到着について
なんとか会社に休職を認めさせるに2日も必要になった。
部長はしぶりながらもなんとか認めてくれたが、社長の横槍で会議にまで引っ張り出される始末だ。人事部の滝川さんが社長を一喝してくれなかったら、未だにあの不毛な会議の門前でねちねち吊し上げをされているところだ。さすが我が社きってのお局様だろうか。
部屋の解約作業や、新しい部屋の契約をしてしまったあとだが、一応通いもいいらしい。元の部屋はそのままにしておいていいらしいので、新しい部屋に荷物だけ放り込み、例のマンションに車で向かう。なんだか引っ越した気がしない。
「もとはバブルの頃に作って、管理費の問題で取り壊すことになっていた、らしいんですよ」
そう言って、重原と名乗った年嵩の自衛官は寂しそうに件のダンジョンマンションのことを紹介してくれた。
見た目は3階建ての普通のボロいマンションだ。レンガタイルを貼って見栄えを出そうとしたらしいが、今ではあちこちそれも剥げてしまい、みすぼらしさを際立たせている。バブル期に無理やり立ててしまったらしく、駅には遠く、買い物にも不便そうな立地のあまりよろしくないところにあった。朝の9時に集合と言われて結構余裕を持って出たつもりだったが、思いの外時間がかかってぎりぎりいなってしまった。
京一から渡された協力者の証明書を見せるとマンションの近くにあった駐車場に車を停めるように誘導され、マンションまで案内してもらった、のだが。
「…なんだか、駐屯地みたいですね?」
「警備の都合上、どうしてもこうなってしまいまして」
そう言って重原さんは苦笑するが、この有様は苦笑で済むんだろうか?
よく災害派遣で見るような迷彩色のトラックが路肩に止まった道を進んで案内されたマンションは、駐車場の合ったであろうスペースに深緑色のテントが立ち並び、そこここに歩哨らしき自衛官が立っている。しかも、隊員たちはフル装備だ。ミリタリーなんて殆ど知らない俺でも知っているサブマシンガンのようなものを構え、殆ど臨戦態勢のように見える。
「…ここで、合ってるんでしょうか?」
「ええ、ここです。もうすぐ、塩谷研究員もお見えになると思いますから、こちらのテントでお待ちください」
そう言ってにこやかに俺をテントの一つに案内すると、重原さんはお茶を入れて出してくれた。折りたたみの椅子と机があるだけの、多分会議か何かに使うんだろう大きなテントだ。なんだか緊張でのどが渇いていたので、礼だけ言って遠慮なくそのお茶をもらう。大丈夫か、ここ?
「…一般の方には居心地悪いと思いますが、ご辛抱ください。中に入れば、ここほどは物々しくないので」
「はぁ…。そうですか」
ここに一ヶ月通うって、心臓によろしくない気がする。安請け合いしすぎたか?
俺が顔を青くしていると、重原さんが励ますように笑いかけてきた。
普通逆じゃない?
「…外では中のことは話せないことになっていますので、詳しくは申せませんが、きっと大丈夫ですよ」
「…塩屋も同じようなことを言っていたんですが、中はそんなに、あー、すごいんですか?」
「肯定も否定もしかねますが、ね」
そう言ってウィンクする重原さんは、どういう人なのか知らないが、茶目っ気はある人なのだろう。俺はどうすごいのか気になっているんだが、この分だと当面お預けか。
黙って出してもらったお茶をすすっていると、外でにぎやかな足音がこちらに向かっているの聞こえてきた。
「おー、修司、来たか!」
そう言って巨大なリュックを2つ手にぶら下げて、にぎやかにテントに入ってきたのはやはり京一だった。いつものシャツにジーンズなんて言うラフな格好ではなく、なんと自衛隊の迷彩服姿だった。足音がにぎやかだったのはブーツを履いているせいらしい。
「…なあ、おい、本当にここ、俺が入って大丈夫だったのか?」
「そのためにわざわざ許可証発行したんだろうが。さて、重原さん、ありがとうございます。ここからは引き受けます」
「いえいえ、こういう方でしたら特に問題ないのですがね…。では、私も失礼します」
京一にピッときれいな敬礼をして、重原さんは入れ替わるようにテントを出ていく。テントの入口にもいつの間にか歩哨らしい隊員がいたが、その隊員から重原さんは敬礼を受けていた。
「…なぁ、京一、重原さんて偉い人か?」
「偉いぞ。このダンジョン警備本部のトップだ」
「…俺みたいなのの案内ってもっと階級の軽いやつがやるんじゃないのか?」
「普通そうなんだがな、ま、色々あるのさ。特に今は一般人入れてるからな」
そう言いながら持ってきたリュックを床に下ろすと、中身を机の上に並べ始める。中から出てきたのは京一の着ているような迷彩服、ブーツ、手袋だった。
