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下校

 チョークの擦れる音だけが響く静かな教室。チャイムの音が響くと喧騒溢れる昼食の時間に変わり、皆おもいおもいの集団でそれぞれのご飯を食べる。

 サクのように家族が用意してくれた、もしくは自分で作った色彩豊かなお弁当を食べるもの。

 また、私のように表面に塗られたカラメルが、薄らと光を反射する、芳しく柔らかなクロワッサンなどのパンを、口に運ぶものもいる。

「めい知ってる?隣のクラスの佐藤くん告白されたみたいだよ」

 佐藤くん……ある程度勉強ができて、ある程度運動もできる。別に容姿だって特別良い訳ではないけど悪いわけでもない。ありふれた好青年だと言われている人物だ。

 ありふれている彼なら、自分の手の届く範囲だからなのか、彼のことが好きだと言う人をたまに見かける。

 そんな彼の話題をサクが持ち出したことに、少しイラッと来てしまう。

 別に怒る要素など一切ない、でも妙にモヤッとする。ジメジメとした雨の日のような陰鬱とした気持ちが、湧き上がってくる。

「恋愛話だなんて珍しいね。それでどうなったの?」

「なんでも振ったらしい。告白した凛ちゃんが、泣きながら何処かへ走り去っていったって、聞いたからね」

「彼女ね。詳しくは知らないけど、すごく勇気のある子なんだね」

「勇気ね。確かに、思いを伝えるのは勇気のいる行為だと思う。でも凛って臆病なんだよね」

「どうして?告白できるのなら、そんなことないと思うのだけど」

「自分の好きな人が誰かに取られてしまう。そんな考えにいつの間にか取り憑かれて、いても経ってもいられなくなったんじゃないかな。彼女自身そこまで積極的な性格じゃないし。そんな臆病な心配に支配されて、勇気とも縁遠い感情に振り回されて、気がついたら引き返すこともできなくなっていたんじゃないかな」

「そんなことあるの?」

「あるよ、恋心ってそう言うものだと思うから。感情や感覚の制御が効かなくなるんだよ。自分でも何をしているのか、全く分からなくなる。めいはそう言うのを感じたことない?」

 感情の制御が出来なくなる感覚。何処かで感じた覚えがある。でもそれをどんな所で感じたのか、どんなことで感じたのかは覚えていない。だから、それが恋なのかはわからない。

 でも果てしないほどの喜びが、ブレーキの壊れた車のように、突き抜けたことだけは覚えている。

「どうなの?」

 彼女は瞳を覗き込んでくる。普段は何気なく目を合わせて会話してるのに、どうしてだろうか。その何もかもを飲み込んでしまいそうな黒い瞳に、囚われるような……とても美しく見える。

 光の差し込みぐらいでそう思うのか。それとも別の要因によるものなのか。

「感じたことは、ないかな」

 咄嗟に出たのはそんな言葉だった。それから程なくしてパンを食べ終わった。そして悶々とした感情に苦しめられながら授業を受けた。

 放課後、外からオレンジ色の夕日が差し込んでくる。私は椅子に座って空を眺めていた。

 彼女は図書室で本を返してくると言って、図書館に行った。

 本を返すのに、時間が掛かるかもしれないから、先に帰って良いよと言われた。けど一人で帰るのは退屈だ。それに今日は気分的に彼女と一緒に帰りたい。だから教室で待つことにした。

 時計に目を移すと、彼女が図書室に向かってから五分と経っていなかった。目を閉じてうつ伏せの姿勢を取る。時計のチクタク、チクタクという音と、校庭で活動する運動部の掛け声が聞こえてくる。

 体感的に十分ぐらい経ったところで顔を上げる。でも、時計を見ても一分ほどしか進んでいない。

 校庭に視線を向ける。すると昼間の話題に出てきた佐藤くんがいた。

 コートの中で、必死にサッカーボールを追いかける姿は懸命の一言。聞き及んだ話なども合わせると、彼に惹かれる人の気持ちを、ほんの少しだけ理解できた気がする。彼はきっと直向きなんだ。

 ただ真っ直ぐ自分の信じた道を、自分の意思で進める人なんだと思う。そうやって生きられる人はとても少ない。彼に憧れというべき想いを、抱かざるを得ない。

 でも、彼を見ていると、昼間に感じたモヤモヤとした感情とは、別のものが湧き上がってくる。あまり心地がいいとは言えないもの。ドロドロとして、消そうとしてもなかなか消えてくれないもの。

 これが恋心だと言うのなら、これほど醜いものに浮かばれる、みんなの気持ちがわからない。

 ガラガラと、ガラスの小窓が嵌められた教室の扉が開かれる。すぐに窓から目を離し、顔を向ける。

「お待たせ。窓から何を見ていたの?」

 彼女は私の横に立つ。先ほどまで見ていた光景を彼女も見る。

「サッカー部や陸上部とかの活動。その扉の小窓から私のこと覗いてたの?」

「いやね、何してるのかなって気になっちゃって。そのごめんね」

「別に謝らなくていいのに。それよりも新しい本を借りてきた?」

「ううん、読みたいと思う本がないから何も」

「そっか。なら行こうか」

「うん、その前に忘れ物ない?」

「大丈夫だよ」

 話をしながら廊下に出て、靴に履き替え、学校を出る。今朝と違い、普段登下校に使用する道を歩く。今朝まで気がつかなかった町の変化を、もっと知るために周りを見回しながら進む。

