第9話「決戦の煙、奇跡のタレ」
そして迎えた、収穫祭当日。
町の中央広場には特設ステージが組まれ、数千人の観客が詰めかけていた。
熱気と興奮が渦巻く中、俺は調理台の前に立っていた。
隣のスペースでは、ジャン=ピエールが優雅に下準備を進めている。彼の周りにはすでに高級な香草の香りが漂い、助手たちが手際よく動いている。
対する俺は、一人だ。
道具は、使い慣れた鉄板と七輪、そして包丁一本。
シンプルすぎる装備に、観客からは失笑が漏れている。
「おい見ろよ、あいつ七輪一つで宮廷料理人に挑むつもりか?」
「無謀すぎるだろ……」
だが、俺の耳には雑音は届かない。
目の前のミスジと、昨夜完成した「秘伝のタレ」だけに集中している。
このタレは、ただの醤油ダレではない。
ベースとなるのは、地元の果実「リンゴ」と「ナシ」のすりおろし。そこにタマネギ、ニンニク、ショウガを加え、隠し味に赤ワインに似た果実酒とハチミツをブレンドした。そして何より重要なのが、数日間寝かせて熟成させたことだ。
角が取れ、まろやかになり、肉の脂と絡んだ時に爆発的な旨味を生み出す「育てるタレ」。
これが俺の切り札だ。
「それでは、料理コンテストを開始します!」
司会者の合図と共に、ゴングが鳴った。
ジャンは動き出した。
巨大な鍋でソースを煮詰め、ドラゴンの肉をワインでフランベする。
ボワッ! と上がる炎に、観客から歓声が上がる。
派手なパフォーマンスだ。匂いも上品で、確かに食欲をそそる。
だが、俺は動かない。
まずは炭の状態を見る。
火力が強すぎる。まだだ。表面に白い灰が被り、遠赤外線が安定して放出される「オキ」の状態になるまで待つ。
「おい、あいつ動かないぞ?」
「諦めたのか?」
ざわめきが大きくなる。
五分、十分。
ジャンの方はすでに盛り付けに入ろうとしている。
今だ。
炭が赤く、静かに輝き始めた。
俺はミスジをまな板に乗せた。
常温に戻しておいた肉は、室温で脂が溶け出し、艶やかに光っている。
包丁を入れる。
薄すぎず、厚すぎない、三ミリ。これがミスジの食感を最大限に活かす厚さだ。
そして、タレを絡める。
漬け込むのではない。「揉み込む」のだ。
手で優しく、肉の繊維にタレを浸透させるように。体温で脂が少し溶け、タレと乳化する。
準備完了。
俺は網の上に、一枚目の肉を置いた。
ジュッ……!
小さな音だった。
だが、次の瞬間。
もくもくと立ち上る白煙が、会場の空気を一変させた。
タレの糖分が炭火に落ちて焦げる、あの匂い。
果実の甘み、ニンニクのパンチ、醤油の香ばしさ。
ジャンの上品なソースの香りを、一瞬で塗り替えるほどの圧倒的な「暴力」。
「な、なんだこの匂いは……!?」
「腹が減る! 猛烈に腹が減るぞ!」
観客たちの視線が、一斉に俺の手元に釘付けになる。
俺はリズミカルに肉を返す。
片面七秒。裏返して三秒。
余計な脂を落としつつ、タレを焦がして香りを纏わせる。
焼き上がった肉を、炊きたての「銀シャリ」――この世界で見つけた米に似た穀物――の上に豪快に乗せる。
肉の熱で、ご飯から湯気が立つ。タレと脂が米粒一粒一粒に染み込んでいく。
仕上げに、刻んだネギと、白ゴマをパラリ。
そして真ん中に、新鮮な卵黄を落とす。
完成だ。
名付けて「キング・ミスジ丼~黄金の月見乗せ~」。
「さあ、召し上がれ」
俺は審査員席の前に丼を置いた。
審査員長は、美食家で知られる市長だ。隣にはギルドマスターのガランドも座っている。
まずはジャンの料理「ドラゴンの赤ワイン煮込み」が審査される。
確かに美味いらしい。審査員たちは頷き、高得点をつけている。
ジャンは余裕の笑みで俺を見ている。
次、俺の番だ。
市長は怪訝な顔で丼を見つめた。
庶民的な見た目。宮廷料理とはかけ離れている。
だが、その香りに喉を鳴らさずにはいられないようだった。
市長はスプーンを手に取り、肉と卵黄、そしてご飯を一度にすくった。
口に運ぶ。
会場が静まり返った。
市長の動きが止まる。
咀嚼する。一度、二度。
そして、目を見開いた。
「…………ッ!!」
言葉が出ないようだった。
ただ、夢中でスプーンを動かし始めた。
一口食べるごとに、恍惚の表情が深まる。
ミスジのとろけるような柔らかさ。タレの濃厚な甘辛さ。卵黄のまろやかさ。そして、それらを全て受け止めるご飯の存在感。
「う、うまい……! なんだこれは……肉が、飲めるぞ!」
市長が叫んだ。
その一言が、全てだった。
「ソースの複雑さなど関係ない! ただただ、圧倒的に美味い! 本能が求めている味だ!」
ガランドも豪快にかき込み、空になった丼を掲げた。
「おかわりだ! これを持ってこい!」
会場が爆発したような歓声に包まれた。
ジャンが信じられないという顔で後ずさりする。
「馬鹿な……あんな、ただ焼いただけの肉が……私のソースに勝るというのか……!?」
勝った。
俺は煙の向こうで、確信と共に拳を握りしめた。
これが焼肉だ。これが俺の、堂島鉄也の、いや、テオドールの生きる道だ。
俺の視界が少し滲んだ。
煙のせいではない。
前世で志半ばで倒れた俺が、異世界で再び頂点に手をかけた瞬間だったからだ。
さあ、ここからが本当のスタートだ。
俺の伝説は、まだ始まったばかりだ。




