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18 立太子の儀

 宮城(がい)(てい)の南方面に、()(ねん)殿(でん)という殿(でん)(しや)がある。(りゆう)(まつ)()(こく)(ほう)(じよう)()(がん)するための建築で、この()(ねん)殿(でん)の前庭部分には、()(れい)()(おこな)圜丘(えんきゆう)があった。

 秋分の日は晴天で、この日、圜丘(えんきゆう)には大勢の(かん)()が集まっていた。これから始まる立太子の()に参列するためだ。

 ()(だい)は三重円形の石造りだ。一(だん)目の円形が一番高く、()(じよう)(けい)(しや)(えが)いて四方に(かい)(だん)があり、中央で発声すると、周囲を(めぐ)(らん)(かん)に音が(はん)(きよう)する仕組みになっている。

 その最上部の北向きには(てん)(がい)付きの(ぎよく)()二席に王と(おう)()が、その左右(わき)に内大臣と()(なん)王子が、それぞれ立っていた。二(だん)目には高級(かん)()()(こく)特使、三(だん)目には下級(かん)()や武官たちが()(なら)ぶ。

 そして(みな)が注目する圜丘(えんきゆう)中央、まさにその場に雫玖(しずく)はいた。

 霜葉(そうよう)老師とともに、真澄(まそ)鏡をかざす大任を王より(おお)せつかったからだった。

「……それではこれより、王太子の選別を始める」

 正午すぎ、歳破(さいは)内大臣がそう(せん)(げん)して、()(しき)は挙行された。ついにこの日がきてしまった。雫玖(しずく)霜葉(そうよう)と、(こし)(がたな)ほどの銅鏡を持って(ぎよく)()の対面に立つ。

 (せい)(りゆう)(うろこ)()(すみ)に張った(えん)(ばん)型の鏡は、()(なん)王子をはたして選ぶだろうか。

 真澄(まそ)鏡は真理を(うつ)すという。だが雫玖(しずく)が今、気がかりなのは、王族が入場する直前に、三(だん)目にいたはずの豹叉(ひようさ)(こつ)(ぜん)姿(すがた)を消したことだ。なにを(たくら)んでいるのか――。

「では()(なん)王子、鏡の前へお出まし下さい」

 霜葉(そうよう)老師が声を張り上げると、(あざ)やかな赤い朝服の王子がしずしずと近づいてくる。(おごそ)かな楽曲と編(かね)()(ひび)き、黒い六縫靴(ろくほうか)の音が大理石の(ゆか)(ひび)く。

「おお、なんと」

「ご(りつ)()な」

 多くの者がその(りつ)()ないでたちに(かん)(たん)の声を上げる中、雫玖(しずく)だけがまっさきに()(へん)に気づいた。

 ()(なん)は歩くのも苦しそうに、口を引き結んでいる。その額にはびっしり(あせ)()かんでいた。その霊動から、すぐに原因は察せられる。おそらく(くろ)(へび)が身体の(おく)まで入りこみ、内側から口を(ふさ)がれているのだ。――どうしたらいい。(だれ)に助けを求めたら。

 ()(せん)(さま)()わせて息を飲む。王子の歩みと示し合わせたように、高級(かん)()の内から文官が一人、一(だん)目に上がってくるのが見えたからだ。

 その文官は霊香院(れいこういん)の官服を着ていた。(ぎよく)()(きよう)(しゆ)し、内大臣と霜葉(そうよう)に一礼してから雫玖(しずく)(となり)に立つ。その態度がひどく(たい)(ぜん)としていたため、これも()(しき)(いつ)(かん)なのだと大勢が(かん)(ちが)いした。心底(おどろ)いていたのは雫玖(しずく)と、どこぞに(ひそ)んだ豹叉(ひようさ)だけだったろう。

()(はく)、どうやって……?」

 雫玖(しずく)は顔を前にむけたまま、かすれた声で(ささや)いた。鏡を支える手が(ふる)える。どうやってあの(れい)(びよう)()()せたのだろう。心中、(もん)(もん)としていると、

『悪い、雫玖(しずく)(だい)(じよう)()だったか。やられた(きず)を回復させるのに時間がかかっちまった』

 頭に直接、思念が(ひび)く。――これ、念話だ。

『おっと、表情を表に出すなよ。どこかで見ている豹叉(ひようさ)に感づかれる』

 言われて(あわ)てて下をむく。

『じっとしてろ。今、あんたに()(がい)(およ)ばぬよう、防護(まく)を張ってやるから』

 ()(はく)(そで)がわずかに()(なか)()れ、水の中にいるような(さつ)(かく)を覚えた。

 周りの(けん)(そう)が遠のき、別な空間に入ってしまったような()()(かん)

 急に、一人一人の発する(れい)()がよく見えてくる。

 雫玖(しずく)のほぼ対面にいる()(おん)(おう)()(すみれ)(いろ)、右の歳破(さいは)内大臣は(てり)(がき)色。その(おく)、二(だん)目の(しころ)(しよう)(ぐん)(てつ)(こん)色、(となり)真雪(さねゆき)はひときわ強い黄檗(おうばく)色を放っている。

 だが()(なん)から立ち上るのは、まるで黒(すす)のような(れい)()だった。

 すると霜葉(そうよう)がゆったりした動作で手を上げ、鏡に近づく王子の歩みを制した。

「――()(なん)さま。しばしその場で、お留まりを」

「何事だ、霜葉(そうよう)

 内大臣が(いん)(ぎん)に声をかける。

「どうやらこの()、このまま続けるには、(さわ)りがあるようでございます」

 どういうことだ。周囲がざわつき始める中で、また()(はく)の思念が(のう)(てん)を打つ。

『空を見ろ、雫玖(しずく)

 はっと顔を上げた。なんだ。先ほどまで雲一つない晴天だったはずが、急に()()た黒雲で暗くなっていく。ひゅう、冷たい風が()き、遠くで(らい)(めい)(ひび)いた。

(みな)(みな)(さま)。あいにく(れい)()の出現と相成りました。これより(りゆう)(じん)雲が参ります。霊香院(れいこういん)大師が今から(やく)()けの()(とう)(いた)しますので、どうか、ご(せい)(しゆく)にご(せい)(らん)下さい」

 圜丘(えんきゆう)に集った人間は一様にどよめいたが、老師はまるでこんな事態は(にち)(じよう)()(はん)だと言わんばかりだった。

 三つ(かしわ)()を打つと、雫玖(しずく)(はい)()にいた()(はく)が、圜丘(えんきゆう)中央に進み出る。

 青年は四方に一礼すると、おもむろに(えん)()を始めた。

 一体なにがどうなっているのか。注目する官たちをよそに、(わか)い大師はしきりと両手を打ち鳴らし、(ちよう)(やく)し、広い圜丘(えんきゆう)(かる)(わざ)()のごとく(ばく)(てん)する。