「ねぇあそこのコンビニって、元々は文房具屋じゃなかった?」

「確かに……そうだったような気がする」

 本当に嫌でもわかる。ただ見るだけで変わったのだとわかる場所から、表面上変わった様相を呈していない場所も、大きく変わってしまったのだと。建物が変わった。文房具屋が潰れて、その空き地に二十四時間電灯の光を放ち続ける、コンビニが建った。

 人が変わった。かつて通い詰めていた駄菓子屋は外見は変わっていない。でも、そこにいるのは、物腰優しいおばあちゃんではなく、その娘に代わっていた。

 そして最も変わったのは、他でもない私。というのも、かつては心躍らせていたものがなくなっているのに、今日まで気がつかなかったから。

 昔は魅力を感じていたおもちゃやお菓子も、ある程度成長すると、そこまで魅力的に映らなかったり、懐かしい程度で止まってしまう。そして気が付いたら視界から外れる。すぐに意識の外へと、無駄なものとして押しやってしまう。

「……ねぇ」

 彼女が声をかけてきた。

「どうかしたの?」

「久しぶりにあそこに行かない?」

「あー、うん良いよ。新しいものが入ってると良いな」

 ……彼女に誘われて、様々なお店が一体となったデパートの一角に来た。昼間の喧騒が幼稚に思える人々の熱狂と、機械の発する強烈な音が渦巻くゲームセンターへと足を踏み入れた。

 私たちは実のところ、ここに週二ほどの頻度で訪れていた時期がある。最近はめっきりと減ってしまったが。私たちの目的はクレーンゲームだ。

「良いのあるかな?」

「ちょっと微妙かも。少し取って終わりかな」

 財布から百円玉を取り出す。機械に入れると、軽快な音楽が流れ、レバーの近くに残り六十秒と表示される。レバーを操作し、うさぎのぬいぐるみに、標準を合わせる。

 アームはガッチリとうさぎを掴み、私の元へと届けてくれた。

「うん、それなりに良いね」

 もふもふとした感触を味わい、次の台へ移る。そこでも人形を楽々と取る。新しい獲物を探して彼女と一緒に歩き回る。

 少し大きめなリボンを頭につけた熊のぬいぐるみが、私の視界に映り込む。その瞬間、欲しいという強い欲求が湧き上がる。

「これにしようかな」

 二百円を入れて、アームを動かす。降ろしたアームはしっかりと熊のぬいぐるみを掴む。けど、穴へと近づくとき、何かの拍子に離してしまう。

 入れて失敗するを繰り返す。穴の瀬戸際でまた離してしまい、落ちたはずみで穴から遠ざかる。

「ちょっとだけ、私にもやらせて」

 彼女に台を譲る。彼女のときも、非力なアームは運んでいる途中で、熊の人形を落としてしまう。それを二度、三度、四度と繰り返す。

「もうやめた方がいいんじゃない。多分これ取れないよ」

「ううん、あと一回だけやらせて。それにこれは必ず取れるから」

 そう言って彼女は二百円を入れる。熊を持ち上げたアームは大きく揺れる。いつ離してもおかしくない。

 やはりというべきか、アームは熊のぬいぐるみを離しそうになる。でも、最後まで離さずに、穴に落とした。彼女は嬉しそうに景品を取り出すと、ぎゅっと抱きしめる。

「おめでとう」

 欲しいと思ったけど、取られてしまったらどうしようもない。また別の機会に取ろう。少し悔しいな。

「めい、これあげる」

 彼女は熊のぬいぐるみを、こちらに差し出して来る。彼女の表情はにこやかな笑みを浮かべていた。

「いいの?」

「うん、いいよ。昔にこれと同じものをくれたお礼」

「えっと……」

 これと同じものをあげた記憶がない。それに、あげたのなら、彼女の部屋に飾られている筈だ。でもこれを見たことがない。

「やっぱり覚えてない。もう十年近く前のものだから、だいぶボロボロでわかりづらいけど、ベットの所に置いてある奴とこれは同じものだよ」

 言われてみれば、ボロボロで片耳が取れてしまっている人形が、彼女のベットの上に寝転がっていた。

「昔、めいが少ないお小遣いを使い果たして、せっかく取ったのに私が欲しがっていると知ったら、これを譲ってくれた。そのお礼」

 ……そうだ。確か、昔一緒にこのゲームセンターに訪れたときも、このぬいぐるみをゲットするために、何度もやっていた。

 うまくいかなくて泣き出しそうになった。地団駄を踏みたくもなった。でも諦めずにやり続けて、なんとか取った。それが初めて取れた景品だったし、どうしても欲しかったものだから、心の底から喜んだ。

 でもサクがその人形を欲しがっていたから、私は何を思ったのか、ほとんどのお小遣いを使って得たそれを、彼女にあげた。

「ありがとう、大事にするね」

 今までに触ってきたぬいぐるみの中で、一番柔らかくて、ふわふわとした熊を抱きしめる。当時の私の選択は間違いじゃなかったと思う。

 だって飛び跳ねて喜びたくなってしまうほどの宝物が手に入ったのだから。

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