カラスの翼跡2
アサギリケ。
カズマには聞き覚えのない単語。
しかし父はそうではないらしい。驚愕に目を見開き、険しい表情で黙り込んでいる。その様子に、カズマは息を呑んだ。あの父が動揺している。物心ついた頃から、ついぞ見たことのない父の反応に、衝撃を受けた。
そんな息子にちらり、と父は沈黙をそのままに視線を投げて寄越した。
その瞳が何かを訴えていた。だが、わからない。父が何を望み、何を伝えようとしているのか。その片鱗すら、カズマには掴めなかった。
やがて、父は諦めたように目を閉じ、視線を切った。その目が再び少女へ向けられる。
「息子はまだ時期ではない。悪いが遠慮してもらえるか」
「いずれは知ることです」
「それでも、だ。だが要求に関しては、前向きに検討する。それについては、考える時間をいただきたい」
「……いいでしょう。今すぐ決めろというのは、少し乱暴すぎたかも知れませんね」
ハトの当主はそっと右手を引っ込め、席を立った。
「答えが出るまでのあいだ、カラス区に滞在することをお許しください」
許可を求める文句でありながら、まさか拒否はすまないな、とでも言うかのごとき表情で少女が頭を下げる。
「無論だ。カズマ」
「はい」
名を呼ばれ、すぐさま立ち上がる。
「息子が地区をご案内しよう。未熟ではあるが、カラスの次代を担う者。若き世代同士語り合うもよし」
「よろしくお願いいたします」
カズマに向き直り、ゆっくりと頭を下げる少女。
慌てて、カズマも礼を返した。
「こ、こちらこそよろしくお願いします!」
任せたぞ、と言い置いて父は部屋を出た。父の側近もそれに続く。
あとに残されたのは、少女とカズマの二人のみ。
両者の間に沈黙が横たわる。
少女は再び椅子に腰こけ、表情もなく微動だにしない。座ったまま固まってしまった少女に、カズマはどうしたものかと考え込んだ。
何か気の利いた台詞でも思いつけばよかったが、生憎とカズマにそんな経験値は皆無に等しい。
歳の近い異性、それも他地区の当主となるとかける言葉は限られる。カズマでなくとも、並の男には不可能に違いない。
それでも何とか頭を振りしぼり、
「さ、さて。若い者同士、語り合うとしますか!」
「……」
ひねり出した言葉は、父の前言をそのまま拝借したものだった。
少女は無言。
無表情で前を向いたまま、答える素振りはない。
何を映すわけでもない灰色の瞳。とりあえずはそこへ侵入しようと、カズマも席についた。父が座っていた場所──すなわち、少女の眼の前である。
少女の眉がぴくり、と小さく跳ねた。
「カズマです! ヒナタさん、改めてよろしくお願いします!」
「……チッ」
返ってきたのは、舌打ち。
小さいが、確かな苛立ちを孕む音。それは二人だけの空間に、やけに大きく響いた。
「えっと……ヒナタさん?」
「話しかけるな。気が散る」
忌々しいとでも言いたげに顔を歪め、嫌悪を隠そうともせずに吐き捨てる。
これが、さっきまで父と話していたあの少女なのか。とても同一人物とは思えなかった。
「案内も不要。出ていってくれると助かる」
「……はい」
言いたいことはあった。
その態度は何だ。あまりに酷くはないか。自分がいったい何をした。浮かんでは消えるそれらの言葉の代わりに口から出たのは、小さな了承だった。
「──ぷっ。フラれちゃったわけだ」
「なっ!? ち、違う! そんなんじゃない!」
地区の外れ、いつもの場所で。
カズマの話を聞き終えるなり、少年は吹き出した。
「まあまあ。相手は同じ歳とはいえ、当主様だろう。考えることが山積みなんだよきっと」
それは、そうだろう。