 そのまま流水のごとく(むな)(もと)から苦無(くない)を取り出すや、上空へ向かって投げ上げた。

 ひょう、苦無の()は空を切って最高点で(きら)めき、そのまま()(なん)王子の目前に()き立つ。その(しゆん)(かん)だった。()()(おう)するかのように、圜丘(えんきゆう)の真上で(らい)(めい)(とどろ)いたのは。

 どおぉおぉおん。

 人々は悲鳴を上げ、頭を(かか)えて場にうずくまった――当然だろう。雲の合間にちらりと()(かく)れする、あれはどう見ても(らい)(こう)ではない。なにか別の、(きよ)(だい)な生き物。

「……り、(りゆう)だ!」

 (だれ)かが(さけ)んだ。その声はたちまち周囲に広がり、(けん)(そう)に代わる。

「見よ、神が!」

(われ)らの真上におわすぞ!」

 もはや(うたが)う余地もない。この(らい)(うん)は、(りゆう)の出現によってもたらされたのだ。

 そして今や、(しん)(じゆう)は人々の頭上をぐるぐる(せん)(かい)している。

 場が(そう)(ぜん)となる最中で、ぽつ、(おお)(つぶ)(しずく)が落ちてきた。

 その(しずく)は、あっという間にざあざあ鳴る、白い(ごう)()に変わっていく。

「どうか(みな)さま、ご(せい)(しゆく)に」(れい)()(おそ)れをなし、圜丘(えんきゆう)から()げだそうと官たちが動いたせつな、老師が(さけ)んだ。「一歩たりとも動かれますな。神のお(いか)りに()れますぞ!」

 その言葉どおり、耳をつんざく(らい)(こう)が、圜丘(えんきゆう)のすぐきわに落ちる。

 人々はぶるぶる(ふる)えながら、今や天にはっきりと姿(すがた)を表した(りゆう)(じん)を見上げた。

 海のごとき(ゆう)()(たい)()(りつ)()な角と青いたてがみ。なんと美しくも(こう)(ごう)しい(せい)(りゆう)だろう。ただし(しや)(さつ)さんばかりに(らん)(らん)とした、眼光さえなければだが――。

「おお、神よ、(われ)らはどうすればいいのだ」

「どうかお(いか)りをお(しず)め下さい」

 (みな)が次々に(こう)(とう)していく。無理もない。この(りゆう)こそは、(れん)国に住まうなら知らぬ者はないほど、有名な(りゆう)(じん)だったのだから。

 かつて()(かい)神さえ()(ほろ)ぼしたという、伝説の青い(きば)。――武の(しよう)(ちよう)(せい)(りゆう)王。

雫玖(しずく)、ぼんやりするな。今だ。()(たい)は整った、あんたが(なぎ)()べ』

 丸く口を開いたまま、空を見上げていた雫玖(しずく)ははっと(われ)に返った。

 見れば固まる()(なん)の横で、苦無(くない)を拾い上げた()(はく)がさりげなく手招きしている。

 どうも、なにかがおかしい。――すべてが最初から仕組まれているような。

 なんだろう。けれど今は、そんなことを気にしていられる(じよう)(きよう)ではない。

「っ、霜葉(そうよう)さま、どうか鏡をお願いします!」

 鏡を(はな)すと()(はく)の横へ走り出て、天へ両手をさしのばし、力のかぎり(さけ)ぶ。

(せい)(りゆう)王! どうかその御姿(みすがた)をお現し下さい!」

 せつな、今度は圜丘(えんきゆう)のど真ん中に(かみなり)が落ちた。(いつ)(しゆん)()(だい)が同心円状に(かん)(ぼつ)し、大地がぐらぐら()れる。ずぶ()れになりながら、人々はたまらずその場にひれ()した。

「……(おれ)()んだか、雫玖(しずく)(ひめ)

 それからややあって、(すず)やかな声が静まりかえった圜丘(えんきゆう)(ひび)いた。

 こわごわと顔を上げた雫玖(しずく)が見たのは、(うす)く全身から(すい)(じよう)()()いている(ちよう)(はつ)(わか)()(しや)(せい)(たか)(そう)(しん)(あい)半臂(はんぴ)長袴(ちようこ)姿(すがた)()には重そうな大刀(たち)(ちん)()していて――(しよう)(ちよう)(てき)な、青いたてがみのような(かみ)をした。

 まさか、あれが(せい)(りゆう)王なのか。人々は顔を見合わせた。

 (れん)国の古き伝説によれば、(せい)(りゆう)(きん)(こつ)(りゆう)(りゆう)とした(たい)()の大男で、()(たけ)ほどの大刀(たち)()(まわ)(そう)(ねん)()(しよう)である。――だが、あの(わか)(もの)はどう見てもまだ、二十歳(はたち)前後だ。

 いぶかしむ(かん)()たちを()()に、雫玖(しずく)だけが(おそ)れ知らずに(わか)(もの)に近づいていく。

「ねえ(なぎ)、まずはこの雨を止めてくれない? このままじゃ、みんな()(ねずみ)よ」

 ()(そん)にも(うで)()みして()(おう)立ちになったので、多くの(かん)()が目を()じた。終わった。気の毒だが、()(そん)(きわ)まりない()()(ひめ)は、秒で(りゆう)(じん)に殺されるだろう。

「ああ。本当だな、気づかなかった、悪い」

 ところが(わか)(もの)(おこ)るどころか、(ひめ)の頭を一()でした。しかも()(ぐう)なことに、よく見ればその顔立ちは(ひめ)()くなった兄の王太子、(たか)()にそっくりである。

 もしや()き王太子が、(りゆう)となって妹(ひめ)()いに来たのかもしれない。

 多くが内心でそう考えた時、(わか)(もの)がその手を(こぶし)に変え、天に()()げた。

 すると、ごうと(こぶし)圧の風が(うな)り、たちまち雲が同心円状に()()んで、圜丘(えんきゆう)の上だけに青空がのぞいた。直後、どぉん、(おく)ればせながら(はら)にくる重低音が()(ひび)く。

「で? あんたが今回、次王に名乗りを上げたいって言う王子か」

 (わか)(もの)()(なん)に気安く話しかけたが、すでに王子は(こし)()かしてへたりこんでいた。雫玖(しずく)(のう)()に、官たちの思念が(ひび)いてくる。――あの(じん)(じよう)ならざる(りよ)(りよく)、まぎれもなく(せい)(りゆう)()(しん)だ。()()(ひめ)(りゆう)(じん)()べるほどの巫だったのか。たしか()()(たみ)は、ああした者を仙客(サウロ)()ぶのでは。くわばらくわばら、これからなにが起きる。

「……(おそ)れながら(せい)(りゆう)王に申し上げる」そんな(みな)の気持ちを代弁するように、内大臣が進み出て(きよう)(しゆ)した。「王はなぜ今日、この時、この場に(けん)(げん)なされたのか?」

