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02.冷たさと暖かさ

顔の下半分をひげで覆われてた恐怖の対象は思ったより低く太く、落ち着いたトーンで訊ねてきた。

「大丈夫か?」


(こんなに近くで男の人の顔を見たのは初めて…)


訊かれたことと全然関係ないことを考えながら、男を観察する。

憮然とした顔はそのままだが、狂暴そうな目にはこちらを心配している色が浮かんでいる。

私を(かか)えている岩の様な腕も傷付けないように気を使っているような気がする。

彼の目を見つめたまま、離せないでいると、まだ返事をしていないことに気づいた。

なぜか頭が全然働かなくて、ぼーっとして言葉が上手く紡げない。


(大丈夫と伝えないと…)


――コクコクコク――


機械のように何度か無言で肯くと、彼は私を支えていた腕からゆっくりと立たせてくれて、空いた腕で腰に下げていた水筒を差し出してきた。


「スライムからの奇襲か?今回は運がなかったな…」


彼は無言のまま水筒を差し出し、私が受け取るのをじっと待っている。

その瞳に焦りの色はなかった。

私は差し出された水筒を意味も判らず無意識に受け取ったが、頭の中は疑問(はてなマーク)でいっぱいだった。


(水筒?なんで水筒…?スライムと水筒?)


意味が判らず考えていると口の中がスライムの粘液でベトついていることに気づき、舌に絡みつく不快感が蘇った。


(あ、これで口を濯いでさっぱりしろって言ってるんだ!)


彼の意図が理解できた瞬間、戸惑っていた表情が晴れやかに変わったのが自分でもわかった。

受け取った水筒から水を口に含み、スライムの粘液をしっかりとすすぐ。

彼に見られないようにそっと後ろを向いたあと、慎重に水を吐き出し、彼に向き直って水筒を返しながらお礼を言う。


「ありがとうございます。もうだいじょうぶです」


彼は水筒を受け取り、つい彼の手を掴んでいた私の手をほどいて、短い別れの挨拶を始めた。


「そうか。じゃあ気を付けてな」


(え?それだけ?)

(確かに今、軽くお礼は言ったけれどそれは水筒を渡してくれたことで…

命を救ったのにそんなにあっさり?)


ティアナは彼のあまりにあっさりとした態度に戸惑い、どう対応すればいいか分からなくなっていた。


(普通、もう少し気遣ってくれるものじゃないの…?)


今までの経験だと男の人は何もなくてもホントに鬱陶しいくらいに話しかけてきたり、一緒に居ようとする。

なのに命の恩人の彼は、まるで何事もなかったかのように今すぐにも去ろうとしている。

彼が立ち去るために背中を見せた時、ティアナは彼の背中には、胸側に比べてほとんど傷がないことに気づいた。


(なんで背中には傷がないの?)


そんな疑問が浮かぶが、今は何よりも彼を引き止めなければならない。


(きっと、今別れたら二度と会えない!)


彼に色々(たず)ねたいし、

ついさっきまで狂暴そうで怖いと思ってたのに、今は自分でもよく判らないけど、そばを離れたくない気がする。


「ま、待ってください。

あの、すみません。どちらへ…」


歩き出した彼は話しかけられると立ち止まり、少しだけ振り返って答える。


「その辺で夕食の材料を手に入れた後、街にかぇ…」


(街に帰る?なら目的地は一緒だ)


「お礼もしたいので、是非ご一緒させてください!」


ティアナは少し焦りを含んだ声で、思わず彼の言葉に重ね気味で叫ぶように言っていた。

彼は天を仰いだあと、私から視線をそらし答える。


「メンドクサイから断る」


(え…、断る?

今まで男の人に頼みごとをして断られたことなんてなかったのに…

メンドクサイ??メンドクサイってなに?)


