朝霧
「──なるほど。それで僕を助ける代わりに、リナさんは仲間の一人を失った、と」
これまでの経緯を説明すると、シンは沈痛な面持ちで黙り込んだ。
悲しいのか悔しいのか。唇を噛みしめ、痛みに耐えるようにまぶたを閉じる。
「自分を責めちゃだめだよ。君は子供なんだ。救われるべきだし、救うべきだ。仲間もきっと、私を誇りに思ってくれる」
慰めになどならない。わかってはいたが、言わずにはいられなかった。
シンは、すっと表情を消した。
「……子供、ね。確かに、子供は救われるべきだ」
無表情で告げた言葉は、どこか空虚な響きを持っていた。たしかにそこにある。なのに、どこにもいけないような。
「ところで、ここの当主に会いたいんですけど。案内してもらえますかね。助けて頂いたお礼も伝えたい」
先ほどまでとは打って変わって明るい声に、反応が遅れた。
「──えっと、ん? 当主?」
「いや、そうですね。親方? 区長? 今だと何が適切なんだ。リーダー?」
なるほど、と思う。
この少年、どうやらカシラに会いたいらしい。無論、賛成はできない。
自殺行為だ。
「カシラって呼んでるよ、私たちは」
「そうですか。では、是非ともカシラさんにお会いしたい」
「それはやめたほうが良い」
途端に、シンの瞳から温度が消失する。
透き通る黒瞳。その光沢から、得も言われぬ圧がかかる。こちらを見透かすように丸い瞳が横へと引き伸ばされ、細められたその目に、なぜか怖気が走った。
見た目は少年だ。せいぜい多く見積もっても十五。リナより五つも年下の子供だ。
なのに。
どうしてこうも、怖いのか。
「き、君にはわからないだろうけど、私たちは信仰心を持たない」
なぜ、と問われたわけでもない。
それなのに、リナは言い訳がましく言葉を並べていた。
「カラスに生贄はないし、祈りだってない。信じられないかもしれないけど」
「いや、信じるよ」
瞬間、空気が軽くなった。
見れば、シンから先ほどまでの圧が消えている。それどころか、こちらを心配するように眉根を寄せていた。
「ごめんなさい。少し意地悪をしてしまいました。これまで、良い思い出は少なかったもので」
納得のいく話だ。
ハト区から、おそらくは逃げてきたのだろう。この髪の色だ。生贄に差し出されていてもおかしくはない。
カラス区を警戒していたとしても、不思議はない。
「大丈夫。察しているつもりだから。だけど、それとこれとは話が別。カシラは、神を信じない。神を信じる者も信じない」
「……つまり?」
「ハト区は信じないってこと」
「なるほどね」
言い終えると、一人納得したように頷いてみせる。
「僕に任せてもらえませんか。考えがあります」
「考えって? 嘘や誤魔化しならオススメしない。カラスを率いる人よ。安い手は通用しない」
子供の浅知恵など、たかが知れている。
あのカシラが見抜けぬはずはない。
嘘だと見抜かれた瞬間、子供だろうと問答無用で首が飛ぶだろう。
リナは知っている。父が優先するものはいつも決まっていることを。そしてそれが、決して揺るがないことも。
「まあまあ。ここは一つ、任せてくださいよ」
にこやかにそう言われてしまえば、断ることもできない。最悪、危なくなれば仲裁に入ればいい。どのみち隠してはおけないのだ。
リナは腹を決めた。
「わかった。とりあえず、任せてみる。どうせ隠せないしね。上手くやりなさいよ」
こうしてリナは、シンと二人でカシラの元へ向かうことになった。
「他地区との交流はほとんどしていないの」
カシラの元へ向かう道すがら、リナは並んで歩くシンにカラス区を案内していた。
興味深そうに、周囲へきょろきょろと視線をさまよわせるシン。こうしていると、ただの無邪気な少年である。
「リナさん、あれは?」
「配膳だよ。集めた食料を日に一回、みんなにわけていくの。今のところ、配膳が途絶えたことはない。私の知る限りでは」
路上に拡げられた風呂敷。その上に、乱雑に置かれた食料の数々。無論、そのほとんどは塔周辺で回収した残飯である。
指示係の男が、食料を待つ人々に整列をうながし、順番に配膳していく。
その様子を窺いつつ、シンは感心したようにへえ、と声をもらした。
「ずいぶんと統率がとれていますね」
シンの台詞に、思わず小さく笑う。
統率。さも当然のごとく紡がれた少年らしからぬ言葉がおかしかった。
「うちは仲間を尊重しているからね。助け合いだよ」
「それにしてもすごい。他地区ではこうはいきませんよ」
それはそうだろう。
ここを率いる男の苛烈さをカラスの住人は皆、知っている。目で見ただけでなく、その身で体験した者もいる。
もっとも、経験で知った者はすでにこの世にはいないが。
「ただ、仲間同士を信じているだけ。崇めるものがないかわりに、ね」
怯えさせてもいいことはない。
カシラの苛烈さは伏せ、リナはそう締めくくった。
「あそこだよ」
視線の先には、高い塀に囲まれた建造物。
円状に建てられた塀の一部だけ、網目状に張られた鉄線で区切られており、その前に男が立っていた。
屈強な男である。腕を組んで仁王立ちするその姿は、まさしく門番といったところか。
顔には刀傷。傷は額から走り、右目を切り裂き頬へと流れている。眼光鋭く、左目だけで来訪者二人へ視線を止めた。
男は、リナを見て軽く会釈し、次いでシンに視線を移した。
胡乱げな一瞥の後、
「リナ、これがそうか。カシラに会わせる気か」
「彼はシン。見た目は少し気になるかもしれないけど、いい子よ」
鼻を鳴らし、男は再びシンに視線を戻す。
「見た目はどうでもいい。素性と思想だ。良い考えとは思えない」
「まだ子供よ。通して」
男はしばし黙考し、やがて渋々といった様子で鉄線の扉をスライドさせた。
「まだ子供だから言っている。カシラに年齢は通用せんぞ」
「……わかってる」
すれ違い様に、男は忠告してきた。
そんなことは、わかっている。何かあれば自分が止める。
言外に強い意志を込めて、リナはシンを連れて扉の先へ踏み出した。
「それで? それの素性はわかったのか」
わかったから連れてきたのだろうな、と言わんばかりに、部屋に入るなりカシラがそう口にした。
答えに窮していると、となりから躊躇なく足が踏み出される。シンだ。
カシラの圧や、剣呑な空気などどこ吹く風といった様子でゆっくり、しかし確実に一歩ずつカシラとの距離を詰めていく。
「──止まれ。それ以上は許さん」
あと数歩で、手が届く。
その距離で、カシラは刀の柄に手をやった。
「なんだ。どうするつもりだ。言ってごらんよ」
低く、腹の底に響くようなシンの声。
おかしい。異質だ。
シンの声音が、先ほどまでとは違う。
慌ててその背中を追い、となりに並んだ。
「待って! 彼を傷つけないで!」
このままでは、何かよくないことが起こる。
ひりついた空気と、となりから発せられる静かな殺気。いや、これは怒りか。
──シンが、怒っている?
