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遊星からのダンジョンX  作者: コーヒーメーカー
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とある研究者について


 住み慣れてしまった基地の研究室、夏場に空調の効いたその一角で、ロナルド・ブッチャーは無機質なコードを写す画面をひたすら眺めていた。


 深夜の研究室だ。

 すでに日をまたいでからだいぶ経っている。眠気覚ましに口をつけたコーヒーは相変わらず泥のような味で、そのくせカフェインはいまいち効き目が薄い。何か考えていないとまぶたが落ちそうだった。帰れるものならさっさと帰ってしまいたい。叶わぬ夢だからか、余計にそう思う。


 ロナルドがこんな時間に研究室にいるのは、もはや珍しいことではなかった。

 この研究室にいる人間にとっては、徹夜、寝不足、泊まり込みはお友達のようなものだ。

 今もついさっきまで起きていた同僚が、部屋の隅のソファーを占領していびきをかいている。いびきくらいで集中力が乱されないようになったのはいつからだったろう。少なくともシリコンバレーにいた三年前は、いびきをかいている同僚がいれば部屋から放り出していたはずだ。そんな記憶も、だいぶ怪しくなったような気がする。


 この一年は毎日毎日、数学者や物理学者が出してきた無茶な要求に答えるため、怒涛のような日々を過ごしていたのだ。まるで日本のエンジニアのような毎日は、しがないシリコンバレーのエンジニアだった自分には、実に堪える毎日だった。


 おまけに今日はなんとも落ち着かない。

 まるで好きでもないものを飲み込まなければならないような、最悪な気分だった。できれば早く終わらせたい。


 ロナルドは自身でもわかるほどに光を失った目でモニターを見つめていた。

 それに映っているのは、ここ一年の集大成である、『HOPE』プロジェクトのためのナビゲーションプログラムだ。それはさっきからフル稼働して、計算結果が正常に弾き出されている。

 これがないと、『HOPE』は『TOWER』まで行くことができない。いわば『HOPE』のための水先案内人。かなりの重要な業務だった。


 しかしその重要さとは裏腹に、ロナルドは圧倒的な退屈さで押しつぶされそうになっている。

 もう何度目かもわからないが、モニターの片隅に表示されている時計に目線を投げ、そのたびにため息をつく。コードを走らせてから一時間が経とうとしていた。一時間しか経っていないとも言える。


 ―――特設スパコンを使っているとはいえ、やはりこれぐらいはかかるか…。

 

 すっかり冷めた苦いだけの液体をもう一口飲む。全く効き目が実感できないが、仕事中の癖のようなものだった。

 コーヒーを淹れるマグカップは、昔の職場から持ってきた青色のものだが、コーヒーの入れすぎですっかり茶色くなってしまっていた。三年前の自分とすっかり様変わりしているような気がして、思わず舌打ちが出た。


 シリコンバレーにあるベンチャーで働いていたロナルドが招聘されたのは、本当に突然の事だった。

 それまではシリコンバレーにある自分のオフィスで、居心地よく仕事ができていたのだ。金融の自動投資プログラムを試作し、それを走らせてその成果に一喜一憂する毎日。成果はそこそこ、それなりに充実した毎日だったと思う。

 それが突然やってきた恐怖の大王のせいで全て吹っ飛んでしまった。今思い出しても腹が立つ。おまけにその時説明された内容は、当時としては荒唐無稽この上なかったのも拍車をかけた。


 いまロナルドも所属する『HOPE』プロジェクトは、世界中で同時進行的に進んでいるとてつもなく大きなプロジェクトだ。正直やることが多すぎて、まともに全貌を把握できる人間がいるのかどうかさえわからない。


『HOPE』プロジェクトの概要自体は、大きいくせに非常に単純だ。

『TOWER』はまっすぐ、それこそ、きれいすぎる軌道を持って地球に向かっている。

 このままだと、あと一年後には(当時は二年後だった)それは地球に衝突する。だからその進路上に『HOPE』を連れていって跡形もなく爆破しよう。爆破位置は、精度や燃料、地球への影響といったものを考慮しておよそ六千万キロ先に設定する。話としては、たったそれだけの話だ。

 だが話が単純だとしても、それを成功させるのはとてつもなく長い道のりが必要になる。

 

 例えばここでつくられるナビゲーションプログラムだ。

 なにせ上も下も、右も左もまったくない宇宙空間にある小惑星を撃ち落とすのだ。考える要素はうんざりするほど大量にある。


『TOWER』の軌道、速度、体積、質量、材質、どこに打ち込むのか。どうやって打ち込むのか。『HOPE』発射時の地球の位置、強力な重力場を形成している太陽や木星による両者の軌道のズレ、『HOPE』自身の機械重心やそれにともなう推進力、何かあったときの修正とその方法、これ以外にもその他諸々。宇宙にある、あらゆる複雑な事象を組み合わせ、その上でおよそ六千万キロ彼方の標的へ、誤差はないに等しい軌道で撃ち出すのだ。


