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***

 黄金館から開いた(りゆう)(もん)は、あやまたず無熱湖(ぶねつこ)につながった。黄龍(きりゆう)の技量なのだろう、水道も(かん)(ぺき)だった。(さん)(ちよう)はすでに秋の終わりで(はだ)(さむ)かったが、(やま)(すそ)の緑はまだ夏のようだ。いずれにせよ立太子の()まで、あまり時がない。(さざなみ)が用意してくれた(ばん)(たん)(りよ)(そう)で、紗里(サリ)の森を下る。

 その三日目の昼すぎ、見知った顔が(とつ)(ぜん)、番小屋の(とびら)を開けて()り入ってきた。

「……ああ、雫玖(しずく)さま、お久しゅうございます、良かった、追いついて!」

 以前身代わりになってくれた(おんな)(しのぎ)だ。山道をひた走ってきたのか、額に(あせ)をかいて息を切らしている。上がり(かまち)(すわ)っていた雫玖(しずく)は、勢いよく立ち上がった。

「無事だったのね、史緒(しお)っ。他の(しのぎ)たちは? 今、どうしているの?」

(わたし)無熱湖(ぶねつこ)を見張っておりましたが、(みな)はこの先の番小屋で待機しています」

「そう。とにかく良かった、合流できて」

「それで(ひめ)さま、(しゆ)()は。大師はどこへ? 神器はどうなりましたか?」

 心配そうに(ひとみ)()らす(おんな)(しのぎ)に、安心するよう(ほほ)()んでみせる。

(だい)(じよう)()()(はく)は今、道の(かく)(にん)をしに行ってる。(うろこ)(けん)も、うまく手に入ったわよ」

「そうですか! 安心しました。……それで、お品はどちらに?」

 きょろきょろと周囲を見回すので、()(しよう)して小さく手を横に()る。

「ごめんね。ここにはないの」

「えっ、どういうことですか」

(うろこ)()(はく)が持っているし、(けん)は後ほど(せい)(りゆう)(とど)けてくれる手はずになっているから」

「……そうですか」

 一(ぱく)の間が落ちた。心なしか(おんな)(しのぎ)の表情が(かげ)ったような。

 その時、引き戸が力強く鳴る。この(たた)き方は、と雫玖(しずく)は後ろを()(かえ)った。

「ちょっとごめんなさい、紗里(サリ)の知り合いがご飯を(とど)けてくれたみたい。史緒(しお)はそこの式台に(すわ)っていて。わたし、受け取ってくるね」

 戸を開けると、予想通り立っていたのは紗里(サリ)(タケ)だった。

 けれどその(おだ)やかな()(がお)は、小屋内を(いち)(べつ)したとたんに一転する。

(ひめ)さま。あの女は(だれ)ですか」

史緒(しお)は知り合いの(しのぎ)よ」

(しのぎ)? それはっ……」

 (タケ)はなにかを言いかけて口を()ざした。()(なか)()(せん)を感じる。見られているのだ。

「じつは半年前、あなたたちが(りゆう)(もん)(もぐ)ったあとでした。無熱湖(ぶねつこ)(いた)る表参道で、三人の死体が発見されたのです。(かれ)らは(にせ)(もの)(しん)(けん)を持っていた。それで()(たい)は、(れん)国の(しのぎ)であるとわかったんです」

「え?」

 顔からじょじょに血の気が引いていく。あの時、友加里(ユカリ)までついてきた(しのぎ)は七人いた。そのうち夜に(やな)(しゆう)(げき)されて()()をしたのは三人。都へ(もど)されたのは、()()いを(ふく)めると四人だ。つまり史緒(しお)(ふく)めた残りの三人――(おとり)となって(りゆう)(もん)を目指した(しのぎ)たちのほうが、殺されたことになる。

「発見時、死体はどれもひどい状態でした。(みな)、一様にあちこち()われていて」

 (タケ)は早口で話し続ける。持ってきた荷物を雫玖(しずく)()しつけた。

「とにかく今は、絶対にこの戸を()めてはなりません。念のため()(かげ)には入らないで。(しのぎ)たちを殺した犯人はおそらく(やな)ですが、まだ(つか)まっていないんです。それで今、()()には(れん)兵が入って、下手人を(そう)(さく)中で……、(わたし)(おう)(えん)()んできます」