雫玖(しずく)(ひめ)、この者は」

(れん)国の内大臣、歳破(さいは)さまよ」

「そうか。では顔を上げて聞け、歳破(さいは)内大臣。それに(れん)国の官たちもだ。(おれ)が今日、この地に()()った理由は、ただ一つ。仙客(サウロ)(ひめ)に、次王の選定に必要な新しい(しん)(けん)()(わた)すためだ」

 (せい)(りゆう)(わか)い声を張り上げた。おもむろに(こし)()いた(ちよう)(けん)()くと、天にかざす。

 それは()れた(すい)(しよう)のような(かがや)きを放つ、世にも見事な(たい)(けん)だった。

(れん)(しん)(けん)は、この(せい)(りゆう)が所有する刀身と混ぜ合わせ、(りゆう)の国にて(きた)え直された」人々の()(せん)を集めて、陽光を(はん)(しや)した()(かがや)く。「見よ。この(けん)こそ、新たな(れん)王が持つにふさわしい(いつ)(ぴん)である――!」

 鏡のごとく青く(かがや)く刀身。それを(せい)(りゆう)圜丘(えんきゆう)()()した。(ひと)(すじ)の迷いもなく。

 (しよう)(げき)でまた、ぐらぐらと()(だい)()れる。

「よってこれより、(われ)(せい)(りゆう)王は(しん)(けん)をここから()き動かせた者を、国主と(みと)める!」

 雫玖(しずく)はあっけに取られて(なぎ)を見た。

 あいかわらず表情が読めないが、これはおそらくどや顔だ。

 しかしこの(せん)(げん)は明らかにまずい。今までの慣例を完全に()()している。まさに(なぎ)のやり方だと言えばそれまでだが、いったい(だれ)が、この場を(しゆう)(しゆう)するのか。

 救いを求めて()(はく)を見やると、(いつ)(さい)の感情を顔から消して素知らぬ顔だった。

「え、ひどっ、なんでそこで他人のフリを?」

 ならば霜葉(そうよう)はと()(せん)を移すと、(そで)で必死に口を(かく)している。

 老師、笑っている場合ではないです。(ふん)(ぜん)としつつ、()(へん)に気づく。

 多くの官たちの目には、いつのまにかひどく(こう)(ふん)した光が宿っていた。

(せい)(りゆう)王!」「(たか)()さまっ」「青い(きば)(ばん)(ざい)!」「(りゆう)(じん)に、栄光あれ!」

 官の一人が(さけ)ぶなり、次が、また次がと声が上がり、にわかに(だい)(かん)(せい)()()こる。

 その横で(しころ)(しよう)(ぐん)歳破(さいは)内大臣が、二人で目配せしあっていた。

 なぜ。おかしくはないか、あの二人、(けん)(えん)の仲のはずなのに。

 雫玖(しずく)(むね)(けい)(しよう)()(ひび)いた。そもそも最初からなにか(みよう)だったのだ、この()(しき)は。

 ()(せん)(めぐ)らすと、真雪(さねゆき)が参列人をかきわけて(かい)(だん)の手すりを()()え、(だん)()()がってくるのが見える。きっとこの(じよう)(きよう)を見かねて、助けにきてくれたのにちがいない。ほっとした(しゆん)(かん)

「――静まれ!」

 (なぎ)がよく通る声を張り上げた。

雫玖(しずく)(ひめ)

「はい」

「先ほど(おれ)(しよう)(かん)したのはあんただ。つまりあんたには、この場の差配(けん)がある」

「はい?」

(れん)国の、正当な王の息女よ。あんたがまず、(りゆう)(けん)()いてみるか?」

 しん、場が静まった。

「これも(せい)(りゆう)(ため)しだ。受けるも引くも、あんたしだいだぞ」

「は……」

 頭の中が真っ白になる。(なぎ)が言っているのはつまり、雫玖(しずく)自身が王に立つかと、――そういう話で。気づけば(しゆう)(もく)もはばからず、大声で(さけ)んでしまっていた。

「な、な、なんでわたしがっ」

「なんでって。べつに(おれ)は、あんたが王になってもいいと思うんだが。(たみ)(おも)いだし」

 いやいや待て。雫玖(しずく)は頭を(かか)えた。今までの短い付き合いからして、こういう場合に(なぎ)の話は信用できない。どうしようと()(はく)を見やると、

雫玖(しずく)がどうしてもやりたくないってなら、(なぎ)に他の(こう)()(しや)(すい)(せん)してみたらどうだ』

 今度はまっすぐ()(せん)を合わせて助言してくれた。

『ちなみに(おれ)はダメだぞ、(りゆう)だから』

 そうか。そうだった。()(はく)の横でうずくまっている()(なん)が目に入る。

 ダメだ、ちがう、この従兄(いとこ)は王の(うつわ)ではない。

 王の(うつわ)とはあくまで兄、(たか)()のような()()を持つ者がなるべきだ。

 でもそんな人間、都合良く他にいるはずが――。

「あ」

 まばたきした。そう言えば、いた。一人だけ。兄と同じ金の()()を持つ者が。

「青(なぎ)(つつし)んで申し上げます。残念ながら、わたしに(けん)()く力はありません。なので代わりの者を(すい)(きよ)したく」

「いいぞ、許す。(だれ)だ?」

「あそこに(ひか)える(しころ)(しよう)(ぐん)が息、真雪(さねゆき)です」

 雫玖(しずく)にはっきりと指を()された真雪(さねゆき)は、ん、と息をつめて足を止め、一(ぱく)のちに()(とん)(きよう)な声を上げた。

「はぁ? (おれ)かよ?」

 雫玖(しずく)真雪(さねゆき)にかけよると、思いきり(おさな)なじみの手首をつかんだ。

「お願い真雪(さねゆき)(けん)()いて、もうあなたしかいない」

 (つま)(さき)だって耳打ちすると、相手はぐしゃぐしゃと(かみ)をかき混ぜる。

「いやいや、でも(おれ)はただ、おまえがやばそうだったから、ちょーっと上に上がってきただけっつーか」

「だって、どう考えたって、わたしにあの深々と()さった(けん)()けると思う?」

「……無理だな」

「でしょう。じゃあ助けると思って()いてよ、他にどうしたらいいの?」

「どうしたらって言われてもなあ。つか、あの(りゆう)、本当に(たか)()じゃねえの? (かみ)と目の色をのぞけば、本人そっくりじゃねえかよ」

「それは最初に、わたしも思った」

 どうやらその(かく)(にん)もあって(じよう)(だん)に上がってきたようだ。真雪(さねゆき)の手をつかんだまま(なぎ)の前までつれてくる。すると(せい)(りゆう)(てん)として(むね)を張った。

