表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/33

3 呪《かしり》

正午を知らせる(かね)()を遠く聞きながら、雫玖(しずく)(けい)宮の戸口を行ったり来たりしていた。神鏡が()れるという一大事に、(がい)(てい)はてんやわんやの(おお)(さわ)ぎらしい。今日ばかりは(おく)(みや)(だれ)もが、自分の宮に足止めされている。

 ――どうか(ひめ)さまは、部屋から一歩も外に出ませんように。下手な(けん)()がかけられたら一大事ですよ。(すき)をみせてはなりません、(わたし)が内情を(さぐ)って参ります。

 そう言って(こと)が出て行ったのは、何(こく)前だったろうか。なにもわからないまま、ただ時だけが()()にすぎていく。

 とにかく自分でも考えてみよう。雫玖(しずく)はうろつくのをやめ、近くの()()(こし)()けた。

 (はす)国の真澄(まそ)鏡にまつわる(いつ)()は、この国の人間なら(だれ)でも知っている。

 その昔、(はす)国北東にある鷲蓬山(がほうざん)には、(ろう)(れい)()(りゆう)()んでいた。この()(むずか)しい(りゆう)(ゆい)(いつ)、心を通わせられた少年がいた。名を加那汰(かなた)という。二人は仲良く()らしたが、長年(わずら)っていた()(りゆう)はある時、ついに山を(はな)れる決意を固める。その際、(りゆう)加那汰(かなた)少年との別れを()しみ、自らの(たから)(うろこ)を四(まい)(あた)えた。

 ――鏡を用意せよ。そうして、この(うろこ)を四方に()()ける。そうすれば、そちはいつでも、(われ)と対話できるぞ。

 けれど()(りゆう)が消えたあと、鷲蓬山(がほうざん)には役人たちが()(ぜい)(ちよう)(しゆう)するための関所がおかれた。これが原因か定かではないが、その後、()(りゆう)は山に(もど)らず、少年は鏡を(たずさ)えて都に上った。そして(もう)(れつ)に努力し、初代(れい)香院大師にまで登りつめたのだ――。

 その鏡が()られた。

 今までこうだと思いこんできたものが(くつがえ)され、雫玖(しずく)はすっかり(こん)(らん)していた。

 だって、兄を弑したのは(おう)()か、その(がい)(せき)だと()んでいたのに。

 今の(おう)()の息、()(なん)王子は、立太子の()を経なければ正式な王太子とは(みと)められない。ゆえに()(おん)(いつ)()はけっして鏡を(こわ)さないはず。となると考えられるのは、(おう)()たち(こう)国の(えい)(きよう)(りよく)(はい)(じよ)したい者の()(わざ)か。だとすれば、それは(だれ)だ。

 現在、表立って対立しているのは真雪の父、(しころ)(しよう)(ぐん)と、歳破(さいは)内大臣の()(ばつ)だ。しかし(しよう)(ぐん)()は、王に側室を輿(こし)()れさせていない。つまり()(なん)の代わりの王子を立てる計画は、そもそも(しよう)(ぐん)には立てようがない。

「ちがうっ。(しころ)(しよう)(ぐん)は、()(ざか)しく頭を働かせるより、物理的な力()しが好きそう」

 では(さい)()内大臣だろうか。(おく)(みや)(えん)(せき)を配していない内大臣は、かつて(たか)()王太子の後見だった。内大臣は(はす)国の南、(じん)国と独自に交易しており、雫玖(しずく)の父王とも(こん)()だったが、兄を失った今、良い手札を失った。

(さい)()内大臣もちがう。あの人は逆に、もっと(はら)(ぐろ)でこみいった(しゆ)(だん)を使いそうよ」

 では()()王の(あい)(しよう)で、第二王子を生んだ夕影(ゆうかげ)(きさき)(がい)(せき)が犯人だろうか。

「いや、これもちがうかな。(ゆう)(かげ)妃って、(しつ)って(ぼつ)(らく)礼拝師(れいはいし)家の養女(ようじょ)で花街上がりだし。それに太鳳(たお)王子はまだ三(さい)真澄(まそ)鏡の(ため)しを受けられる成年には、達していない」

 思い当たる人物を(うたが)い出せばきりがない。だが、どの者にもそれを打ち消す事情がある。ぶつぶつ(つぶや)き、(つめ)()んで足を()すっていると、(とう)(とつ)に戸口から声がかかった。

