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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

生き死にポリフォニー

掲載日:2026/05/16

 分娩台に固定された女は顔を真っ赤にしながら、叫んでいる。彼女の腹は皮肉で盛られた丘のように膨れ、蠕動している。

 水色の医療用ガウンを着た看護師が呪文のように呼吸のリズムを唱えていた。それから彼女の陰唇が裂け、血を渓谷に伝わる白滝のように流した。

 その痛みは女がこの出産の中で経験した最も小さな痛みだった。自分でもそこが裂けているなどとは気づかなかったのだから。やがて医師たちが「カエサルだ、ルビコン川を渡らなくてはいけない」とか「このまま、このまま」と言い争う様子が彼女の耳に届く距離で演じられた。既に血の流れは川のようになっていた。

 彼女は次の一瞬、ものすごい痛みに襲われ、反射的に力を腹に込めた。

「カエサルだ」と言う。「このまま」だと反論する。

 ナースだけが真剣に血走るホトを見ていた。赤子の頭が玉ねぎのように出てきて、そのままずるりと落ちた。

 ナースは余りに一瞬のことだったので、その子供を受け止めることができなかった。赤子はリノリウムの床に落下した。そこは女の血だまりができていた。

「あぁ……!」

 分娩台の上で小さな息をのむ音がした。忽然と詩詰まり帰った病室の中で、女は上半身を持ち上げて、叫んでいるような表情を残した。残したというのはもう彼女は死んでいたのだった。両目も口も限界まで開き、両手をかぎづめのようにゆがめて、ただ一点、ナースのことを壮絶な表情で見ていた。

 ナースはすぐさま赤子を拾いなおし、泣かない赤子の背中を大きく二度叩いた。赤子は電池の入ったオモチャのように泣きだした。

 その直後に両目を開いていた女はぐったりと脱力した。まるで宇宙の重力に引かれて軌道上に落ちるかのように、寝台へと体を落とし、命すらも零してしまった。まるでナースが彼女の子供にそうしたように。

 医師たちは口論を止め、テキパキと子供を受け止めたナース以外の看護師たちとともに適切な踊りをする。まるでこのリノリウムのダンスホールで何百回も踊られたかのような死産と母体の死で彩られた死の舞踊。

 陰唇を裂き、直接子宮の中に手を入れた。子宮内出血は出血の速度と量が他に比べて凄まじい。そのためプロトコルには応急処置として腕を膣内に詰め込んで直接出血箇所を抑えるということがなされる。

 ナースは生まれてきた子供の背中を必死にたたきつける。再起動を臨むように。赤子は生まれたとき、自力で肺に溜まった水を吐きだすことが困難で、生まれないまま死んでいってしまうこともある。

 一定のリズムで出血する。出血を止める手はまるで石膏のように動かない。一定のリズムで赤子の背を叩く。母親の心臓はもう鼓動しない。医師たちはリノリウムの上、踵でリズムを刻みながら、真夜中に調べを奏でている。まさに生と死のポリフォニー。今、重力は冥府のダンスフロアから響く踵を打ち鳴らすリズムのようだ。まるで隣り合った交わることのない宇宙同士が互いに奏でている詩を、歌を、唱を、壁ごしに聞き合っている。その調べに惹かれること、魅力が重力として命をオービタルに乗せて運ぼうとする。

床一枚挟んだ下では、ハデスとペルセポネーがサン=サーンスの死の舞踏を踊っている。古代ギリシャから伝わる二柱の踊りは時に情熱的に、時に冷ややかに、千年の暗き日々を彩ってきた。

「ペルセポネーよ、俺と踊りつづけよう」

「ハデス様、でも私の心は上の空なのです。今、なんだか心惹かれる音がするんです。どこかから」

 ペルセポネーはハデスの胸に抱かれながら、彼よりも冥府ではないどこかを妄想していた。半死半生の彼女の浮気心をより手繰り寄せるように、死んでいった母親の歌うはずだった子守唄が次元越しに彼女の心に温かさを灯し、そのおかげで赤子は生き残った。

 それは生命を審判にかける冥府の裁判上のような場所にも思えるが、決定的に違うのはそこでは人生の総決算とは違った角度でその命のあることを決定していることだった。

 赤子の産声が響く。花が咲く。夜が明ける。母親の死体の足首に死亡日時のタグが付けられて、霊安室の冷たいロッカーに放り込まれる。数字以外に判別の付かないデジタルな存在になる。0と1のリズム。それをかき消すほどの無邪気で、無作為で、無分別な赤子の声。

 命を零しかけたナースはその日、二つの重力を聞いた。やがて自分が死ぬときまでそのポリフォニーを聞き続けた。飽きることなく、医師と踊り続け、時にどこかにいる冥府の花嫁のように、死に浮気した。


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