「あんたが(せい)(りゆう)(ため)しを受けるのか。真雪(さねゆき)とか言ったな。よし、では()いてみろ」

「……はっ」

 真雪(さねゆき)は目を細めて(なぎ)を見つめた。まだ(たか)()の生まれ変わりかと(うたが)っているようだ。

 それからややあって、意を決したように(けん)(がら)に手をかける。

 ぐ、全身の(きん)(にく)()()まり、太く()()がった。

 (こう)のごとき(うで)が、少しずつめりこんだ(けん)を上に持ち上げ始める。

「ほう。(かい)(りき)だな」(なぎ)がまんざらでもない顔を見せた。「人間にしては上出来だ」

 うるせえ、(だま)ってろ、と(きん)(こつ)(りゆう)(りゆう)とした()(なか)が語っている。

 そう言えば真雪(さねゆき)は昔からけっこう()かん()だから、今の(なぎ)の言葉を聞いて、(けん)()を売られたと(かん)(ちが)いしているかも。

 両手を口にそえて霜葉(そうよう)を見やると、老師は真っ赤になって笑うのをこらえていた。ひどい。ここも笑うところじゃないです、霜葉(そうよう)さま。と、その時、

「――お待ちあれ! (せい)(りゆう)よ!」

 (ぎよく)()から(かん)(だか)い声が上がった。

「そこな武官を(ため)す前に、まずわたくしの(むす)()(ため)しの機会を!」

 丸く大きな(はら)を手で()さえながら、(おう)()(てん)(がい)の外へまろび出てくる。

()(おん)さま、(あぶ)ない!」

 今にもよろけて転びそうになるので、走り寄って支えると、強く手を()(はら)われた。

雫玖(しずく)()(なん)はそなたを好いておるのにっ」()(きん)(きよ)()で燃えるような(ひとみ)雫玖(しずく)をねめつけた。「なぜ(しころ)(しよう)(ぐん)(そく)なぞを(すい)(きよ)した。すべてが台無しじゃ、(ゆる)さぬぞ……!」

 (いか)りに(くる)った女の顔。()(なか)に冷水を浴びせられたような心持ちがした。

()(おん)さまっ、どうか、お身体をおいとい下さい」

「だまれ、しょせんそなたも(たか)()の妹よ。さては、こうなることを(ねら)っておったか」

 完全な言いかがりだ。(おう)()の白い指が、高く()()げた(かみ)の中から(かんざし)を一本()()く。目を見開いた。

()(おん)さま、なにを」

 その切っ先が(あやま)たず雫玖(しずく)の目をねらったせつな、(きん)(にく)(しつ)(うで)が間に()って入った。

 勢いよく血しぶきがあがる。雫玖(しずく)はわなないた。ひどい。(みぎ)(うで)(かん)(つう)している。

(おう)()さま、(せい)(りゆう)王の(おん)(まえ)ですよ。お(ひか)えください」

 しかし()(はく)は何食わぬ顔で(かんざし)()()くや、無造作に(ゆか)()てた。(かわ)いた音が立つ。

「なんだとこの、(れい)大師ふぜいが」

「――(おう)()よ! そこに直れ!」

 すると、それまで(だま)って様子を静観していた(なぎ)が、(きび)しい声を上げた。

仙客(サウロ)(かろ)んじ、(りゆう)(ため)しを(さまた)げるとは。(ばつ)として、王子には別な試練を(あた)える」

 ひれ()したいほどの眼光で(にら)みながら、帯に(はさ)んだものを取り出したので、()(おん)の目は飛び出さんばかりに見開かれた。

「な、なにを……、やめ」

 (なぎ)の手にあるのは、どこかで見たことのある苦無(くない)だった。雫玖(しずく)がいぶかしむ間もなく()()(なん)の直上に()()げられ、無情にも(いつ)(せん)される。

 (いつ)(しゆん)ののち、晴天のはるか上空から金色の(いな)(ずま)が落ちてきた。

 (するど)()(れつ)(おん)(でん)(げき)()(なん)の身体を、情け(よう)(しや)なく()()える。

()(なん)()(なん)!」

(おう)()よ、下がられよ。(おん)()まで(かみなり)に打たれますぞ」

 (はん)(きよう)(らん)になって前にのめる()(おん)を、内大臣が()しとどめている。その前には無残に(たお)れて白目をむき、(けい)(れん)する王子がいた。

 ()けた朝服からのぞく(うで)には、()(もう)状の枝分かれした火傷(やけど)。耳からは血が流れ、(かんむり)()()び、(くろ)(かみ)はちぢれて()げた(にお)いを放っている。

(うそ)でしょ……、(なぎ)

 (みな)がざわめく中、雫玖(しずく)(せい)(りゆう)()(かえ)った。まだ今見た出来事が信じられない。(なぎ)はこんなに非情な(りゆう)ではないはずだ。どうしたのだろう。するとくだんの(りゆう)は人差し指に苦無(くない)(がら)をひっかけ、勢いよく回しざま()(はく)にむかって投げ上げた。

『返すぞ、()(はく)。今ので使い方は学んだろう』

 は、と息を飲む。また念話だ。

『その苦無(くない)には(おれ)(めい)(ゆう)(らい)(じん)(きら)気が宿っている』

 軽い音をたてて、()(はく)苦無(くない)を受け取る。

(みな)が王子に注目しているうちに、早く()ませろ』

 ()(はく)はうなずくと、官たちにむかって声を上げた。

「医官殿(どの)はおられるか! どなたか王子を、見ていただけませんか!」

 声に応じた三人ほどが、ばらばらと王子に()けよってきた。その(すき)()(はく)の手が雫玖(しずく)()()せ、さりげなく左(そで)()をさしいれる。

「あ」

 ぱちぱちと音をたて、(そで)の中で長いものが(うごめ)き、焼き切れていく気配。

 ――そうか、苦無(くない)()められていたのは特別に(じゆん)()の高い(きら)気だから。顔を上げると、(なぎ)が意味ありげに(かた)()()じている。雫玖(しずく)はほっと息を()いた。

 やっぱり。それでは先ほど()(なん)を打った(いな)(ずま)も、同じ理由からだったのか。

「医官殿(どの)、王子を動かしましょう、(しん)(ちよう)に」

 そのまま()(はく)はなに食わぬ顔で()(なん)の横にひざまずき、(ひん)()()(うで)をさしいれている。雫玖(しずく)は目を()らした。あれは(おう)()()されたほうの(うで)だ。()(はく)の出血はまだ止まっていない。そして(こう)(りゆう)の体液が少量でも身体に入れば、()(なん)()()は回復する。

 つまりこれはすべて、(りゆう)たちによる(しば)()なのだ。おそらくは豹叉(ひようさ)の目を(あざむ)くための。

「おのれ、(せい)(りゆう)! よくも()が王子を!」

 しかし()(おん)はまだ内大臣の(うで)の中で暴れていた。ちがう、()(かい)だ。雫玖(しずく)は思わず(りよう)(うで)を広げ、(おう)()の前に立っていた。

()(おん)さま、お心を安らかに。()(なん)は無事です。じきに回復します、(せい)(りゆう)は無益な(せつ)(しよう)を絶対にしませんから」

「ふざけるな、()いた口を。たかが先王の()(むすめ)()(ぜい)が、(おう)()のわたくしに意見しようなどっ。言語道断じゃ、()(ほど)を知れ!」

()(おん)殿(どの)」すると(だま)っていた歳破(さいは)内大臣が重々しく口を開いた。「(さき)(ほど)より見聞するに、雫玖(しずく)(ぎみ)はまちがいなく、()(くに)の守護(りゆう)(みと)められた仙客(サウロ)であらせられる」