 それなのにその常軌を逸した物を、たったの一年で作るというのだ。このときそれをいけしゃあしゃあと言った説明担当者に、『くたばれ!』と行った自分は悪くないと思う。

 思い出してきたイライラを鎮めるために、ロナルドはマグカップの底をなめた。それはもう冷たいだけの苦い液体だった。


 当時集められた他の学者やエンジニアたちも、自分と同じ意見だったようだ。様々な分野の人間が一同に集められたその部屋は、おそらく小さい子供には聞かせられないような言葉がしばらく飛び交っていた。それぐらい当時は荒唐無稽な話だった。

 しかし、そうしなければ地球が滅ぶと言われていまえば、従うしかなかったのだ。もちろんそれができると思っているのは誰もいなかった。たしか、最期の徒花になるとかなんとか、そんな言葉に渋々うなずいたような気がする。


 そんな悲惨な始まりではあったが、このプロジェクトは何故かトントン拍子に進んでいった。

 最初は渋々ではあったが、世界中から集められた天才たちがそれぞれ意見を出し合い、最高と思われるナビゲーションプログラムの構想を練り上げた。おかげで自分たちエンジニアたちは普段だったら全く必要のないようなプログラムコードの新規の設計やら互換性やらバグ取りなどに悩まされたのだ。


 幸いだったのは予算だけは潤沢に確保されたので、できるだけ処理の早いスーパーコンピュータを何台もかき集められたことだろう。もとからあるものではもちろん足りなかったので、新しく稼働させたものもある。

 必要なシミュレーション時間を大幅に節約できたのはひとえにこのおかげだ。そうでなければ、今になってもこんなものは完成しなかった。


 そのおかげといえばいいのか、一年前に突然朝食のシリアルを食べていたところを大統領の名前で無理やり呼び出されて以来なんども構成からやり直したそれは、渾身の出来だと断言できるモノに仕上がった。

 

 頬杖を付き、うんざりした表情で、ロナルドは画面とのにらめっこを続けていた。

 画面上では忌々しいプログラムが、元気に正解を弾き続けている。


 ロナルドがこんな事になっているのは、このプログラムを一度走らせてみる必要があるからだった。他に検算専用チームがいるのだから、そちらに丸投げしてしまいたかったが、何かあって対応できないとこまるというのでくじ引きに負けたのだ。だから余計にイライラする。よりによって三十七分の一の確率に負けたのだ。

 これで地球を救うプログラムを作っているのだとは、誰も思わないだろう。


 ―――よくこんな計画が通ったよな…。


 黒く染まりかけた思考のなかで、ロナルドは頭の片隅でそう思う。


 なにせ、解決しなければならない問題は山積みだった。

 宇宙で世界最大の威力のミサイルを設計し、組み立てるというのも前人未到の問題なら、あらゆる入力をされた事象を予測し、全くミスのない計算式を作るというこのプログラムにしてもそうだ。数え始めればきりがない。


 正直、一年でできるようなものではない。それを人類同士の共闘という力技で押し切ったのだ。世界同時進行であらゆる問題を一つ一つ確実に潰す。おかげでプロジェクト自体も巨大すぎて、ロナルドも自分の部署の把握だけで精一杯だ。


 このテキサスの田舎にできた基地の研究室も、その巨大プロジェクトの所詮は一環だ。ここでは世界中の有名無名問わずさまざまな学者やエンジニアが集められ、それらの主導で『HOPE』のナビゲーションプログラムが作られている。これが、所詮は一環なのだ。


 問題の有りすぎるこのプロジェクトは、その解決のために文字通り天文学的な予算と人員が注ぎ込まれている。

 いま自分たちがやっているようなソフト面での作業に対してもスパコンを始めとする最新の機材、粒ぞろいの学者を始めとした最精鋭の人材が惜しげもなく、それが地球の危機、その一点のために注ぎ込まれている。

 本当ならいた方がいいような人材は検算専用チームや、電話番も含め、あらゆる箇所に配置されているのだ。


 滅びそうになっているだけでまだ滅んでない地球上では、経済活動は一応は正常に行われている。うちの四十人ほどのチームだけで小国の国家予算程度は金がかかっている。もちろん他のチームも同程度だろう。宇宙で組み上げている『HOPE』にいたっては、考えるだけでも恐ろしい。


 その大量の資金や資源のために、今までいがみ合っていたような国々が手に手を取り合い、金も物も人材も出し合い、世界共同プロジェクトなんてものを立ち上げている。世界中が、地球の危機を前に一つになっている。


 当たり前、といえば、それまでだ。

 直径一五キロの隕石でも、現代にも残るクレーターを残し、恐竜を滅ぼし、一時代を終わらせるには十分だったのだ。体積として三倍以上のそれが地球に刺さればどうなるか、少し頭をひねれば子供でもわかる。