「ひとまず、これに着替えてくれ、更衣室はそこにある隅のカーテン使え」
「身一つで来ていいとは言われたが、こういうことか…。それにしても物々しくないか?」
「これからはいる場所の問題だ。服は確実に汚れるし、貴重品は持っていかないほうがいいだろうな。金庫もあるから、財布と車の鍵はそっちに放り込め」
そう言いながら着替えを押し付けてきた京一は、グイグイとそのカーテンのところまで俺を連れて行ってカーテンを閉めてしまった。少しは説明がほしいんだが。相変わらずとはいえ、思わずため息が出る。
「…このあとどうなるんだ?」
「ぶっちゃけ、今日は中の案内だけだ。それで今日のスケジュールは終わり」
「案内だけ?」
ただの作業着かと思っていたら思ったより着づらい迷彩服を着ていると、京一はスケジュールをそう説明した。ざっくりしすぎだ。
それにしても、案内だけ?
「案内って、どこを案内するんだ? この駐屯地でも案内してくれるのか?」
「それも、ある。ここ結構充実しててな。食堂のテントがあるが、思ってたより美味い。服のサイズは大丈夫か?」
「この間わざわざサイズ聞いてったのはこのせいか。まさか、食堂で一日潰させる気か?」
硬いブーツに足を押し込める。紐を結ぶのがここまで面倒だとは思わなかった。
「いや、そうじゃない。ただ、多分一日歩き回る可能性が高い。飯食ってきたか?」
「一応な。…どこを歩き回るんだ、って聞くまでもないか」
ここまで来て、歩き回ると言われればダンジョンを歩き回るに決まってる。ようやく支度を整えて、カーテンを開けて外に出る。京一がリュックを放り投げてきた。中身を見れば水と非常食らしいパウチだ。
「…どんな場所なんだ?」
この間から、何故か中の情報が手に入らないが、そんなに厳重に守るような場所なんだろうか?
リュックを背負いながら聞いてみると、答える気がないのか京一がニヤリと笑う。だからその顔してるときのお前はろくなことを考えてないんだっての。ったく。
「…ここが厳重なのはなんか理由があるのか?」
「そっちの理由は2つだな。一つは野次馬、もう一つは中身対策だ」
「結局、そこか」
ヘルプいわく、ダンジョンというのはモンスターというのが徘徊する場所らしい。この間の人形のなかなかの殺意を考えると、危ないのは間違いないだろうと思っている。サティファに出されたあの人形は特別性だったらしいので、実際どうなのかわからないが。
金庫に案内され、財布と車の鍵を放り込む。何故かスマホも置いていくように言われた。
「…その中身ってどんな感じなんだ?」
「どんな、というのが説明に困るんだ。箝口令が出たのもあるし、ちょっとトラブルもあってな」
「トラブル?」
着慣れない服を着てテントから出ると、まだぎりぎり8月なこともあってか、むわりと外の空気がまとわりついてきた。
そのまま京一に促されるようにマンションに向かって歩を進める。
「…あれ、見えるか?」
歩きながら首だけマンションの壁部分に向けて京一が言う。
近くまで寄っても見た目はボロいマンションだ。近くで見た分、遠目で見たよりひどいかもしれない。すでに窓は割れている箇所が目立つし、よく見ると隅の方にはゴミがかなりの量が転がっている。そして京一が目を向けた地下駐車場だったらしい入り口の壁の一部だが、変に焦げている。床から放射状に焦げ跡がついていた。
「…火事でもあったのか?」
「感想はそれだけか?」
「…他に言ってほしいのか?」
そこは本当なら火の気も何もなさそうな場所だ。火事なんて起きようはずはない。放火の線も考えられるが、どう見ても火がつける縦に伸びるようなあとではない。それに黒井部分がはっきりとついていて、どう見ても新しい。そしてどちらかといえば。
「…なんか爆発でもしたのか?」
「ま、いろいろあってな。情報規制がきつくなったわけだ。一応もうキャンプは危険がないから、逸れたりなんかあったら戻ってこい」
「逸れるような場所なのか?」
京一の言葉にどうにも首を傾げざるを得ない。さっきからなにかすれ違ってる。
「…なあ、お前さ。ダンジョンて言われて迷路思い浮かべてたろ?」
「違うのか?」
地下駐車場の入り口が近づいてきた。何故か天幕のような物が貼られ、中が見えないようになっている。その前に歩哨の自衛隊員が数人立っていた。
京一がその隊員たちにIDカードのようなものを提示して少しだけ話すと、隊員たちは敬礼して、脇に避ける。
「さて、じゃあ行くか?」
「こんな格好でいいのか?」
正直装備らしい装備はまったくない気がするんだが。さっきもらった非常食くらいだ。こんな格好で行っていいのか?
