表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/28

二つの時間の交差点

秋の訪れを感じさせる風が吹く午後、店の扉が開き、老夫婦が入ってきた。白髪の老人は杖をつき、妻が彼の腕を支えている。二人とも80歳前後だろうか、穏やかな表情を浮かべていた。

「いらっしゃいませ」ナナカが笑顔で迎えると、老夫婦も優しく微笑み返した。

「ここが噂の記憶料理のレストランですね」老人が静かな声で言った。「私たちは特別な記念日のために来たのです」

ナナカは二人を窓際の静かなテーブルへと案内した。座るとき、老人は少しよろけ、妻が優しく支えた。その自然な所作に、長年連れ添った絆を感じる。

「本日はどのような記憶をお求めですか?」

老婦人が答えた。「今日は私たちの結婚60周年です。若かった頃の初デートの記憶を、もう一度味わいたいのです」

「おめでとうございます!」ナナカは心から祝福した。「素敵なお二人の大切な記念日に、当店にお越しいただき光栄です」

老人は照れくさそうに笑った。「昔は彼女の作る料理が大好きでね。特に最初のデートで食べた『月見ケーキ』は忘れられない味なんだ」

「そんなこと…」老婦人は頬を赤らめた。「あれは本当に下手な料理だったわ。あなたが美味しいと言ってくれただけよ」

「いいや、本当に美味しかった」老人は妻の手を取った。「あの日の味を、もう一度一緒に味わいたいんだ」

ナナカはマスターにこの話を伝えた。ラズルは興味深そうに頷いた。

「60年前の記憶か…素晴らしい。二人の共有記憶を料理にするのは珍しい挑戦だ。『記憶の共鳴鍋』を使おう」

厨房では、特別な準備が始まった。ラズルは二つの結晶の器を用意し、それぞれに老夫婦から少しずつ記憶を集めた。二人は目を閉じ、若かった日々を思い出す。

「初めて会った日…彼女の微笑み…」

「月明かりの下で食べたケーキ…緊張して砂糖と塩を間違えてしまったけれど…」

二つの結晶に光が宿り、それらが「記憶の共鳴鍋」の中で混ざり合うと、金色の輝きを放ち始めた。ラズルはそこに「時の砂」「初恋の蜜」「永遠の小麦粉」などの魔法素材を加えていく。

「ナナカ、最後の仕上げだ。『記憶の共鳴』の術式を唱えてくれ」

ナナカはラズルから教わった呪文を静かに唱えた。すると鍋の中の材料が自ら動き始め、まるで踊るように混ざり合い、やがて美しい月の形をしたケーキが出来上がった。

「完成だ。『時を超えた月見ケーキ』だ」

ナナカがそのケーキを運ぶと、老夫婦の目が輝いた。

「まるであの日のままだわ…」老婦人が感動して呟いた。

ケーキを前に、二人は同時に一口食べた。すると驚くべきことが起こった。二人の周りに淡い光が広がり、その姿がゆっくりと若い姿へと変わっていく。むろん実際に若返ったわけではないが、二人の表情や仕草が、まるで若い恋人同士のように変化したのだ。

「マリア…君は今も昔と変わらず美しいよ」若々しい声色で老人が言った。

「ヨハン…あなたはいつもそうやって私を喜ばせるのね」老婦人も少女のような笑顔を浮かべた。

店内の他の客たちも、この不思議な光景に魅了されていた。ナナカは二人の周りに広がる淡い光の中に、過去の記憶の映像を見ることができた。

月明かりの下での初デート。緊張しながらケーキを差し出す若い女性。それを喜んで食べる青年。二人の間に生まれる特別な絆。

そして映像は流れるように変わり、結婚式、子育て、苦難、喜び…60年の月日が凝縮されて映し出される。

「ヨハン、覚えてる?私たちのピクニック」

「ああ、あの日は雨が降ってきて、二人で走ったっけ」

二人は若い恋人のように会話を弾ませ、時には笑い、時には懐かしむ様子を見せた。周囲の客たちも思わず微笑んでいた。

やがてケーキを食べ終わると、光は静かに消え、二人は元の姿に戻った。しかし、その表情には確かな輝きが残っていた。

「ありがとう」老人が言った。「60年前の記憶を、こんなに鮮明に呼び覚ましてくれて」

「素晴らしい体験だったわ」老婦人も目に涙を浮かべて言った。「あの頃の気持ちを、もう一度感じることができた」

帰り際、老夫婦は若い恋人のように手を取り合って店を後にした。その背中には、60年の歳月を超えた愛の強さが感じられた。

「マスター」ナナカが尋ねた。「あの光の現象は何だったんですか?」

「それは『記憶の共鳴』という現象だよ」ラズルは穏やかに答えた。「二人の強い共有記憶が互いに反応し、一時的に過去の感覚を呼び覚ましたのだろう。特に長く深い絆で結ばれた人たちの間でのみ起こる、稀な現象だ」

「素敵ですね…」

「そうだな。愛とは不思議なものだ。時間を超え、形を変え、それでも本質は変わらない。それは記憶と同じようにね」

その日以降、店の窓辺には、月の形をした小さな風見鶏が設置された。風が吹くたびに、それは若い恋人たちの笑い声のような音色を奏でるのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