「面倒くさい」という言葉の意味はわかる。でも、なぜここでその言葉がでるのかわからない。

予想すらしてない答えに思考が完全に停止しかけるが、反射的に答えていた。


「お願いします」


思わず体の前で指を組んで、祈るように頼み込んだ。


「あー…できる限り断りたいんだが…」


ゲルマは相変わらずティアナから視線をそらしたまま答えていたが、力が入っているティアナの組み合わせている指を見て、その必死さに気づき、途中で口ごもった。

そして、一呼吸置いた後でもティアナがまだ祈りを捧げる姿勢を変えずにいて、諦める気がないのを見て続けた。


「じゃあ、確認するが、彼氏とか付き合ってるやつはいるか?」

「え?なんで?」


今度は予想外の質問に、ティアナは困惑した。全然話の展開が見えない。

街に帰るのに何で彼氏の有無が関係あるのか…

答え自体は変わらないが、なぜ訊いてきたのかの理由がいくら考えても判らない。

考えていると再び確認された。


「正直に答えろ。答えないなら、ここでお別れだ」


彼の言葉に焦って思いもよらず大きい声で返していた。


「いません!……彼氏はいません!!」


私の答えを聞いた後、彼は諦めたように背中に背負っていた袋から無造作にマントを取り出し、相変わらず憮然とした表情で差し出してきた。


「…わかった。

これを着ろ。変な言いがかりを付けられたら、ちゃんと説明しろよ」


彼が折れた瞬間、私は心底、心の中でホッとしていた。

まだもう少し彼のそばにいたい、なぜかそう強く思っていた。

渡されたマントを手に取り、改めて自分の状態を確認すると、切羽詰まっていたので気付かなかったが、スライムの粘液で服もマントもひどいことになっている。


「そこの(せせらぎ)でスライムの粘液を洗い流せ。服も体もだ。

あいつらの粘液は服や皮膚を溶かす。洗い忘れるな。

支度できたら呼んでくれ」

「はい!」


言いたいことを言い終わると彼は背負い袋を地面に置き、周囲を見渡してから、さっさとどこかに歩き去ってしまった。


(やっぱり無理やり頼んだから少し怒ってる?)

(彼氏がいるって言ってたらどうなってたんだろう?)


彼の姿が見えなくなった後、取り敢えず渡されたマントは近くの岩の上に置き、指示に従い洗うために服を脱ぎ始めたときにふと気が付いた。


(あ!、彼がどこかに行ったのって、私が裸になるのに気を使って?)


確信はないがそんな気がする。

崖の岩からしみ出した水がいくつも合わさって作られた(せせらぎ)は、くるぶしがやっと浸かるほどの水量で普通に洗うには足りないが贅沢を言ってもしょうがない。

辺りは静かで、鳥のさえずりや木々のざわめきがかすかに聞こえる。


「つ、冷たい」


潺の水の中に脱いだ服を浸して、流れないように石を置いた後、その上流で自分の体を洗いながら、肌に残った粘液の痕跡も丁寧に取り除く。

スライムのヌルヌルした粘液は水に触れるとすーっと溶けて、すぐになくなっていくので、それほど苦も無く洗い流せた。

幸い、下着はスライムの粘液を(まぬが)れていたが、彼が言った通り、肌が溶ける成分が入っていたのか、粘液が付いた部分の肌は赤くなり、ピリピリとした痛み、同時にわずかな痒みを感じた。

冷たい水で洗っていると少し熱を持った赤い肌に心地よく、赤みが徐々に収まっていくのを感じる。


身体についてる分を流し終わり、服を優しく洗っていくとスライムの粘液の付いた部分の服の布の色が周りに比べ少し薄くなっている。

もしあの時、あのまま別れて、ヌトヌトのまま粘液を流すこともなく街に帰っていたら、もっと酷いことになってたと思うとすごく怖い。

もう一度、念入りに身体を洗い流して他にもついてないか確認する。

水量が少なく、粘液を洗い流すのに時間はかかったが、たぶんこれで大丈夫だ。

まだ水滴が落ちそうな濡れたまま(びしょびしょ)の服を広げて、このまま着るか躊躇する。

どう考えても簡単に乾きそうにない。


ここは陽が射していて、風がない時は暖かいが、時折、冷たい風が草の間を吹き抜け、何も着ていない今の状態では寒いし、濡れた服を着て風に吹かれれば、さらに寒くなるだろう。


…と彼がマントを渡してた事を思い出した。


(まさか、このマントって、こうなることを見越していたの?)