「あー、もっと重いのがほしけりゃ、中でもらうようにな。外から電子機器の類は持ち込むな。壊れるぞ?」
「壊れる?」
「ああ、何人か持ち込んだ実験器具、それでだめにしたからな。まあ、見てみればわかるさ。…行くぞ?」
「あ、ああ…」
なんだかよくわからない説明を受け、京一が天幕をくぐるのに続いて中に入る。中に照明を置いていないのか、天幕が降ろされた途端暗闇で何も見えなくなる。そして暗闇に入った途端、なぜか草の香りが鼻をくすぐった。
「ほら、こっちだ」
そう言って気づくと横にいたらしい京一が俺の肩を押して道を促す。いつのまにか取り出した懐中電灯をつけていた。
地下駐車場にしては広い空間だ。遠くに出口らしき明かりが見えるが、変に遠くに見える。
「…ここ明かりもないのか?」
「元が取り壊し予定のマンションだからな電球の類は全滅だったんだ。それがダンジョンになっちまったもんだから交換もできやしない」
「やっぱりマンションまるごとダンジョンなのか?」
「ああ、マンションまるごとな。差し押さえこそ間に合ったから良かったけど、中身はこんな有様だ。そら、いくぞ。あっちが目的地だ」
暗がりにシルエットだけになった京一に促され、足元に気をつけながらゆっくりとさっきの光に向かって歩き始める。がりがりと古いコンクリ特有の足音が暗い空間に響いて耳障りだ。暗闇に慣れてきて通路の横を見ると、ぼろぼろの報知された廃車や、ゴミ袋、画面の割れたブラウン管テレビが無造作に放置されている。
「…やっぱりなんかイメージと違うな?」
「そうか? お前の場合終わらない迷宮とかそんなイメージなんだろ? 昔のゲームみたいな」
なんだか無粋なそれらを見て言うと、京一からはそんな答えが帰ってきた。それを言われると痛いが、間違ってもいないだろう。
「普通違うのか?」
「違うとは言わないが、古いっちゃ古いぞ。お前何年テレビゲームやってないんだ?」
「お前が持ってたダンジョンクエスト以来だから…、十六年か?」
「古いな…。小学校以来かよ。つかそれでも古いぞ?」
「あの頃は4だか5だかが流行ってただろうが。お前が貸したんだぞ?」
「お前があまりにも下手くそだったからだろうが。それにとっくの昔に吸収合併されちまっただろう。最近はああいうアナログなんじゃなくて、…ああ、まあ、一回見てみろ」
くだらない話をしているうちに、光がどんどん近くなってくる。京一が言葉を切ったが、正直説明してもらいたいものが耳に聞こえてくる。
なぜかその光の向こうから、滝の轟音が聞こえてくるのだ。
そんな俺にお構いなしに京一はグイグイと光に向かって進んでいく。少しは気にしてほしいのだが、今はついていくしかない。鼻をくすぐる草の匂いに、甘い蜜のような匂いがまじり始める。そして、光を抜けた俺は、言葉を失った。抜けたところで俺を待っていた京一が自慢気に言う。
「…こういうのが流行りなんだよ」
そこは小高い丘の上だ。丘の周りには鬱蒼とした森が生い茂っていて、日本の町並みなんて見る影もない。
見下ろした先に日本ではまずお目にかかれないような、湖のような巨大な川が流れている。それは巨大な滝にり、轟音とともに底の見えない崖の下へと落ちて、雲のような水しぶきを上げている。そして上を見上げれば、青い空が広がっている。なんだこれ。
いたずらが成功したように京一が笑っているが、なるほど確かに一本取られた。これを説明するには、見てもらったほうが早いだろう。




