カラスの翼跡3
自身の身代わりとなった少年は、見るからに重症だった。
ごっそりと抉り取られた肉と内蔵。したたり落ちる赤黒い血液が、少年の足元に拡がっていく。
『おおっ! その髪! 汚染の影響を受けていないのか!?』
異形の音が喜色に染まる。
次いで、わずかに音が沈んだ。
『惜しいことをした。生きたまま連れ帰ればさぞ貴重なサンプルとなっただろうに』
「よくしゃべる奴だ」
温度のない声だった。
低く響き、身も凍るほどの冷たい声で、
「結晶型の外骨格か……完成まであと二十年はかかると思っていたよ。頑張ったじゃないか」
少年は嘲笑う。
致命傷を負ってるはずなのに、その声に苦悶の色はない。
『……どういうことだ。貴様、ただの旧種ではないな』
異形の音、その性質が変わる。
それは、敵意の音。
気づくなり、カズマは叫んでいた。
「危ない! 伏せろっ!」
叫びが届く寸前。
少年は、さっと身を屈めた。
直後、異形から幾つもの鋭利な物体が放出される。鋭く尖った無数のつぶて状の物体が、少年の頭上かすめていく。
「……まさか」
立ち上がり、カズマに向かって呟きをもらす少年。
敵意の音が鼓膜に響く。数が多い。多すぎる。
「まだ終わってない!」
「いや──」
叫ぶカズマに、少年が笑う。
小柄なその身体を無数の物体が貫いた。
大小、多数のサイズの穴を穿たれる少年。噴き出す血にまみれながらも、彼の笑みは崩れない。
「終わっているさ。始まる前から」
『な、なぜだっ!? なぜ死なん!?』
異形の音が、悲鳴に近い色を帯びる。
「交渉は決裂したようだね。やっぱり、止めるべきだった」
淡々と呟く少年の身体から、傷が消えていく。削られた肉の断面が蠢き、意志持つ生物のように傷を塞いでいく。
最後に額に空いた傷がふさがると、それはかさぶたとなり、ぽろり、と剥がれ落ちた。
袖口で額から流れていた血をふき取り、
「さて、仕返しといこうか」
少年が踏み出す。
一歩。たったそれだけで、異形の鼻先まで詰め寄っていた。
続いて、拳が振るわれる。
拳は異形の胴体らしき部分を打ち、砕けた結晶の破片が宙を舞う。
拳はそのまま、異形の胴体を貫いていた。
『がっ……き、きさ、ま』
「ああ、安心するといい。お前の仲間も始末してやった。一人残らずね。簡単すぎて拍子抜けだったよ。自分たちこそ上位種だって?」
少年が腕を引き抜いた。
宙に散らばった破片を、鮮血が彩る。
「勘違いだよクソ野郎」
異形が倒れた。
異形が発する苦しげな音を断ち切るように、少年は右足を振り上げ、踏み降ろした。
足を落とされた異形の頭部──菱形の黒結晶が砕け散った。粉々に爆散した結晶の破片に幾筋もの血痕が追従し、赤が舞った。
見下ろす少年の瞳。そこにあるのは、果てしない虚無。
無表情で異形の生命活動の停止を確認すると、少年はカズマに向き直った。
途端に、表情が変わる。
心配そうに眉を寄せ、カズマの元にくるなり、彼の右の太ももを確認する。
「一人じゃ歩けそうにないね。遅れてごめんよ」
「……大丈夫。それより」
「わかってる。全部、説明するよ。でも今は、何も聞かずに僕についてきてほしい」
カズマが頷くと、少年がこちらの腕を取り、肩を貸してくれた。
歩き出すなり、右足に痛みが走った。わずかに顔をしかめる。その様子を気づかうように、少年は歩く速度を慎重に調節し、時折足を止めては、カズマの様子を窺った。
傘の前までくると、跪く小柄な背中と、そこに倒れた男の姿が遠目に見えた。
周囲には、生き残った住民たち。誰も彼もが傷つき、涙を流し、憔悴していた。
進むことが怖かった。これ以上進めば、現実を受け入れざるを得ない。認めたくなかった。逃げ出したかった。
だってカズマには、もうわかっていたから。
一歩、一歩と少年の肩を借りながら進む。
少年とカズマが到着すると、気配に気づいた小柄な背中がその肩越しに視線をくれた。
ヒナタだった。
彼女は怒りに燃えた瞳でカズマを見た。しかし、彼を見るなり瞳の奥の怒りがわずかにしぼむ。 目を伏せ、悔しげに唇を噛んだ。
「助けようとしたんだ。でも、ダメだった」
「わかってます。貴女のせいじゃない」
言葉は、いとも容易くカズマの口から紡がれた。
はっと立ち上がるヒナタと入れ替わるようにして、カズマは少年の肩から抜け出し、崩れるようにその場に膝をついた。
そして、そのまま頭を下げる。
「……不甲斐ない息子でごめんなさい」
満身創痍。身体中に無数の風穴を空けた父が、焦点の合わない目で空を見ていた。
横たわった大地に多量の血が染み込んでいる。致命傷だ。見るからにそれとわかる。
