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遊星からのダンジョンX  作者: コーヒーメーカー
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その日について


 ピンポーン。


 八月も半ばをすぎた十七日、俺はいつものようにコンビニで買った袋をぶら下げて、三鷹の外れにあるいつものタワーマンションの前でチャイムを鳴らした。

 目的の部屋番号を呼び出して暫く待つ。待っていると、いかにもだるいです、という声がスピーカー越しに聞こえてきた。


「…赤羽さん、今開けます」


「あいよ」


 すぐにロックが開けられ、なかに入る。エレベーターに乗って五階につくと、目的の部屋まで歩く。

 部屋の前のインターホンを鳴らすと、すぐにドアが開いた。


「こんにちは。千代ちゃん、大丈夫かい?」


「なんとか、いつもどおりです」


 そう言って、頭を抱えるようにしながら立つ年頃の女の子が迎えてくれる。

 日本人形のような、兄と同じ整った顔立ちを青ざめさせて立って出迎えてくれた彼女は、そのままどうぞと言って、フラフラと部屋の奥に消えていく。それに俺もついて部屋に上がる。

 いつものリビングでソファに倒れるように横になる彼女を横目に、俺はキッチンに向かった。年頃の女の子が、ワイシャツスカートでそんな格好をしていいのだろうかといつも思う。


「…お粥でいいかい?」


「…すみません、お願いします」


 適当に買ってきたコンビニスイーツを冷蔵庫に放り込んで、俺は鍋で粥づくりにかかる。冷蔵庫に入っていた冷凍ご飯にを解凍して、土鍋に水を流し込み、その少しだけ中華ダシの素を入れる。すこし煮立てたものを茶碗に入れて、梅干しを添えて、出来上がりだ。昔から作ってるからか楽でいい。

 キッチンで作りながら千代ちゃんの様子を見ると、ソファーに寝転がって動く気配すらない。


 適当に見繕ったスポーツドリンクのペットボトルと一緒にお粥と梅干しを盆で持っていくと、千代ちゃんはいつもよりぐったりした様子で横たわっていた。


「もう一度聞くけど、大丈夫かい?」


「すみません、なんとか頑張ってたんですけど、今日はひどくて…」


「だから、気が気じゃなくなるんだよ」


 力の入らない様子で、なんとか千代ちゃんは体を起こす。リビングのテーブルには水差しとからのコップ、錠剤の袋が並んでいた。

 俺はいつものようにため息を付いた。


「君の兄貴から、あんまり飲ませすぎるなって言われてるんだけど…」


「大丈夫です。どうせ兄のことですから、飲んだところでどうにかなるようになってます。大丈夫です」


「だとは思うけど、見てるこっちの身になってくれ」


 薬を片付けて千代ちゃんの前にお粥を置くと、レンゲを持ってもふうふうと食べ始める。それを少し見て、俺はすこし胸をなでおろした。


「…心配してたんだよ? あんまり無理しないようにね」


「すみません、んく…、兄の薬のおかげで随分良かったんですけど、油断しました」


 そう言ってまたお粥に立ち向かっていく様子を見る限り、そこまで心配はいらなそうだ。動けなくなって腹が減っていたのだろう。


 なんとなく気になって、周りを見回す。

 整理整頓されたリビングだ。テーブル、ソファー、テレビ。必要最低限揃えましたと言わんばかりだ。このあたりは昔から変わらないらしい。なぜか一つだけ窓側にあるやたらファンシーなぬいぐるみと、隅にある3モニターの電源が入ったままの大型パソコン、そして木刀が目立っている。

 少し女の子の部屋としては微妙な部屋だが、それもこの子、塩屋千代子ちゃんは昔からこんなだ。

 

 彼女は俺の腐れ縁の男の妹に当たる。

 その兄貴が変人だったせいか、随分しっかりした子に育った。

 文武両道で中学のときは全国模試でも片手で数えられ、剣道の都大会でも優勝したほどだ。兄貴と同じ美貌で随分学校でもモテたらしい。おそらくそのまま高校に行けば、かなりいい青春を謳歌できたのだろうと、今でも思う。