確かに少し考えれば分かることだが、普通、初めてあった人にそこまで気を使ってくれる人はなかなかいない。

彼のこれまでの行動を最初からもう一度思い返すと、必要になることを前もってしていることばかりだった。

もしかするとすごく細やかで、ものすごく頭の回転が速いのかもしれない。

あの狂暴そうな見た目と肉体に目を奪われて、まだ他にも見落としているかもしれない。

そんなことを考えながら、ちょっと恥ずかしいが、ほとんど裸のままマントを羽織る。


(暖かい)


支度が出来たかもう一度確認してから、どこにいるか判らない彼に向って声をかける。


「支度できました!」

「…」


普通より大きめに声をかけ、周囲をうかがうがなにも反応がない。

遠くで鳥の鳴いている声や潺の水の流れる音だけが聞こえる。

何度も声を出して魔獣を呼んでしまうのも問題だ。

声を掛けてから数分が経っただろうか?相変わらず彼の気配は感じられない。


(聞こえてない?

まさか置いて行かれた?でも背負い袋はここに置いてあるし…)


この背負い袋も『帰ってくるから安心しろ』という無言のメッセージのように感じていたが、そう思っても少しだけ胸の中に不安が広がる。

そんなに長い時間経ったわけでもないのにどうしようもない心細さを感じ、もう一度声をかけるべきか悩んでいた時、彼が腰に大きい袋を下げて遠くに現れた。

一気に安心してほんの少しだけ泣きそうになったが、彼に気づかれないように大きく息を吸い込んで笑顔を作る。


「悪い。待たせたな」


彼は少しだけ申し訳なさそうに告げると、私のマント姿を見て問題ないか確認をしているようだった。

マントを羽織っているから何も見えないと判っていても、彼に見られるのが恥ずかしくて目を伏せてしまう。


「洗った服とマントは私の持ってる袋に入れました」


彼は無言でうなづく。

さっきまでは色々切羽詰まっていて話しかけていたが、ある程度落ち着いてしまった今、彼に話しかけていいのか悩んでしまう。

訊きたいことは沢山あった。

全て見越して行動しているのか、どうして私を助けたのか、彼の背中に傷がないこと、そしてなぜ”彼”がいるのかを聞いてきたこと...

しかし、そのどれもが最初に話しかける内容としては立ち入ってる気がして、はぐらかされてしまいそうで丁度良い話題がない。

悩んだ末、さっきから気になっていた彼の腰の大きくなった袋を指さしながら恐る恐る尋ねた。


「…あのー、その袋は?」

「ウサギやヘビだ。血抜きに手間取った」


彼の言葉で、さっき遅れて戻ってきた理由が理解できた。

確か彼に予定を訊いた時「夕食の食材集める」と言っていた気がする。


「そういえば、ここに来た目的は終わったのか?」

「はい、大丈夫です」


彼に返事をすると、彼が地面に置いていた袋を背負った。


それを見たとき、彼が『これから街に帰るぞ』と無言で言っていることが理解できることに、自然とニコニコと微笑みがでる。

私が笑顔で自分(ゲルマ)を見ていることを不思議そうにしながら、彼は再度無言でうなずいた。

私に背を向け数歩進んだところで立ち止まり、何も言わずに待っている。

最初に見た時の人を寄せ付けない憮然とした感じと何も変わってない筈なのに、彼が少しだけ優しくなってる気がして、魔法の杖、薬草と服の入った袋を持って急いで追いかけ、二人で街に向かって歩き始めた。


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