第2話「常識を覆す解体と火入れ」
庭の一角に組まれた即席の炉で、炭がパチパチと音を立てていた。
火の状態は悪くない。木炭の質は粗いが、火力の調整は俺の腕の見せ所だ。
俺の前には、先ほど切り出したワイルドボアのロース肉がある。厚さは約三センチ。ステーキにするには最高の厚みだ。
周りには、父のマルコ、母のサラ、そして騒ぎを聞きつけて家から出てきた妹のアリアが集まっていた。
「お兄ちゃん、本当にお肉焼くの? 硬いよ?」
アリアが不安そうに俺の袖を引っ張る。彼女の記憶にある焼肉とは、黒焦げで噛み切れず、飲み込むタイミングを失うような代物なのだろう。
「大丈夫だアリア。お兄ちゃんが魔法を見せてやる」
魔法と言っても、この世界にある火や水の魔法ではない。俺が使うのは「料理」という名の魔法だ。
俺は肉の両面に、格子状の細かい切れ込みを入れた。隠し包丁だ。これで筋繊維を断ち切り、火の通りを良くすると同時に、食べた時の食感を劇的に柔らかくする。
次に塩を振る。この世界の塩は粒が粗い岩塩だ。指ですり潰しながら、高い位置から均一に振りかける。肉の重量の一パーセント。これが黄金比だ。
「よし、いくぞ」
俺は網の代わりに、平らな石板を火の上に置いた。十分に熱せられた石板の上に、ボアの脂身をひとかけら滑らせる。
ジュワァァァ……!
脂が溶け出し、甘く香ばしい香りが立ち上った。これだけで家族の喉が鳴る音が聞こえた。
そして、主役の投入だ。
肉を石板に置く。
ジューーーーーッ!!
激しい音と共に、白煙が上がる。俺は動じない。肉をいじり回さず、じっと待つ。表面のタンパク質を焼き固め、旨味の流出を防ぐ「メイラード反応」を起こさせるのだ。
「焦げちゃうよ!」と母が叫ぶが、俺は手で制した。
側面を見て、肉の厚みの三分の一ほど色が変わった瞬間、手早く裏返す。
美しい焼き色。狐色というよりは、濃い琥珀色。カリカリに焼かれた表面が、炭火の光を受けて宝石のように輝いている。
ここからは慎重さが必要だ。裏面をサッと焼いたら、一度火から下ろす。
「え? もう終わりか? まだ中は生だぞ」
父が怪訝な顔をする。
「これでいいんだ。余熱で火を通す」
肉をアルミホイルの代わりになる大きな葉っぱで包み、暖かい石の上に置いて休ませる。
この「休ませる」工程こそが、肉料理の真髄だ。焼いている最中、肉汁は中心部に集まっている。すぐに切れば、その肉汁が溢れ出してパサパサになってしまう。休ませることで、肉汁を全体に行き渡らせ、しっとりと仕上げるのだ。
五分後。
俺は葉っぱを開いた。ふわりと湯気が立ち上る。
ナイフを入れる。抵抗がない。まるでバターを切るかのように、刃がすっと入っていく。
断面は鮮やかなロゼ色。中心部まで均一に熱が通り、溢れんばかりの肉汁が繊維の中に閉じ込められている。
「……きれい」
アリアがつぶやいた。
俺は一口サイズに切り分け、家族に差し出した。
「さあ、食べてみてくれ。これが本当の『肉』だ」
恐る恐る、アリアが最初に手を伸ばした。熱々の肉片を口に運ぶ。
噛んだ瞬間、彼女の目が大きく見開かれた。
「んんっ!?」
サクッとした表面の香ばしさ。その後に訪れる、柔らかく弾力のある食感。そして噛みしめるたびに、口内が洪水になるほどの旨味のジュース。
臭みなど微塵もない。あるのは純粋で濃厚な、命の味だ。
「おいしい……! なにこれ、すっごく柔らかい! 甘い!」
アリアが満面の笑みを浮かべ、次々と肉を口に放り込む。
それを見て、父と母も慌てて肉に食いついた。
「う、うまい! これが俺が獲ってきたボアか? 信じられん!」
「嘘みたいだねぇ……塩だけなのに、どうしてこんなに味が深いんだろう」
三人は夢中で貪り食った。あっという間に一キロ近い肉の塊が消えていく。
俺も一切れ口に入れた。
……悪くない。下処理と火入れだけでここまで引き出せたなら上出来だ。だが、もっと美味くなる。タレがあれば。熟成させれば。もっと良い炭があれば。
俺の中で、職人としての野心がメラメラと燃え上がった。
「テオ、お前すごいよ! 天才だよ!」
アリアが脂でテカテカになった口で抱きついてくる。その笑顔を見た瞬間、俺の胸に温かいものが広がった。
前世では、数字ばかりを追いかけていた。売上、利益率、店舗数。客の顔を見る余裕なんて、経営者になってからは忘れていたかもしれない。
だが、これだ。
「美味しい」と言って笑う顔。これが俺が見たかったものだ。
「父さん」
俺は食べ終わって放心している父に声をかけた。
「俺、町に行きたい」
「町へ?」
「ああ。この技術があれば、金が稼げる。この貧しい生活から抜け出せるし、もっと美味いものをみんなに食わせてやれる」
父は少し考え込み、そして真剣な眼差しで俺を見た。
「……お前のその腕は、確かにこの村に埋もれさせておくには惜しい。だが、町で商売をするのは甘くないぞ」
「分かってる。でも、俺には勝算がある」
勝算どころではない。この世界の食文化レベルを見る限り、俺の知識はオーパーツ並みの武器になる。
「分かった。次の市の日、俺も一緒に行こう。ギルドに素材を卸しに行くついでだ」
「ありがとう、父さん」
俺は拳を握りしめた。
目指すは町一番の、いや、王都、ひいては世界一番の焼肉店だ。
だがその前に、まずは資金稼ぎだ。屋台から始めるのが定石だろう。
俺の頭の中では、すでに次のメニュー開発が始まっていた。