 問題は、彼女の中学卒業の直前、三年前に突然起きた。

 彼女は原因不明の頭痛に襲われるようになったのだ。

 しばらく頭痛薬を服用しても良くならず、方々の病院にかかっても原因がわからない。そのうち起きることさえ辛くなってしまった。そして何より、最終的にかかった病院がよくなかった。


 原因がわからず、業を煮やして診断を焦った医者の一人が、彼女の狂言なんじゃないかと言い出したのだ。実際調べてみてもなんの異常も出ないのだ。それに時折なにかの声のようなものが聞こえることもあったらしい。それをあげつらったのだ。彼女の両親もそれを半端に信じてしまい、彼女を攻めるような事になってしまった。思春期真っ盛りだった女の子は、それ以来はすっかり引きこもりだ。


 彼女の両親から事態を聞いて、俺が一時的に預かっていたこともあった。それから彼女の兄、俺の腐れ縁相手が帰国して、ひと悶着あって、一人暮らしを始めて今に至る。

 今日は久しぶりに身動きがとれないから来てくれと言われたのだ。


「…すみません、呼び立ててしまって」


「いや構わないよ。どうせここしばらくは暇だったし、今日は特にね。有給使うのもこんなときじゃないと使わないし」


 コーヒーを淹れて戻ると、千代ちゃんはお粥を完食し、スポーツドリンクを飲み干していた。

 ソファーに腰掛けて、淹れたコーヒーを飲む。うまく淹れられたらしい。なんとなく気になったことを尋ねる。


「…今日はデイトレードはお休みかい? 流石に休場だったけ?」


「いえ、今日もやってますが、今日の分の取引はもう終えました。最悪、私の代行ができるように自動取引のプログラムを組んでますので、問題ありません」


 そう淡々と言いながら食器を片付ける千代ちゃん。モニターの方を見ると、証券取引所のチャートがずらずらと並んで、それがひっきりなしに切り替わっている。相変わらずよくやっているらしい。


「…流石だね。株関係は、俺にはよくわからん」


「先月今月で、多少貯蓄する必要がありましたから。それなりに頑張りました。また動けなくなったら困りますし」

 

 無機質にそう言って、千代ちゃんは小さくため息をつく。正直ため息をつきたいのはこっちだ。

 千代ちゃんはひどい日だと布団から出られないほどの苦痛に苛まれる。今日などはだいぶマシになったのというので呼ばれたのだ。ここ数日動けなかったらしい。本当は具合が悪ければ気軽に電話するように言っているのだが、いまいち聞き入れてくれない。一応電話で軽く説教した。


 そんな状態なので、普通の生活ができるかと言われると、ほぼ不可能だ。親や件の医者のこともあって、人に会うのもあまり好きではないらしい。高校も結局合格先は辞退した。そんな彼女がそれでもなんとか自活しようというので始めたのがデイトレードだ。


 最初こそ悪戦苦闘していたが、今では俺の年収より下手すると稼いでるんじゃないだろうか。なにかやっていたほうが気が紛れるというので彼女の兄貴とも相談して好きにさせているのだが、果たしてこれが一応健全な十代女子のやることなのか、と言われると自信がない。博打のようなデイトレードでも自活できてるのだからいいと言われればそれまでだが、ちょっと前まで快活に竹刀を奮っていた彼女を知っている身としては複雑だ。それは彼女自身もそうなのだろう。こうやってたまに無茶をする。


 なんとも言えない気分でコーヒーを啜っていると、ふと千代ちゃんがいつものカモミールティーを淹れて定位置に戻る。

 そのままソファに横になり、俺はまたコーヒーを淹れた。

 しばらく、無言の時間が過ぎた。

 飲み物を飲みながらすこしぼうっとしていると、千代ちゃんがボソッという。


「…大丈夫でしょうか?」


「なるようにしかならないよ。こういうのは」


 小さくため息を付いて答える。

 テレビのリモコンを持ってフラフラさせると、彼女が小さくうなずいた。

 俺はテレビを付けた。


 いつもなら、アナウンサーが棒読みで『HOPE』に関する原稿を読んでいる時なのだが、今日は流石に違うらしい。

 なにかのモニターが大量並んだ部屋に大量のパソコンとそれを操る職員が大勢いる部屋が映っていて、その奥からの映像が映されている。それをなんだか緊張感のなくなるような顔立ちのリポーターが、一生懸命実況していた。


