神官
ラーメン。またも意味不明な単語。
リナの理解の外にある会話である。にもかかわらず、カシラは神妙に頷き、あろうことかその場に膝をついた。
「承認しました。非礼をお許しください」
「ちょ、ちょっと父さん!?」
「黙れ。お前も膝をつけ」
必死な様子、かつ有無を言わせぬ父の雰囲気に、わけも分からず従う。
「ああ、いいよそこまでしなくて。変な伝わり方しちゃてるなあ、ほんとに」
呆れたように嘆息するシン。
続けて、先ほどと同じ言葉を口にする。
「それで? カシラさんだっけ? 君は何代目?」
父は、ゆっくりと頭を下げた。
「朝霧の血脈は絶えております。俺は、掟を引き継いだだけ」
「そう……いつから?」
「四代前より、当主の血は変わっております」
いつと問うた声に、隠しきれない悲しみが滲む。それに、淡々と答える父。
当主が引き継ぐ掟の話は知っていた。知ってはいたが、内容までは父は話してくれなかった。
それがいま、語られている。
「すごいね。それでここまで残っているなんて」
「朝霧は豪傑だ、と先代がよくそう申しておりました」
「ハハッ。たしかに。脳筋の一族ではある」
懐かしむように笑ったあと、シンはカシラに歩み寄り、膝をついた。そして、その肩に手を置く。労るように、優しく、そっと。
「遅れてごめん。長かったよね。よく耐えてくれた」
今日は、何度驚かされるのだろう。
父が、泣いていた。下を向いたまま、肩を震わせ、涙を流していた。あの父が。
その震えを受け止めるように、全ての苦悩を持ち去るように、カシラの肩に置いた手に力を込める。
「今までありがとう。もう大丈夫。僕がいる。カラスの皆を集めてくれるかい? 現状を知りたい。あと、そろそろ頭を上げてくれるかい」
立ち上がったシンを追うように、カシラも立ち上がる。
涙はすでに、消えていた。
「掟は真実なんですね。貴方が“そう”だと」
「そういうこと。奴らは降りてきた?」
「いえ、戦後は一度も」
そうか、とシンは呟く。
「カシラさん、みんなを集めて準備をしておいてくれるかい。僕も僕で準備を始めるよ」
「承知しました」
カシラが一礼すると、シンは一人で出ていった。
残された二人。
横たわる沈痛。
何と声をかければいいか、それに、リナは現状を理解していない。
全くもって意味不明である。
「……リナ」
父を見る。
そこには、少年のように目を輝かせた、いまだかつて見たことのない父の姿があった。
「時が動く。ようやくだ。掟は真実だった」
シンが出ていった翌日。
カシラはカラス区の住人全てを広場に集めた。
「皆も知っているだろう! リナが連れてきた黒髪の少年を」
カシラが声を張ると、住人の中からひそひそと声がもれる。小さな点のそれは、一つまた一つと増殖し、やがて大きなざわめきへと変わっていく。
「心配はいらねえ。なぜなら、かの少年は俺たちが待ちわびていた救い主だからだ」
ざわめきがさらに大きく、次は疑問の波となってカシラに襲いかかる。
「カシラ! どういうことですかっ!」
「救い主って何の話だ!」
「やめてくれ! まるで塔狂いの奴らと同じじゃねえか!」
リナは、黙って彼らの声を聞いていた。
無理もない。異様な風貌の子供。それも塔周辺で拾ってきた子供だ。
それがいきなり救い主。
カラスに信仰はない。救い主など、まるで塔を信奉する塔狂いの奴らと同じだ。仲間を平気で生贄に捧げる、クソみたいな思想と。同じだ。
とその時、
「カシラ! す、すいやせん! は、ハトが」
突如として割って入った声に、広場が静まり返る。
水を打ったかのような静けさに呑まれる中、カシラは狼狽を見せなかった。
