Xデイについて
『HOPE』と『TOWER』。
この二つは、『HOPE』に内蔵されたの各種センサーから観測室で精密に観測されていた。彼我の距離はあと一キロもない。『HOPE』と地球の間に設置された中継機によって可能な限りラグを少なくした映像。レティクルの真ん中に、『TOWER』が表示されている。
『3』
『HOPE』の観測室では大勢の人間がそれを見ていた。
『2』
テレビでも、大勢の人間がそれを見ていた。
『1』
だから世界中の人間が、それを見た。
「…え?」
観測室で誰かが、声を上げる。
『HOPE』と『TOWER』が重なる。その瞬間だった。
『TOWER』が消えた。
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「ん?」
俺はそれを見て、一瞬の違和感を感じた。なんだったんだろう?
「今なにか変じゃありませんでした?」
横になったままの千代ちゃんも首を傾げている。
テレビからさっきまでのロックオン画面は消え、今は真っ黒な、放送事故のような画面しか映していない。
「なんだろうな? 『TOWER』、一瞬消えなかったか?」
「その後ですぐ真っ暗になりましたね。爆発しちゃったんでしょうか?」
「うん、なんかそう見えたけど…」
テレビはいつまで経っても真っ暗のままだ。リモコンでチャンネルを変えていってもどの局も同じ映像。なんだ?
今度はスマホを取り出してニュースサイトを見る。さっきの映像のことが早速騒ぎになっているらしい。やはりどこでも先に『TOWER』の光が消え、その後で画面が暗くなったそうだ。
サイトを漁っていくと、どうやら『HOPE』の観測施設でもなにか騒ぎになっているらしい。中継がつながらないのはその騒ぎのせいと言うのがわかった。わかったが、どうなったんだ?
「これは、続報待ちかな? にしてもなんだろうこの騒ぎ?」
「成功したんでしょうか、失敗したんでしょうか…?」
ポツリという千代ちゃんの表情は、不安で青くなっていた。流石にさっきの話の流れから失敗でしたは勘弁してほしい。この子は将来ある女の子だ。
唐突にテレビが映り、スタジオでアナウンサーが不安そうな表情を浮かべているのが映る。
さっきまで大した感慨も抱いていなかったはずなのに、嫌な予感がずるりと背筋をなでた。なんだか頭もぼうっとして、思考が定まらない。
「大丈夫だよ、きっと」
とっさに千代ちゃんにそう言って笑いかけるが、うまく笑えていただろうか? 自分でも自信がない。
アナウンサーは画面の混乱をわびたあと、現場が混乱していて続報は追ってとぶつぶつ言ったあと、唐突に公共CMになってしまった。そしてどこの局もそんな感じだ。いつぞやを思い出す光景だ。
しばらく続報をネット上で漁ってみたが、それらしいニュースがまったくない。SNSで現場にいるらしい、さっき見た緊張感のない顔立ちのリポーターが発信していたのを見てみたが、現場も大混乱らしく、断片的な話しか出てこない。海外の情報サイトでも似たような状態だ。
ただ、一つだけ確かなのは、俺達が見たものは確からしい。
つまり、『TOWER』は爆発前に、手品師が檻の中のライオンを消すように、唐突に消えたようにみえたのだ。
「なんだそれ?」
SNSは毎秒数百件単位で一気に更新が入り、ほとんどフリーズしているのと変わらない状態だ。じきにサーバーが落ちるだろう。
まるで世界中が狐につままれたような状態で、どんどん憶測が流れ出して収集がつかなくなっている。
隣で同じように横になったまま、スマホを見ていた千代ちゃんがポツリという。
「困りましたね…」
「…京一のやつに連絡してみようか? 今日はどうしてるんだい?」
「たしか、今日も研究室でこもってるとか連絡が来てました」
一つうなずいて、慣れた手付きでいつもの番号を呼び出す。が。
「出ないな。回線が落ちてる。考えることはみんな一緒か…」
口の中で思わず舌打ちをする。
千代ちゃんはため息を付いた。
「とはいっても、できること、何かあります?」
「ないね。とりあえず情報待ちか。何がどうなっても、とりあえずなにかテレビなりなんなりでいうだろう」
そういって手元のカップからコーヒーを、一気にため息とともに飲み干す。
こころなしか、窓の外が騒がしい。なにか泣き叫ぶような声が聞こえる。