「失礼します、雫玖(しずく)さま。()(なん)さまの命にてお(むか)えに上がりました、(ひよう)()と申します」

 はっと顔を上げると、色黒の武官が室内で深々と(きよう)(しゆ)している。この人もたしか漆氏一族の出の。今まったく音がしなかった。額に金の額環をしているのが目につく。

「以前お約束した件について、王子が直接ご報告を(いただ)きたいそうで」

「悪いけど、今日はちょっと、それどころじゃないんじゃない」

「ええ。何者かによって神器が(こわ)されたため、()(きゆう)お話ししたいこともできたからと」

 どうしようか、まだ(こと)(もど)っていないのに。でもあの()(なん)王子は、兄を暗殺した真犯人を知っていると言っていた。今、王城で何が起きているのだろう。知りたい。元々、(たん)(きゆう)は好きな(しよう)(ぶん)だ。急に(しよう)(どう)(おさ)えきれなくなった。

「わかった。行くわ」

 茶(たく)に走り書きを残すと(ぶん)(ちん)を置き、そのまま(ひよう)(また)について(けい)宮を出る。(とう)(ぐう)はかつて兄がいた(ところ)だ。もうあのころには(もど)れないとわかっていても、心が(はず)み出す。

「あなた、よくこんな(わき)(みち)を知っているわね」

「……()(なん)さまも時折、花園で(いこ)雫玖(しずく)(ひめ)()いに来ていましたので」

「え?」

「たいがい(たか)()王太子とその側付がいらしたので、(だま)って引き返されていましたが」

 それはいったい、どういう意味なのだ。のしのしと歩く()(なか)を早足で追いかけるうち、目前に(とう)(ぐう)の屋根が見えてくる。

(ひよう)()、なんで表から入らないの?」

 武官が迷いなく(うら)(ぐち)に回るので、息を(はず)ませながら問いかけると、

「ああ、とにかく他の目につかないようにせよとの、主の(おお)せでして」

 そのまま(かい)(だん)を上がり、門を()けて建物に入った。(ちゆう)(ぼう)()けて()(しつ)のほうへと進んでいく。かつて兄が()でた池は(やわ)らかく日光を(はん)(しや)して、細長い(ろう)()にゆらゆらと()(よう)(えが)いていた。

()(なん)王子。雫玖(しずく)さまをお連れしました。お通ししてよろしいですか」

 やがて大きな花(まど)のついた部屋にたどりつく。(ひよう)()ははっきりした低(おん)で告げた。

「待ちかねたぞ。通せ」

「では(わたし)はこれにて失礼します。どうぞごゆっくり」

 そうして雫玖(しずく)は一人、王子の(しん)(しつ)に取り残された。

 (たか)()が使っていた時より()()()(でん)(えん)(たく)(てん)(がい)付きの(しん)(だい)(かべ)()かった(すみ)()と象眼細工の調度品。(しん)着のまま正面の円(いいぎり)(すわ)っている()(なん)は、どうやら昼間から酒を飲んでいたようだ。(しよく)(たく)(がら)()(はい)が置かれている。

「昼間から飲むと身体に毒よ、()(なん)

(ため)しの鏡がなくなったのだぞ、これが飲まずにいられるか。それにこの()(どう)(しゆ)(あま)くて軽い。おまえも飲むか、雫玖(しずく)

「いい、いらない。それより、兄さまを殺した犯人って(だれ)?」

「つれないやつだな。いいから、その()()(すわ)れ」

 ()(なん)(まゆ)が寄る。指し示された先には扶手椅(ふしゆい)があった。しぶしぶ向かい合う形で席につく。しかし話はいっこうに始まらない。なんだろうこの間は。(ちん)(もく)にたまりかね、雫玖(しずく)は声を(あら)げた。

