マニュエル伯爵は、以前よりこの事業から手を引くことを考えていた。
「えっ……」
「どうやら両家の見解に齟齬がありますね。どちらにせよ私とあなたの結婚は政略に基づくものです。後は父たちが家同士で話し合うと思います」
ウスターシュは悔しげに叫んだ。
「君は怒らないのか? 悲しまないのか? 俺と婚約してもう8年が経つというのに」
8年か。ウスターシュと過ごした8年より、エルネストと"友達"として過ごしたこの1年の方が、ティファニーには輝いて見えた。
「8年という期間そのものに、特別な感慨はありません。ただ一つ……」
「どうした?」
「ウスターシュ様の言う"男女の友情"は存在しなかったんだなと」
ウスターシュがはっとした顔をした。
「そんな話もしたな」
「先ほど土砂降りと言いましたが、その時期は雨期。わざわざ雨期に遠乗りに行きますか? 行った先に都合よく小屋がありますか?」
「そ、それは……」
「サマーパーティーのエスコートだって、あなた以外に婚約者がいない令息はいたはずです」
「君は何を言いたい?」
「8年間婚約者だった者として、最後の忠告でしょうか。セリア様は天真爛漫に振る舞っていますが、あなたが思うような令嬢ではないと思います。――では、さようなら」
エッフェル侯爵は、婚約の継続を訴えたが、ティファニーの父は一切聞き入れず、鉄鋼業からもあっさり手を引いた。マニュエル家は慰謝料をたっぷり頂いた。
ウスターシュはティファニーとの婚約が破棄された後、セリアと婚約した。さすがに妊娠した身で騎士科の授業に出ることは難しい。セリアは学園を自主退学した。
学園を去る日、セリアはわざとらしく腹に手を添え、「私のせいでウスターシュ様との婚約が破談になり申し訳ありませんでした」と、普通科のティファニーの元に挨拶に来た。ティファニーは「元気なお子さんを産んで下さいね」とだけ返した。
聞いた話では、急な出来事のため彼女の実家は十分な持参金を用意できず、王都で簡素な式を挙げて、辺境に嫁いでいったそうだ。
令嬢たちはそんなセリアを、「女性騎士になりたいなんて初めから嘘だった」「侯爵令息を誑かして、妊娠するなんてしたたかだ」と口々に罵った。令嬢の噂の移り変わりは、木の葉の色より激しいとティファニーは思った。
学園を卒業すると、ティファニーは小さな商会を始めた。ノワゼット産の茶葉をフランボワーズに卸す商会だ。ノワゼットとフランボワーズの両方に拠点を置き、それぞれを行き来する生活が続いた。外交官になったエルネストは、要所要所でティファニーの手助けをしてくれた。
一方、エッフェル侯爵の逆鱗に触れたウスターシュは、エッフェル家の後継から一時的に外された。騎士として出直すよう命ぜられ、自領の騎士団に所属したと聞く。
ある夜会で、ティファニーはウスターシュとセリアを見かけた。赤髪をアップスタイルにまとめたセリアに学生時代のような天真爛漫さはなく、終始貴族の笑みを浮かべていた。
遠巻きに二人を見ていると、同窓の令嬢がティファニーに声をかけ、社交界の噂を耳に入れた。
「ティファニー様、聞きまして?」
「どうかされましたか?」
「セリア様がエッフェル侯爵の逆鱗に触れたと」
「あら、どうして?」
「それが……騎士団の訓練や配置に意見をしたらしいんです」
「まあ! 侯爵様は怒るでしょうね……」
エッフェル侯爵家は良くも悪くも封建的だ。エッフェル家の要である騎士団に女が口出しするなど言語道断だ。
「生まれた子も女の子で、『男児を産めないなら、この家から出て行け』とすごまれたそうですわ」
ティファニーとて、エッフェル家に嫁げば、鉄鋼業での交渉以外、自分の力を活かす場所はなかった。きっと今頃肩身が狭い思いをしていただろう。
「あの家は少々前時代的ですからね」
「ですわね。ティファニー様が新たに良縁に恵まれてよかったですわ」
「ありがとうございます」
令嬢の婚約者が迎えに来た。彼女ももうすぐ結婚だと聞いた。少し年上だが、優しそうな殿方だ。
「ではまた!」
「あなたもお幸せに」
令嬢がにこやかに笑う。
「ティファニー!」
令嬢と別れると、すぐに聞き慣れた声が後ろから迫ってきた。ティファニーが一人になるタイミングを見計らっていたのだろう。声がする方を振り返ると、セリアを連れたウスターシュが仁王立ちしていた。
「お久しぶりですね、エッフェル侯爵令息、そして夫人。この度はご令嬢のご誕生おめでとうございます」
カーテシーで丁寧に挨拶する。ウスターシュは今まで見たことのない剣幕を見せた。
