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  作者: たーく
第一章・カラス区
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魔神

 

 リナが老神官を連れてくると、まず、シンは老神官を見るなり爆笑。目尻に涙まで浮かべて、床を転げ回った。抱腹絶倒である。

 カシラは、老神官が現れた途端に目を剥き、今にも飛びかからん勢いで跳ね起きようとした。が、傷に障ったのか顔を歪め、それでも敵意を剥き出しにして老神官を睨みつける。

 リュウは、何ともいえない表情で無言を貫き。

 リナは、


「シン、この人が会いたいって」

「ひ、や、いや、あ、あたまがっ……くくっ」


 シンの爆笑は、とうに限界を超えていたらしい。息を整えることさえ、一苦労という有様である。


「こいつ、壊れたみたい。アンタも似たような有様だけど」

「はぁ、はぁ……えっと、壊れた、とは?」


 シンが不思議そうに訊くのと、老神官が動いたのは同時だった。

 変異による発達した筋肉が老神官の動きを加速させる。無駄に素早い動きでシンの眼前に躍り出ると、そのまま平伏。

 後ろ手に縛られているせいで支えるものはなく、頭から床に激突した。

 これまた無意味に発達した筋力のせいで、頭突きをくらった床は轟音と共に陥没。

 シンに向けられたのは、老神官の頭部。消えさった灰色の髪。その哀れな成れの果て。

 黒くすすけた跡地を見て、シンは絶句。

 ぽかん、と呆けたように大口を開け──再び大爆笑。


「──ふう。汚染域をぶち抜いて空まで飛んだのか。すごいね。いくら変異しているとはいえ、普通なら丸焦げだ」


 呪いともいえるような爆笑の連鎖から何とか解放され、シンは感心したようにそう口にした。


「身に余る御言葉! 卑小なる我が身に余りある栄誉! ああ、シン様! いと尊き我が聖光よ!」


 陥没した床に顔をうずめたまま、老神官が喜びにむせび泣く。


「なるほどそうきたか。その発想はなかったな」

「言ったでしょ? 壊れてるって」


 独り納得した様子のシンに、思わずリナは嘆息する。


「いや、壊れたわけじゃない。信仰の対象が代わったんですよ」

「信仰の対象? どういうこと?」

「太陽をご存じですか?」  


 タイヨー。

 あの老神官が口にした内容にも、その単語があった。

 リナは首を振る。


「空を覆う雲のその先、そこにある光です。あまねく世界を照らし、寒さから守り、あらゆる生命に力を授ける」


 そんな話、聞いたこともない。

 もし本当にそんなものが存在するとしたら、それこそ神ではないか。


「塔から噴き出る火。朝火と呼ばれるあれも、元を辿れば太陽に行き着く。太陽は塔信仰の祖……もっとも尊いものなんですよ」

「じゃあ、そのタイヨーってものを」


 言いながら、目線を下へ落とす。

 そこには、いまだ頭を下げたまま感涙する老神官。


「見たってこと? こいつが」

「そう。正確には僕が見せてあげた、と彼は思っているようです」


 なるほど、と思った。

 それで急に、態度が変わったのだ。

 今まで信じてきたものの最高峰。それをいとも簡単に見せてくれた。老神官にとってシンは、聖なる光に導いてくれた真の神、といったところか。

 それにしても、この変わりよう。あれだけ穢れだ何だと敵対していたくせに、虫のいい話である。


「これが信仰、ね。やっぱり理解できない」

「カラス区に宣教師はいない」


 相容れない信仰という概念。

 自分とは違う別の生き物を見ているような、そんな錯覚にさえ襲われそうになる。 

 嫌悪感すら抱いていたリナに、シンは小さく口を挟んだ。


「彼らを退け、信仰を拒絶した。そういう地区だからこそ、リナさんはそう思えるんですよ」


 宣教師。

 その役割をリナは知らない。知っているのは、塔信仰の祖ということだけ。

 大昔に地区を訪れ、塔の信仰を広めていった、と父からそう聞いている。


「宣教師は塔の住人なんですよ」

「……え?」


 淡々と告げられたシンの台詞に、思わず聞き返していた。

 あまりに普通のことのように話すものだから、反応が遅れたほどだ。

 見れば、リュウも驚愕に片目を見開き、食い入るようにシンの話を聞いていた。

 それとは対象的に、カシラに驚いた様子はない。どういうことだ、と目だけで訴えるようにカシラを見つめるリナ。

 すると、カシラは罰が悪そうにリナから視線をそらす。

 知っていたのか、父は。


「まってよ。本当にいるの? 塔に人が」


 そこではたと、気づく。

 あの薬だって、塔の技術と言っていたではないか。

 なら、そんな神のごとき術を扱う者もいる。いたとて不思議はない。


 リナが気づくのを待っていたとでも言いたげに、シンは意味深な顔で頷く。


「そう。あれも塔の人間がつくったものです。昔くすねたものを塔周辺に埋めたんですよ。悪用されないように。それを掘り出すのが、僕の準備の一つ」


