太陽
カラス区に戻ると、シンに少女を任せ、リナは父の元へ走った。
気が気でなかった。生死はもちろんのこと、死に目に会えないかもしれないことが、なにより怖かった。
リナは、亡くした者たちのことをはっきりと覚えている。
自分が調達隊に入ってからは、その恵まれた変異のおかげで死者はでなかった。あの黒髪の少年と出会うまでは。
直接関与しなかったとしても、死に瀕した仲間たちを見送るのは、リナの仕事だった。誰に命じられたわけでもない。彼女が望んだことだ。
それが、非力ながらもカシラという男の娘に産まれた自分の責務だと思っていたから。
「……長くはない。残念だが」
【傘】の一室。
最上階の一角、自身の寝室のベッドの上で、血の気を失った父の寝顔と対面した。
労るようなリュウの声に、リナは反応を示さない。ただ黙って、父の寝顔を見下ろしていた。
最期を見逃さぬために。
「外にいる」
静かに告げると、リュウの気配が部屋から消える。
部屋に入ってから、ずっとだ。リナはずっと、弱々しく脈打つ父の心音を聞いていた。最後の力を振り絞るように、生きた証を少しでも残そうとあがくように、トクントクン、と胸を打つ心音。
リナの鼓膜に音が触れる。鮮明に。明瞭に。
弱く、頼りない音。なのに、彼女の変異は完璧にその音を拾う。拾ってしまう。
彼女を外敵から守るはずの風の音も、今は現実を叩きつけ、希望を打ち砕くただの暴力だった。
──こんな音、聴きたくない。
その望みが叶った時、父は死ぬのだろう。
そして、父の生還という望みは叶わない。
とその時、風の動きが変わった。
小さい音は、より大きな音へかき消される。
扉が開く音だ。
次いで、足音を拾う。最近になって聞くようになった足音だ。カラスでは真新しいその音は、父が掟に従い、膝をついた相手のそれだ。
足音が、リナのとなりに並び立つ。
「……深いな。一撃で肉を突き破ってる。内蔵はズタズタ。骨もいくつか折れてそうだね。心臓が無事だったのがせめてもの救いかな」
──救い? コイツはナニを言っている。
咄嗟に顔を向け、激昂しようとした。
その眼前に、手が差し出される。
手にあったそれを見て、リナの呼吸が止まった。喉まで出かかっていた激情が、霧散する。
「……それは、なに」
「注射器です。知りませんか?」
「知ってる。なんで今ってこと」
塔周辺でも、それ自体は回収できる。
ただ、使い方を知っている者はいない。正確には、液体を入れて使用するその方法を知ってはいても、入れるべき液体を知らない。
回収せずに放置するのが基本の、ようするにガラクタだった。
「彼を助けたいからです。当然でしょう」
やはりそうか、と思う。
大昔には、医療に使われていたと、父から聞いたことがある。
しかし、今では失われた技術だとも言っていた。
「どうやって? ぬかるみからすすった泥水でもぶち込もうっての?」
責めるような言葉が思わず、口を突いて出た。
しかし、シンは怒るような素振りは見せず、注射器を片手に淡々と説明した。
「中身は変異細胞です。失われた技術の一つを掘り起こし、復元したもの。遺伝子操作治療──つまり身体の中から治療するものです」
「……ごめん。いったい何の話をしているの」
わけがわからなかった。シンが、父を治療しようとしている。それ以外は、何ひとつ理解が及ばない。
シンは神妙な顔つきで、ただし、と言葉を繋ぐ。
「これは塔の技術です。貴女たちに信仰心はない。これだって神の奇跡でもなんでもない。だけど、塔の技術です」
塔の技術。
火を吹き、仲間や祖先を幾人も焼き殺してきた。そんな連中の技術。
「リナさん。カラス区の次期代表であろう貴女に聞きます」
これはきっと、選択だ。
今までと、これから。その、運命の分岐点。
「──信仰は、貴女の敵ですか」
信仰。
信徒。
