初火の出
「時間がない。急ぐよ」
気温と、風の動き。そして長年の経験から、猶予がないことは明らかだった。仲間たちを急かしつつ、自身も率先して物資をあさる。
ちらりと空を見やれば、いつにも増して厚くかかる雲。汚染濃度が極端に高い証拠だ。風の揺らぎはまばらで、時間が読みにくい。それが余計に、彼女を焦らせた。
そこかしこに散乱したものは、そのほとんどが残飯かガラクタ。使えるものはないに等しい。
それでも“ここ”では、価値がある。腐りかけた残飯だろうと数日の糧になるし、壊れた電化製品もバラせば個々のパーツごとに使い道がある。
汗を拭い、使えるものとそうでないものを選り分ける。
「──リナ! ちょっと来てくれ!」
どこか慌てた様子の仲間の声に、作業を中断し、リナは声のする方に視線をやった。
遠目に見やれば、仲間の一人が身振り手振りでガラクタの山を指差している。お宝でも見つけたのだろうか。
時間もない。
お宝なら回収し、それを最後に今日は切り上げよう。即座に決断し、選り分け作業は放棄。
急ぎ駆けつけたリナを待っていたのは、仲間の困惑した表情だった。
「いや、なんていうか……俺もどうしたもんか」
「どうもこうも、連れていくしかないでしょうが」
唸る仲間に、リナは即答する。
本当なら頭を抱えたい。隊を率いる立場とはいえ、これは自分には余りある。
「連れていかなきゃ、丸焼きになる。できないでしょ? 見殺しになんて」
発見したのはお宝などではなく、ガラクタに埋もれて眠る一人の少年だった。
その安らかな表情から亡骸かとも思えたが、規則正しく上下する胸がそれを否定している。
あどけなさの名残りが、寝顔と相まって少年をなお、幼くみせていた。
しかし、目を惹くのはそれではない。
「い、いや、でもよお」
「黙って。理解ってるから」
なおも困惑する仲間。
しかし、その理由もリナには納得できた。
問題は少年の髪。その色だ。
黒一色。肌の白さと対極的なその漆黒が、少年の異質さを物語っていた。
「黒髪なんて見たことねえよ、俺。アンタだってそうだろ、リナ。“あいつら”だったらどうする!?」
──あいつら。そのセリフに思わず眉間にしわが寄る。
が、すぐに思い直した。
「聞いたことない。やつらが降りてきたなんて話はね。それに、まだ子供だ」
救う理由には、それだけで充分だ。
「事情を聞くにしても、生きていてもらわなきゃね。さっさと運ぶよ」
「け、けど」
「黙って。責任は私が持つ。カシラに報告だって──」
言葉が途切れる。
風が揺れた。不規則だった自然のうねりが、意志持つそれへと変貌する。規則正しく、時を刻む秒針がごとく。
と同時に足裏に伝わる微かな振動。
変調を感じ取り、胸に去来する恐怖。それが、リナの全身から温度を奪っていく。
──早すぎる。
「その子を担いで! 【朝火】がくる!」
リナが叫ぶと、指示を終える前に仲間は少年を担ぎ上げていた。
そのまま脱兎のごとく駆け、またたく間に少年を背負った背中が小さくなっていく。
他の仲間たちも慣れたもので、大型の物資は捨て、選別を中断、逃げに徹する。
逃げ遅れた者がいないか、リナは周囲に目を配る。
犠牲者なし、と安堵しかけたその時、視界の端で一人を捉えた。
ガラクタに脚をとられたのか、うつ伏せに倒れ、苦しげに顔を歪めている。その瞳がリナを写す。視線が重なった。
間に合わない。
リナは悟った。そしてそれは、相手も同じだったのだろう。
苦しげだった表情がふっと和らぎ、口元が緩められた。震える唇が、その動きだけで言葉を刻む。
届くことのない言葉。
瞳を閉じ、目を細め、微笑みを一つ。
次の瞬間──仲間は“呑まれ”た。
ガラクタ共々。まるでお前も同じガラクタだと。そう告げるかのように。
容易く。無慈悲に。
信心深い馬鹿共が朝の光と呼ぶ炎に、命が燃やされる。
赤い波にさらわれる仲間の姿を瞳に焼き付け、リナは背を向けた。
ただ、忘れぬように。
犠牲者一。物資は食料が地区の4日分。パーツ類が数点。
お宝一。
「 “それ”だってのか。数年ぶりのお宝が」
地区の一室。
大昔に調達したベッドの上で、いまだ安らかに眠る少年を見て、カシラは不機嫌そうに舌を打った。
大柄な男だ。筋骨隆々。他地区と争った時も何人もの仲間を命がけで守った英雄である。
が、リナにとってはただのクソ親父でしかない。
「子供だよ、まだ。それに生きてるだけで価値がある。宝よりもね」
「仲間一人と引き換えの、だ」
続く父の言葉が重くのしかかる。
子供は救った。だが、仲間は死んだ。
それが現実。そして、それが全て。
「お前に隊を預けたのは、娘だからじゃねえ」
わかっている。
無鉄砲な父を誰よりもそばで見てきたリナだからこそ、理解している。
「お前が誰も死なせなかったからだ」
カシラは、横目に少年を見やる。
少年に視線を向けたまま、腰に佩いた刀の柄に手を添えた。
「ケンが怯えてやがったぞ。落とし物にまぎれてやってきた、上の連中じゃねえかってな」
「馬鹿な話。そんなことあるわけない」
それだけは、すかさず否定した。
神などいはしない。他地区の信仰を抜きにしても、そもそも誰かが住んでいる前提にすら、リナは疑問を抱いていた。
「わかってら。俺もそこまで馬鹿じゃねえさ。だが、どこから来たかってのは重要だ」
想像通りだった。