 ふらり、と出ていったのはそういうわけだったのか。薬を取りに行っていた、と。


「神官位の人間が追ってくることはわかっていましたからね」


 言いながら、せせら笑うように平伏する頭頂部を見下ろすシン。


「まさかこんな展開になるとはね。まあ、これはこれで面白いけど」


 口元を歪め、怪しく輝く少年の瞳。


「そもそも神官に追われるって……アンタ一体、なにやったのよ」


 とここにきて、リナはずっと疑問だったことをシンにぶつける。


「薬といい、戦い方といい、何者なのよアンタ」

「ちょうどいい。その二つは、こいつに語ってもらいましょう」


 直後、


「そこの神官。頭を上げていいよ」 


 底冷えするかのような声で、シンがいった。

 まるで、赦しを与える王のように。


「お、畏れ多いことです! 卑小なる我が身が神たる御身に無様な顔を見せるなどっ!」

「聞こえなかったか。上げろといった」


 低く、腹の底に響くような声。

 遠雷の如き声音に撃ち抜かれ、老神官がばっと顔をあげる。


「話せ。お前たちはなぜ、僕を追った」


 老神官は、見るからにうろたえているようだった。

 おそるおそる、といった具合に口を開く。が、震える唇からは呼気のみがもれ、肝心の言葉が出てこない。


「二度、言わせる気か」


 わずかに怒気の孕んだシンの声。

 たったそれだけで、老神官は震え上がった。再び顔を伏せ、観念したようにぽつりぽつり、と語り出す。


「は、ハトの教典において……黒髪は黒の信奉者。ふ、ふふ、不浄なる者、と。そう、教えられてきたのです」


 老神官は、途切れ途切れになりながらも必死で言葉を紡いでいく。


 ──かつて、大戦があった。

 塔は大地に住まう人々を守り、恵みを与え、時折地上に降り立っては、飢餓にあえぐ者たちに手を差し伸べたという。

 そこへ、それを快く思わない者たちが襲いかかった。

 彼らは降り立った神々を殺し、恵みを与えられた人々を殺戮した。それでは飽き足らず、塔を我が物とせん、と空へその魔の手を伸ばしたという。


 塔の神々は怒り、空から大量の光を放ち、彼らを滅した。

 塔を欲する悪逆たる思想と残虐性は、たった一人の魔神が広めたものだった。

 漆黒の姿をした魔神は、己に従うものに力を分け与え、配下になった者たちは全身が黒く変色したという。

 故に、黒髪は魔神の配下であり信奉者。塔を欲し、神に仇なす者である、と。


「し、信徒たちが、どこからともなく現れた黒髪の子供を見つけたと。捕らえようにも、じゃ、邪悪なる力で逃げおおせた、と」


 語り終えるなり、老神官はさらに深く頭を下げた。


「お、お赦しを! どうか! 貴方様が真なる神だと見抜けなかった我が身をどうか!」


「くだらない」 


 たった一言。

 冷たく切り捨てるような声。

 シンの瞳から、光が消えていた。

 その瞳には、ただ虚空が広がり、眼前の老神官を生命とすら思っていないような。そんな、無機質な表情で。


「僕だよ。お前のいう思想も、残虐性とやらも。広めたのは……僕だ」


 シンが、一歩、前に出る。


「よく言えたもんだな。あれだけ殺しておいて」


 全身から仄暗い炎が噴き上がる。

 それは憎悪であり、憤怒であり、殺意であり。


「忘れない。永遠に忘れはしない。あの日の血を。涙を。別れを」


 老神官の後頭部、そのすぐわきにシンの足が落とされた。


「一度は、諦めた。二度目は、見逃した。三度目は、ない」


 これは、なにかよくないモノだ。

 老神官の魔神という言葉を信じるわけではない。信じようとも思わない。

 しかし、今のシンから流れ出る音は、異質だ。人ではない、なにか別のよくないモノだ。

 風の詩を拒絶することはできない。黒く、そして酷く淀んだ音の連なりが、リナの鼓膜を撫でる。


「僕は、戻ってきたぞ」


 それはもはや、老神官へ向けた言葉ではなかった。

どこかで生まれた殺意を、あるべきところへ還そうとしている。

 黒く淀んだ音が、老神官の頭部にまとわりつく。


「シン! ダメッ!」


 シンの、もう片方の足が持ち上がる。


「もうよせ、シン殿」


 声と共に、シンの肩が掴まれる。

 リュウだ。彼は、今や別人といっていい雰囲気の少年を静かに諭すように、


「お前に何があったのかは知らん。今の話だけでは、俺には何が何やらわからん、というのが正直なところだ」  


 だが、とリュウの視線が落とされる。老神官の頭上で止まったままの、シンの片足へと。


「それを踏み抜けば、お前を信じれなくなる。俺にとってお前は、一人の小さな恩人だ。魔神だとかいう馬鹿げたものではなく、な」


 シンは、ゆっくりと片足を下ろした。

 震える老神官に背を向け、


「ありがとう、リュウさん」


 感謝だけを残し、部屋を出ていった。






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