神官。
塔に身も心も捧げ、狂ったように空を見上げ、崇める連中。
けれど、そんなことはどうでもいい。
「カラスは仲間を守る。仲間を殺す塔は敵。それを崇める連中とも仲良くはできない。受け入れることも、私には無理」
けれど、
「それでも、ただ信じる人を無闇に敵とは思いたくない。もちろん、向かってくるなら容赦はしないけどね」
答えは、あっさりと口から出てくれた。
迷いはない。あとでカシラにどやされるかもしれない。でも、構わない。
「血は絶えても、意志は残っているんだね」
よかった、と微笑むシン。
それは、彼が初めて見せた心からの笑みだった。やわらかく、泣きたくなるほど安堵したような、そんな表情。
「なら、これを彼に」
「助かるの?」
「ええ、きっと。これは特別なものだから」
受け取り、シンの説明をきく。
言われたとおり、鋭く尖った先端をカシラの首筋に刺し込んだ。
透明な円管から液体が押し出され、針を通ってカシラの血管へと侵入していく。
「あとは安静にしておけばいい」
「……そう。ありがとう」
そこで、リナは腰から崩れかけた。
咄嗟に伸びたシンの腕が、リナを抱きとめる。
安堵からか、力が抜けたようだ。
「少し、眠った方がいい。今日はいろいろと大変でしたから」
「ありがとう。そうさせてもらう」
翌日には、カシラの意識が戻った。
すぐに会いに行くつもりだったが、報告にきたリュウに止められた。何でも、カシラとシンには大事な話があるのだとか。
治療のこともある。
渋々ながらも、リナは引き下がった。
「それと、あの子供から言伝を預かっている」
報告を終えたリュウから、意外な言葉が飛び出した。父以外には従わないこの男が、言伝を預かっているという。
無理もない。
リナと無事に帰ってきたどころか、ハトの神官まで捕らえてきたのだ。その上、詳細は伏せたが、彼の持つ薬でカシラの命が救われたことも話した。
となると、カシラの語った救い主という言葉も真実味を帯びてくる。
が、問題は相手があの少年だということだ。
聞くまでもなく、リナは身構えた。
「ハトの神官の監視と看病、だそうだ」
言いながら気の毒そうな顔をするリュウ。
「……冗談でしょ?」
「ごねるようなら、お前の敵は誰かと聞けと。そう言われた」
「ああそう……あのクソガキ」
いい性格をしている。
昨日今日でそうくるとは。
「わかった。案内して」
結局、リナは折れた。
頭を抱えたくなる頼み事とはいえ、シンは恩人である。断れはしない。
リュウに案内された部屋は、鉄格子のはめられた一室だった。
同じく鉄格子のなされた小さな窓が一つと、便座が一つ。部屋の隅に置かれた、くたびれたベッドが唯一、生活感のある家具だった。
【傘】内部には、こうした部屋がいくつもある。この傘そのものが、罪人を閉じ込めておくために作られた大昔の建造物であると、カシラが言っていた。
ベッドには、荒い呼気を繰り返す少女が一人。
小さな顔にはじっとりと汗がにじみ、濡れた白髪の数本が束となって皮膚に貼り付いている。
時折、苦しげにうめき、身動ぎを繰り返し、やがて安らかな寝息と共に呼吸が落ち着く。
ここにきてから、何度も繰り返し見た光景である。
監視は理解できる。が、看病とはどういうことか。
心音は正常だ。脈打つ動きは早いが、死に至るほどではない。
発作のごとく苦しむ時間も、最初こそ驚きはしたが、風の運んでくる音色は正常だった。むしろ健康といっていい。
これでいったい、何を看病しろというのか。
考え込んでいると、再び発作が始まった。
もはや見慣れた光景。とはいえ、幼い少女が苦しむ姿は、痛ましい。
目をそむけると、いつのまにかこちらを見つめるリュウと視線がぶつかった。
「いたの」
「お前が気づかないとはな。珍しい」
「考え事してただけ。それでなに? また伝言?」