しかしカズマとて次期当主である。少しくらい仲良くしてくれてもいいはずだ。
「何だよあの態度。いきなり舌打ちって」
「ずいぶんと気の強い女の子みたいだね」
「強いなんてものじゃないよ」
大の男である父を前に、堂々たるあの態度。無茶な要求を押し通そうとする覚悟。そして、護衛も連れず、一人で当主自ら他地区を訪れる度胸。
どれをとっても、自分と歳の近い少女のものとは思えない。
「普通じゃないし、少なくとも僕には真似できない。もちろんすごいとは思うけど、気に入らないよ正直」
「悪かったな。でも、君に気に入られようとは思っていない」
唐突に背にぶつけられた凛とした声。
背後からの声に振り向くと、そこには件の少女が一人。
慌てて頭を下げようとするカズマだったが、それよりも早く少女が動いた。
少年の前に躍り出ると、優雅な動作で一礼する。
「お初にお目にかかります。ハト区当主、ヒナタと申します」
「……へぇ。たしかに若いね。だけど分別はあるみたいだ。ほっとしたよ」
笑いかける少年に釣られたように、ヒナタの顔にも微笑が浮かぶ。
少女の様子に、カズマは目を丸くした。
カズマへの対応とは雲泥の差。父との会談で見せた挑発するようなそれとも違う純粋な、年相応の笑み。
「礼を尽くしすぎるのは、逆に無礼かと。貴方には特に」
ヒナタの台詞に少年は思わず、といった様子で笑い声を上げた。
「おもしろいね、君。ハト区だったっけ? あの地区にしては変わり種だ」
「よく言われます。先代からも常々、お前は篠宮の恥さらしだと。ムカついたので、先代にはさっさと隠居して頂くことにしました」
淡々と告げるヒナタに、少年は爆笑した。
ひとしきり笑うと、カズマに指先を向けつつ、
「彼が嫌いかい?」
「興味がないだけです」
本人を前に、酷い言い様である。
ころころと変わるヒナタの態度。しかしここにきて、カズマは深く考えないことにしていた。そもそも、理解が追いついていなかったのだ。
「だけど、手を取り合うつもりなんでしょ? カズマは次期当主だよ。仲良くしておいて損はないさ」
「そうは思えません。私にはただの腑抜けに見えます」
あんまりな言われ様。
直後、少年の顔に憐憫の色が浮かんだ。
「外側だよ、君が見ているのは。彼は他の誰にもないものをもっている」
「他の誰にもないもの?」
「まだ当主でもないただの若造である彼が、こうして僕と話している。それが答えだよ」
意味深な台詞に、ヒナタは疑わしげに眉根を寄せた。
「納得はできませんが、仲良くします。貴方がそういうのなら」
渋々といった様子。それを隠しもせずに、ヒナタが言う。
そして、
「シラサギ区に干渉がありました」
続く言葉に、少年の顔から表情が消えた。
無言でヒナタの言葉の続きを待つ。
「現時点で少なくとも三度、交流があったとのことです」
「それはいつの話?」
「渡りの話から逆算するに、ニ月ほど前からかと」
「ずいぶん急だな。話の信憑性は?」
「信用できる渡りです。他にも数名の渡りから同じ話を聞いております」
少年は腕を組み、考え込むように瞳を閉じた。
カズマには理解できない話の内容。気になりつつも、ヒナタと少年の放つ空気には、どこか迂闊に入り込めない雰囲気があった。
「なるほどね。それでカラスに来たわけか」
「それもあります。ですが、本当の目的は──」
言葉を切ったヒナタ。
その目を見て、少年は悟ったようにふう、と長く深い息を吐いた。
「──僕か。よくわかったね、ここにいるって」
「原点を知っていれば、自然の成り行きでしょう。もっとも大切な場所のはずです。貴方にとってここ、カラスの地は」
「なるほど。覗き見られた僕の気持ちは別にして、勉強熱心なのは間違いなさそうだ。カズマ」