だけど、それ以上に。
──音だ。
音が聞こえた。外に流れ出る血、体内から消えつつある血流、瞳の動き、弱々しく痙攣する身体、静かに脈打つ心臓。それら全ての音が、目で見るものよりも鮮明に父の残り時間を告げてくる。
「か……カラスを頼む」
息を詰まらせながらも父は言った。
もはや何も映してはいないだろう瞳から、光が消えていく。
「シン様……どうか、どうか息子を。カラスを」
それが父の最後の言葉だった。
すぐ側で、頷く音がした。少年の音だ。
「さようなら、朝霧の子。カラスの当主を僕は忘れない」
少年の言葉は、悲哀に満ちていた。
やがて、生き残った人々が集まってきた。
皆、泣いていた。涙を流し、嗚咽をもらし、悲しみの音が拡がっていく。
「カズマ。これより君がカラスの当主だ」
少年の言葉に、カズマは答えない。
今はただ、皆の声を、音を聞いていたい。聞いておかなくてはいけない。
「僕はシン。君に話した通り、永く生きる者だ」
その音に嘘はない。
少年は真実を語っている。
「本来なら、当主自ら後継者を指名する。だけど、君の父は亡くなった。緊急時につき、当主認定は僕が代理で行う」
構わないね、と問いかけてくるシンを名乗る少年。
カズマは小さく頷いた。
「ヒナタ。君にも見届けてもらうよ」
「承知いたしました。元よりそのつもりです」
淡々と答えるヒナタ。
その音に、悲しみと恐怖がにじんでいる。
「怖がることないよ、ヒナタさん」
思わず、励ますような言葉を口にしていた。
「カラスもハトもそれ以外の全ても……僕が守る。聞こえるんだ、みんなの声が」
悲しみの音に満ちたカラス区。
その遥か彼方にも、無数の音があった。悲しみ、不安や恐怖、そして少しばかりの希望。
「……変異か。やっぱりね」
シンの言葉に、カズマもやはりなと思う。
カズマの血には、代々受け継がれてきた変異がある。
音の認識能力を飛躍させ、上達すれば、遥か彼方のささやきすら拾うという神のごとき変異。
「大変なのはここだけじゃない。それに、立ち向かおうとしている人たちだって大勢いる」
「ふざけた変異だな。範囲が広すぎる」
カズマが言うと、ヒナタは呆れたように呟いた。
「たしかに。でもすごい力だよ。変異初期とは思えない力だ」
「僕は奴らを倒す。全ての地区を一つにして。二人とも、協力してくれるかな」
感心していたシンはもちろんと頷き、ヒナタも目だけで了承を告げてくる。
「カスマ。君を正式にカラス区当主として認めるよ。後継の責務として掟を、宝として知識を授ける」
シンの口調が真剣なものへと変わった。
「これは、現存するすべての地区の当主が背負う絶対の掟であり、また長として地区を守る鉄の力でもある」
掟。
カラス区のみならず、すべての地区の当主が代々受け継ぐべきもの。
「君の血の祖は朝霧という。品行方正とは言いがたく、血気盛んでいつも暴れまわっていた。人の意見は聞かず頑固で、勉強はからっきし。本当にどうしようもない男だった」
自分の祖先が、そんな乱暴者だったとは。
何だか恥ずかしくなって、カズマは目を伏せようとした。でも、やめた。
話すシンの表情が変わったからだ。
優しく笑うその目は、どこか遠くを見るように細まって、
「そして、僕の親友だった。義理堅く、困ったときは必ず助けてくれた」
そういって懐かしむシン。懐かしさの音の中に、わずかな悲哀の色がにじむ。
彼は、右手を差し出してきた。
「語り合おう。僕の親友について。そして話そう。彼とした約束の全てを」
カズマは、その手を握った。
カラス区の中央、傘の一室でカズマはシンと語り合った。
時間はまたたく間に流れ、世界の歴史を知った。以前、少年が聞かせてくれた話の数々が歴史と紐づいていく。
塔の生まれた理由。
大地に住まう人々と、天に住まう人々。世界が二つに分かたれた始まりの記憶を。
そして朝霧の掟。
亡き親友との約束は、時代と共に掟へと名を変え、今を生きる朝霧に受け継がれていく。
カラス区当主、朝霧カズマ。
カラス区歴代当主においてもっとも驚異的な変異を遂げた人間。
その耳は、遥か彼方の音までもを拾い上げ、数多くの人々の声を聞き、またこれを救った。
塔周辺に点在する他地区の当主たちと友好を結び、塔の危険性を説き、決戦に向けての団結を呼びかけた。
大戦期においては魔神の側近の一人として、各地で勃発する塔から降り立った者たちとの戦闘に参加。幾度となくこれを撃退し、大地の人々を救った。
魔神亡き後、二人の子供を残し、放浪の旅に出た。
それきり、彼を見た者はいない。