「なによ、人の顔ばっかりジロジロ見て。なにか文句でもあるわけ?」

 もしや(たの)まれ事について、なにも(きつ)(ぽう)を得られなかったのを、責められるのかも。すると、なぜか()(なん)のほうが(あわ)てふためいた。

「いや、じつはおまえに問いたいことがあってな。まずは(わたし)の質問に正直に答えろ。今朝、鏡を()ったのは(だれ)だ?」

「えっ、知らない。知るわけないじゃない」

「……おまえじゃないのか」

「はあ? なんでわたしを(うたが)うの?」

「なぜって、それは……、(たか)()が死んだ(はら)いせに、(わたし)(きゆう)()(おとしい)れようとしたとか」

 雫玖(しずく)は目を見開いた。ついで手のひらに(こぶし)を打ちつける。

「なるほどね。うん、たしかに一理あるかも。朝からずっと下手人を考えていたんだけど、そっか、わたしも(うたが)わしいんだ!」

 だから(こと)(けい)宮から出るなと言ったのか。とはいえ、もう(とう)(ぐう)に来てしまったが。

「まったくおまえは。そこで(なつ)(とく)するな」

「なんで? でも()(なん)、そう言うあなたは、どうやら()っていなさそうね」

「おまえっ、もしや(ため)しを受けるこの(おれ)までも、(うたが)っていたのか?」

「うん、一応。でも動機がないなーと思って」

 すると()(なん)は、(つか)れたように息を()いた。

「おまえは昔から、そういう性格だな。女のくせにひどく合理的で、()()りが早くて。(こと)()(づか)いも最悪だし、ありていに言って(へん)(くつ)だ。しかも()()()()()()。だから『()()(ひめ)』などと(かげ)(ぐち)(たた)かれる」

「ちょっと。本人を前に、いろいろと失礼ね」

「しかし、まあよい。これで(うたが)いは完全に晴れたわけだ――」

 ()(なん)は指で(ほお)をかくと立ち上がった。つ、と雫玖(しずく)に近づく。ついで両手で(ひじ)()けを(つか)まれ、()()()じこめられる形になった。

()(なん)? え、なにしてるの?」

()()てにするな。兄さまと()べと言ったろう」

 ()(なん)(かげ)が顔に落ちてくる。そのまま(ほお)に口づけられて、ぞわり、()(すじ)(あわ)()った。

「なにするの、やめてよ!」

「……好きだ」

「は?」

「おまえが好きだと言っている」

「え、ええ? なに、どういうこと、新手の意地悪?」

「っ、どういう反応だ。だいたい(わたし)は、(おさな)(ころ)からおまえ(ひと)(すじ)であったのに。おまえはいつも(たか)()(たか)()とあの(にく)たらしい美男ばかり見ておって」

 はっとした。身体が動かない。なにこれ、(ひじ)()けになにか術を()()けられていた。

 そのまま人形のように()(なん)(むね)()()せられる。(くび)(すじ)(あら)()(いき)がかかった。

「ちょっ、やめ、じゃあ、なに、あなたがわたしを()びつけた、本当の理由って」

 ようやく今の(じよう)(きよう)を理解して、全身が(こう)(ちよく)する。

「そうだ。(じや)()な兄は消え、おまえにはもう(たよ)る者もおるまい。だから(わたし)がもらい受けてやろうと言うのだ。(わたし)の側(めかけ)となれ、雫玖(しずく)

「はい?」

「母上が反対するだろうから、(せい)()にはしてやれぬ。だが(わたし)なら一生、おまえを不自由なく囲ってやれる。どうだ、悪い話ではないはずだ」

 (ねん)(ちやく)(しつ)な熱いまなざしに息を飲んだ。きもい。しっかり男の顔になっている。

()()(てい)(こう)はせず、このまま(わたし)()かれろ。()(せい)事実さえ作ってしまえば、あとはどうにでもなるはず」

 引きずられるようにして(しん)(だい)の上に投げ出され、頭が真っ白になった。

「いやっ、なんで昔からそうやってすぐ人の(いや)がることばっかりしようとするの、絶対に(いや)だから! やだやだやだーっ」

「そうやっておまえこそ、いつも(ごう)(じよう)(がん)()で生意気で。王子の(わたし)にむかって、まったく(そん)(たく)もせずに、いつも本心を言いたい放題で……っ」

 ()(なん)(そで)(ぐち)からなにかを取り出す。ついで首に(ひも)のようなものが()きつく。ぎょっとして手をやると、ぬるりとした(ねん)(えき)が指に張りついた。――(へび)? 黒曜石のように光る(うろこ)の。

「だが、そういう(うら)(おもて)の無いところが他の女とちがって、どうにもそそられてしかたがない」

「や、やめて、なにをするの」

「この(へび)が、ただの(どく)(へび)だと思ったら(おお)()(ちが)いだぞ。(あるじ)(めい)しだいで動き、対象者を()(ころ)すこともできるらしい」

 ()(なん)の言葉どおり首が()まっていき、雫玖(しずく)はうめき声を上げた。この(へび)、式神だ。まっとうな生き物ではない。()(なん)はなんで、こんな(かしり)札を持っているのだろう。そうか、もしやあの(ひよう)()とかいう護衛から手に入れたのか。

