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「……今までの経緯はこんなものだ。すまなかった。獣人たちはおしなべて目も耳も鼻も良い。だから紗里の領域に入るまで、迂闊な話はできなかったんだ」
琥珀は話し終わると、じっと雫玖を見つめた。
今の話を信じてくれたのか、見定めようとするかのように。
「いい、わかった。なんでこうなったのか、状況は理解した。でも、一つだけ質問させて。なんで琥珀は囮の史緒たちのほうに、神剣を預けたの?」
「ああ、そのことなら」青年は背嚢をあさって小さな布包みを取り出す。「――本物の神剣は、ここにあるから」
「え? でもそれ、見た感じ、長さが足りなくない?」
すると琥珀は衝撃的な一言を放った。
「ああ。当然だ、折れているからな。じつは叢雲剣は、かなり前に賊徒に破壊されていたんだ。老師によると襲撃されたのは、波布王が即位してすぐの頃だったらしい。これは霊香院の一部の者と、高瀬王太子しか知らない極秘事項だ」
「なにそれっ、じゃあ鏡で王太子は選べても、それを王に即位するための剣は、すでに失われていたってこと?」
「ああ。おそらく、高瀬を王にしたくなかった者の仕業だろう。本体はこのとおり粉々だから、以前から蒼海国の鍛冶師に打ち直してもらう話が進んでいて、本来なら高瀬がこの春、龍神詣でに行くはずだったんだよ。ほら」
開かれた布の中身は、もはや鉄くずだった。雫玖はのけぞって頭を抱える。
「嘘でしょ。じゃあなに? わたしには宝鱗をもらうだけじゃなく、亡き兄さまの名代として、神剣の打ち直しって任務も課せられていたの――?」
「そうだ。ただ神剣のほうは大丈夫だ。すでにむこうの鍛冶師とは話がついている」
「ええ、でも、やだ。そんな、神器を複数手に入れなきゃいけないなんて、聞いてないっ。だって、もしわたしたちがうまくやれなかったら、蓮はどうなるのっ」
「そこもあんまり気にすんな。あんたはたぶん仙客に選ばれる、と思う」
「そうそう、それ。だからそのサウロって、なによ?」
むうと頬を膨らませる。
「もしかして琥珀の言ってたわたしの運試しって、その仙客になれるか試すっていう話だったわけ?」
「ああ。そもそも龍は気に入った仙客にしか、自らの鱗を与えない」
恬と返されて絶句した。
「そういうことは、きちんと前もって、話してくれないと……」
「だから今、話してるだろうが。いいか、仙客の資格に明確な定義はない。ただ、龍にとって特別な存在であるのだけは確実だ。そういうものなんだ。元は、紗里の民と龍の誓約だった。だから紗里の中には、仙客を龍の地上代行者と呼ぶ者もいる」
紗里は森と清流の民。代々、農耕はせず狩猟採集のみで暮らす。季節ごとに集落を点々としつつ、龍神の導きに従って生きる人々――。
しかし後に興った蓮国は、そのほとんどが農耕民で構成されていた。彼らには紗里たちほどの霊力がない。それで建国の昔、蓮王は紗里の長と協議し、仙客が手に入れた宝鱗を譲り受けて真澄鏡を作り、自らも龍と交信する仕組みを構築したのだった。
「今回割れた真澄鏡の四鱗も、元は加那汰大師が紫龍から、賜ったものだそうだ」
「ちょ、ちょっと待って、根本的なところで質問が。なんで琥珀は、わたしがその仙客ってのになれるって思うの?」
「だってあんたの母は、紗里の血を引く霊能者だし」
「だから。どうしてそれだけで、わたしが龍に選ばれるって確信できるわけ? 仙客ってこういう人ですって、特に決まりもないのに」
すると琥珀は首をかしげた。まるで初めてそこに思い至ったとでも言うように。
「どうして、か。ああ、そうだよな、言われてみれば確かに。……勘かな」
「か、勘って」
信じられない。この怜悧な英才が、そんな適当な理由で。でもそう言えば以前にも、簗の襲撃があるのを勘だと言い切っていた。――ひょっとして霊感とか。
「こら、なんだその疑いの目は。龍の試しってのは、ようするに守護龍が、あんたの霊動や心構えを受け入れるかって話で」
「わかってるっ。つまりわたし、見ず知らずの龍に気に入られなきゃいけないのよね。だけど、そんなの無理。わたしは『奇異の姫』なのよ。初代とは出来がちがうもん!」
雫玖は頭を抱えた。ひたひたと後悔が胸をざわつかせる。こんなことなら内大臣の忠告を聞いて、奥宮に留まっておけばよかったかも。すると頭に大きな手が乗る。
「大丈夫だ。俺は過去に何度も、鏡ごしに龍神の挙動を見ている。霜葉老師もだ。その二人があんたを推挙したんだぞ、もっと自分を信じろよ」
「え……、琥珀は鏡のむこうの龍を知っているの?」
「ああ、よく知ってる」
「嘘っ」
思わず叫んでしまった。琥珀の目の奥には、慈しみに満ちた光が宿っている。
「嘘じゃない。だからあんたがもし、自分を信じられないっていうんなら、大丈夫だって言う、この俺を信じればいい。前に言ってたよな、俺の言葉は信じられるって」
「う、たしかに言ったけど」
なんで。早瀬に流されていくただの木の葉一枚、その程度の人間を、今まで誰からも遠巻きにされてきたおかしな娘を、琥珀だけは見捨てない。
「なあ雫玖、やったことがないのと、できないことを一緒にするな。悲観する暇があったら、龍に会った時の挨拶でも考えろよ。そのほうがよほど建設的だろ」
押し黙っていると、今度はしかつめらしく師匠らしい言葉を吐く。
なんなのだろう、この人は。謎すぎる。
最初は兄の友だった。次は師で、その次は用心棒兼水先案内人で。
でも今、この心で感じているのは、なにかもっと、別の感情な気がする――。
その時、戸を叩く音がした。
「どうやら岳が、食事を持ってきてくれたみたいだ。受け取ってくる。とにかくまず食べろ。心が揺らぐのは、身体が弱っている証拠なんだぞ」
「……うん」
頭に乗った手がひどく温かくて、胸が震えた。実感する、今はこの混じりけのない優しさだけが救いだと。嬉しい。たとえこの誠意が、亡き兄との約束を果たすためだけだったとしても、ずっと、そばにいたい。こちらを見て触れて、笑ってほしい。
もっと近づいても、嫌がられないだろうか。そんなふうに思う自分が不思議だった。




