カラスの翼跡
地区の外れに、その少年はいる。
黒髪という珍しい風貌のその少年は、元は遠い地区の出身らしく、年齢の割に幅広い知識をもっていた。
カズマは少年と歳も近く、また物珍しさもあってよく少年に会いに行った。
少年曰く、自分の寿命は永く、大昔から生きているという。
大人たちは、相手にしなかった。ただの風変わりな子どもが、ホラを吹いているだけ。
正直、嘘だろうが本当だろうが、カズマにはどちらでもよかった。
そんなこと、どうでもよくなるくらい、少年の語る世界は不思議に満ちていて、カズマの好奇心をくすぐるものばかりだった。
大人たちは、もったいない。
少年の話は、こんなにも楽しいのに。
しかし、大人たち皆が馬鹿にする中、父だけは違っていた。
「彼を大事にしなさい。よく話し、よく学べ。友人としてな」
耳を疑った。
少年と初めて知り合った時、おそるおそる父に彼の話をした時のことだ。
あの厳格な父が口にする言葉とはおもえなかった。おまけに、優しげな顔でそう言ったものだから、本気で病気を疑ったほどだ。
地区の平穏が第一。
それが父の考えであり、またそのために規律を何よりも重んじる。そんな父だからこそ、奇妙な話を持ち込む少年を、異分子として排除するだろうことは容易に想像できた。
だが、違った。
嬉しい誤算だった。
「もう一度、聞きたいんだ。前に言ってたやつ」
「前に言ってた? 何の話?」
「ほら、あれだよ。人を乗せてすごいスピードで走るやつ」
とある日、カズマは少年に聞いた。前に教えてくれたすごい乗り物の話。
少年は、またか、とでも言いたげにため息をついた。続いてうんざりした顔で、
「本当に好きなんだね、車」
「そうそれ! クルマだ!」
「キラキラした目でみないでくれ。大した話じゃないんだから。車っていうのは」
そう言いつつも、結局は話し始める。
面倒くさそうな素振りこそ見せるものの、最後はいつも決まってカズマのわがままに付き合ってくれる。
そんな少年が、カズマは大好きだった。
「──そうやって作られたのが、車。速く走る馬車が欲しい。その発想から速さを突き詰めて、なら馬じゃなくてもいいとなったわけさ」
「馬車?」
「馬やロバで牽引させた車を用いた移動手段。人だけでなく荷物の運搬にも使われた」
「馬? ロバ?」
「……なるほど、そこからか。いいかい? 馬っていうのは──」
この時間が、カズマは好きだった。
時間の流れを忘れるほど少年の話に聞き入り、雲が黒くなってきてから帰路につく。
そうして眠りにつく前、少年の語る世界に想いを馳せるのだ。
今日もそうだった。
「ねえ、君もおいでよ。外だと寒いでしょ」
「平気だよ。もう暗い。僕のことは気にせず、早く帰りな」
このやり取りもいつものこと。
何度提案しても、少年はカズマの誘いに乗ってこない。
初めて少年を見た時、彼がカラス地区にやってきた時のことを思い返し、
「まだ怒ってるの? けど、みんな悪気はないんだ」
「そうじゃない」
薄気味悪い、と少年を避ける大人たち。
そんな過去の経験を少年は気にしていない、と軽い調子で笑ってみせる。
「変なものには近づかない。その方がいいし、賢い選択だよ。それにそれは、君にだっていえることだよ、カズマ」
「なんで? こんなに面白いのに。君の話を直接聞けば、大人たちも気に入るよきっと」
そうに違いない。
嘘か真実か、それの何が気になるのだろう。
少年の黒い髪だって、珍しくてかっこいいじゃないか。
「本当に変わってるよ、君は」
なぜか懐かしむように微笑む少年に、つられてカズマも笑う。
と、そこでよし、とカズマは胸中で気合を入れる。
一拍置いて、最後の決まり文句を今日も口にしてやった。
「君の名前を教えてくれ」
「やだね。それは秘密だ」
今日こそ、という思いで告げるも、あえなく失敗。
「だと思ったよ。じゃあ、またね」
笑ってまたな、と答える少年に手を振り、カズマは帰路についた。
「今日はお前にも参加してもらう」
目覚めるなり呼び出され、告げられたその内容に、カズマは言葉を失った。
内容は、ハト地区の当主との会談。
近隣の地区当主との会談は、度々行われている。もちろん、参加するのは当主である父とその側近が一人。他の人間が参加することは許されない。
地区の今後の方針や、物流の効率化、遠方地区の情勢など、会談内容は多岐にわたる。
寝耳に水。
まさか自分も参加が許されるとは思っていなかった。カズマはじき、十五になる。そろそろ大人として扱ってほしいとは思っていた。
そう思っていただけに、本当なら飛び上がって喜びを叫びたいところだ。
しかし、この父の前で子供らしさは許されない。
「えっと、どうしてですか? 大切な会談にどうして僕が」
「お前も次期当主。そろそろ慣れておいてもいいだろう」
当主は血によって決まる。
父の子はカズマだけだ。
つまり、次期当主はカズマ以外にいない。
ただ、疑問は拭えなかった。常々、自分は甘いと父に叱られてばかりいた。
そしてそれは、ここ最近でも特別変わってはいない。
「わかりました。行きます」
本当なら、少年のところへ行きたい。