「あっ、()(なん)、っ」

「なんだ、ああ、苦しくて話せないのか。首はさすがにきついな、よし、移してやろう。安心しろ、大人しく(したが)えば()(わい)がってやる」

 (へび)が首から左手首へ、ぬるぬると移動していく。雫玖(しずく)は息を()って()きこむと、(なみだ)()になって相手を(にら)んだ。

「あ、あなたね、いつもこんなふうに女の人をつれこんで、()()()()、言うことを聞かせてたの? いいかげんにしなさいよ、この()()王子! 変態! 最悪!」

「それはちが……、(わたし)()しいのはあくまで雫玖(しずく)、おまえだけで」

(うそ)っ。どうせ、(たか)()兄さまへのあてつけなんでしょ。なんでわたしを王子同士の競争の道具にするの? ()(なん)のそういうところ、(だい)(きら)い!」

 ()()りつけると、相手は苦い薬を飲まされたような顔になった。しまった、言い過ぎた。しかし、投げつけてしまった言葉はひるがえせない。

「……はは、十年()しの(おも)いを伝えた答えが、(だい)(きら)いか」(かわ)いた笑いが相手の口から()れた。「そうだな、(わたし)(たか)()(だい)(きら)いだった。なぜなら何度、頭を下げても、あの男は(わたし)に妹をくれてやると言わなかったからだ。どころか手の(とど)かぬ(けい)宮へしまいこんで。おかげでこんなに長く、待つ羽目になってしまった」

 ()(なん)はもはや、内に()めた(せん)(ぼう)(しつ)()(かく)そうとしなかった。

「だから今、(わたし)はひどく(こう)(よう)している。あのいけ好かない男の鼻を、こうして明かしてやれるのだから」

 (こわ)い。なにもできない。いくらもがいても、足を()()っても、力の差は歴然としていて。王子の指が、(した)が、せわしない手つきで雫玖(しずく)(じゆう)(りん)していく。

雫玖(しずく)(へび)がいるかぎりもう、おまえは(わたし)から(のが)れられない。どこでなにをしていようが、おまえは(わたし)のものだ」

 (いや)がれば(いや)がるほど、相手が(こう)(ふん)するさまがひどく(おそ)ろしく、必死にもがく手が(そで)(ぐち)の間のものを(つか)んだ。――これは。しゃにむに()()き、力のかぎり(さけ)ぶ。

「『解!』」

 とたん、(しん)(だい)(せい)(だい)に水しぶきまみれになった。

 うわっと声を上げる()(なん)()しのけ、一目散に部屋を飛び出る。

「ごめんね()(なん)、でもわたし、やっぱりあなたのことは従兄(いとこ)としか思えないっ」

 (ろう)()()け、子鹿のように全力で走って走って、勝手知ったる(とう)(ぐう)殿(どの)(うら)(ぐち)()けた。()(だし)(たま)(じや)()が食いこんで(いた)い。しかしそんなことを言っていられない。花園目指して()(ぱし)る。ところがその手前の(かい)(ろう)で、()()につんのめった。足首に見えない糸が引っかかった、そんな(かん)(しよく)

「……まったく。()(なん)王子も、とんだじゃじゃ馬に()れこんだものだな」

この声は。地に()いつくばったまま後ろを見やり、(から)()(じゆう)の力が()けてしまう。やはり(ひよう)()だ。どうしよう、()(もど)される。

「いいですかい、お(ひめ)さん。その(へび)がついているかぎり、あんたはもう王子の所有物なんだ。主が命じれば、(しゆん)()にその白い手も千切れ飛ぶ」

 武官の口調は打って変わったようにいい加減だった。目をやれば、いつのまにやら(へび)は何重にも手首に()きつき、(うで)()のように固まっている。

「しかも、そんなびしょ()れで、よくも()(しき)の外へ出られたものだな。さすがは()()(ひめ)()じらいが足りないねぇ」団子に()った(かみ)をわしづかみにされ、すごい力で引き起こされる。「ま、それでも主のお気に入りだ。おとなしく(もど)れば(ゆる)してやるよ」

 身がすくんで動けなかった。なんだろう、この(ひよう)()という男、本当にただの人間か。

「――(だれ)(だれ)を、(ゆる)すって?」

 その時だった。ざわざわと周囲の(なみ)()がさざめき、どどう、一(じん)の風が()いた。

雫玖(しずく)(はな)せ、この()(ろう)

()(はく)!」

 (こつ)(ぜん)姿(すがた)を現した青年が歩み寄ってくる。目を見張った。(うそ)()から(にじ)のような(れい)()が立ち上っている――、(れい)(りよく)の強い者はそうなると聞くけれど、初めて見た。