 (かかと)を返して(やぶ)の中に消えていくのを、(ぼう)(ぜん)と見送った。

 どういうこと。史緒(しお)が殺された? じゃあ今、後ろにいる女は一体、(だれ)なのだ。

「……あのお知り合いは、(ひめ)さまの(しん)(せき)ですか。顔立ちも話し方も似ていますね」

 ふいに(はい)()から声をかけられ、あやうく声を上げそうになった。

「ええ、どうも母の姉みたいで、行きも必要なものを(とど)けてくれたのよ、ほらね」

 (ふくろ)の口を開いて見せる。(かん)(そう)させた(いも)()(もの)(ささ)に包んだ米飯、()(まめ)(おんな)(しのぎ)は検分するように中身をあらためた。

「この薬草は」

「わたしの足の湿(しつ)()用。山道を歩くと皮がむけちゃうの、わたし、宮城育ちだから」

「こちらの(かわ)(ぶくろ)は」

「飲み水だと思う。あなたも飲む?」

「いいえ」

 遠くから走ってきたはずなのに、(おんな)(しのぎ)は水を固辞する。

「じゃ、わたしは少し(いただ)こうかな」

 (かわ)(ぶくろ)に口をつけて飲んでから、ふと思いついて、残りを全部、(むね)(ゆか)にぶちまけた。

「あーっ、やだ、こぼしちゃったっ」

 すかさず(おんな)(しのぎ)の手に空の(かわ)(ぶくろ)()(わた)すと、(むな)(もと)から(みず)(まり)(ふだ)を取り出した。これが最後の(いち)(まい)だったが、気にしている場合ではない。

「持っててくれる、その(ふくろ)。今、水を()(じゆう)するから。()(はく)にバレたら(おこ)られちゃう」

 札を(かわ)(ぶくろ)()()けて唱言すると、ややあって(ふくろ)は元通り、ぱんぱんに(ふく)らんだ。中を(かく)(にん)すると口(ひも)を手早く()じ、小走りに戸の外へ出ていく。

(ひめ)さま、なにを?」

「なにって。服が()れちゃったから、日に当たってこのまま(かわ)かそうかなって」

 (せん)(げん)するなり戸口の(わき)(すわ)りこんだ。(おんな)(しのぎ)は外には出ず、(しき)()の内側に立っている。

「なによ、史緒(しお)。わたしが()()()(ひめ)すぎて(おどろ)いた?」

 ちらり、(しのぎ)の顔を見やってから、目の前で色づくブナの木を(なが)めた。息を()く。さわさわと(ひび)く葉ずれの音。ふいに(なみだ)がこみ上げてきて、泣き笑いのようになってしまう。そうか。やはり史緒(しお)は死んだのだ。――この(おんな)(しのぎ)には、泣きぼくろが無い。

「それとも、あいかわらず()()()()()だとでも、思った……?」

 先ほどの(タケ)(うつた)えるような目。それから不自然に始まった三人の(しのぎ)の死体の話。()(かげ)に入るなという(けい)(こく)。情報から(るい)(すい)して、はじき出される(けつ)(ろん)は一つしかない。

「もうお(しば)()はやめていいわ、あなたは史緒(しお)じゃないでしょ。()(はく)を追ってきたのよね、正体を現しなさい」

 (じゆう)(じん)には、()った相手になりすませる者もいると聞く。ただし日光の下では化けの皮が()がれやすいとも。そして(れん)では今、(じゆう)(じん)の暗殺旅団が(あん)(やく)している――。

「……ああ。前に(おく)(みや)でそう(そし)ったのを、まだ覚えていたのか。(ひめ)さん、けっこう根に持つたちなんだな」

 (おんな)(しのぎ)の声がいきなり野太くなる。()(すじ)に水を浴びせられたように、ぞわりとした。

「あなたこそ、なぜわたしが(れん)(もど)ったって気づいたの」

(くろ)(へび)(にお)いがぷんぷんしたんでね。その(じゆ)()(ふう)じられていても、ひどく鼻につく」

 雫玖(しずく)は意を決して横を見た。そこに(だれ)がいるか、わかっていたはずなのに(せん)(りつ)する。色黒で(おお)(がら)な男は額の(きん)(かん)を光らせてにいと笑った。その左耳は(なな)めに欠けている。

「あんた、けっこう(かしこ)いんだなぁ。じゃじゃ馬でも、(おれ)(かしこ)い馬は(きら)いじゃねえよ」

豹叉(ひようさ)。あなた、史緒(しお)(おそ)って食べたの……?」

「そう(こわ)い顔をしなさんな。(おか)そうとしたら(てい)(こう)したんで、()ったんだって。(わか)い女の肉は(やわ)らかいしな。あの(おんな)(しのぎ)はうまかった」

「っ、じゃあ他の(しのぎ)二人も、あなたが?」

「男どもは、別の(やな)にやったぞ」

 なんてことを。顔を手で(おお)う。

「……待って。ちょっと待って。じゃあ前に(おく)(みや)の女官が複数、(ゆく)()不明になっていた事件、もしかしたらあれも、(やな)(じゆう)(じん)(おそ)い食っていたってこと?」