「それがどうした。わたくしはこの国の王の(せい)()であるぞ!」

「いいえ。ここは(こう)ではない。したがって仙客(サウロ)(おう)()より上位。つまり、あなたの言動は()(けい)(ざい)にあたる」

「なに」

「頭を()れて(きよう)(しゆ)し、仙客(サウロ)に無礼を()びよ、()(おん)(おう)()

 顔色を無くす()(おん)にむかって、内大臣は(うす)く笑った。明らかに(いつ)()(むく)いたと言った表情だ。なにせこの男は(たか)()を次王に()していたのだ、(じん)国の(やな)(はい)(じよ)するために協力はしても、心中で(おう)()(うら)んでいないわけがない。雫玖(しずく)()(なか)()(あせ)が落ちる。

 (こわ)い。やはり政事には関わりたくない。その時、前方で声が上がる。

「……母上、……歳破(さいは)の言うとおり……だぞ」

()(なん)!」

 よかった。()(はく)がうまくやったのだ。先ほどまで息も絶え絶えだった王子に、回復の(きざ)しが見えている。雫玖(しずく)(むね)をなで下ろしていると、

()(くに)……の、(りゆう)は、()(だい)なり」

 ()(なん)(あら)い息を()いた。()(おん)の目に(おお)(つぶ)(なみだ)()かぶ。

「なにを申すか、()が王子よ。そなたを(きず)つけたのはっ」

「ちが……(わたし)を……、(きず)つけたのは」

 ――あいつだ。

 ()(なん)の口が動き、声にならない言葉を()く。(ふる)える指が(いつ)(しゆん)だけ北むきの方角を指したが、そのまま医官に身体を(あず)けて気絶してしまう。

(おう)()は内大臣に任せておけ。それより今は、次王の選定がまず先だ」

 王子が祈年殿(でん)へ運ばれていく(すき)に、()(はく)雫玖(しずく)の元へと(もど)ってきた。

「わかった」

 雫玖(しずく)がうなずいた直後、真雪(さねゆき)の大声が(ひび)(わた)った。

「よぉし、()けたぞ!」

打たれたように()()けば、(あせ)みずくの(りよう)(うで)が、完全に(しん)(けん)を地中から引き出すところだった。

真雪(さねゆき)!」「真雪(さねゆき)様っ」「新王ーっ、(ばん)(ざい)!」

 一人、また一人と官が立ち上がり、(はく)(しゆ)を始める。やがて()(だい)(かつ)(さい)に包まれた。

 真雪(さねゆき)はその(かん)(せい)に応えるように(しん)(けん)を天にかざすと、()(おう)立ちした(せい)(りゆう)の前にひざまずいて(けん)をさしだした。

「どうぞご(かく)(にん)を、(せい)(りゆう)王」

「うむ。よくやったぞ、見事だ」

 (なぎ)真雪(さねゆき)の手から(けん)を受け取った。(けん)()(ちよう)(せん)(しや)(かた)(たた)き、また手に(もど)す。

「この(せい)(りゆう)(みと)めよう。――真雪(さねゆき)。おまえは今日より、正式な(れん)(こく)(しゆ)である」

「え。(れん)国の国王? ちょっと(なぎ)、なにを言っているの?」

 雫玖(しずく)はこのやりとりを聞いて思わず声を上げた。真雪(さねゆき)が無事に選ばれたのは(うれ)しい。()(なら)(かん)()が喜んでいるのも、(おさな)なじみとして(ほこ)らしい。でも(ぎよく)()には、今もって(れん)国王を名乗る男が(すわ)っているではないか。()(おん)()の夫にして先王の弟、()()王が。

(なぎ)、あの、今日()(おこな)っているのは立太子の()よ。王の(そく)()(しき)じゃなく……」

 おそるおそる(てん)(がい)を見やると、案の定、くだんの人物が立ち上がったところだった。

(せい)(りゆう)王よ」

 ()()王は(かつ)(ぷく)のよい身体を()らしながら、ゆっくりと(ぎよく)()を下る。

「選定の()(まこと)に大義である。だが、(わたし)にまだ退(たい)()する気はない」

 ちらり、雫玖(しずく)(いち)(べつ)してから、(ごう)(ぜん)(なぎ)真雪(さねゆき)の前に立った。

 王と(りゆう)()(せん)が交わる。しかし(なぎ)はまったく()るがない。

()()王よ。(おれ)はそもそも、()殿(でん)は前王と次王のつなぎだと聞いているぞ。(ぎよく)()には、(りゆう)に選ばれし正当な王が()くべきだ」

(りゆう)よ。それを言うなら、そもそも次王は真澄(まそ)鏡にて選別されるしきたりだ」

 周囲がざわつき始める。王か(りゆう)か。この二つが相反した場合、どちらが正しいのか。

「ああ。たしかに今までは、そういう建前だったようだが」

 しかし(なぎ)はどこまでも(なぎ)だった。

「この(せい)(りゆう)(うつ)()(こう)(りん)している時には、(おれ)の言い分が当然、上だ」

 ひたすら自分の意見を()(とお)す。この(せい)(りゆう)のやり口には、あの()(のう)ですら()()()ちできなかったのだから、しょせん人間の王ごときの道理が通るわけがない。

「ゆえに真雪(さねゆき)()が神名にかけて命ずる」

「はっ」

「――ここにいる()(おう)を、その(しん)(けん)で、(そく)()に成敗せよ」

 え、と雫玖(しずく)が息つく間もなかった。

 まるでその号令を待っていたかのように、真雪(さねゆき)の手が()()王の(はら)(つらぬ)く。

 (かん)()たちからどよめきと悲鳴が上がり、ごぽり、王は口から血(あわ)()いて、たたらを()んだ。

「おのれ、なぜだ真雪(さねゆき)。なぜ王の(わたし)を。()(ちゆう)者めっ」

()(ちゆう)?」しかし真雪(さねゆき)(ひとみ)には(ぞん)(がい)、強い光が宿っていた。「なにを言ってやがる。よくも(たか)()をやりやがったな。(わす)れたとは言わせねえぞ、これはあいつの(かたき)()ちだ!」

