第3話「路地裏に漂う極上の香り」
村から町までは、乗り合い馬車で半日ほどの距離だった。
ガタガタと揺れる荷台の上で、俺はこれからの計画を練っていた。手元には、父がなけなしのへそくりから出してくれた銀貨が三枚。これが俺の全財産であり、初期投資資金だ。
銀貨三枚。今の日本円の感覚で言えば、およそ三万円といったところか。
店舗を構えるなんて夢のまた夢。やはり屋台、それも既存の食堂の軒先を借りるか、露店許可証を買って路上販売からスタートするしかない。
隣に座る父は、背負い袋に入ったボアの毛皮と牙を大事そうに抱えている。肉は俺たちが食べてしまったし、残りは保存食として燻製にしたので、売り物はこれだけだ。
「いいかテオ。町の連中は擦れている。田舎者だと思ってふっかけてくるから気をつけろよ」
「分かってるよ」
俺は苦笑する。中身は百戦錬磨の経営者だ。値切り交渉ならお手の物だ。
城壁に囲まれた町、「キルシェ」が見えてきた。辺境とはいえ、冒険者が多く集まる中継地点であり、それなりの活気がある。
門をくぐると、雑多な喧騒が俺たちを包み込んだ。
市場には様々な食材が並んでいる。俺は父にギルドへ行くよう伝え、単独行動を取ることにした。まずは市場調査だ。
野菜、果物、穀物。種類は豊富だが、やはり肉の扱いは酷い。
肉屋の店先には、ただぶつ切りにされた肉塊が吊るされているだけ。ハエがたかり、ドリップが垂れている。衛生観念も低い。
食堂を何軒か覗いてみたが、メニューはどこも似たり寄ったりだ。「日替わり煮込み」「肉の串焼き(塩味)」「硬パンとスープ」。
串焼きを買って食べてみたが、予想通りだった。肉はパサパサで、焦げの苦味が強い。塩は振りすぎでしょっぱい。
これなら、勝てる。
俺は路地裏に目をつけた。メインストリートは場所代が高い。だが、匂いさえ届けば客は来る。焼肉の最大の武器は、その「香り」にあるからだ。
俺は道具屋に向かい、銀貨二枚を使って中古の鉄板と、少量の炭、そしていくつかの調味料を入れるための小瓶を買った。残りの銀貨一枚で、売れ残って安くなっていたボアのバラ肉と内臓を買い叩いた。
内臓は特に安かった。この世界では「捨ててしまう部分」という認識が強いらしい。
「坊主、そんなゴミみたいな肉を買ってどうするんだ? 犬の餌か?」
肉屋の親父が嘲笑うが、俺は不敵に笑い返す。
「おじさん、明日ここに来たら、その言葉を後悔させてやるよ」
俺は廃業した店舗の軒先を、大家に頼み込んで一日だけ借りることに成功した。掃除をする代わりに場所代はタダだ。
準備は整った。
翌日、昼時。
俺は通りに面した場所に即席のコンロを設置した。
今日のメニューは「ホルモン焼き」だ。
下処理は完璧に行ってある。小麦粉でぬめりを洗い落とし、香草と一緒に茹でこぼして臭みを消した。それを一口大に切り分け、特製のタレに漬け込んである。
タレは、市場で見つけた「ピリ辛の実(唐辛子に似ている)」と、甘い果実の絞り汁、そしてニンニクのような根菜をすり潰し、醤油に似た魚醤と混ぜ合わせたものだ。
「さあ、始めようか」
熱した鉄板の上に、タレに漬け込んだホルモンを投下する。
ジュワァァァァァーーーーッ!!
爆発的な音が路地に響いた。
そして、間髪入れずに立ち上る白煙。それは甘辛く、香ばしく、そして人間の本能を直接揺さぶるような、暴力的なまでの「食欲の香り」だった。
タレの糖分が焦げる匂い。脂が炭化するスモーキーな香り。ニンニクの刺激臭。
それらが混然一体となり、風に乗って通りへと流れていく。
道行く人々が、一斉に足を止めた。
「な、なんだこの匂いは!?」
「美味そうな匂いがするぞ……!」
まるで魔法にかかったように、人々が鼻をクンクンさせながら路地へと吸い寄せられてくる。
その先頭にいたのは、革鎧をまとった赤毛の女剣士だった。お腹をさすりながら、獲物を見つけた獣のような目で俺の鉄板を凝視している。
「おい少年! それはなんだ! 何を焼いている!」
「『スタミナ焼き』だよ。一皿銅貨五枚だ」
「銅貨五枚!? 安いな! いや、しかし見たことがない肉だ……」
彼女は少し躊躇したが、鉄板の上で踊る脂身と、焦げたタレの香りに抗えなかったらしい。
「くっ、ええい! もらうぞ! 一皿だ!」
俺は焼きたてのホルモンを木の皿に盛り、串を添えて渡した。
彼女――エレナは、串でプリプリとした脂身を突き刺し、大きく口を開けて放り込んだ。
咀嚼する。
クニュ、という弾力。そして、中から溢れ出す濃厚な脂の甘みと、パンチの効いたタレの旨味。
エレナの動きが止まった。
次の瞬間、彼女は天を仰ぎ、叫んだ。
「んんーーーーっ!! なんだこれはぁぁぁ!!」
その叫び声が、何よりの宣伝文句だった。
「美味い! こんなに美味い肉は初めてだ! 噛めば噛むほど味が出てくる! このタレ! このタレが反則だ! 酒だ! 誰かエールを持ってこい!」
エレナの絶叫を聞いて、遠巻きに見ていた人々が我先にと殺到した。
「俺にもくれ!」
「こっちもだ!」
「なんだこの匂いは、腹が減ってたまらん!」
俺は鉄板の上でヘラを躍らせながら、心の中でガッツポーズをした。
いける。この世界の人々の胃袋は、まだ未開拓の処女地だ。俺の焼肉が、この町を、この世界を席巻する日はそう遠くない。
「はいよ、並んでくれ! 肉はまだまだあるぞ!」
煙と喧騒の中で、俺は新たな人生の第一歩を確かに踏み出したのだった。