「俺との婚約を破棄してすぐに、他の男に飛びつくなんて! 見損なったぞ、ティファニー」
「一体、何の話でしょうか?」
「だから、君はあの時冷静だったのか。既に彼と関係があったのか? 初めからあの男に乗り換えるつもりだったのか?」
「そうですね。彼とは"お友達"でしたわ」
「"友達"だと?」
今にも殴りかかりそうなウスターシュを前に、よく知ったぬくもりが、ティファニーをやさしく包みこんだ。黒髪の青年が、彼女を守るように後ろから抱き寄せたのだ。
「うふふ、そういえば"男女の友情"が存在しないと教えてくれたのはあなたでしたわね、ウスターシュ様」
ティファニーは口元にうっすら笑みを浮かべた。だが、その目は笑っていなかった。セリアが慌てて、ウスターシュを引き離した。
「ウスターシュ様、行きましょう。これ以上は、家の醜聞につながります」
去り際、セリアは振り返り、ティファニーに告げた。
「――ティファニー様、やはり"友情"は"友情"のまま美しくあるべきでした」
その小さな声は、夜会の喧騒に紛れ、消えていった。
***
それから数年後、夫婦になったエルネストとティファニーは、子ども連れでノワゼットに向かう船に乗っていた。外交官のエルネストが大使として、ノワゼットに赴任することが決まったのだ。
「まあ、海がきれいね」
子を乳母に預け、デッキに降り立ったティファニーが叫んだ。その瞬間、ティファニーが被っていた帽子が海風にさらわれた。
「おっと、危ない」
エルネストが片手でキャッチした。
「ありがとう、エルネスト」
「このくらい、朝飯前だ」
二人は穏やかに笑い合い、口づけをした。
「そういえばティファニー商会で新しく扱い始めた石鹸の売れ行きはどうだ? 何か手伝うことはあるか?」
「既にいくつかの宿屋で、当商会で輸入した石鹸を採用して頂けることになりました。順調ですわ」
「それでこそ、僕のティファニーだ。君をあの辺境に閉じ込めておくなんて、宝の持ち腐れだよ」
ティファニーとウスターシュの婚約が破棄されるとすぐ、ドラクロワ家から正式な結婚の申し込みがあった。二人の縁談はとんとん拍子で進んだ。
これはティファニーの父・マニュエル伯爵の助力も大きい。ウスターシュとの婚約に悩み、エルネストのことを楽しそうに話すティファニーを見て、父は陰で動いていた。そこには筆頭公爵家と縁づく方が、マニュエル家の利益が大きいという打算もあった。
そしてセリアの懐妊は、まさに渡りに船だった。格上のエッフェル侯爵家に婚約破棄を申し出る絶好の機会だったのだ。
「賭けに負けてうれしかったのは、後にも先にもあれくらいだわ」
別荘での賭けは「もし"男女の友情"が存在するのなら、このまま友達でいよう。存在しないのなら、君と結婚したい」というもの。――あの頃既に、エルネストとティファニーの関係も"男女の友情"を超えたものになっていた。
「そういえば、どうして私のことを気にかけて下さったのですか? エルネストには他に縁談が来ていたでしょう?」
「――それは君が初恋の人だからかな?」
「初恋? どこかでお会いしたことがありましたっけ?」
「母は僕を産んだ後、伏せがちになって、静養のため僕たち親子はノワゼットに来ていたことがあるんだ」
「まあ」
「母が元王族だから、ノワゼットにいた時は、王宮に滞在していてね。関税交渉のためノワゼットに来たフランボワーズの使節団と会ったことがある。その中に君と君の父上がいた。僕はノワゼット語を堪能に操る君とすぐ仲良くなった」
「あなた、もしかしてあの時の"王子様"?」
「ははは。ティファニー、その言い方」
ティファニーはノワゼットの王宮で迷子になった。それを助けてくれたのが、黒髪の王子様だった。彼は名乗らなかった。でも、海賊王・ガストンの絵本を一緒に読んだのをよく覚えている。
「言って下さればよかったのに」
「せっかく学園で君に逢えたのに、君の婚約者は決まっていて。でも"友達"からなら、君と新たな恋を始められると思った。初めに言ったら、君は警戒していただろう?」
「それはそうですね」
「――ずるいと思ったか?」
「まさか」
ティファニーはエルネストを見つめて言った。
「やっぱり"男女の友情"なんて存在しませんでしたわね」
最後まで読んで頂きありがとうございます。
こんな話を書いておいてなんですが、共学生まれ共学育ちなので私は『男女の友情は存在する』派です。
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