アフガニスタンで用水路を建設する支援をしてきた中村哲医師と地域住民 1
2019年12月4日に亡くなった中村哲医師がアフガニスタンで用水路を整備するときに地域住民と交わしたであろうことを書き留めておきます。
車は岩を削ってできた砂まみれの道を進んでいる。この道も当初は
岩場を避けていたので作業場に到着するには倍の時間が掛かっていた。
「カカ、カズヤがやられて申し訳ない。
愚かなわが民族を見放しても構わない。日本でも災害で多くの支援が
必要ということなのだから、帰国して支援をすると言ってくれても
誰も止めない。」
ハンドルを握りながらザイヌラは前を向いたまま、助手席で目を
閉じているカカと親愛をこめて呼ばれる中村に話しかけた。
「ザイヌラ。和也は村の子供たちと菜の花畑を見せてあげると約束
してた。
和也はいなくなっても、子供たちとの約束は守りたい。
黄色い花が畑一面に咲くのはきれいだぞ。
菜の花の種からは油が搾れるしな。」
中村は薄目を開けザイヌラの方を見て、それだけを言うとまた目を
閉じた。
医師としてアフガニスタンを訪れ、傷病の治療を手伝っていたが
そもそもの劣悪な衛生環境や栄養不足を解決しなければ、いくら
治療をしても追いつかないことが分かった。
帰国した際に、教授に紹介された歴史研究家の話を聞いた。
日本の戦国時代から平穏な時代になっていった大きな要因が大名が
推進した治水であることを説明してもらった。
雨季と乾季の水量に差が大きいほど川は暴れる。最も危険な状態を
前提に治水する、普段から水量を制御して水量の差を小さくする様な
治水にする、ということが成功してきた基本的な考え方らしい。
中村は伊藤和也との出会いを思い返していた。
ペシャワール会を創設して京都で講演をした際にいち早く賛同して
くれた若者が和也だった。
最初は自分探しとか言っていた彼だが、アフガニスタンで現状を
体験し、水路を作る工事の中で村人と子供たちと仲良くなるなる
中で、村人の一員として溶け込み率先して工事を進める姿が、村人
たちの工事への協力を取り付ける一因となっていた。
それだけでなく、彼の明るさや人懐っこさが日本での協力者を増やす
橋渡しにも、資金を集めることにも大きな貢献をしてくれた。
「中村先生、清水の次郎長って、なぜ大親分って言われたのか聞いた
ことがありますか。」
和也が講演後に賛同して協力すると言ってきたときの会話だ。
「静岡がお茶の産地になったのは次郎長が富士山の南麓を開墾して
浪人も罪人も含めて痩せて荒れた耕地を茶畑にしていった事業が
広まったことが始まりなのです。
誰もが安心して子育てができることを望みます。生まれ育った土地
には愛着ができます。
僕も清水の次郎長とまではいかなくても痩せて荒れた土地に子供たち
の笑顔を取り戻す貢献をしてみたいのです。」
この時の和也の笑顔が忘れられない。
和也は持ち前の明るさと人懐っこさでアフガニスタンの村人と直ぐに
打ち解けて、貧しいながらも子供や青年を笑顔にしていった。
子供たちが笑えば、母親たちも笑顔になる。家族が明るくなる。
和也が必死に作業をすれば、村人全員が助けたくなる。しかも自分
たちのために働いてくれているのだ。
そんな和也の人気は口伝えで広がるのは早い。そして和也を羨まし
がる者、嫉妬する者も出てくる。
和也に学べば良いのだが、疎ましく嫉妬する者が和也を迫害する。
和也は迫害されても何も言わない。
清水の次郎長に学んだ対応だった。
しかし、周りの者たちが嫉妬した者を許さない。
和也は村人たちに彼に対して寛容であることを求めた。
だが、村人たちは和也を迫害する者を問い詰めることになる。
その者は和也のせいで村人たちから責められたと考える。
終には、嫉妬する者に和也が銃撃されてしまった。
中村は、それ以来、協力者には3年程で帰国することを求めるように
なっている。特に、直ぐに地域に溶け込んで成果を発揮する者は
和也のような境遇になっていく可能性が高い。
自分の責任で大きな才能を潰してしまったとの自責の思いがある。
彼の遺体と帰国した際に、ご両親からは「和也が危険と分かっていて
決めたことだから覚悟はしてました。でも、本当になると親として
送り出して良かったのかと思うところはあります。」と涙された。
そのことに責念の思いが沸き上がった。
村人たちは和也を亡くしてしまったことをきっかけに、それまで
以上の水路工事に没頭した。和也を失ったことを忘れるためとでも
いうかのように。
水路が拡張し、灌漑で作物が生育するようになって、休憩時間には
やはり、和也を偲ぶ話が出る。
作業には子供たちも少なからず手伝っているのだから当然の成り行き
ではある。
「カカ、あんたちは何故俺たちを助けようとしてくれるんだ?」
ザイヌラが中村に聞いたことがある。
「さぁ、なぜなんだろう。ムハンマドと同じ思いなのかもしれん。」
「えっ!」
「いやぁ、冗談だ。許してくれ。
ムスリムを引き合いに出したら叱られてしまうな。」
そう言って、中村は考えをまとめる。
「ザイヌラ、戦争はなぜ続いている?」
「えっ、それは・・・」
「権力や土地を奪うことが目的で始まったことが、身内の被害を
報復することになってしまっている。既に戦争の目的など忘れ去られ
てしまっているよな。」
「そうかも・・・」
「最初に、権力や土地を奪うことという目的はなにかな?」
「えーっと、自分の生活を豊かにするためですかね。」
「さぁ、私にも分からない。権力や土地を奪ったとしても豊かに
なるのかなぁ。ごく一部の権力者が贅沢になるだけじゃないか?
戦争に駆り出された多くの人々は恩恵を受けることはない。
それに負けた人々は困窮するだけ。不毛だよな。」
「・・・」
ザイヌラは突然の中村の話が理解できなかった。
「豊かな生活というのは家族で笑ってくらせるということだよな。」
中村の言葉にザイヌラは頷いた。
中村は笑みを浮かべながら続けた。
「アフガニスタンに来て診療を始めたら子供たちの栄養が足りず
不衛生な水を飲んで体調を崩して死んでいく。母親たちは自分を
責めて泣き崩れる。そんな場面に幾度となく立ち会った。
豊かな生活とはかけ離れている。医者として悔しいじゃないか。
我が国の日本でも餓死する子供が少なくない時代も有った。
日本では井戸を掘り澄んだ水を飲めるようにしたことで病気で死ぬ
子供が減ったという。
だから、アフガニスタンでも井戸を掘ろうと決めた。
でも、乾季になると井戸の水が減ってしまう。
ヒンドゥークシュの山々からの恵みとなるクナール川を使えば枯れ
ずに水を得ることができる。
日本でも100年先を考えて治水をしてきたのだから、先ずはこの
村でできることをやって、豊かな生活を送れる人々を増やしたい。
その後は、ザイヌラがアフガニスタンを豊かにしてくれるよな。」
そう言って、中村は笑顔を向けた。
この話は、ザイヌラを含めた夕食でされたので、給仕のためにいた
村の婦人たちも聞いていた。なので、瞬く間に村の中に広まった。
家族が笑って暮らせるようにするために中村は働いてくれている。
婦人たちが最も切望することなのだから、賛同しない人はいない。