宣教師
見た目は、少女だ。
あのシンよりも幼い。十代のほんの始まり。
白の貫頭衣をまとった身体はとても小さく、また繊も細い。
片手に携えるのは、自身の小柄な身長をゆうに超える長槍。鋭く尖った穂先は、人を傷つけ殺すための刃であり、決してまがいものではない。
肩へと流れる髪は、色素の抜け落ちた純白。大多数が灰色の髪の中、少女のそれには曇り一つなく。
少女には不釣り合いな殺戮の道具と、ありふれた人の様相から逸脱した髪色が、少女が尋常のものではないことを物語っている。
塔信仰において、白は神に近しきを表すと聞く。神の使徒。つまり──
「アナタ、塔の人間?」
リナの台詞に、少女の片眉がぴくりと反応を示す。
「ワタシは神じゃない。名は名乗った。願いも言った。これ以上の問答は無用」
無機質な声で、少女が告げる。
これ以上は待たない、と。
問答無用。交渉もなく、戯れもない。つまり、その気になれば力ずくで、ということだ。
「……穢れってなに」
「聖域を侵す者。黒の信奉者」
黒という単語にやはりそうか、とリナは胸中で納得する。
シンを探しにここまできたのだ。
神官の来たタイミングやカシラの迅速な対応で、大方の予想はついていた。
しかし、そうなると非常にまずい。何故なら、シンの行方など本当に知らないからだ。リナはもちろん、カシラやリュウとて同様に。
「もういない。行方は知らない」
「真実か」
リナが頷くと、少女の背中から怒号が挙がる。
「嘘をつくな! そんなわけがあるかッ! やはり神罰を」
吠える老神官。
烈火のごとく怒り狂うその眼前を、少女が横手でさえぎった。
「……いい。もうここに用はない」
「アサヒ様ッ!? 正気とは思えませんぞ! こやつらは祈りを知らぬ民です。信用などしてはならん!」
「行くよ」
怒りに絶叫し、わめき散らす老神官を無視し、少女はくるりと背を向けた。
そしてそのまま、すたすたと歩き出す。
老神官は少女の後を追わない。小刻みに肩を震わせ、身の内に燃え盛る怒りが、荒い呼気と共に唇からこぼれる。
と、肩の震えが止まった。
次いでその背筋がぴん、と張る。
視線が、小さな背中を外れる。外れた視線は流れ。
風が、殺意の奔流を拾う。
次の瞬間、敵意に燃える眼光がリナを貫いていた。
「リナ!」
リュウの叫びに、風の詩が重なる。
ゆらぎは大きく、速い。
音を拾う。
しかし、間に合わない。
老神官の変異──その速度は、音を超えていた。
眼前で腕を交差させ、衝撃に備えることしかできない。思わず、目を閉じる。
「──元気なじいさんだね」
軽い調子で落とされた声は、直ぐそばで。
「……穢れめが」
目を開ければ、視界いっぱいに広がる拳。
その手首は、横合いから伸びた別の手によって掴まれている。
「……シン?」
音を超える速度でリナを襲うはずだった拳打は、黒髪の少年によって防がれていた。
が、その喉元には──
「降伏を。黒の信奉者」
風の警戒網をする抜け、いつのまにか急接近していた少女神官がシンに槍を突きつけていた。
右に老神官、左に少女神官。そして、背中にリナ。
「……白髪か。ずいぶんと大物が出張ってきたな」
「ぐっ!?」
シンが言いおえるや否や、老神官がぎょっと目を剥いた。
掴まれた手首がきしむ。握られていた拳は力が抜けたように解け、拘束から逃れようと老神官が暴れ出す。しかし、引けども押せども、びくともしない。
老神官の口からは次々と悪態が飛び出し、それは叫びとなり、怒号へ昇華。続いて悲鳴となり、最後は苦しげなうめき声へと変貌させられる。
「聖区ハトより、神官アサヒが汝に慈悲を。聖なる光の意を」
「宣教師の自分語りは聞き飽きている。お前の名に意味なんてない」
うめく老神官には目もくれず、槍を握る手に力を込める少女。
一方、シンの方も握り潰しつつある老人など、始めからいなかったように、その視線は少女にのみ注がれている。
「黒の信奉者は浄化する」
「そう。やってみるといい」
瞬間。
槍の穂先が突き出される。
尋常ならざる速度。しかし、シンは軽く首を傾けるだけでこれをかわす。
と同時に腕を大きく振り上げた。その手に掴んでいた老人ごとである。
人一人が、下から上へと振り上げられ、あろうことかそのまま放り捨てられる。
声を上げるまもなく、空へと消える老神官。
少女が二撃目に移ったその隙に、リナは駆け出していた。
向かうは、父の元。
見れば、視界の端でリュウも動いていた。
駆け寄り、すぐに傷を確認する。
ぼぼ同時に到着したリュウに、
「なにがあったの!? カシラがやられるなんて」
「すまん。俺の責任だ」
「そんなこと聞いてないっ!」
傷を確認する。
うつ伏せに倒れたその背中。その中央からは、吹き出す血にまみれた風穴が覗いていた。
確認するまでもない。
致命傷だ。
「年寄りの方にやられた。子供の動きに翻弄された隙に」
「……父を連れて帰って」
「いや、しかし」
「いいから! できるだけの手当をしてあげて」
傍らには、抜き身の刀。
父が長年愛用してきたものだ。代々受け継がれてきたきたカラスの誇りだと、そう言って自慢していた。父にしては珍しく、どこか子供じみた無邪気な笑顔で。
そっと刀を拾い上げる。
「行って。私は残る」
