時間の流れ
フローライト第七十六話
「あけましておめでとうございます」と咲良は玄関に出迎えてくれた明希に挨拶をした。奏空が先に家に上がって廊下を歩いて行く。
「明けましておめでとう。今年もよろしくね」と明希が笑顔で答えた。
リビングに入ると奏空にべったりくっついている美園が目に入った。咲良は美園を無視してダイニングテーブルの方の椅子に座った。
「紅茶とコーヒーどっちがいい?」と明希が言う。
「あ、コーヒーで」と咲良が答えた。リビングにもキッチンにも利成の姿が見えない。
「あの、利成は?」
「あ、二階にいる。何かね、元旦早々仕事してる」と明希が肩をすくめた。
「後で呼んでくるね」と明希は言ったが、しばらく経っても利成は姿を見せないので、咲良は奏空と美園がピアノ室に行ったすきに二階に上がって行った。
利成の仕事部屋をノックすると「はい」と声が聞こえた。咲良はドアを少しだけ開けて「あけましておめでとう。今って少しいい?」と聞いた。
パソコンに向かっていた利成が振り返って「おめでとう。いいよ」と言う。
咲良は部屋の隅の小さなソファに座った。利成はそのまま椅子だけ回してこっちを見る。
「どう?落ち着いた?」と利成に聞かれた。
「別に最初から落ち着いてるよ。美園のことどうなったのか聞きたくて」
「美園は大丈夫だよ。色々話せたしね」
「どんなこと?あの子何て言ってたの?」
「どこが気になる?」
「あの子、知ってたの?利成と私のこと」
「・・・知ってはいなかったみたいだよ。違和感があったくらいで」
「違和感って?」
「何かおかしいなって程度だよ。あまり深くは考えてなかったみたいだよ」
「そうなの?でも、奏空の話じゃ美園はどことなく気づいてたみたいだって・・・」
「そうだね、深いところでは何か感じ取っていたかもしれないけど、そこはまだ子供だからね。そういう想像はしなかったみたいだよ」
「でも、週刊誌を見たって・・・」
「週刊誌?」
「・・・明希さんが取ってあるのよ。下のクローゼットに」
「そう。そのことはわからないな」
「何で見たのか知らないけど、それで私と利成がつきあってたんでしょって言われたの」
「そうか、じゃあ、今回は疑っていたところをカマかけたってところだね」
「そうだよ。親にカマかけてくるなんて・・・おまけに本気で見下すような目で私のこと見たのよ」
「・・・・・・」
「利成にはそのことなんて言ったの?」
「そのこととは?」
「利成の子供だって話だよ」
「利成さんの子供だったんだねって言ってたよ」
「それで何て答えたの?」
「もうわかっちゃったみたいだったから「そうだね」って答えたよ」
「少し誤魔化すとか何でしてくれなかったの?」
「いつかわかることだと思ったからね。それに美園はもう知ってたから誤魔化したところで納得もしないでしょ」
「・・・あの子、まったくショックを受けてないみたい・・・」
「そうだね。ショックを受けたのは咲良でしょ?」
「・・・利成、私が妊娠するって、利成の子供を産むって知ってたの?」
咲良はうつむいていた顔を上げて利成の顔を見つめた。
「・・・知らなかったよ」
「でも奏空が・・・利成はわざとだって・・・」
そう言ったら利成が考えるような顔をして少し沈黙した。それから口を開く。
「わざとじゃないよ。ただそうなる可能性があったってだけで」
「そうなる可能性を知ってて私としたの?」
「そうだね」
「何で?避けれたのに?」
「咲良もしたかったでしょ?」
「・・・・・・」
「俺もしたかった・・・それだけだよ」
「無責任すぎる。そうなる可能性を知りながらするなんて」
「そうだね」
「そうだねってそれだけ?」
「何が欲しい?謝って欲しい?」
「・・・そういう言い方・・・変わってないんだね」
「そう?俺はその時したいことをするだけだよ。後悔も責任もない」
「ひどい・・・そんなの・・・」
「・・・・・・」
「・・・もういいよ」と咲良が立ち上がりドアの方に向かうとその腕を利成につかまれた。
「咲良、もっとシンプルに考えてごらん」
咲良は無言のまま利成を見た。
「あの時こうしたからこうなってっていう考え方を、いったんやめてみて考えてごらん」
「どういうこと?」
そう言ったら利成が立ち上がって咲良を抱きしめてきた。
「セックスするのに理由いる?」と咲良を抱きしめたまま利成が言う。
「・・・・・・」
「俺としたかった以外に何かある?」
「・・・無いかもしれないけど、だからといってやりたいからするなんて許されないでしょ」
「許してないのは誰?」と利成が身体を離して咲良の顔を見つめた。
「・・・誰って言うか・・・世間一般の常識でしょ?」
