戦いの後の酒宴
店の扉が豪快に開かれ、鳴り響くベルの音に驚いてナナカが振り返った。そこには巨漢の男が立っていた。筋肉質の体に無数の傷跡、腰には大きな剣を下げている。冒険者、それも相当なベテランだろう。
「おうッ!ここが噂の記憶料理屋か?」
大きな声に店内が揺れるようだった。他の客たちが驚いて振り向く中、ナナカは平静を装って彼に近づいた。
「はい、メモリ・コルダータへようこそ。お一人様ですか?」
「ああ」男は少し声を落とした。「今日は俺一人だ」
その言葉には何か深い意味がありそうだった。ナナカは彼を窓際の大きなテーブルへと案内した。男は腰を下ろすと、店内を見回した。
「何か特別なお料理をお探しですか?」ナナカが尋ねると、男は懐から古びた木製のマグカップを取り出した。
「これでビールが飲みてぇんだ。だが、ただのビールじゃない」
男は少し言葉を詰まらせた。
「十五年前、俺たち『紅蓮の剣』っていう冒険者パーティーがいたんだ。五人組でな、どんな魔物も倒せると豪語してた。そして最後の任務…古代竜討伐の後に開いた酒宴の味を、もう一度味わいたい」
男の目が遠くを見つめる。
「その後まもなく、パーティーは解散した。みんなそれぞれの道へ行っちまった。だが、あの夜の味だけは忘れられねぇんだ」
ナナカはその話をマスターに伝えた。ラズルは興味深そうに頷くと、男のテーブルへと直接向かった。
「冒険者殿、その記憶をもう少し詳しく聞かせてもらえますか?」
男はマスターを見上げ、ためらいがちに話し始めた。古代竜との命懸けの戦い、仲間の一人が重傷を負いながらも放った最後の魔法、そして勝利の後の喜び。村の広場で開かれた即席の宴会で、地元の村人たちが持ち寄った手作りのビール。
「粗末な味だったがな、あれほど美味いものはなかった。勝利と別れが混じったような…何とも言えない味だったんだ」
ラズルは静かに頷くと、厨房に戻って行った。
「特別なものになるぞ、ナナカ。彼の記憶を料理に込めるだけでなく、彼の失った『絆』の味も再現しなければならない」
ラズルは大きな釜を用意し、様々な穀物を入れ始めた。通常のビールの材料に加え、「勇気の結晶」「友情の記憶」といった魔法素材が次々と加えられていく。
「彼の記憶を引き出すために、『共鳴の呪文』も使おう」
ラズルが詠唱を始めると、釜の中の液体が金色に輝き始めた。それは次第に琥珀色へと変わり、芳醇な香りを放ち始める。
「ナナカ、最後の仕上げだ」
ラズルは男の持参したマグカップを受け取り、それに醸造されたビールを注いだ。すると不思議なことに、カップの中でビールが五色に分かれ、渦を巻いた後、再び一つの色に戻った。
「これで準備完了だ」
ナナカがそのマグカップを運ぶと、男は既に目を潤ませていた。
「このにおい…まさにあの時のものだ」
男がマグカップを持ち上げ、一口飲む。すると彼の表情が一変した。驚きと懐かしさ、そして深い感動が入り混じった複雑な表情だ。
「うまい…いや、うますぎる…」
彼の目からは涙があふれ出した。
「俺には見えるんだ…みんなの顔が。リュートを弾くエルフのミラ、いつも冗談を言っていたドワーフのグラント、物静かだったメイジのソル、そして俺たちのリーダーだったサクラ…」
男はビールを飲みながら、昔の仲間たちの姿を一人一人思い出していた。彼の記憶の中では、彼らが今も目の前で笑っているかのようだった。
「何年も前に別れてしまったが、みんな元気にしてるだろうか…」
男が呟いた瞬間、マグカップの中のビールが突然光を放った。その光が空中に広がり、五つの小さな光の球となる。それぞれが男の周りを回り始めた。
「これは…」ラズルもこの現象に驚いた様子だった。「記憶が実体化している…」
「マスター、これは?」ナナカが小声で尋ねる。
「時に強い記憶は、魔法の触媒となる。彼の仲間への想いが、魔法を活性化させたのだろう」
男は光の球を見つめ、そっと手を伸ばした。すると光の球の一つが彼の手のひらに降り立った。
「サクラ…お前はまだ生きているのか」
男の呟きに応えるように、光の球がかすかに脈動した。男の表情が明るくなる。
「そうか、みんなまだ生きていたのか…」
男はビールを飲み干し、大きく息を吐いた。
「ありがとう。あの日の味を思い出せただけでなく、大切なことを思い出させてもらった」
帰り際、男はナナカとラズルに深々と頭を下げた。
「俺は今日から、仲間たちを探す旅に出る。また全員で、このマグカップでビールを飲む日を夢見てな」
男が店を出た後、残された光の球は次第に薄れ、やがて消えていった。しかし、その温かな光の感覚はナナカの心に残り続けた。
「マスター、記憶の料理には、こんな力もあるんですね」
「ああ、時に料理は人を動かす。それが記憶の料理の真の力だよ」
その日以降、店の入り口には五色の小さな風鈴が吊るされるようになった。風が吹くたびに奏でる音色は、どこか遠くにいる誰かに届いているような気がした。