だが、それを言えば次期当主しての自覚が足りないと激怒されるだろう。
「彼とは、最近どうだ」
「……彼?」
唐突にそう聞かれ、思わず誰のことかと聞き返す。
「黒髪の子供のことだ。お前の友人という」
驚いた。
心を読まれたのか、と疑ったほどだ。
ここ最近は、ずっと少年に会いに行っている。
嘘はつかなかった。大事にしろと言ったのは父である。
素直に、昨日も会ったことを告げた。
「そうか。元気そうだったか?」
何故、そんなことを聞くのだろう。
会ったこともない上に、父の嫌うタイプの人間のはずなのに。
疑問は尽きなかったが、カズマは父に頷きを返した。
すると、父は笑顔を浮かべ、
「そうか。ならいい。仲良くな、今後も」
あの父が笑顔とは珍しい。
それも、いまだかつて見たことがない満面の笑みだった。
会談場所は、カラス区の中心部。
傘と呼ばれる建物の最上階、その一室。もっとも広い部屋である。
部屋の中央には、くたびれたいくつかの椅子と、傾いた机。扉には、父の側近が立ったまま待機している。
椅子には、父とカズマが並んで座り、机を挟んだ対面に、ハト地区の当主が座っていた。
ハト区の当主、その姿にカズマは思わず息を呑んだ。
歳は、カズマと変わらないくらいの少女である。
肩を流れ、胸元まで伸びる灰色の髪。髪色こそ自分と同じであるものの、異質なほどの艶めきはまったくの別種。
肌もカズマと同じ白、瞳も同じく灰色。しかし肌質も、瞳の奥にある理知的な光も、どちらも自分とはかけ離れている。
なにより、その瞳だ。理知的な光に揺るぎはなく、威圧的な父の雰囲気にもまるで動じる素振りはない。
ただ、何かを図るように、静かに父だけを見つめていた。
「ハト区より、当主ヒナタと申します。お見知りおきくださいますよう」
父が己の名を告げると、少女も淡々と自身の名を返し、静かに目礼する。
倍以上も歳の離れた父に対し、ひとかけらの動揺もない。
その泰然とした様子に、父がほう、と感心したように息をついた。
「ずいぶんと若いが、肝は座っているようだ。前当主殿はどうなされた」
瞬間、少女の瞳の奥に光が灯る。
刃のような冷たい光が、すぅ、と細められた。
「実質的な地区の運営は、これまでも私に一任されてきました。年齢もじきに十五となります。子供だと侮られる時期は過ぎた、とハトの住民すべての意志が固まっただけのこと」
「……なるほど。これは失礼した」
対等の立場でここにいる。侮れば、ハト全てを敵に回すことになる、と少女は暗に告げていた。
言葉もそうだが、その雰囲気にカズマは圧倒されていた。
美しく、そして強い。あの父が、対立を避けて佇まいを正すほどに。
「それで──」
少女の視線が、ちらり、とカズマに向けられる。
ずっと見とれていたカズマは、意図せずぶつかった視線に思わず身を硬くする。
「この方は?」
「息子だ」
「後継ですか」
探るような目でカズマ見ていた少女だったが、それっきり興味を失ったのか、さっと視線を外し、
「ずっとお会いしたいとは思っておりました。カラスは義理堅く、また強靭な戦士が数多い」
「過分な評価だ。皆、必死に生きているだけのこと」
「ハトにはない力です。この際、単刀直入に申し上げます」
そう前置きして、ハトの当主はゆっくりと父に右手を差し出した。
「カラスのその力をお貸し頂きたいのです」
「……ヒナタ殿。それはどういう意味か」
「以前より、調達隊の人員の貸し出しは要求してきたかと。それを正式に、今ここで決めて頂きたい」
調達隊の人員。
物資調達は命がけである。ただ強いだけでは務まらず、命を惜しんで回収が停滞すれば、次は飢餓によって誰かが死ぬ。
命をかける度胸と、必ず成果を持ち帰る覚悟。両方がなくては、務まらない。
その力を他地区のためにも役立てろ、とハトの当主は言っているのだ。
黙って聞いていたカズマも、これには思わず声を上げそうになった。
「あまりにも無茶な要求だ。前当主にはできない、とはっきりお断りしたはずだが」
「だからこそ、私がいます」
「……何が言いたい?」
苛立ちを孕んだ父の声に、カズマの肝が冷える。
父がそうと決めれば、ハトとの全面戦争になってしまう。そうなってもおかしくないほどには、彼女の要求には無理があった。
「交渉です。こちらの要求が通るのなら、私の全てをお譲りします」
「全て、とは」
「力です。カラス区の困難の折には、真っ先にかけつけましょう」
少女の提案に、父は鼻を鳴らした。
「間に合っている。困難が故にカラスの力を頼るそちらが、何をもって我らの困難を救うと抜かす」
「飢餓だけが困難ではないでしょう」
少女の提案を斬って捨てようとする父に、少女はすかさず斬り返した。
「奴らが降りてくるとしたら?」
その言葉の威力は絶大だった。
どんな提案だろうと一歩も引かない。そう感じさせるだけの気迫が、父にはあった。
しかし、それも霧散する。
「なんのことだ」
どこか力の抜けたような父の声音。
対する少女の口元に、初めて笑みが浮かぶ。
「知らないはずはないでしょう。カラス区当主、それも“朝霧家”の貴方が」