「おまえはたしか、(たか)()の側付だった」

 (ひよう)()(らん)(ぼう)雫玖(しずく)を放り出した。

「ああ。今は(れい)香院で(ひめ)の師を(つと)めている。だよな、雫玖(しずく)

 無造作に背子(うわぎ)をかけられ、子犬のように頭を()でられて、思わず()(はく)(あお)()た。

「水(まり)札を使ったのは正解だったぞ、雫玖(しずく)。あれであんたの正確な位置がつかめたからな。よく()えた、もう(だい)(じよう)()だ、安心しろ」

べそをかいて口を(ゆが)ませていると、いたわるように(かた)(たた)かれた。

「さてと。では()(なん)王子の護衛官殿(どの)には、ご退(たい)(じよう)願おうか」

 しかし()(はく)に返ってきたのは棒投剣だった。とっさに首をかしげて()けた(ひだり)(かた)に、とす、(おん)を立てて剣が()さる。

「悪いな。しびれ薬が()ってあるんだ。しばらくは動けなくなるぞ。……なに?」

 ()(はく)は何事もなかったかのように立ち上がると、無造作に(かた)に手をあてた。

「なんも問題ねえよ、これくらい。ただ今は()かないほうが良さそうだ。先が(かぎ)()になってたし」

「馬鹿な、あの(いつ)(しゆん)で見切ったのか」

(おれ)は、あいにく毒の効かない(とく)()体質でね。だいたい(おく)(みや)で、武器の使用は禁止されてるんだが。そんなことも知らないのか?」

「ふん、決まり事なぞ」

「ああ、あんた、規則をクソ()らえって思う(けい)の人ね。まあいいや。(おれ)は後ろ指をさされたくないんで、()()で行かせてもらう――」

(こし)を低くして構えの型をとると、そのまま間を()めて(ひよう)()(まわ)()りを入れる。

 とっさに(りよう)(うで)を交差させて相手が()けると、(はん)(げき)(すき)(あた)えず、(もう)(れつ)な拳打を()らわせていく。とても(かた)()(きず)を負っている人間の動きではない。

「っ、()(はく)とやら。おまえ、(ただ)(もの)じゃないだろうっ」

 たまらず(ひよう)()が声を(あら)げた。

「……そいつはお(たが)(さま)だろ」

 雫玖(しずく)はまぶたをしばたたく。今、(ひよう)()の身体が一回り大きく()びた気が。

「おもしろい。まさか王宮内で、本気でやりあえる相手がいたとは」

 今度は(ひよう)()の拳が()(はく)を打った。どん、どんと身体で受ける(にぶ)(おん)(ひび)く。雫玖(しずく)(ぼう)(ぜん)とした。(ひよう)()はまるで大きな熊か(とら)のようで、その拳も(とう)(てい)、人間のくり出すものではない。もしや(じゆう)(じん)か。しかし受ける()(はく)のほうも、どこかおかしい気がする。

「悪いがあんたの拳、全っ然、効かねえな」

 あれだけ重たい拳打を()けもせず受けきり、表情一つ変えない。どころか一歩も引いていない。――強いのだ、とてつもなく。見た目の体格差を()めるほどに。

「くそっ、なんなんだおまえ、そんな(そう)(しん)で。この(おれ)が力負けするとは」

 (ひよう)()がたたらをふみ、わずかにのけぞる。その(はら)に、()(はく)の拳が深々とめりこむ。

()(なん)王子に伝えろ。雫玖(しずく)には(おれ)が護衛についてる。好き勝手はさせないってな」

だが(いち)(げき)(ちゆう)に飛ばされ、(たお)(ふく)した男はもう、言葉を発しなかった。()(はく)(すわ)りこむ雫玖(しずく)の前で、ぞんざいに(ひざ)をつく。

(だい)(じよう)()か。雫玖(しずく)()()は?」

 さしだされた手。(すじ)()った(うで)から、まだ(れい)()が立ち上がっている。わなないていると、ひょいと(りよう)(うで)(かつ)()げられた。

「やっ、()(はく)、下ろして、自分で歩けるから!」

「いいから(えん)(りよ)すんな、あんた軽いし。とにかく(けい)宮に(もど)ろう。ここは人目につく」

 ()(はく)の言葉に赤くなってうなずく。不思議だ。こうして軽々と()かれていると、今はこの青年が(すご)(うで)の護衛官にしか見えなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