ホテルに行く
「やっぱり小松君といると歩きやすいんだよね」
「どういうこと?」
「『隣に男の人がいると人はあまり見てこない』という話」
「ああ、あれね」
「今日はちょっと目立つ服を選んだけど、じろじろ見られる頻度が少ない」
「俺がいるだけでそんなに変わるもの?」
「変わるよ。人からの視線ってストレスなんだよね。好きな服を着てるだけなのに悪いことをしてる気分になる」
「それは湯口さんの服が可愛いからみんな見てるんじゃないかな」
「好意的な目で見られてるのと奇異の目で見られてることの違いくらいは分かるよ。そうやって何でもポジティブに受け取るのは自分自身にならいいけど、他人にそれを押し付けるのは良くないよ」
「確かにそうだ。ごめん」
「別にいいよ。こういう小さいストレスって本人じゃないと分からない部分も多いから」
「そういうストレスがあってもロリータ服を着るんだね」
「だってこんなに心がときめく服、他にはないから」
歩くたびにふわっと揺れるスカート。絵本の中のような夢の服。ロリータ服を着ればお姫様にでもお嬢様にもなれる。私はこの服が大好きなのだ。それは人からじろじろと見られているストレスを凌駕してしまうほどの喜びなのである。
「私は、もっとみんながロリータ服を着たらいいのにと思うよ」
「湯口さんは服の話になると本当に楽しそうだね」
こうやって自分の存在を認められることを、私は望んでいたような気がする。
私と小松君はホテルの前にいた。小松君が「いいところに行く」と言っていたのを信じてついてきた結果だ。
「小松君、私たちそういう関係だったっけ?」
「その本気で軽蔑する目はやめてほしいな」
このホテルはなかなか高級そうだ。よくある街外れの寂れたラブホテルとは違う。小松君に説明を要求する目線を向ける。
「ここのレストランで、アフタヌーンティーを楽しめるんだって。ロリータ服を着てる人はよくこういうところで食事を楽しんだりするって知って、俺も湯口さんと行きたいと思ったんだよね」
「そういうのはあらかじめ説明してもらわないと分からないよ。どうやって小松君から逃げ出そうか考えちゃった」
「さすがに付き合ってもないのにそういうことしようとは思わないからね?」
「『幸せになる壺』を売りつけるのが目的じゃなければ身体目的なんだと思った」
「そういう変な商品はうちの会社じゃ取り扱ってないよ」
「たぶんこういう場合ってやみくもに走って逃げるより、ホテルのフロントマンとかに助けてもらうのが良いと思うんだよね」
「あ、本気で逃げようと考えてたんだね」
「いざという時のことを考えるのは大切だよ。避難訓練と一緒」
「じゃあレストランに行く前にホテル内の非常口の位置を確かめに行こうか」
「別にそこまではしなくていいかな」
「さっきと言ってること矛盾してない?」
「こういうホテルはいざという時に従業員が避難誘導してくれるから大丈夫なんだよ」
「なるほどね。従業員の教育が行き届いてるわけだ」
私たちはホテルに入り、エレベーターでレストランのある階まで昇っていく。レストランは格式の高そうな雰囲気で圧倒された。窓からの景色は見晴らしがよく、遠くの景色がかすんで見える。
「この景色はすごいね。こういうところもたまにはいいかも」
「湯口さんはアフタヌーンティーとか来たことないの?」
「こういうしっかりしたホテルのやつには来たことないかな。もっとカジュアルな雰囲気のところなら行ったことあるよ」
「それは一人で?」
「さすがに一人じゃないよ。同じロリータ服が趣味の友達と一緒に行った」
「湯口さんって友達いるんだね」
「私のこと友達がいない人だと思ってない?同じ高校に友達がいなかっただけで、普通に友達はいるからね」
「こうやって俺と遊んでくれるから他に遊ぶ人がいないのかと思っただけだよ」
「小松君は適当に扱ってもいいと思えて誘いやすいんだよね」
「喜んでいいのか悲しんだ方がいいのか分からない返答だね、それ」
紅茶が運ばれてくる。その香りだけで幸せな気分になった。ワゴンに載せられたケーキスタンドがあまりに綺麗で、思わず私も写真を撮ろうとスマホを持って待ち構えていた。
「あ、湯口さん写真撮るんだ。この前は撮らなかったのに」
「こういうのは特別だからね」
「俺も撮っとこうかな」
私がいろいろなアングルの写真を撮って試行錯誤をしている間に、小松君はもう写真を撮り終え、私の様子を眺めていた。
「湯口さんの写真も撮ったから後で送るね」
「え、私の写真?」
「そう。せっかく可愛い服を着てるんだから写真に収めておいた方がいいと思って」
「そうだね。ありがとう」
「あ、そういう反応されるとは思わなかった。てっきり『勝手に撮らないで』とか言われるかと」
「まあ小松君は友達みたいなものだから、ある程度は信用してるよ」
「さっきは逃げられそうだった気がするんだけど」
「友達でも襲われる可能性があったら逃げるでしょ」
「それもそうか」
「自分の写真って撮るのが難しいからね。せっかくお気に入りの服を着てるんだから1枚くらい写真も欲しくなるよ」
「その服は持ってる服の中でも特にお気に入りなの?」
「どちらかというと思い入れは強いよ。この服は人気ですぐに完売しちゃって、再販売でようやく手に入れられたんだよね」
「じゃあそういう思い入れの強い服でここに来れて良かった。これで思い出になるよね」
「そろそろ食べようか。小松君と話してると食べるタイミングが分からなくなる」
サンドウィッチをお皿に取る。その上品なサイズ感のサンドウィッチを味わって食べる。なんとなく高級な味がする気がする。正直、こういうおしゃれなお店での料理は味がよく分からない。そう思っていると小松君まで「なんか高級な味がするよね」と言うので、危うく吹き出しそうになってしまった。
「小松君、私と同じこと考えてるよ」
「え、そうなの?」
「いい材料を使って手間をかけてるのは分かるんだけど、庶民の舌にはよく分からないんだよね」
「湯口さんって意外に普通だよね」
「見た目に騙されたらダメだよ。普通に焼き肉とかラーメンだって食べるし」
「その服でラーメン屋にも行くの?」
「一回だけ行ったことあるかな。さすがにラーメン屋だけが目的だったらもう少し楽な服装で行くよ」
「ロリータ服ってそういうジャンクなお店には行かないのかと思ってた」
「服が汚れなければどこでも行くよ」
「そういうものなんだ」
「『ロリータの世界観に合わない場所には行かない』という人もいるけどね。私は気にしないかな」
「じゃあここを選んだのは失敗だったかな……」
ポジティブな小松君が少し弱気になっていたのを初めて見たような気がした。
「そんなことないよ。こういうのは雰囲気も楽しいから。それに、ケーキの方は普通においしいと思うよ」
サンドウィッチを食べ進めていき、ようやくケーキにたどり着いた。そのケーキがあまりにおいしくて、このためだけにもう一度来たいと思えるほどだった。
「小松君、このケーキすごくおいしいよ」
私が言ったその言葉で、小松君は今日一番の笑顔を見せた。