息を切らす男の呼気が収まるのを待ってから、静かに問う。
「何人だ」
「ふ、二人です……けど」
大の男の慌てふためく様子に、リナは当たりをつける。それは、最悪の予想。
「神官か」
カシラもリナと同様の結論にたどり着いていた。
報告してきた男の返答も待たず、カシラは即決する。
「避難だ。てめえら! 急げ! 中へ避難だ。リナは誘導を任せる。リュウ!」
カシラが声を張ると、大柄の男が住人たちの中から進み出る。
「お前は俺とこい。内容次第だが、タイミングがタイミングだ。そん時きゃ、やるぞ二人で」
「承知した」
顔に傷のあるこの男。
カラスの門番であり戦士。拠点を守る鉄壁の盾たるこの男はしかし、ひとたび地区が窮地に陥れば最強の矛となる。
カラス区代表カシラの腹心にして、地区最強の男、リュウである。
「みんなを頼んだぜ、リナ」
父の背を見送り、皆を落ち着かせると、リナは広場から住人たちを誘導していく。
調達隊のメンバーに矢継ぎ早に指示を飛ばし、迅速に住人たちをゲートの中へと送る。
カラス区の拠点は高い塀に囲まれた中心部にある建物だ。
その名を【傘】という。雨を凌ぐ傘。大昔、塔から放たれた石の雨を傘のごとく防いだという。
だが、相手が神官となると話は別だ。
「ケン! そっちは!?」
「こっちはオーケーだ──っておい。どこへいく!?」
「カシラのとこ。私も加勢する。ここは任せたよ」
放ってはおけない。
地区で神官を名乗る人間は、例外なく“変異”している。彼らに、常識は通用しない。普通の人間なら、束になっても勝てはしないだろう。それどころか、かすり傷さえ与えられない。
それが、二人。
いくらリュウとカシラでも、万が一もあり得るのだ。
「行くな! 無茶だ!」
ケンの静止の声を振り切り、リナは駆け出した。
【傘】を背に駆ける。
広場を突っ切り、地区の端まで来たところで、リナは広がる光景に息を呑んだ。
大量の血を流し、うつ伏せに倒れる父と、彼を背に二名の侵入者と対峙するリュウ。
「父さん! リュウ!」
「来るな」
駆け出そうとした足が、止まる。
静かに、しかし屹然としたリュウの声に、リナは悟った。悟らざるを得ない。それほどに、声には切迫した響きがあった。
この足を踏み出せば、終わるのだと。
「高位神官だ。変異も並ではない」
──高位神官。
塔の信奉者たちを束ねる神官の、さらにその上。上位に君臨する。
強力な変異をその身に宿し、一人で他地区を滅ぼす者もいる。神を崇めぬ者への神罰と称して。
「“変異”? 何を言うか。神より賜りし恩寵である」
二人の内の一人が、心外だとばかりに口を挟んだ。
曲がった腰に、しわだらけの顔。高齢の神官である。
一方、となりの神官は槍を片手に、射抜くような眼光をリュウに向けている。ずいぶんと背が低い。フードからわずかに覗く顔も若く、推察するにまだ十代でもおかしくはないだろう。
「祈りを知らぬ野蛮人共め。穢れをどこへ隠した」
右手の錫杖を支えに進み出る老神官。そしてそれを警戒するように、リュウが拳を構える。
「知らん。何度も言わせるな」
返答が気に入らなかったのか。
老神官はリュウを睨めつけ、続いてリナに視線を向けた。
投げつけられた目には、ありありと敵意が浮かんでいる。
「小娘、お前はどうだ。穢れの行方を知る者か。正直に答えれば、神罰は見送ることとする」
「クソ喰らえ、よ」
間髪入れずに言葉で叩き伏せると、老神官の額に青筋が浮かぶ。
握りしめる力が増したのか、錫杖はみしみしと音を立て始めた。
やがてその力は、強度の限界を超えた。錫杖は半ばからばきり、と音を響かせ、呆気なく砕けてしまう。
片手で錫杖を握り潰した。細い柄とはいえ、相当な力だ。とても老人のものとは思えない。