そう告げると、しばし迷う素振りを見せたものの、リュウはしっかりと頷きを返した。
カシラを慎重に背負い、
「無事に帰ってこい」
「貴方も。気をつけて」
去り行く背中を見送る。
これが今生の別れとなるかもしれない。
寂しさと、後悔。不安や、怒り。浮かび上がっては消えていくそれらの感情に蓋をして、刀を構える。
今はただ、眼前の敵を討つために。
意識を切り替え、リナは二人の姿を探した。
──いた。
どちらの動きも尋常ではない。
入り乱れる黒と白。
目にも止まらぬ速度で繰り出される槍を、最小限の動きでかわしていくシン。
双方共に動きは素早く流麗。よどみはなく、また無駄もない。動きそのものは目で追える範疇をとうに超えており、風の詩を頼りに何とか状況を把握する。
変異による筋組織の異常発達。
初期によく現れるそれは、変異という枠組みの中において、ありふれたものだ。だからこそ、その能力は上下の振り幅が大きい。
シンと少女。二人の動きは、筋組織の変異では最上位といっていい。並の変異では太刀打ちできないだろう。
無論、それはリナとて例外ではない。
彼女の変異は聴力。筋力に限っては、多少人より動けるだけの微弱な変異でしかない。
戦力にはならない。
結論を得てからの判断は早かった。
距離を詰め、手にした刀を振りかぶる。
「シン!」
声を上げ、ちらりと向けられた少年の視線と己のそれとがぶつかる。
ここだ。
振りかぶった刀を投擲。
刀は大気を切り裂き、シンに向かって飛んでいく。刀がシンの頭上へと到達する。少女の槍をかわしつつ、飛来した頭上の刀を見もせずに掴んだ。そしてそのまま、振り下ろす。
虚をついた一撃。しかし、少女は危なげもなくこれをかわす。
「ハトの宣教師──キリシマの系譜か。変異は目だな」
ぽつり、と呟かれた言葉に、少女の動きが止まった。無表情だった顔にわずかに浮上するのは、驚愕の色。
「……どうして知っている」
「さあ? どうしてだろうね」
「どうでもいい。黒の信奉者は浄化する。それが神の言葉」
再び攻勢に出ようとする少女をシンはせせら笑った。
「わりと歪んだみたいだね。宣教師の教えも」
「……何の話」
「僕だよ。僕自身が“黒”だ」
反応は、激的だった。
シンの台詞に、少女の目が見開かれる。思わずといった様子で絶句する少女に、顔に嘲笑を張りつけたまま、シンは続けた。
「哀れだね。神にすがり、受け継がれてきた教義を律儀に守り……だけど、時代の激流には逆らえない。呑まれ、壊され、削られていく。そうやって残った歪な“なにか”を大事に抱えて、君たちは時代に溺れていく」
シンの声から、敵意が抜けていく。
敵であるはずの少女を諭すように、心底から憐れみを帯びた声音。
そして、わずかに見え隠れするのは、諦めにも似た何か。
「気持ちはわかる。まあ、僕の場合は消された挙げ句にめちゃくちゃに歪まされたけどね。それでもまあ、君を恨んじゃいない」
刀を頭上に掲げ、忠告する。
「この一撃は、必ず届かせる。大人しく巣に帰って欲しい。死にたくなければね」
「……できない。ワタシも譲れない。お前には聞きたいことがある」
微塵も恐れのない少女の言葉に、シンは目を閉じた。見たくないものに、蓋をするかのように。
「そうか。残念だよ」
刹那。鮮血が舞った。
目視はもちろん、風の音さえ拾えない。
振るわれたのは、世界の全てを置き去りにした一撃。
シンが目を閉じたと同時に、少女は膝を付いていた。空中に血を吹き散らし、ゆっくりと前のめりに倒れる。
「驚いたな。その若さで複層変異持ちか。運がいいね」
──複層変異。
視力や聴力、筋力など、一つの変異だけでなく複数の変異を遂げた人間。
少女を見下ろしながら、どこか安堵したようにシンはほっと息をつく。
「殺すつもりで斬った。回復にも相当時間がかかるだろうね」
多量の血をこぼしながら、息も絶え絶えの少女。瀕死の重症といっていいほどの深手を負った幼い少女に、シンは場違いなほど明るい笑顔を浮かべ、
「そういえば聞きたいことがあるんでしょ、僕に。いいよ。回復するまでの間、話し相手になってあげよう──リナさん」
「え、え? なに? 私?」
「彼女をカラスに運んでやってください。応急処置でいいので、手当も」
「いいの? 敵でしょ?」
「少し、賭けてみたくて。大丈夫、危険はありません。しばらくは虫の息でしょうから」
賭けがなにを意味するのか。当然、リナは知らない。というより、もはや考えることをやめていた。
知らないことが多すぎる上に、シンが現れてから、リナはあっという間に日常から外れてしまった。
この黒髪の少年が何者なのか。
父の無事と、掟の謎。
すべてはカラスに帰ってからだ。
「連れていけばいいのね? わかった」
少女を連れて帰ることは了承し、少女の傍らに膝をつく。
傷を確認し、できる範囲でてきぱきと応急処置を施していく。
「もう一人はどうするの」
父の仇となるかもしれない男だ。
そう思えば、自然と口から出る言葉に殺意が乗る。
放置はできない。
「ああ、あのじいさんね。そのうち落ちてきますよ」
「そのうちって……どこまで投げたのよアンタ」
もはや呆れるしかない。
どちらにせよ、待っていられるわけもなく。
気がかりを残したまま、リナは瀕死の少女をともない、シンと共に帰路についた。