「この反逆者めが、よくも……っ」

 ()()王はよろけながら、左手を()()げる。それを見た内大臣がすかさず(さけ)んだ。

霜葉(そうよう)老師!」

「心得ておりまする」

 老師の手が真澄(まそ)鏡を高くかざすと、太陽の光が鏡を(はん)(しや)して王に()(そそ)ぐ。

 とたんに()()王の顔がぐにゃりとねじれた。

 ひ、とあちこちで悲鳴が上がる。雫玖(しずく)は思わず()(はく)(そで)をつかんだ。

(うそ)でしょ、豹叉(ひようさ)? いったい、いつから王になりすましていたのっ」

 では見まちがいかとも思ったが、先ほど()(なん)が指さしたのは、やはり(ぎよく)()だったのだ。そして目の前にいるのはもはや雫玖(しずく)叔父(おじ)ではなく、もはや左耳がちぎれた男で。

「まさかあなた、()()()()さままで、食べてしまったのね?」

「あいかわらず(さと)いなぁ、じゃじゃ馬(ひめ)は」

 にやり、(じゆう)(じん)の犬歯の生えた口が(ゆが)む。()された(はら)から、(くろ)(へび)がうねうねと()()てきた。(なぎ)がさっと顔色を変える。

「この鵺、(はら)(やみ)を飼っていたのかっ。下がれ、真雪(さねゆき)! ()(かい)神の呪を受けるぞ!」

「や、(せい)(りゆう)王、だがこいつの(はら)にはまだ、(しん)(けん)()さってて。え、これはどうすれば?」

「っ、(がら)(にぎ)ってろ! 絶対に(はな)すなよ!」

 (さけ)ぶなり、真雪(さねゆき)(えり)(くび)をひっつかんで投げ飛ばす。とんでもない(りよ)(りよく)だった。

 全身(きん)(にく)でできている大男が、(けん)を持ったまま圜丘(えんきゆう)の対面まで()()んでいく。

(あま)い。(あま)いねぇ(せい)(りゆう)王、この局面で人間を(かば)うなんてなぁ。だから、こうなる」

 だがその(すき)豹叉(ひようさ)はもう、(せい)(りゆう)(くろ)(へび)でがんじがらめに()らえてしまった。

 蛇の表皮が捕縄(とりなわ)のごとく、ぎりぎりと青年を締め上げる。

(おき)()で布を()がすように、たちまち(なぎ)()()(むらさき)()(しよく)し始める。

「その(かしり)の効能はよく知っているだろ、青い(きば)さんよ。なにせあんたは百年前、一国を滅ぼしかけた破壊神と対峙(たいじ)して生還(せいかん)したっていう、じつに希少(きしょう)な武神将だ。そいつぁ肉を()かして、(たましい)(くる)わす。何者もこの(こく)(あん)には(あらが)えない」

 そう言う間にも(くろ)(へび)はぬめぬめと(ぞう)(しよく)し続け、やがて(なぎ)の身体をすっかり(おお)()くしてしまう。

「いいか、この場にいる全員、動くな。(せい)(りゆう)王をも(たお)した呪を受けるぞ!」

 すっかり山虎(さんこ)の顔になった男が天にむかって(ほう)(こう)するや、圜丘(えんきゆう)の一(だん)目が黒い球状の(まく)(おお)われていく。雫玖(しずく)は目を見張った。――この(じゆう)(じん)(よう)()(しゆう)(とう)にあらかじめ()()けを(ほどこ)していたのか。おそらく立太子の儀が上手く運ばなかった際は、この結界を用いて肝心(かんじん)な部分を(おお)(かく)し、小細工(こざいく)して自分の思いどおりの結果を得ようと考えていたのだ。自らは一番見晴(みは)らしのよい、玉座という位置にいて。

 (しころ)(しよう)(ぐん)(まく)(たた)いてなにかを(さけ)んでいるが、(とき)すでに(おそ)し。まったく声が(とど)かない。内からは薄墨(うすずみ)色がかった外が見えるが、どうやら外側から中はなにも見えていないようだ。完全に外界と(しや)(だん)されている。そうこうする間にも膜はどんどん黒く、暗くなっていく。(みな)が右往左往する中で豹叉(ひようさ)だけが、いたって(ひよう)(ひよう)としていた。

「あーあ、()しかったなぁ。()(なん)(かい)(らい)王にすれば、あと十年は(れん)を手中に(おさ)められたものを。そうすりゃ、まだしばらくは女子どもを食い放題だったのに」

全身が総毛(そうけ)立つ。そうか。 そうか。豹叉(ひようさ)にとっては(れん)(こう)(じん)も、人の世の争い事など初めからどうでもよかったのだ。ただ自らの()くなき(よく)のため、(れん)を人肉の()()にする。

 その(たん)(じゆん)明快すぎる、()(ぎよう)ならではの目的が、かえって真実を見えづらくした。

「だがもう(しお)(どき)だな、正体もバレちまったことだし。ぬかったなぁ。高瀬(たかせ)()ったせいで、王太子の取り巻き連中は俺が波布(はぶ)王とすり替わったのに気づいちまったのか。こんなことなら、あいつを王太子のまま、生かしておけば良かったかもな……」

 豹叉(ひょうさ)は決まり悪そうに、顔色(がんしょく)を無くしている雫玖(しずく)を見やった。

「まあ、さんざ飲み食いして女も()けた。(おれ)ぁ満足だ。また別の(えさ)()(さが)すことにするさ」

 (かた)(あし)で地を()ると、(こつ)(ぜん)(すみ)(あな)が開く。雫玖(しずく)琥珀(こはく)目前(もくぜん)から()れ去れた時と同じ、あの空間を自在に転移できる穴が。まるで悪い夢を見ているようだった。

 兄を死に追いやった(げん)(きよう)が、()()(よう)(よう)()げようとしている。人間が絶対に手の(とど)かない闇世(やみよ)の領域へ。

「じゃあな、あばよ、じゃじゃ馬(ひめ)。けっこう楽しめたぜ」

「……待て。二度も、(おれ)から()げられると思うな」

 だがその時、今まで(かげ)(てつ)してきた青年が初めて、豹叉(ひようさ)の前に進み出た。

「なんだ、()(りゆう)。そこの()(わい)いじゃじゃ馬(ひめ)が、(くろ)(へび)()(じき)になってもいいのかよ?」

 豹叉(ひようさ)はあくまで()(ゆう)面を(くず)さない。――どうやらこの(じゆう)(じん)は、まだ自分のほうが(ゆう)(せい)だと()んでいるようだ。

「おまえだって、()(なん)を見たろ。(くろ)(へび)が身体の内まで入りこむと、ああして口もきけず目も見えず、()(ぞう)(ろつ)()を食い(あら)らされるん……」

「あらかじめ礼を言っておく」()(はく)は話を打ち消すように両手に苦無(くない)を持ち、体勢を低くした。音もなく流れる水のように、なめらかな動きで。「あんたが結界を張ってくれて助かったよ。これで(おれ)は、(りゆう)の力を(かく)す必要がなくなったわけだ」

