序
※エブリスタ完結作の再掲です。本作は単体で14万字完結していますが、同世界観の長編3作、中編1作、短編3作を同サイトにて執筆・掲載済です。
集英社文庫書籍化(ナツイチ小説大賞 大賞)や角川ビーンズ小説大賞選考通過等の経験有(詳細はプロフィール欄に記載)。
最後はハッピーエンドですので、安心してお楽しみください。
薄曇りの初春の午後。蓮国王の生誕五十年に合わせた式典の最中、事件は起きた。王太子が襲撃されたのだ。名を高瀬という。
彼は齢二十五になったばかりの将来有望な青年で、王に拝謁するため正殿へむかっていた。そこを背後から矢で射かけられた。
射手はその場で取り押さえられ、王太子は自ら矢を引き抜き、内廷へと運ばれた。
しかしくだんの矢は心臓脇まで達しており、余命がないと悟った高瀬は東宮へは戻らず、少数の側付と共に花園へ向かった。――自らの死に場所を選んだのだ。
「……ご丁寧に、まさか毒矢だったとはな。抜かった。私の命運も、ここまでか」
一部のゆがみもなく敷き詰められた石平板、桃花の舞い散る回廊に横たえられ、高瀬は薄く笑った。その顔は生気がなく、青碧色の目の下には黒い隈が浮かんでいる。
「もう、よく目が見えぬ。琥珀、真雪はどこへ行った」
「ただいま医官を呼びに行きました、太子」
豊かな緑髪を地に散らしたまま、高瀬はそうかと呟く。その胸から流れ出る血で、敷石がみるみる染まっていく。琥珀と呼ばれた武官は注意深く周囲を見回した。背高な身体を曲げてひざまづく。官服の左袖をまくりあげ、懐から取り出した苦無で己の左腕を突こうとした。すると気配を察した王太子は苦しい息で声を上げた。
「やめよ、琥珀。その堅苦しい話し方もだ」
「ですが」
「今はおまえと私、二人きりだ。最期くらいは本音で話したい。いいか、その力を使って私が生き返れば、おまえはいずれ正体がバレて国を追い出される。それでは困る」
琥珀の手が、つ、と止まる。高瀬はうつろに空を見上げた。
「……それより頼みがある。我が妹、雫玖をどうか守ってやってくれ」
「太子それは、あんたがやれば」
「聞け、琥珀。汀の意志は受け継がれた。もはや我が心残りは、妹の行く末だけだ」
「太子。悪いが俺は、承服できない」
この国では珍しい藤黄色の髪を後ろで一つに結った武官は、精悍な横顔を傾けて苦無を握り直す。その手首を血まみれの高瀬の手が握りこんだ。
「いいや、ここに至るまでに、私はずいぶん手を汚してしまった。王の器としてふさわしくない」
「あんたはまた、そんなことで悩んで。じゃあ誰が、次の王を継ぐんだよ」
「それを探すのが、おまえの仕事であろうが」
高瀬の低く涼やかな声が、しだいに細く弱まっていく。
「琥珀、受け入れろ。人とは避けがたく、いずれ死ぬものだ。いいな、これは命令だ。我が妹を守り、真雪とともに志を完遂せよ」
「太子……、高瀬! 逝くな!」
「ありがとう。今までおまえが側にいてくれたから、私は迷わずにいられた。あとは託した……ぞ」
琥珀の手首をつかんでいた手が、はたりと落ちた。まるで椿の花が落ちるように。
「高瀬! くそっ」
人は逝く。こんなにもあっけなく。どれほど熱を上げて語らい心を通じ合わせても、すべて無に帰す。だから嫌なのだ、心に誰かを受け入れるのは――。
琥珀は無言で苦無を懐に戻した。表情に乏しい彼の内心を写し取るかのように、天の雲が厚くなって遠雷が轟く。冷たい風が吹き始めた。やがて走ってくる足音が近づき、すぐ横で止まる。
「琥珀、高瀬兄さまは?」
細波のように軽やかに響く声。顔をむけずともわかる。高瀬の妹で花園に近い磬宮の主、雫玖の声。
「真雪の鎬が来て、兄さまが矢を受けたって聞いて、――え。嘘でしょ。亡くなられたの?」
華奢で細身の身体がぶるぶる震えていた。半月前に十七になったはずだが、まだ十五、六に見えるのは、大きな榛色の瞳のせいだろうか。派手ではないが目鼻立ちの整った顔つき。平生より白い頬には生気がない。千歳緑の髪は左上で一輪に結い上げている。薄紅の花簪を刺し、紅梅染めの襦裙は花鳥の刺繍が入ったきらびやかな絹。裳は濃い萌黄、金糸の花が縫い取られており、わずかに身じろぐたびに輝いた。
「たった今、息をひきとられました」
「そう。わたし、間に合わなかったのね」
細い指が、助けを求めるように琥珀の衣をつかんだ。
その手の甲に、ぽつりと雨粒が落ちてくる。
「降ってきましたね。このままでは濡れてしまう。どうか姫は宮にお戻りを」
「いい、ここにいる。だってこれは涙雨。天におわす我が国の守護龍も、兄さまの死を悼んでいらっしゃる。そうでしょ?」
姫の言葉をさらうように、頭上で雷鳴が轟いた。
「お願い、琥珀。少しの間でいいから、わたしを支えていて」
小さい額が遠慮がちに胸に押し当たる。琥珀は雫玖を胸に迎え入れた。落ちつかせるように背を撫でる。藍鼠に暗く染まった雲。雨が、桃花をはらはらと散らしていく。
「琥珀、わたし、これからどうしたらいいの」
現王の亡兄が、兄妹の実父だった。そして三年前に太后となった母が死に、今また兄を失ってしまった姫にとって、もはや奥宮内で頼れる後ろ盾はいない。
「俺が兄上に代わってあんたを守りますよ。先ほど太子にも、そう命じられました」
「そう……、兄さまが」
「大丈夫。きっと波布王も姪のあんたには、それほどひどい仕打ちはしないはずです」
「そうだといいけど」
聡い姫だ。よく自分の立ち位置が見えている。琥珀は眉を寄せて息を吐いた。
これから宮城に嵐が来る。まさか高瀬がこんな形で逝くとは。
雨から庇うように姫を抱きしめ、鬱金の瞳を天に巡らす。
「雫玖姫。あんたの言葉は本当だな……、龍も太子を偲んで泣いている」
峻烈な怒りをたたえた空。――涙を流していたのははたして誰だったか。
さあさあと音を立てて降り注ぐ雨が、琥珀の端正な顔をしっとりと濡らしていった。




