現状について
加賀寿明は頭を抱えていた。
加賀は自分のことをなんの変哲もない法務省の役人だと自負している。最初の頃こそキャリアに受かって浮かれていたが、法律の知識のない議員に法律について何度も説明するような仕事をやっているうちにぐったりしてしまったのも事実だ。正直、最近昇進して日々の業務を淡々と部下に回しながらこなすだけで済んでいた毎日に平穏を見出していた。
そんな日々に影がさしたのは、間違いなくダンジョンのせいだ。ただでさえも抜け毛が多いのに、最近はとくに散々だった。
最初はこのステータス、ダンジョンの対策本部なんかに出向させられたことからだ。
別に法務省の役人が災害対策に出るのは珍しくない。災害のときは法律的に元からある制度で対応できるところは指示を出し、必要そうなら対応できるように解釈を出し、対応できそうもないところがあれば急いで新しい法律なり政令の草案を作る必要がある。良くも悪くもそれで済む。
だが今回のこれは、いつもの地震やらとは違ったアプローチが必要だった。いつもなら、防衛省や気象庁、消防庁なんかが主役なのに、今回は下手するとうちが主要な役割をやらなければならない。まず、これで心労が貯まる。しかも、主役の成り方がひどい。
「持ち主がわからないってどういうことなんですか?」
またこれだ。
委員会に招聘されて、何回目かもわからない質問だ。それに対して、自分はこう答えるしかない。
「ですから、今は確認中です。もうしばらくお待ち下さい」
「ダンジョンを一般に公開する予定は?」
「そちらも、時期を見て判断するとのことです。詳しくは官房長官の記者会見で」
記者会見まで任されたため、マスコミ相手にもこのやり取りを一日に十回前後するのが最近の日常だ。災害のときの気象庁の記者会見並みにやっている。
それくらいマスコミなんだから自分たちでも調べろよと言いたいのだが、そんなできたメディアが相手だとこっちの苦労も増えるのだから痛し痒しだ。
会見場から引っ込み、さっさと自分の仕事机まで早足で戻る。喉が乾いて仕方ない。部屋の前まで戻ってデスクにぐったり腰を下ろすと、緑茶のペットボトルが差し出された。
「室長、お疲れさまです」
「高木、それを言う前に、結果は出たのか?」
ペットボトルを引ったくるように受け取り、中身をがぶ飲みする。冷えてはいないが冷たいやつより飲みやすい。
それを差し出してくれた部下が苦笑を浮かべている。
「すみません。やっぱり無理です」
「だろうな…」
ぐったりと椅子にもたれかかり、加賀は大きくため息を付いた。高木から資料が差し出される。
「なんだって、ダンジョンのもとの家の持ち主はどいつもこいつも行方不明なんだ?」
「一応聞き込みでは、どこかの会社が土地ごと買ったというのはわかっているんですが…」
「それは前も聞いた。その会社もいつの間にか倒産してたんだろ?」
「どこかの資産家が買った家もありましたよ? 登記はメチャクチャでしたけど」
そう言って薄く笑っているが、こいつは緊張感を持ってほしい。
加賀はため息を付いて、差し出された資料を見始めた。どれもだいたいすでに見たような内容だった。
今マスコミが政府批判で使っている材料は2つ。一つはチュートリアルダンジョンを作られた家の管理と対処はどうなっているのか。もう一つはその後にできた廃マンションのダンジョンはどうなっているのかだ。
なにせどちらも大した事はできていないのだ。見る人から見たら職務怠慢だろう。だが手を出そうにも、手が出せないのだ。
例えばチュートリアルダンジョン。
何かあったらという体で封鎖こそしたものの、取り壊しもしないでどうしたのだという。おっしゃるとおりだ。
別にこっちだって何も考えていないわけじゃない。手が出せるならどうにかしたい。物理的にハンマーも重機も受け付けないようだが、それならそれでやりようはあった。だが持ち主がわからないため法律的に手出しがしづらいのだ。
公共の安全とかで理屈をつけて始末することはできる。一応すでにそっちの手続きは始めている。ただ、元の手続きをするとなると、個人の敷地なので手続きに時間がかかるのだ。それが余計に批判される。
いつもなら持ち主が出てくるのでそれに命じてなど手出しの方法はある。だが今回は持ち主がわからないのでそれもできない。持ち主を調べさせてはいるが、まるで雲を掴むような気分だ。雲のように消えてしまったんじゃないだろうか。なんとか始末できたのは人の住んでいたアパート一つだけだ。
もう一つの廃マンション地下のダンジョンは更に面倒だ。