おそらくどこの家もテレビを見て、ネットを確認してという手順を繰り返したはずだ。そうなると、外に出るというのもあまりいい選択肢に思えない。
こんな状態だと、外がパニックになる可能性があるからだ。千代ちゃんを残していくわけにも行かない。
パニックといえばだ。
「…そういえば、株の方は大丈夫かい?」
「よろしくはないですね。パニックになってます」
そう言って淡々と千代ちゃんがスマホをいじっている。
「手持ちは?」
「成否に関わらず良くも悪くもパニックにはなるだろうと思って、大半はもうここ数日で一応現金化してます。今日やってたのはほとんど遊びみたいなものでしたから」
「そうかい…」
妹分がしっかりしていることを喜べばいいのだろうか。
寝転びながらもしっかりした手付きで、手元のスマホをさっさといじってプログラムに指示を出しているらしい千代ちゃんを複雑な気持ちで見ていると、テレビから唐突にポーンと音がした。
CMが唐突に終わり、困惑したアナウンサーの顔が映される。なにか発表でもやるのかと見ていると、アナウンサーがこんな事を言いだした。
「…速報をお伝えします。『HOPE』プロジェクトの責任者数名が行方不明になっていると、発表されました」
「…は?」
思わず耳を疑うような内容だった。
曰く、『HOPE』が着弾するかしないかの瞬間、記者会見場にいた彼らが、唐突に消えたのだという。そんなことを困惑混じりの顔でアナウンサーが話す。
何を言っているのかさっぱりだ。思わず千代ちゃんと顔を見合わせた。
次に出てきたのは当時の映像だった。
おそらくここでプロジェクトの成否を発表する予定だったのだろう。会見テーブルに腰掛けた何人かの人間が映っている。
そのうちの一人は、おそらく世界中の人間が見たことのある顔だ。
アレン・ベルマン。
この『HOPE』プロジェクトの最高責任者だ。
堂々たる体格の大男で、よくプロジェクトの進捗具合を報告するという名目でテレビに出ていたから良く知っている。
いつもにこやかな表情を浮かべ、ヨーロッパの上流階級にいそうなイントネーションで話し、おおげさな身振りをする男だった、はずだ。
そんな男が、何故か青い顔をして、肩をまるめて席に座っている。正直それだけでも異様な光景だ。どうやら手元のタブレット端末を覗き込んでいるらしい。
一瞬、ベルマンの顔が一層の絶望に塗り固められたような顔になったかと思った、その瞬間だった。
フッと煙のように、唐突に消えた。
「なんだコレ…」
思わず絶句してしまう。
映像はそれだけではなく、様々な角度でスタンバイしていたのだろう、他のカメラの映像も流される。おそらくほぼ百八十度、あらゆる場所から撮影されたのだろう、そのどこから見てもベルマンは一瞬で消えたように見えた。
これが質の悪いイタズラであればいいが、海外のニュース番組でも同じことをやっていた。中には壇上に上がって床や後ろの壁を捜索している映像も流れている。どこにもベルマンたちが消える余地はない。
ニュースが言うには、そんなことがここ以外にも数箇所で起こったらしい。それぞれが『HOPE』の関係者で、それなりの責任者だったそうだ。彼らがこのベルマンと同じように、煙のように消えた。
それが原因で現場は大混乱。『HOPE』の状況などの確認に手間取っているらしい。
「ただし、『TOWER』の反応は消えた、ね」
おそらく公式発表ができないからこその苦肉の策なのだろう。こすっからさを感じる言い回しだ。そう言ってアナウンサーが言葉を切ると、今度はなにかの評論家が出てきて、今の騒ぎについてうんちくを語り始めた。
「これは、成功したんでしょうか…?」
「どうなんだろう、公式発表がないと、なんとも言えないな」
評論家のうんちくなんぞより、こういう場合は現場の情報が何より欲しいものだが、その現場がさっきの様子では当てにならないだろう。
仕方ないので、また手元のスマホに視線を動かそうとすると、またテレビが速報のアナウンスを流し始める。
「今度はなんだ?」
眉間にシワを寄せてテレビに目を向けると、またさっきのスタジオだ。今度はさっきよりも慌ただしい、何やら怒鳴るような声をマイクが拾い、ADがアナウンサーに原稿を持ってきて、慌てて画面端に消えていく。