この少年の思想がどの地区なのか。奇跡的に、自分たちと同じなら、助かる道もあるだろう。
だが、
「信徒はだめだ。信仰心は仲間を死なす。あちら側なら殺す」
わかったな、と目で告げられる。
それは父としてではなく、ここカラス区のカシラ。リーダーとしての命令だった。
リナは無言で頷く。
それを見届けて、ようやくカシラは刀の柄から手を退けた。その手が宙をさまよい、リナの頭に伸び、その頭上で停止。
数瞬の後、肩に手が置かれた。
「無事でなによりだ」
ぼそり、と愛想の欠片もない言葉。
それが父としての言葉であり、数少ない本音なのだとリナは理解していた。
だから何も答えなかった。
カシラが出ていくと、リナはまずベッドの少年の様子を確認した。
やはり、ぐっすりと眠っている。
他地区から来たにしては、傷一つない。隣接している地区でも、かなり距離がある。こんな十四、五がせいぜいの子供がかすり傷一つないとは考えにくい。
──大人と移動していたのか。
他地区への大規模移住はまれにある。食料難や、物質調達員の全滅。
酷いところなら、地区の壊滅からの避難民。大昔には、それこそ頻発していたらしい。
おまけに、その風貌である。
中性的な顔立ち。整っているし、幼さの名残りから可愛らしい少年といったところか。
しかし、黒髪とはどういうことか。
地区と地区を旅する【渡り】の人間にも会ったことがある。が、黒髪の話なんて聞いたこともない。
灰髪は、色素の薄い者は白髪に近くなる。純白の髪を神の使徒として崇める宗教はあるらしいものの、その逆はない。
少なくとも、リナは知らない。
気づけば、指先が黒髪に伸びていた。
目にかかる髪を優しく払い、手に取った。艶のあるさらりとした毛先が数束、指の隙間からこぼれていく。
そこで、ぱっと少年のまぶたが持ち上がった。音もなく手首が取られる。
半身を起こし、
「誰だ」
低く、腹の底に響く声。
深く沈むような声音は静かな殺気を孕み、刃となってリナの喉元に突きつけられる。
思わず動きを止めた彼女をどう思ったのか。少年は、すぐにリナから手を離した。
「ごめんなさい。知らない人だったので」
つまり、驚いて反射的に、ということらしい。
「だ、大丈夫。こっちも不躾だったもの」
早まる脈を抑えるように深呼吸し、何とか笑顔を面につくる。
「君、倒れてたんだ。私と仲間が助けて、ここに運んだ」
「……また外れたな」
「え、なに?」
呟くように少年の唇からこぼれた言葉に、リナは思わず聞き返す。
「いえ、独り言です。気にしないで」
気にはなったが、深く追求はしないでおこう。
それよりも、リナには聞かなくてはならないことがある。
「君、どこから来たの。あと、名前も教えてほしい」
「ハトから。名前はシン」
ハト。
その瞬間、リナの希望は潰えた。
「……平和の象徴、か。最悪ね」
「ん?」
「え? どうかした?」
目を丸くするシンと名乗る少年。
それにつられて、リナも聞き返す。
「いま、なんて言った」
ああ、そういうことか。
ハトの人間ならば知らないのも無理はない。
「ハト区。ハトの由来は平和を象徴する鳥なの。いや、これじゃわかんないか。鳥っていうのは──」
「脊椎動物の一群。飛行する動物。くちばしがあり、歯はなく、卵生。体表が羽毛で覆われ恒温。前肢の翼は、飛翔のための適応」
淀みなく流れる言葉の奔流に、リナの思考が潰される。
完全な思考停止。口を開いてはみるが、言葉が出てこない。
この少年は、いったい何を言っているのだろう。
「説明は不要です。生物としての鳥は理解している。それにしても、地区の由来を知ってるなんて……」
それきり、一人でぶつぶつとなにやら考えだす少年。
やがて、一人で結論にたどり着いたのか。そういえば、と今更なことをリナに尋ねてきた。
「ここ、何区ですか」
「カラス区よ。無事でよかったわ。あと少し遅れていたら」
「カラス……朝霧家か」
アサギリケ?
聞き慣れない単語に、またも思考を乱される。
「ねえ、君。聞いてるかな?」
「僕を助けてくれたんですよね? あなたが」
「そうよ。本当に危ないところだった」
「ということは、神の恵みを求めて?」
これにはさすがに、リナも即答はできなかった。
ハトはあちら側だ。つまり、信仰がある。空は神の領域であり、そこから落ちてくるガラクタは文字通り神の恵みに他ならない。
だが、それでもだ。
それでも、今まで見送った仲間たちの姿が、今もなおリナの胸にはある。
「ふざけんな!」
一度口から出てしまえば、止まらない。
「何が神。そんなものいやしないわ。恵みなんかない。ゴミよ。祈るようなものじゃない。もしもいるとしたら、それは神じゃない」
命は戻らない。
朝火という名の炎に呑まれ、それでもあれは光だと祈り、生贄を捧げる。
奴らの信奉する神とやらは、いつだって犠牲を強いる。そんなものは神じゃない。
呼び名は、昔から決まっている。
「ただのクソ野郎よ」
瞬間、はっとした。
勢いに任せて激情を吐き出した。
結果──少年はぽかんと大口を開けていた。呆けたように目を見開き、続いて爆笑。
腹を抱えて笑い、目尻には涙さえ浮かんでいる。
ひとしきり笑ったあと、
「いやあ、長かった。ようやく“アタリ”を引いた。改めてよろしく。今更だけど、聞かせてもらえますか。あなたのお名前を」