呼ばれ、少年を見やる。
「君の父親に話がある。案内してもらえるかい?」
少年の意外な願いを疑問に思いつつも、カズマは了承した。
「──え?」
広がる光景を前に、気の抜けたような音が口からもれた。
視界を埋め尽くすのは、赤。大地に。家屋の壁に。べっとりと塗りたくられた赤。
地に伏すのは、人、人、人。正確には、人だったものの残骸だ。手や足はあらぬ方向にまがり、千切れたものまである。
惨状を目にするなり、黒髪の少年は飛び出していた。またたく間に小さくなるその背中を見送り、呆然と立ち尽くすカズマ。
と、その頬に衝撃。
「ぼさっとするなっ! しっかりしろ!」
見れば、ヒナタの顔が近くにあった。
まなじりを吊り上げ、険しい顔つきで声を上げていた。
「次期当主だろう君は! ここで動かなくてどうする!」
「……あ、え」
言葉が、上手く出てこない。
頭が理解を拒絶する。目にした光景、その惨状を正しく認識できない。
「……腑抜けが。もういい」
吐き捨て、ヒナタが背を向けた。
その背中を追うように、独りでに片手が持ち上がる。
まるで母に追いすがる幼子のように、頼りなく伸ばされた手。宙に伸ばされたそれは、ヒナタの小さな背中に向けられたまま、何も掴めず、落ちた。
何故、何で、どうして。
疑問ばかりが頭に浮かんでは消える。
カズマにできることは、何もない。
少年を父に会わせるだけ。それだけのことだった。
それが今は、どうだ。カラス区に戻ってくるなり、出迎えたのは殺戮の嵐。残虐なるその痕跡だけ。
何も考えられない。
ふらふらと当てもなく歩きだす。
どこへ目を向けても、同じだった。
飛び込んでくるのは、人だったモノの成れの果て。飛び散った鮮血と、肉片。
カズマは救いを求めるように、さまよい歩いた。惨状から目をそらし、一歩ずつ交互に進んでゆく自身の足を無言で眺める。
今はただ、別の景色が見たかった。
カズマの願いは、予期せず叶うこととなる。
『元気なのがいたか。素晴らしい!』
それは、頭に直接響くような音。
カズマはひどく緩慢な動きで頭を持ち上げた。
──そこには、異形。
複数の角を持つ黒い結晶。半透明な結晶をより集めて形作られた“ソレ”は、人の形を模していた。
胴と、手足。大小様々な結晶で構成された歪な構造体。その最上部、頭部であろう菱形に近い結晶の中央が赤く明滅する。
小さく赤い光球が、まるで人の目のように結晶内を蠢き、ある一点で停止。
『一人か……もう少しデータが欲しかったが、まあいい』
結晶体から音が発生し、その腕らしき部分が持ち上がった。
黒い先端から小さな突起が産まれる。突起は徐々に伸び、唐突に腕の先端から千切れた。
瞬間。
右足に衝撃。
痛みを知覚する前に、右足から力が抜けた。
膝を地に打ちつけ、それと同時に焼けつくような激痛がカズマを襲う。
見れば、太ももに小さな穴が穿たれ、そこからおびただしい量の血が流れ出ていた。
『ふむ。反応が悪いな。ハズレを引いたか』
痛みにうめくカズマを前に、異形はどこかつまらなさそうな音を発する。
黒の先端から再び別の結晶が産まれる。
今度は、先ほどより大きい。拳ほどの黒い結晶がゆっくりと伸びていく。
結晶が、先端から切り離された。
もはやカズマには、見ていることしかできない。
直後。
横合いから何かにぶつかられた。
勢いよく飛ばされ、地を転がる。
起き上がり、見た。
「な、なんで……」
異形の前に立ちふさがるのは、小柄な身体。
身体の中央。拳ほどの風穴を空けた彼は、カズマのよく知る人間。
「──間に合ってよかった」
黒髪のあの少年だった。