──筋繊維の変異。それも極端なやつか。
「よかろう。ここに神罰を与える」
言い終えるなり、老神官の曲がっていた腰が伸びた。
背筋を伸ばし、まるで年齢を感じないその立ち姿。
──来る。
リュウか、それとも自身か。
老神官のとなりに立つ、おそらく部下であろう年若い神官にも注意を払いつつ、リナは身構える。
「そっちだ!」
刹那。
リュウの声が聞こえるより早く、リナは風の声を拾っていた。
ささやき、ゆらぎ、たゆたう。風の音が波となり、声となり、詩となる。
導となった風の詩の隙間に、身体をすべり込ませる。
と同時に、老神官の拳がリナの鼻先をかすめていく。
再び、風の詩。
連続する不規則な風の隙間に、身体を合わせる。
「忌々しい小娘めがッ!」
振るわれた拳が。
蹴り出された足が。
全てが風の導きのまま空を切る。リナには、決して届かない。
「貴様も持っておるな。我らが神の“恩寵”を」
距離をおき、一度こちらの動きを見定めようと目を凝らす老神官。
リナへの対策に思案を巡らせているのだろう。
が、無駄なことだ。
音より早く動く者でもなければ、リナの耳からは逃れ得ない。
「恩寵なんてない。これは“変異”。」
「戯言を。祈りを知らぬ野蛮人めが。貴様のようなものに何故、恩寵がある」
言い終えるなり、再びしかけてくる。
だが、風の詩はすでに聴き終えている。老神官の動きは不規則。だが、不規則の中に規則がある。
出だしと繋ぎ。攻撃に強弱、速遅はあれど、クセばかりはそう変わらない。正確には、変えられない。
故に、動きのパターン化が可能であり、それは守るに易い。だが、攻めるとなると話は別だ。
「リュウ! 隙を見て加勢して!」
動きを読む間、少しでも加勢してくれれば、勝てる。
問題は、あの若い神官を出し抜けるかだ。
しかし、
「──え?」
リュウは、動いていなかった。
先ほどから一歩も。
それは、年若い神官も同じ。
参戦したリナには目もくれず、ただひたすら、じっとリュウを睨み据えている。
動けばこちらも動く、と言わんばかりに。
「リナ、俺は動けん。動けば死ぬ」
リュウの言葉に戦慄する。
あのリュウが動けない。年若い神官はそれほどに強いのか。
それに、死ぬとはどういうことだ。
一体、リナがくるまでに何があったのか。
「どうした小娘。かかってこんかい」
挑発するように老神官が口元を歪める。
わざとらしく両手を拡げ、攻撃してみろと無言で無抵抗をアピール。
罠だ。それに、おそらく悟られた。攻撃の手段がないことを。
「さて、どうやら手詰まりのようだな。諦めて話してもらおうかい。穢れの行方を」
「……もういい」
呟きが一つ。
小さく落とされた声に、老神官は即座に身を翻し、年若い神官の元へ戻った。
そして、
「よろしいので? こやつらは野蛮人。痛めつけねば吐きませぬぞ」
「無闇に傷つける必要はない。何度もそう言った。お前がどうしてもと頼むから、許した」
「し、しかし」
食いさがる老神官。
そこで初めて、年若い神官はリュウから視線を切った。
神官は、眼前の老神官を見上げ、一言。
「二度目はない」
年若い神官のたった一言。しかし、その威力は絶大だった。
老神官は一礼し、年若い神官の後方へと下がる。
小さき神官は、フードに手をかけた。
空に流れるは、純白。
「聖区ハトより、神官アサヒが汝らに慈悲を。聖なる光の意を持つこの名において、汝らに乞い願う。穢れを差し出しなさい」
純白の髪の神官。
まだ十を少し過ぎたばかりであろう小さき神官はしかし、威厳に満ちた声で告げた。
遥かな高みに存在するかのように。
自身の名と、その願いを。