 周囲を見回すと、たしかに一(だん)目に()じこめられたのは(おう)()と内大臣に真雪(さねゆき)のみだ。

「おいおい、落ちつけって。おまえ、まさかあのちんけな王太子の(ふく)(しゆう)のために、(いと)しのお(ひめ)さんを()()てる(はら)じゃねえだろうな」

(だれ)がちんけだ。(たか)()は、(みぎわ)の意志を持つ者たちの希望だった」

 琥珀(こはく)は押し殺したように声の調子を低くした。ざあ、(とう)(おう)色の(かみ)(れい)()()らぐ。身体の中心に強大な(きら)気が濃縮されていく。()(こん)(ひとみ)に強い光が(とも)った。

「くそが。本気かよ。じゃあ仕方ねえ、悪いがじゃじゃ馬には死んでもら……」

 指を鳴らしかけた豹叉(ひようさ)の顔が(きよう)(がく)(ゆが)む。なぜだ、とその口が小さく(つぶや)く。

 雫玖(しずく)はここぞとばかり、相手に左(そで)をまくってみせた。

 その(うで)()きついていたはずの(くろ)(へび)は、消し炭のようになって()()げている。

「っ、そうか、さっき(せい)(りゆう)()(なん)(かみなり)で打ったのは、解呪のためか――!」

 (じゆう)(じん)が血走った目をむいた次のせつな、()(はく)の身体がするどく一回転した。

 今まで見たどの所作よりも、石火(せっか)早業(はやわざ)。人間(ばな)れした動きで一点に凝縮(ぎょうしゅく)された金の()が、(じゆう)(じん)の上半身をあやまたず()()く。

「そんな、馬鹿な……、たかが一撃で、(ぬえ)化した俺の、身体が、(くだ)け、る、なん、て」

 驚愕の表情を浮かべた豹叉(ひようさ)の首がいきおいよく飛んだ。その下の胴体は苛烈(かれつ)衝撃波(しょうげきは)に耐えきれず、(またた)く間に砂粒以下まで破砕(はさい)され霧散(むさん)する。

「龍を()めるなと言ったはずだ。……俺の眷族(けんぞく)膂力(りょりょく)は、力自慢の古神(いにしえがみ)たちの中でも随一(ずいいち)だった」

 雫玖(しずく)はぎゅっと唇を引き結んだ。足先から頭のてっぺんまで、強いしびれが駆け上がる。

 そうだ、龍はその強靱(きょうじん)な肉体ゆえに、霊力も体力も比類(ひるい)無き質量を保有している。それが持ち前の真面目な気質と長寿で、()くことなく技を(みが)き続けているのだ。そもそもこんな至高(しこう)神獣(しんじゅう)に真っ向勝負して勝てる者など、この世にいるわけがない。天の神々や恐ろしい闇神(やみがみ)にすら一目(いちもく)置かれるくらい、龍とは寡黙(かもく)で怪力で、他に比類(ひるい)無き存在で。

 ――それでも、もう止められない。この初恋の相手が人の並び立つことなど到底(とうてい)許されない神なのだと、こんなにも痛切に思い知ってしまってなお、恋い()がれるのを。

「終わったぞ、雫玖(しずく)。もう大丈夫だ、安心しろ」

 鬱金(うこん)(やわ)らかなまなざしと目が合う。のどに熱いかたまりがせりあがってくる。鼻の奥がつんとしびれて、泣くまいと懸命(けんめい)に歯を食いしばった。今は泣いている場合ではない。

 ついに(れん)に巣くった(やみ)()()たした。影から出ようとしなかった龍が、自ら表に出て兄の(かたき)を取ってくれたのだ。だから、これ以上を望むな。最愛の青年のすべてが欲しいなんて、ゆめ願うな。感謝しなければ、ただ(そば)にいられるだけで。

琥珀(こはく)、ありがとう……っ、よかった、あなたが無事で」

 好き。琥珀(こはく)が大好き。死ぬほど好き。あなたがいてくれれば、他にはなにもいらない。今は笑うべきなのだろうか、それとも叫ぶべきなのだろうか。兄さま。どんな顔をしたらいいのかわからない。

 ぴし、結界のねばつく(やみ)()(まく)()(れつ)が入り、足元に開いた(すみ)(あな)が急速に(ちぢ)み始める。

雫玖(しずく)、こっちへ来い! 早く!」

 無我夢中(むがむちゅう)(うで)を広げて迎える()(はく)(むね)に飛びこんだ。その瞬間、うねうねと(うごめ)(くろ)(へび)まみれになっていた(なぎ)が真横で()(たけ)びを上げる。

「うおおおお!」

 青い(だく)(りゆう)にも似た()()が、その精悍(せいかん)な身体から立ち上がる。

 大地が鳴動し、(またた)()(へび)どもが千切れとんでいく。

 (せい)(りゆう)の右手が、力任せに()折れの(たい)(けん)()き放つ。身を深く折り、(かい)(きよう)(さか)()(うず)のように回りながら、勢いよく()を頭上に切り上げた。

『っ、(われ)(りゆう)は、(ゆい)(いつ)()()にして最強――!』

 雫玖(しずく)()(ちぢ)めた。さきほどの()(はく)(すさ)まじい霊動だったが、(なぎ)もとんでもない(れい)()の量だ。まるで(だい)(ばく)()に打たれるような。いや、(たつ)(まき)と評したほうが正しいか。

 青白い、莫大(ばくだい)な質量を持った力。

 海流のように雄大(ゆうだい)で、純粋無垢(じゅんすいむく)な。

 (いにしえ)から今まで連綿(れんめん)と続く、人智(じんち)をはるかに超えた(ことわり)のうちにのみ存在する、最上(さいじょう)の光にも似た。――これが(りゆう)(おう)()の威力。(ゆか)全面が浮き上がって破砕(はさい)し、ついで、ひび()れた上空の(やみ)(まく)も粉々に(くだ)()る。

「うるせえよ、(なぎ)。てか、()っず。いちいち最強とか言うなよな」

「いいじゃない。本当のことだし、今のは念話でしょ」

 ()(はく)がいらだたしげに(した)()ちするので()(しよう)していると、

「……真雪(さねゆき)! 真雪(さねゆき)っ、大事ないか!」

 にわかに(しころ)(しよう)(ぐん)の野太い声が聞こえてくる。ついで周囲から、鍔鳴(つばな)りの(はげ)しい音も。

(おれ)(だい)(じよう)()だ、(おや)()。会場に(ひそ)んでいた(やな)どもは、どうなった?」

 一(だん)目の(はし)まで飛ばされた真雪(さねゆき)が、ようよう身を起こして(さけ)んだ。

「見てのとおり、今、交戦中だ!」

 頭を巡せば、たしかに圜丘(えんきゆう)のあちこちで武官たちが刀を()き、()()っている。

 文官や女官たちは(いつ)(かい)になり、(この)()(へい)に守られていた。

(なぎ)、悪い。(たの)む」

 その(せつ)(ぱく)した(じよう)(きよう)を見てとった()(はく)が、(なぎ)に声をかける。

「ああ、わかった」

 なにがわかったのか。雫玖(しずく)には(かい)(もく)不明だったが、(なぎ)はふたたび(やいば)を日の光に透かして切り上げた。大気がひたた……と()(もん)(えが)いて()らぐと、今度は真一文字に()()ろす。