「世間ってどこにある?」
「え?世間は世間でしょ?社会のことだよ」
「そうか・・・じゃあ、その社会はどこにある?」
「また?そう言う話しはいいわ」と利成から顔を背けようとしたところを阻止され口づけられた。咲良の唇を割っていきなり利成の舌が入ってくる。けれど咲良は無気力のままでそのまま抵抗もしなかった。ひとしきり口づけてから利成が咲良から唇を離した。
「したいからするでいいでしょ?それが真理だよ」
「・・・・・・」
咲良は利成の顔を見つめた。自分は利成が好きだった。そして明希が羨ましかった。それだけだ。
コンコンとそこでドアがノックされ「利成さん」と美園が顔を出した。利成の手はまだ咲良の両頬にあった。美園が少し驚いた顔をしたのと利成が咲良から手を離したのが同時だった。
「何?」と利成が焦った様子もなく美園を見ている。
「仕事、まだ終わらない?」
「もういいよ。何かあった?」
「こないだの曲のアレンジの続き教えて欲しいんだ」と美園がチラッと咲良を見た。
「いいよ。ここでする?」
「うん」と美園が中に入って来たのと入れ違いに咲良はドアの方に行った。
「咲良」と利成に呼び止められて咲良はドアの前で振り返った。
「また後でおいで」
どういうつもりかそんなことを利成が言って、美園が利成の顔を見てから咲良の方を見た。咲良はそれには答えずそのまま部屋を出た。階段を降りてリビングに入ると奏空と明希が話をしていた。
「あ、咲良。今美園が行った?」と奏空が言った。
「来たよ」と咲良は言って奏空の隣に座った。
「曲のアレンジ、俺も教えてあげるって言ったのに、俺のじゃ気に入らないんだって」
「そう」
咲良がつっけんどんに答えると、雰囲気を察したのか明希が席を外した。
「利成さんと話せた?」
「話せたよ」
「咲良は納得できた?」
「納得って?何に?」
「利成さんの話に」
「ああ、その時したいからするし、後悔も責任もないって話し?」
咲良は座り直しながら素っ気なくそう言った。
「・・・・・・」
奏空は黙っている。
「納得も何も・・・そうなんだろうからね」
咲良が言うと「・・・やれやれ利成さんてば、余計に咲良をねじらせたようだね」と奏空がため息まじりに言った。
「利成がどうかした?」と明希が咲良と奏空の前にお茶の入った湯呑を置いた。
咲良は軽く頭を下げる。
「利成さんの悪い癖発動中だよ」と奏空がお茶を一口飲んで「あちっ」と言っている。
「熱いから気をつけて」と明希が少し笑ってから「利成はいつも退屈してるのよ」と言った。
「それなんだよ。退屈が己のスタイルになっちゃってるの。もう少し素直にやれないかな」と奏空が言う。
「そうだね、利成の表現の仕方はなかなかわかりづらいんだよね」と明希がすましてお茶を一口飲んだ。
「どんな風にわかりづらいんですか?」と咲良が明希に聞くと明希が少し微笑んでから言った。
「んー・・・言葉のまま受け取るのはまずダメで、でもそれだけじゃないの。何ていうのかな・・・」と明希が考える顔をしている。
「そんな深い話じゃないよ。利成さんは基本的には単純だから。素直にっていうのは、素直に降参して退屈を認めて欲しいってことだよ」
「え?そうなの?」と明希が言う。
「そうだよ。明希も深読みはやめた方がいいよ」
「そうなんだ~でもね、わかりづらいのは確か」
「明希はね、もう少し自分の枠から出て利成さんを見ないと」
「そうか、昔利成にも言われたよ。自分のフィルターから見てたらわからない、俺はもっと単純なんだよって」
明希がお茶をまた一口飲んだ。
「そうそう、その通り」と奏空もお茶を飲んだ。
「単純か・・・」と咲良が呟くように言うと明希がチラッと咲良を見た。
三人が黙っていると誰かのスマホが鳴っている。
「明希のじゃない?」と奏空が言うと「あ、ほんとだ」と明希がキッチンの方に行った。
「あーやれやれ。俺の努力が水の泡・・・」といきなり奏空が呟く。
「何の努力よ?」
「・・・咲良、利成さんとまた何かあったでしょ?」
「・・・・・・」
「それ、そういう方向に行かないように日々精進してるんだよ、俺は」
「意味がわからない。利成となんて何もないしね」
「・・・咲良、ちょっと旅行にでも行かない?」
唐突に奏空が言った。
「旅行?いつも言うけど奏空の仕事で流れてるんだよ」
「そうだね、ごめん。だから今度こそ本気で休み取るから」
「いいよ。別に」
「えー・・・行こうよ。二人で」
「二人?美園は?」
「美園はここに置いてさ」
「美園が納得しないよ。美園は私のことは嫌いだけど奏空のことは好きなんだよ」
「咲良のことだって美園は好きだよ」
「どうだか・・・」
咲良はお茶を一口飲んだ。