「おお、ご名答。しかし()ったのは部下だぞ。(おれ)(おく)(みや)の女は()わん。(おす)()えた(めす)どもってのは、()()って味わうほうが、殺して肉を()うよりよほど美味だからな」

 (がく)(ぜん)とした。いったい(じゆう)(じん)たちは、(れん)のどれくらい(ちゆう)(すう)まで入りこんでしまっているのだろうか。

「で、お(ひい)さんの打ち上げた花火ってのは、どれくらいで効力を(はつ)()するんだ?」

 雫玖(しずく)はわなないた。しっかり()()かれている。

 先ほどの(みず)(まり)(ふだ)は、()(はく)()(けん)を知らせるための合図だったことを。

(おれ)は短気なもんで、あんまり(おそ)いようなら、その間にお(ひい)さんを味見してみたいんだがなぁ」豹叉(ひようさ)(した)なめずりした。「(りゆう)()れた女ってのはどういうもんだか、ぜひ()ってみたい。とりあえず指三本。それくらいなら、まぁ、よくねえか?」

 (うで)()みを解いてこちらに近づくので、全身の(はだ)(あわ)()った。

 この表情。人を人としては見ていない目。

 いや、(こわ)がるな。こんな最低な男に(おく)してどうする。

 とっさに立ち上がると、力のかぎり()()りつけた。

「その減らず口を()じなさい、無礼者! わたしは(れん)の王女よ、見くびらないで。()(てい)(やから)(おど)されて弱音を()くと思ったら、(おお)()(ちが)いなんだから!」

 ふつふつと(むね)()いた熱が、(いか)りが、冷たい(おそ)れを(りよう)()していく。

「それに、わたしの守護(りゆう)は強い。たかが(じゆう)(じん)の長などに負けはしない」相手を指さして(せん)(げん)した。「だから仙客(サウロ)として予言してあげる。(やな)の計画は、完全なる失敗に終わるでしょうよ。そしてあなたの一味は、この国から一人残らず()(ちく)されるんだわ!」

 完全なはったりだった。けれど(ぞん)(がい)、この言葉は豹叉(ひようさ)に効いたようだ。

「ほぉ。そりゃ興味深いねぇ。あんた、(とこ)()仙客(サウロ)になってきたのか」

 今にも雫玖(しずく)(つか)まえようとしていた手が、ぴたりと止まる。

「なあお(ひい)さん、仙客(サウロ)ってのは(りゆう)の地上代行者だとも聞く。ひょっとして黄龍(きりゆう)には、未来視(さきみ)の力があったりするのか?」

「教えない。あなたなどには関わりない話よ」

「……ふん。(うそ)だな。今のは(くる)(まぎ)れに大口を(たた)いただけだ」

 そのとおりだ。けれど雫玖(しずく)(ごう)(ぜん)()んだ。ここで引くわけにはいかない。

「そう思うなら、勝手に思っていればいいじゃない」

 また豹叉(ひようさ)の動きが(にぶ)る。手のひらに(あせ)(にじ)んだ。――()(はく)お願い、早く(もど)って。

「ふむ。未来視(さきみ)はともかく、仙客(サウロ)に選ばれたっていうのは、本当かもな」豹叉(ひようさ)(つぶや)いた。「でなければ(とこ)()に入って、生身の女が(かん)(たん)(もど)ってこられるわけがない……」

「おい、雫玖(しずく)から(はな)れろ、豹叉(ひようさ)

 その時だった。待ちわびた青年が(こつ)(ぜん)姿(すがた)を現した。雫玖(しずく)は息を()め、(みず)(まり)(ふだ)(しゆ)(ぎよう)時に聞いた話を思い出す。(りゆう)は水の()(しん)。だから水を(ばい)(かい)にして、身体を転移させることもできる。――そうか、先ほど()いた水が、()(みず)になったのかもしれない。

(おそ)くなってすまなかった」

 ()(はく)は迷いない足取りで雫玖(しずく)に近づいてくる。それを見た豹叉(ひようさ)(ひとみ)(らん)(らん)(かがや)いた。

「よぉし、(あみ)にかかったぞ、(りゆう)が。()(ろう)ども、出てこい!」

 大声を合図に、木立の間から次々と(やな)が現れる。

 その数十二。いずれも(くろ)(しよう)(ぞく)(ふく)(めん)姿(すがた)だ。

 雫玖(しずく)はわなないた。しまった。わざと()(はく)()ばせて、最初から(りゆう)(つか)まえる手はずだったのか。どうする。十三対一では、さすがに多勢に無勢すぎる気が。