中の学者いわく、場所がわからないのだという。自分も内部画像を見させてもらったが、何がどうしてあんな空間ができあがったのか理解できない。
洞窟が見つかったとかならまだわかるが、地下空間に広がる空とか言われてもどうしろっていうんだ。
一応地続きなのだから日本領土の一部として始末してしまおうという意見ももちろんあった。自分も賛成した。そのほうが手続きを面倒を少なくして始末できた。だが、横槍が入ってきた。
その意見が言うに、そこは物理的にありえない土地なのだから、場合によっては外国なんじゃないかという。万が一そうだった場合、それは侵略行為に当たるんじゃないかというのだ。馬鹿じゃないかと加賀は素直に思った。
だがGPSも機能しない以上、否定しようにも否定材料がないのも事実だ。物理的には地下にそんな空間はないのだから。上はその件で議論を始めてしまい、話が進まない。
そんなことを話し合っているうちに、今度はこの正体不明の問題は早く解明しなければならないなんて話が出てきた。いつの間にか調査隊が中に入り込んでいる始末だ。これだってどこの土地なのかの議論をつけてからというのが本来なら筋だ。それなのになぜか通ってしまった。
ここまで聞けば、やっていることは矛盾だらけだ。だが目的ははっきりしている。
「…あれって、結局、ダンジョンの場所が日本だと都合が悪いんですよね?」
「高木、思っても口に出さないのがマナーだぞ?」
苦笑を浮かべて、加賀が資料を読み終えるのを高木は待っている。この部下はこの業界が向いていないんじゃないかと、加賀は常々思っている。そんなことはわかってる。
このゴリ押しは、つまるところそういうことだ。
国内だと人命は重い。だが国外なら話は別だ。
例えばあのポーションという謎物質は薬事法に引っかかる可能性がある。詳しいメカニズムがわからないと、人で試すこともできないだろう。聞いた話では相当効果はあるらしいが、厚労省の審査官は認可を出さないだろうなと思う。別に意地悪をしているわけではないが、安全性を調べるのには時間がかかる。
そういう面倒を取っ払い、無理やり人で試し、調べるなら、国外のほうが都合がいい。法律もないような土地ならなおさらだ。
いつの間にか段取りが組まれ、調査隊に加えて一般人まで中に入ることになったそうだ。大丈夫なのかと思っていたが、さっそくなにか事故があったらしい。だがそれさえも不問だ。あそこはすっかり治外法権扱いらしい。
「あれ、大丈夫なんでしょうか?」
「だめに決まってるだろう。だが、手がだせん」
記者たちに与える餌が足りない。というか、出せるような餌がない。
記者会見のたびにピラニアの生簀に入るような気分だ。もしバレたらどんな騒ぎになるやら。思わず舌打ちが出る。
「…泉田の社長とか、他にもかなりの連中がこの件をゴリ推してる。上もただうなずくだけだ。しばらくこの騒ぎだな」
「そんなにまずいんですか?」
失点1。
じろりと高木を見ると、流石にまずいと思ったのか、首をすくめていた。だから思っても言うなと言うのに。
「…財務省の連中は知ってるな?」
「最近はなんでもかんでも節約節約でうるさくってかないませんよ」
「そういうことだ」
それだけ言って加賀がどこか行けと手をふると、ようやく高木は自分の机に戻っていった。まったく、ため息が出てしまう。
高木の言いたいことはわかる。悪法であろうが法なのだ。守ってもらわないと、国の対面が保てない。何が何だか分からない事態であっても、対応しようと思えば手がないわけではない。そのために俺たち官僚がいるのだから。今までだったらそうしてきたし、今回だって手がないわけじゃない。
だが今はそうも言っていられない。
あまり公表されていないことだが、例の金食い虫、この『TOWER』襲来事件の元凶、『HOPE』プロジェクトで政府の台所は火の車だ。ロケット発射場の予定地確保と建設、技術者動員のための『ほーぷくん』などの余計な事業。無駄に無駄が重なって、数年先の予算まで食いつぶした始末だ。
正直言って、今回の件まで対応できる能力が今の政府にはない。
それでもなんとかこのダンジョン騒動に対応しようとして、調査能力のある企業などにかなり無理矢理協力を仰いだ。もちろん企業に協力を求めれば、見返りを求められるのも当たり前だ。そして話を聞いた限り、あそこは金のなる木になり得ると聞いている。いまの矛盾した事態になってしまったのは、そういった思惑の結果だ。
「本当にどうするかね…」
重苦しくつぶやいて、加賀は次の記者会見のための原稿に取り掛かった。