「二人共、ゆっくりしててね。ちょっと出てくるけどすぐ戻るから」と明希が出かける準備をしながら言った。
「オーケー」と奏空が答える。綺麗に化粧を終えて出て行く明希に奏空が後ろから「ごゆっくり」と言った。
「明希さん、彼氏?」と咲良が聞くと「そうだろうね」と奏空が答えた。
「ねえ、私も彼氏作ろうかな」
咲良は窓の外に目を向けながらわざと陽気な声を出した。
「・・・・・・」
奏空は無言でいる。
「何よ?無視?」と咲良が言うと「俺も怒る時ってあるんだよね。それが今」と奏空が言って残りのお茶を飲み干した。
「冗談も通じないんだね」と咲良も残りのお茶を飲んだ。
「冗談で言ってないでしょ?」
「冗談だよ、当たり前でしょ」
「・・・やっぱ旅行行こう。咲良、だいぶ参ってるみたいだから」
「参ってなんかないよ。美園は利成にあげたんだし・・・そうだね、二人で行ってもいいかもね」
「俺は美園を利成さんになんてあげないよ」
「でも、美園は最初から利成側だって言ってたじゃない?つまりあの話しによれば、美園は黒石なんでしょ?」
「そうだよ。美園は俺の子だからね」
「あーあ、奏空ってば、言ってることおかしいよ?こないだは誰の子とか関係ないっていってたし・・・だから”俺の子”っていうのもおかしな話になるでしょ」
「そうだね、究極誰も誰の子でもないしね」
「そう?なら美園は利成に育ててもらってもいいわけだね」
「咲良?!」と急に奏空が大きな声を出したので咲良は少しビクッとして奏空を見た。
「ひねくれるのも俺の苦手分野なんだよ。それ以上言うのやめて」
「あーそう?ひねくれてて悪かったね。奏空みたいに私は真っ直ぐいつも明るくなんてできないんだよ」
「いつも明るくなんて必要ないよ。咲良は咲良のままで十分なんだし」
「じゃあ、ひねくれててもいいじゃない?これが私なんだから」
「・・・・・・」
奏空が黙りこむ。まったく元旦早々こんな喧嘩・・・今年はどんな年になるのだろう。ろくな年じゃなさそうだと咲良は思う。
足音が聞こえてリビングに美園が入って来た。黙って座っている二人の顔を見比べて「また喧嘩?」と美園が呆れたように言った。
「喧嘩なんてしてないよ」と咲良は言った。
「ふうん・・・何か利成さんが咲良のこと呼んでるよ」
美園が言うと、奏空が顔をあげて美園を見た。
「何の用?」
先に聞いたのは奏空の方だった。
「さあ・・・何だろ?さっきの続きじゃない?」と美園が咲良の方を見た。
急に奏空が立ち上がる。
「あ、奏空は呼ばれてないよ。咲良だけだって」と美園が言うと、「いいの、咲良も来て」と言って奏空がリビングを出て行く。
利成の仕事部屋の前に行くと奏空がノックと同時にドアを開けた。奏空の後ろから部屋の中の利成を見ると、利成が奏空の方を見ていた。
「咲良に何の用事?」と奏空が言う。
「・・・まあ、座りなよ」と落ち着き払った利成はいつもと変わらない。けれど・・・。
(どことなく楽しそう?)
咲良は奏空の後ろから部屋に入ってさっき座ったソファに奏空と一緒に座った。
「咲良に用事があるけど、奏空にはないよ」と利成が面白いそうに奏空の顔を見ている。
「そう。でも俺の方はあるんだよ」と奏空が答えた。
「そう?何の用事?」
「あのさ、色々利成さんは楽しそうだけど、咲良だけはもうやめて欲しいんだよ」
「咲良だけはって?」
「美園はいいよ。だけど咲良はね、まだまだ不安定なんだよ。だからもうここらへんでやめて欲しいんだよ」
「へぇ・・・一時休戦みたいな?」
「そうだよ」
「さあ、どうしようか・・・?」
利成が咲良の方を見る。
「一時休戦の意味がわからないけど・・・」と咲良は言った。
「今は意味考えないで」と奏空が言う。
「・・・俺もね、そろそろ色んな意味で潮時かなって考えててね・・・今世、思いっきり遊んだしね」
「じゃあ、もういいでしょ?後は大人しくしてなよ」
「一つだけの心残りが咲良なんだよ」
「・・・・・・」
「でも咲良が最後かな・・・もうそれでジ・エンドだね」
「どうする気?」と奏空が言う。
「どうして欲しい?」
「さっき言ったでしょ?」
「なかなか複雑になってきたようだね」と利成がまた咲良の方を見た。
「複雑にしちゃったのは誰だっけ?」と奏空が利成を見つめている。
咲良は二人の顔を見比べながらまったく意味がわからない。
(どういうこと?)
目の前のことがすべてだと思ってきた。でもこの二人はそうではないらしい。今世だとか前世だとか見えない世界で何かをしているらしい。咲良は半信半疑な思いでいつも奏空の話を聞いていたけれど、もしそれが本当だったら?
本当だとしたら・・・自分って一体・・・誰なんだろう?