 だが子供でもわかるような問題で実際に物事が動くかと言われると、ロナルドは首を傾げてしまう。


 いくら世界平和が大事でも、それであらゆる国が手に手を取り合えるかと言われれば、それは無理だというものだ。


 こんなひねくれた考え方をしてしまうのはおそらく、もともと金融系のプログラムが自分の専門分野だったからだろう。もっと言えばカオス理論の一分野だ。


 もともと株式の予想とあらゆる事象を包括的に理解しようとする自分の専門は相性が良かったし、その分野でシリコンバレーでは仕事をしていた。その時の論文がこのプロジェクトのだれかの目についてしまったせいでこの仕事をしているのだ。だがだからこそ、この状況は首を傾げるのだ。


 ―――そうだ。


 自分のイライラの原因に、ようやくロナルドは気づいた。

 

 地球の危機だからといって、なら実際どうだというのだ。『TOWER』は間違いなく落ちてくるが、絶対にそれに懐疑的な意見が足を引っ張るだろう。

 ここぞとばかりに自分の取り分を増やそうとする国も出るだろうし、その必要で予算が削られて関係機関は嫌がるだろう。それに伴う混乱は野火のように広がるはずだ。それが、悲しいことに、我々の普通だ。普通だった、はずだ。


 しかし、実際に世界の国々はまとまり、どこも―――少なくとも表面上は―――抜け駆けしようという国も見当たらないし、こういうときに騒ぐ権利団体も見当たらない。せいぜい妙な宗教ができたと風のうわさで聞いたくらいだ。


 もちろん、一国が抜け駆けしたとして大したことができるとは思えないし、騒げばそれだけで人類滅亡へまっしぐらなのだから静かなのもわからなくはない。だがそれにしてもお行儀がいい。いや、良すぎている。

 それを一言で言い表すならば、不自然(、、、)の一言に尽きる。自分は、それが気に入らないのだ。

 ロナルドは冷たいコーヒーをまたすすり、顔をしかめた。

 イライラの原因に思い当たった途端、妙に体が冷える気がした。

 そういえば、とふと気づく。


 ここにはアメリカでも粒ぞろいの学者たちが集められている。

 いつだったか、たしか構想段階での議論で煮詰まってしまい、気晴らしをしようというときだった。こんな状態になるのがどれぐらいの確率になるのかと言うのを議論したのだ。


 これは奇跡だとある物理学者は言った。それに乗って、どこかの数学者がふざけて確率で出そうとしたんだった。それが果たしてヨクト(十の六十四乗分の一)より大きいか、小さいか、それを賭けたんだった。

 それの判定に、ロナルドの手持ちの計算モデルがちょうどよかったので、使おうとしたのだった。ちょっとしたお遊びのつもりで、自分は取り合わなかったか? いや。


「…使ったんだったか?」


 ロナルドは、首を傾げた。結果が思い出せないのだ。

 いくらなんでも自分の専門だった分野だ。何かの足しになるだろうと、地獄のような仕事の連続の中でもデータくらいは取ったはずだ。自分は自分の興味のある分野に関しては誠実だったはずだ。

 それが、思い出せなかった。最近こういうことが多すぎる。

 何かがおかしいのだが、それが何なのか、わからない。


「ログは、あったか?」


 デスクの上においてあった自分のタブレット端末を手にとった。

 プライベートに関するデータは一括でそれで管理しているのだ。もしそんなおふざけでシミュレートしたのなら、おそらくこの端末を使ったはずだ。ならばそこにデータが有るはずだ。


 だから、検索しようとした。タブレットの画面を覗き込む。覗き込んだ、はずだ。


 ……!


 ふと、ロナルドは目を開けた。

 いつの間にか寝てしまっていたらしい。伸びをすると、背骨がボキボキと音を立てた。

 

「いかんな…」

 

 ポツリと呟く。

 流石に、ここで眠ってしまうのはだめだと思う。ただの電話番とはいえ。いくらなんでも気を抜きすぎだろう。

 ため息を付いて、温かいコーヒーを口に含む。どうやら寝る前に入れ直してきたらしい。砂糖も何も入っていないが、眠気覚ましには丁度いい。そう思いながら、ロナルドはまたモニターへと目を向けた。どうやら五分も眠っていなかったらしい。電話がなくてよかった、というべきか。少し寝たおかげで頭が冴えているのを幸いというべきか。

 ロナルドはモニターへと視線を向ける。どうやら検算は、無事に終わりそうだ。おそらく時間にして残り時間は一時間ほど。夜明け前には終わるだろう。あとは待っていればいい。そうすれば、この仕事ともおさらばだ。


 椅子の背もたれによりかかり、そのままロナルドはじっと待つ。

 ずっと感じていたイライラも、いつの間にか元の場所に戻されていたタブレット端末のことも、すでに忘れてしまっていた。 

 

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