 どどう。一(ぱく)後、青々した晴天にもかかわらず、どこから()いたのか(たき)のような雨が、(ごう)(おん)を立てて人々の身体を打ちすえた。

(みな)の者、静まれ! (せい)(りゆう)王の名にかけて命ずる」

 若い声だが、有無を言わさぬ響き。幸い(こう)(すい)はすぐ止まったが、人々はふたたび()(だい)の中心に現れた(りゆう)(じん)への(おそ)ろしさで身が(すく)み、完全に動けなくなってしまった。雫玖(しずく)にむかって、波のように多数の思念が(ひび)いてくる。――この(りゆう)、なんという(れい)()(けん)(げん)だ。他の()(けい)とは(けた)がちがいすぎる。地を割り天を割き、もはや天災と言っても過言ではないぞ。

 しかも見ろ、あの不愉快そうな仏頂面(ぶっちょうづら)、目を合わせたら殺されそうな眼光を。さては怪我をして、そうとう気が立っておられる。手負いの獣ほど危険なものはない。大人しくしていたほうが身のためだ、ああ(こわ)い、(おそ)ろしい。

 そんな中、()(はく)だけが(だれ)かに手で合図していた。

 この龍はきっといかなる時も伶俐(れいり)に頭を働かせ、その時々で最適な人材を選びとって動かしてきたのだ。影の参謀(さんぼう)よろしく粛々(しゅくしゅく)と。動作に一切の迷いや無駄が見受けられない。かつて兄の高瀬(たかせ)琥珀(こはく)(みずか)らの宰相(さいしょう)に欲しがった理由を、かいま見た心持ちがする。

()(せん)を追うと、先にいたのは真雪(さねゆき)だ。(かれ)はしきりと首を横に()っていたが、やがて苦虫を()(つぶ)したような顔になると、あきらめたように声を張った。

「聞け、(じん)国の(やな)よ! ()(さま)たちの頭領は()()られた。もはや勝ち目はない、武器を()てて(とう)(こう)しろっ」

 (はら)(ひび)(だい)(おん)(じよう)は、安定感(ばつ)(ぐん)で聞き(ごこ)()が良い。

(われ)こそは(れん)国の新王なり。(おれ)の言葉に(したが)わぬ者は(みな)、ここにおわす(せい)(りゆう)王に(しゆく)(せい)されるぞ――!」

 ちりん、小さな音をたてて大剣(たいけん)()(さや)(もど)した(なぎ)が、真雪(さねゆき)の言を(よう)()するかように(となり)に立つ。それですべては決着した。――ただ一人をのぞいては。

「そんな馬鹿な」(ゆか)に身を投げ、世も末とばかりに()(さけ)んでいるのは()(おん)だった。「(いや)じゃっ、それでは、この(はら)に宿った()()は、もしや(いや)しい(けもの)の種か。おおお」

 (おう)()の目前には転がった豹叉(ひようさ)の首がある。ぐにゃりと(ゆが)んだ顔をして。

 左耳が欠けたその首に、()(おん)()れた(ゆか)()(へん)(つか)んでは投げつける。

 しかし側に立つ内大臣は、いかにも(れい)(てつ)だった。

「これもすべて(おん)()から出た(さび)。他()()(にん)薬を()っていたのは、貴女(あなた)ではないか」

「な、なにを。そなたとて(しよう)(ぐん)とその(むす)()(きら)い、殺害せんと(はか)っていたくせに」

 すると(おう)()(おお)(また)で歩み寄った真雪(さねゆき)が、おもむろに内大臣の(かた)()いて言った。

「いや、()(おん)さま。そいつは()(かい)だ。うちの(おや)()と、このおっさんの不仲説はでっちあげらしいぜ。本人たちに問いただしたら、本当は昔っから、ずっと(うら)でつるんでたそうだ。(こう)(じん)の、(ない)(せい)(かん)(しよう)を食い止めるためにな」

「なんだと」

「まだ、わかんねえのかなぁ。今回の立太子の()は建前で、内実は(たか)()(とむら)(がつ)(せん)だったんだって。雫玖(しずく)(りゆう)(じん)(もう)でに行く前から、(みぎわ)の意志を()ぐ者たち全員で、(しゆう)(とう)に計画してたんだよ。まあ(せい)(りゆう)王の(こう)(りん)(おれ)が王に選ばれたくだりは、()(はく)(そつ)(きよう)で、完全に想定外だったけどな」

「そんな……!」

(おう)()よ。貴女(あなた)(さば)きは、のちほど下るであろう。――では、これにて本日の()(しゆう)(りよう)とする。一同の者、立ちませい」

 内大臣が大きく(はく)(しゆ)した。それが散会の合図だった。

 (じゆ)(ばく)を解かれたように、(みな)の顔に生気が(もど)る。

 (しのぎ)()()らえられた(ぞく)ども、ただただ事態に(かた)()を飲んでいた(かん)()たち、(おく)(みや)から来ていた女官や下働き。ずぶ()れのまま、(みな)(いつ)(せい)に動き出した。

「ささ、では二(りゆう)霊香院(れいこういん)へいらせられませ。雫玖(しずく)(いつ)(しよ)にな」

 (けん)(そう)(まぎ)れて、霜葉(そうよう)雫玖(しずく)たちを(さそ)う。

 その手を()しとどめて、雫玖(しずく)は中央に立つ男の(そで)(つか)みに行った。

真雪(さねゆき)、あの、わたし……、その、ごめん」

 結局この(おさな)なじみに、一番大変なところを全部、()しつけてしまった。

 けれど真雪(さねゆき)はくしゃりと()(しよう)しただけだった。

「しかたねえよなぁ、おまえに(たの)まれちまったら。以前に言ったろ、雫玖(しずく)になら何を言われても許してやるって」

雫玖(しずく)、行くぞ」すかさず()(はく)が後ろから手を引いてくる。「真雪(さねゆき)、あとは任せた」

「おう」

「では雫玖(しずく)や、真澄(まそ)鏡を持っておくれ」

「はい」

 霜葉(そうよう)に鏡を(わた)されて()(だん)に移ると、ややあって()(なか)(おさな)なじみの声がかかった。

雫玖(しずく)ー! 落ちついたらまた、話そうな!」

「うん真雪(さねゆき)、ありがとう、またねっ」

 良かった、真雪(さねゆき)(きら)われなくて。大切な人たちが(きず)つかなくて。

 これですべてが落着したわけではないと、わかってはいるけれど。

 ()(しき)がやっと()んだ(こう)(よう)感。手を()り、圜丘(えんきゆう)()りて、雫玖(しずく)霊香院(れいこういん)へとむかった。

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