「もうすぐか…」


 今日は、『HOPE』プロジェクトの決行日だ。

 今日の日本時間二時頃が、到達予定時刻。

 十分前から『HOPE』からのカメラ画像をライブ中継で流すとかで、世界的な話題になっている。

 どこの局もこればかりだ。


「…本当にすみません、こんな日に」


「構わないよ。そんな日もあるさ」


 一杯目のコーヒーを飲み干し、持ってきたポットで二杯目を入れる。

 こんな日なものだからか、流石にどこの会社も休みにしているところが多い。おかげで閑古鳥だったので、有給をぶんどってきたのだ。社長がなにか言っていた声が部長の電話から聞こえた気がするが、全力で聴かなかったことにした。最近すっかり発注も落ち着いたせいか、かなり社長が参っているのは知っているが無視だ。

 千代ちゃんは不安そうに画面を見ていた。


「そんなに不安がらないで大丈夫だよ、京一のやつも心配ないっていってただろう?」


「だから不安なんですよ…」


 安心するように言ったつもりだったが、逆に彼女は頭を抱えてしまった。それに思わず苦笑した。


「京一のヤツのことだから、まずければそう言うさ。千代ちゃんのことも必ず治すんだって息巻いてるんだろう? 治る前に地球がどうにかなるなんて思えば、あいつだってどうにかするだろうさ」


「その場合、兄は場をしっちゃかめっちゃかにかき回すと思いますよ?」


 無情な言葉を発する彼女に、俺は苦笑だけで返すしかなかった。全く否定できない。


 彼女の兄を塩屋京一という、世界的に名の知れた生体化学者だ。中学高校と教師の話を聞かない問題児として知られ、それがふらっとアメリカの大学に行って、いつの間にかそんなものになっていた。それが妹の状態を聞いて帰ってきた。


 ただ帰ってきてそうそう、とりあえず腰を落ち着けるところをというので選んだ有名大学で学部長と大喧嘩をやらかし、学部長は首、本人も大学に辞表を叩きつけ、一時期週刊誌に載る騒ぎになった。それで仕方なく、知り合いの大学に紹介して、どうにか今は日本に腰を落ち着けている。だが、今でもそこの理事からたまになんとかしてくれと泣きつかれる。そんな男だ。


 ただ、腕と千代ちゃんの病気を何とかするという決意だけは本物なので、そのあたりは信頼している。

 他にも似たような症状の人たちを探し当て、その都度観察をしてどんどん症状を解明していった。今、千代ちゃんが飲んでいる薬もそいつが開発したもので、治験という名目で市場に出回る前に早速に飲ませている。どうも千代ちゃんと似たような症状の患者はそれなりの数いたらしい。その御蔭というべきか、発症した当初に比べれば、彼女の症状はだいぶ落ち着いていた。


「…兄には感謝してるんですが、あの気性だけはどうにも」


「まあ、あいつも、分別くらいいい加減、つく、だろう、たぶんきっと、おそらく」


 京一のやつは、最近は例の『HOPE』プロジェクトの相談に乗っていたらしい。畑違いな気がするが、あれの組立機械だかの関係で関わるようになったのだとか。

 その傍らで千代ちゃんの症状の研究もやっているのだから大概だと思うが、あいついわく、とりあえず心配はないというので、一応、信じている。他にも京一レベルの科学者がかなりの人数参加しているらしい。だからこそ、そこまで心配していない。俺が『HOPE』に現実味を感じないのはこのせいもあるかもしれない。千代ちゃんもそのへんは同じらしい。

 

「兄さん、最近たまに記憶が飛ぶらしくて、そのへんも心配で…」


「今度様子を見に行くよ。どうせあいつも寝不足だろう。最近、よく聞くよ」


 人類の未来を良くも悪くも決するという時期のせいか、ストレスで具合を悪くする人が多い。あいつにそんな繊細な神経があるとは思わないが、大方オーバーワークになっているのだろうとは思う。おそらく荒れているので呼び出しも近い。