どうして。なぜ。
これも彼の考えとやらなのか。
「度胸は認めてやるよ、クソガキ。だが、俺はガキとて容赦はしねえ。はったりならやめておけ」
カシラが、わずかに腰を落とす。
踏み込む気だ。次の返答次第では、シンの首が飛ぶ。止めなくては。
が、リナが何か告げるよりも早く、
「よろしく、カシラさん。僕はシン。ハト区からき──」
「だめっ!」
声を上げた時には、遅かった。
カシラは、すでに踏み込んでいた。
尋常ならざる脚力。たった一度の踏み込みで一息に距離を詰め、刀を抜き放っていた。
静寂の中、風で舞い上がったリナの前髪が、ふわりとまぶたの上に帰る。
「浅くはなかった。致命だったはずだ。そのふざけた黒髪といい、てめえ──」
しかし、シンの首は飛んでいなかった。
わずかに身を引き、首をそらし、カシラの一撃をかわしていた。
「“変異”してやがんな」
シンは一歩、ゆっくりと後ろに下がる。
次いで、両手をぱちぱちと叩いてみせた。
「すごいな。なかなかのスピードだ。君の変異は足か」
たったいま、死線をくぐったばかり。
だというのに、シンの声には余裕があった。
それどころか、斬りつけたカシラの称賛までしている。
「次は当てる」
「やめておけ。朝霧の末の子」
まただ。
また、シンの声音が変わった。
低く響く怒りの声。
瞬間、カシラは後方へと飛び退った。変異した脚力で、大きく後退。刀を正眼に構え、
「……てめえ、ナニモンだ」
その様子に、リナは驚愕した。
声や圧は、今までと変わらない。なのに。
あの父が退く。それはあり得ないことだった。それも子供相手に。
おまけに、刀をまともに構えている。父の本気は、久しく見ていない。父は、恐怖とは無縁だと思っていた。 それがいま、ひとりの少年を相手に一撃をかわされ、後退し、本気で警戒している。
「ん? この髪でも気づかないのか? おかしいな。朝霧のヤツ、ちゃんと伝えてなかったのか」
「……答えろ。てめえは、“何”だ」
瞬間、シンはゆっくりと両腕を広げた。
そして、にこやかに告げる。
「借りをね、返してもらいにきたんだ。ここ、カラス区にはその意志があるとみた」
「何の話だ。ハトの阿呆共に返す借りなんざねえ。逃げ腰のクソ野郎共が」
「彼らに罪はない。逃げることも選択だ。敵を前に膝を屈したとて、咎めはしない」
この少年は、何を言っている。
まるで、ハトの信仰心を知りながら、それを許すかのような。
しかし、そんなリナの思考も次の瞬間には、全てが吹き飛んだ。父の見せた反応である。
刀から手を離していた。いや、正確には手から力が抜けていた。握っていた柄から、手が滑り落ちたのだ。意図せず、力が抜けたように。
表情からは青を通り越し、白かった肌が余計に白くなったように見えるほどに。
両目を見開き、あろうことか唇を震わせていた。
「う、嘘だ。あるわけねえ」
「悪いけど、真実だよ」
淡々と告げるシン。
「さて、色々と教えてもらおうか。君は何代目の朝霧なのかな」
年相応の少年らしく、シンは小首を傾げてみせる。
その可愛らしい仕草も、今となっては不気味にうつる。
カシラは、刀を納めた。それだけでも異常事態だ。なのに、父は佇まいを正し、幾分か呼吸を落ち着けて、
「証を。掟にはそうある。もしそうなら、俺にはわかる」
途端に、シンは苦い表情になった。
「えっと……それ、言わなきゃだめかい?」
「掟は絶対だ。先代からもそう聞いている」
「まいったな。まったく、義理堅いというかなんというか」
困ったと言いたげに、わざとらしく困り顔をつくるシン。
しかし、その表情にはどこか懐かしむような、慈しみにも似た何かがあった。
「ラーメンだよ。ラーメン奢ってやったろ」