「殺すな、かならず()()りにしろ!」

「ごめんっ、わたし(だま)されてた、()げて、こは」

「こら雫玖(しずく)(だれ)に……」()(はく)(こし)を低く落とした。大きく足を開いて、ぐるりと周囲を()(わた)す。「()げろって?」

 (きよ)()を測っている。(ふところ)から苦無(くない)を一本取り出し、回し持つと両手で構えを取った。

「ひるむな、相手は一人だ、()()さえろ!」

 豹叉(ひようさ)の声で(やな)がいっせいに飛びかかる。全方位からだ。

 無理だ、あれでは(のが)れようがない。

 しかし青年は(えん)()のように(かろ)やかに、苦無(くない)(にぎ)りしめると身体を回転させた。

 たちまち()(さき)から流れるように水が(こぼ)れだし、()(ばく)となって(やな)たちを()()ばす。

 小さな武具から出現したとは信じがたいほどの、(すさ)まじい水圧だった。

 うねり(うず)のような高速回転をやめると、()(はく)(すず)しい顔で姿()(せい)を正す。

「あんたらは少しばかり、(りゆう)をなめすぎだよ」

黄龍(きりゆう)、どうやってこの短期間に、そんなに強くなった……」豹叉(ひようさ)はたじたじと後ずさり、(おどろ)きを禁じ得ない様子だ。「(おれ)(しよう)(ばい)(がら)、相手の力量は一目見れば、だいたいわかる。(そう)(かい)国でやり合った時は、たしかにそんな重い(ざん)(げき)じゃなかったはずだぞ」

「あんたにやられたんで、少し真面目に(しゆ)(ぎよう)しただけだ」

「ふむ。(りゆう)はやはり(ひと)(すじ)(なわ)ではいかないな。最弱の(りゆう)で、これほどの()(りよく)とは」

「最弱最弱って、うるせえよ」()(はく)は目を細めた。「今のでわかったろ、鵺は(りゆう)には絶対に勝てない。それに見ろ」

 ばらばらと木立から兵士が飛び出してくる。(こい)(ねず)色の(かつ)(ちゆう)(れん)兵たちだ。

(おう)(えん)部隊も来たぞ。これ以上の(せん)(とう)は無意味だ、(やな)ども。悪あがきはよせ」

 静かな声だった。()(せん)はひたと豹叉(ひようさ)()らえて放さない。

 ()(はく)の身体からほとばしる()()で、ざわざわとブナの木々がゆれる。

「くくっ、まさか、この(おれ)が追いこまれるはな。だが黄龍(きりゆう)。一つだけ、なにかを(わす)れていやしないか」

 豹叉(ひようさ)は犬歯をむき出して笑った。その口が古代語らしき唱言を唱える。

「起きろ、荒之王(あらのおう)(かしり)よ!」

 とたん、雫玖(しずく)(ひだり)(うで)(ねむ)っていた(くろ)(へび)がずるうと動き出した。

「あ、あっ、いやあっ」

 あっという間だった。身体の自由が()かなくなり、(へび)の強い力に引きずられるようにして豹叉(ひようさ)の手に(つか)まってしまう。

豹叉(ひようさ)! 雫玖(しずく)(はな)せ!」

「おおっと、止まれ。動くなよ。わかっていたろ、この(じゆ)()が解けないかぎり、お(ひい)さんの運命はつねに(おれ)(にぎ)ってるって」豹叉(ひようさ)はもがく雫玖(しずく)(かた)()きかかえた。「助けたくば、一人で追って来い。他はつれてくるな。いいな黄龍(きりゆう)

 豹叉(ひようさ)の足元にぽかりと(やみ)(あな)が開くや、たちまち真っ黒なへどろがまとわりつき、ずぷぷ、(よう)(しや)なく暗い(あな)へと引きこんでいく。

「じゃあな。あばよ」

「下ろして! やだーっ、助けて、()(はく)っ!」

雫玖(しずく)! よせ、やめろ、豹叉(ひようさ)!」

 開けた口に(しよく)(しゆ)が入りこんできて、声が出せない。

 息が。苦しい。青年が形相を変えて、なにか(さけ)んでいる。

 ごめんなさい、()(はく)。あなたの声が聞こえない。でも(だい)(じよう)()、これしきのことでへこたれたりしないから。とりあえずはよかった、あなたが(とら)われずにすんで。

 ()(かい)がじょじょに暗くなっていく。

 豹叉(ひようさ)。この(じゆう)(じん)はまだなにか、(おそ)ろしいことを(たくら)んでいる。そんな予感がある。

 お願い()(はく)、どうか油断しないで――。

 (のど)(から)みついた言葉は雫玖(しずく)(むね)(おく)(ふか)くで、いつまでも(けい)(しよう)を鳴らしていた。

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