「…あの、赤羽さん」


「ん?」


 さて、理事に次はいつ呼び出されるかと考えていると、横になったままの千代ちゃんが、彼女にしては珍しくおずおずとした様子で声をかけてきた。

 

「改まってなんですが、すみません。今日みたいな日に呼び出しちゃって…」


「…別に構わないよ、休みの日なんて寝てるか、次の会議の資料作るくらいしかしてないんだから」


 これは事実だ。もうここ数年の習慣になってしまった。もともと趣味なんて読書くらいしかない人間だ。入社したばかりの頃は仕事を覚えることに夢中になり、覚えた頃には遊びを忘れ、ここしばらくは余計な仕事が増えたせいでさらになにかするということが減っていた。昔の習慣もすっかりご無沙汰だ。

 

「正直、こうやって妹分のところに来れるほうが、気晴らしになっていいよ、うん」


「そうですか…。そうですね。良かったです。それで、その」


 若干いろいろなものが混ざったような表情を浮かべた千代ちゃんは、ごろりと背中を向けていった。


「うん?」


「あの、ですね…」


 なにか言いづらそうにしている千代ちゃんだったが。しばらくそうしていると、小さくため息の音が聞こえた。


「あの、今度、泉田理工に入学することになりまして…」


「ああ、そうだったね。今度入学祝いでも送らせてもらうよ」


 謎の頭痛を発症して以来、体調と気分の問題ですっかり閉じこもっていた彼女だが、ここ一年でだいぶもとの調子を取り戻していた。大検も受かった彼女は一念発起して、今度始まる新しいプログラムで泉田理工大学に秋から入学する予定なのだ。ちなみに彼女の兄が腰を落ち着けているのがその大学だ。


「こんど、キャンパス見学がありまして、ついてきてもらえませんか?」


「ん? あれ、公開キャンパス行かなかったの?」


「ええ、はい、兄を受け入れられる大学なら、その辺は大丈夫だろうと思いまして」


「はは…、まあ、確かにね…」


 思わず引きつった笑みが出た。正直、その点は俺自身あまり心配していないのだ。大学側に知り合いも多い。そういう意味では安心だ。そして、その感想は的を射ている。だが、先に一度見ておくのは悪くない選択肢だろう。

 だから俺はうなずいた。

 

「…ああ、それじゃあ、いつか決まったら、教えてくれ。適当に休みとっとくから」


「すみませんが、お願いします。他にも色々、これが終わったら、本格的に決めますから」


 そう言って、千代ちゃんはまたころりと向きを変えて、なんだか座った目でテレビに目を向ける。妙な受け答えだったが、何かを知らせるアラームが鳴って、俺もテレビに目を向けた。


 アナウンサーが改めて『HOPE』の来歴やスペックを説明する。

 全長358メートル、直径38メートルの巨大な鉄柱。

 それがいま、宇宙に、人類の希望を乗せて飛んでいる。

 それが成功するか、否か、それで人類の未来が決まる。

 それを熱弁して、涙まで浮かべるアナウンサー。

 俺は相変わらずの現実感のなさに、ただぼんやりと成り行きを見ていた。

 それが成功しないと千代ちゃんの未来もないのだから、多少は祈っておいたほうがいいのだろうか?

 俺が考えているうちに、画面からアナウンサーの泣き顔がぱっと消えた。

 

 画面は一瞬暗転したように見えたが、そうでないのはすぐに分かった。

 画面の暗黒の中を、きらきらと輝く光の矢が飛んでは消えていく。

 画面に写っているのは、宇宙を飛ぶものから見た光景だった。

『HOPE』からの中継映像だ。

 時計を見ると、二時、十分前。


 遠くに、巨大な光の塊が見えた。

 地球がその存在で、こんな馬鹿騒ぎになっている元凶。

 そのご尊顔が、ようやく拝める。

 そう考えると、少しじっくり見ようと思える。

 どうせ一瞬のことだ。『HOPE』はすぐに爆発する。

 それで終わりだ。この違和感からもおさらばだ。

 だから俺は何の気なしそれを見つめていた。


 だからあんな事になるなんていうのは、この時まったく考えていなかった。


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