少し原稿を読んだアナウンサーは、呆然としたように見えた。流して! という怒鳴り声のようなものが聞こえて、アナウンサーがはっとして話し始める。
「そ、速報です! 只今南極基地より謎の飛翔体が突然空に現れたとの情報が…、映像は、まだ…? 少々お待ち下さい!」
慌てたような声がまた画面に入る。どうやら相当な事になっているらしい。ここまで大事になるのを見るのは、二一世紀になって二度目だ。
しばらくばたばたと動くような音が聞こえ、画面が切り替わる。
そこに映るそれは、たしかにこんなのす報道しろと言われたら慌てるだろうなと、思わず納得してしまうようなものだった。
おそらく南極の観測基地のどこかだろう。
白銀の大地、青い空。遠くにポツポツ、ペンギンのものだろう影が見える。
そんな自然そのものの世界に、一つ、遠目にも異質なものが存在感を放っている。
それは青空に浮かぶ、大きな銀色の柱のように見えた。
「これは…」
それはおそらく、ベルマンと同じくらい世界中が見慣れたものだった。ここ二年間毎日のように流されたニュース映像。それで何度も全体予想図を流された物体。印鑑のようなシルエット。
「『TOWER』…」
千代ちゃんが隣でポツリというのが聞こえた。
本来なら六千万キロ宇宙の彼方にあるはずのそれが、南極の空に浮かんでいた。
ため息を付いて、頭を抑えながら俺はソファーにもたれかかった。正直いろいろなことがありすぎて、千代ちゃんではないが頭が痛かった。
「大丈夫ですか、赤羽さん…」
「あんまり大丈夫じゃないかな…。というか、何だあれ?」
映像はライブとなっている。どうやら南極基地には優秀な、もとい、命知らずなスタッフが居るらしい。カメラを回している人物は、空中に突如あらわれた『TOWER』らしき物体に向けて、果敢に挑んでいるらしい。実況らしき声が聞こえる。通信状況が悪いせいかよく聞こえないが、十五分ほど前に唐突に現れたらしい。
「本当に何だあれ。どう見ても隕石には見えないぞ」
「さっきからずっと空中に止まってますね」
テレビにそれが写り込んでから5分が経っている。それなのにその『TOWER』らしきものは、空中で動く様子がない。それは周りの景色や、遠景に映る雲がはっきりと示している。あれがどうしたら隕石であるものか。
「というか、あれ『TOWER』なのか? たしか、六千万キロ彼方になるんじゃないのか?」
「ええ、でも、今思い当たるのってそれくらいですよね…」
誰に言うでもなく言ったつもりだったが、律儀に千代ちゃんが答えてくれる。ただ千代ちゃんの答えも、なんとも自信なさげだ。答えのない問題だし仕方ない。
ただ人類が思い描くことのできる同じ物体がそれしかなかっただけだ。はっきりしているのは、もう理解の範疇を超えているということだけだ。
テレビに映る謎の物体は、見れば見るほど人工物のように見えた。
そのシルエットはテレビでも見慣れたものだが、その実物は隕石には見えない。なにせその表面は銀色なのだ。それも鈍色のような岩肌のそれではない、南極の澄みきった空気のせいか、太陽を反射してギラギラとメタリックに輝いている。なにか文様のようなものがその銀色の表面を覆っていて、それが極彩色の光を放っている。
「隕石っていうより、UFOのたぐいだなこりゃ」
「地球外生命体って、いるんですね…」
「できれば、こんなファーストコンタクトはご遠慮願いたかったけどね」
なんとなくずれていることを言い合っている自覚はあった。たぶん現実逃避を始めている。
『HOPE』がよくわからない結果になり、人が煙のように消え、唐突にUFOだ。まだ正気を保っている方だろう。
そうやって見ていると、ただ南極の空に佇んでいたそれに変化があった。
もともと太陽の光を反射して輝いていた銀色の円柱が、輝きを増した。
陽光の位置が変わったのかと一瞬思ったが、そんな生易しい光りかたじゃない。すぐに気づいたが、『TOWER』そのものが光っているのだ。
それはどんどん光度を上げていき、画面から強烈な光が溢れ出す。目を開けているのも厳しいくらいだ。
目がやられかねない光なのに、なぜか目をそらせない。なんだか、それは随分きれいなものに見えたのだ。
なにかアナウンサーか、カメラを回している人物か、なにか言っている気がするが、頭に入ってこない。
視界の端に映った千代ちゃんが、頭を抱えるような動作をした気がした。
今日はここまで