違うと言ってくれと願うも、なにやら困惑げなリュウの表情を見て、願いが届かなかったことを悟る。
「困ったことになった。シン殿に会いたいという輩がきてな」
それの何が困るというのか。
いや、それよりも──
「シン“殿”?」
思わず聞き返すと、リュウからわざとらしい咳払いが返ってくる。
どうやら、シンへの信頼は相当なようだ。
「それで? それって困るようなこと?」
怪しい輩なら追い払えばよし、違うならシンの元へ案内してやればそれで済む話である。
しかし、そこまで考えてようやく最悪の予想にぶち当たる。
「まさかまた? 神官の奴らなの!?」
「い、いや。そうでもあり、そうでもないというか」
「ちょっと……どういうこと? はっきり言ってよ」
神官ならば放置してはおけない。
リナはすぐさまその輩の元へ向かおうと考えるが、思いとどまった。リュウの様子は、神官が来たにしては慌てていない。
おまけに、この男にしては珍しく、ずいぶんと歯切れが悪い。
「いや、会ってもらった方がいいな。俺では説明できん」
そう言われ、疑問に思いつつも、リナはリュウに連れられて傘を出た。
「──ねえ、教えてリュウ。コイツは何を言っているの?」
地区の外れ。
眼の前に膝をつく男の姿に、頬が引きつる。
後ろ手に縛られ、リナに苛立ちの視線を向ける老人が一人。
「何度も言わせるな小娘! はよう会わせんかっ! あのお方に! はようせい!」
縛られていたのは、あの老神官であった。
だが、それはいい。よくはないが、問題はそこではない。
歳のわりにはしっかりと生え揃っていた灰色の頭部。その全てが、黒く焼け焦げていた。頭頂部にいたっては、燃えカスすら残っておらず、剥き出しにされた肌が黒くすすけている。
身につけていた貫頭衣もいたるところに焼け焦げた跡があり、覗く手足は赤く腫れ、ところによっては焼けただれてさえいた。
悲惨な状態だ。
にもかかわらず、その瞳は不気味なほどに爛々と輝いている。初めて会った時よりも、その輝きは増しているようですらあった。
繰り返されるあのお方に会わせろ、という言葉に、警戒しながらもリナは伝えた。
少女神官は囚われの身であり、会わせることはできない、と。
すると、
「愚か者めがっ! あんな紛い物の小娘ではない! あのお方だ! 真の神にして、卑小なるこの身を導きたもうた、いと尊きお方のことよ!」
これである。
何が言いたいのか、意味不明だった。
その上、
「ああ、これぞ信仰。ついに見つけた。儂のいと尊きお方よ」
虚空を見つめ、涙まで流し始めたのだ。
「わかるか、リナ。こいつをとらえた時の俺の気持ちが」
疲れた切ったリュウの声音に、リナは胸中で深く同意する。
「シンに会いたがってる輩って、まさかとは思うけど……」
「お前の想像通りだ」
だから困っている、とリュウはちらり、と老神官に視線を投げた。
あれだぞ? とでも言わんばかりの様子である。
「なぬ!? シン様とおっしゃるのかっ!? あのお方の御名は! 愚か者どもめっ! それをはよう言わんかっ!」
わめき散らす老神官に、どうしたものかと頭を抱えたくなるリナ。
老神官の真意を図るため、挑発するように、にやり、と笑顔を向けてやった。
「会ってどうするの? あれだけ無様にやられたくせに」
「やかましい! 貴様は知らぬのだ! 聖なる光をな……目を焼くほどのあの輝き! 神秘に燃える黄金! あれぞ教典にあるタイヨーよ!」
またも、祈るように虚空に向かって号泣する老神官。
「タイヨーとは何だ」
「知るわけないでしょ、私が。大方、投げ飛ばされて頭でもぶつけたんでしょ」
それ以外、説明がつかない壊れ具合だった。
「どうする。連れていくのか、これを」
「……それ以外ある?」
こうしてリナは、シンの元へ壊れた老人を案内することとなった。




