経過報告について
「こちらが今回の金額103万8560円となります。内訳はポーション代一本あたり21万560円引越し費用で40万6880円となります。引越し費用に関しては、家具、家電、衣服小物のすべての下請け費用を含みます。詳細をご覧になりますか?」
「そちらは別途でいただきます。…なんで現金なんです?」
「振込手続きをすると、時間がかかりすぎると判断されました。確定申告をする際は税務署にはこちらの用紙を提出してください。それと、申し訳ないのですが…」
「思い出補正はつかないでしょう?」
「…申し訳ありません」
「思い入れのあるものがあるわけじゃないので、そこは構いませんよ。お気遣いありがとうございます」
俺は相変わらずカップの固定されたテーブルを挟んで来客を迎えていた。災害対策本部から派遣されてきた櫛田景子という人だ。ようやく例の処遇が決まった、という話だった。
「…ちなみになんですが、他の方たちにも?」
「はい。名前は伏せてありますが、このアパートでチュートリアルダンジョンが発生し、資金とともに立ち退きをお願いする旨を伝えてあります。期日は2ヶ月となっています」
「そんなところですか…」
おそらく他の人達はそこまで苦労はしないだろう。このアパートに関してはもともと単身者向けのものだし、ある程度スムーズに行くだろう。思い入れがあるという、一番面倒な部分がかるかったのが幸いか。ちなみになぜか近所の不動産の、妙に条件のいい物件のチラシがアパートに放り込まれていた。なぜか黒いものを感じるが、ここは俺の心情が軽くなったと思っておこう。
「…ところで、うちのやつ機能してるのか、いまいちわからないんですけど、問題ないんですか?」
「そこは問題ありません。研究用のドロップ品に関しては、ダンジョンの潜行部隊が手に入れています。こちらはどちらかといえばこの、あー、空間固定現象? の解明が目的ですので」
「一応その名前で決まったんですか?」
「まだ慣れませんが、そうらしいです」
そう言って櫛田さんは苦笑した。徹夜でもしていたのか、妙に疲れた顔をしている。
「ダンジョン潜行は、順調なんですか?」
「所属が違いますのでなんとも言えませんが、ニュースでお聞きになっている通り、ですね」
そう言って素知らぬ顔で俺の出したコーヒーを飲んでいる。やっぱり公務員らしくガードが硬い。やっぱりこうだよな普通。
あの派手なダンジョン出現から一週間、結局その後自衛隊の潜行部隊がダンジョンに入ったということから続報が入らなくなった。俺も千代ちゃんとしばらく見ていたが、大して動きがなかったためその後はそのまま帰ってきてしまった。
なにか爆音が聞こえたという話もあったが、死者が出たという話もなく、潜行部隊は順調に中を攻略している、らしい。ニュースも大した続報も出さず、よくわからない状態が続いていた。
結局そのあと順調に書類にサインして、櫛田さんとはそのまま別れた。これでこのアパートとはお別れだ。幸いなことにと言うか、すでに別のアパートに引っ越すことが決まっている。
ペコリと丁寧にお辞儀して櫛田さんが部屋を出るまで見送って、なんとなくの寂しさとともにリビングに戻る。そこには寂しさとは無縁そうな男がソファーでふんぞり返っている。
「で、お前はなんでいるんだよ?」
「居ちゃ悪いか?」
そう言って京一はソファーにふんぞり返って、うまそうにコーヒーを啜っていた。櫛田さんと来て、そのまま帰ればいいものをいつまで経っても帰らない。
京一はふるふると首を振る。
「真面目だよな、あの人。それくらい話しちまえばいいものを」
「普通、公務員て守秘義務あるだろ?」
「それぐらいさじ加減でどうにでもなるもんさ」
「それがわからなくてネットで大炎上するくらいなら黙ってたほうがいいだろ?」
「世の中頭が固いな」
呆れたように言ってるが、こいつは逆にゆるすぎると思うんだ。
何も言うまいと腹に決めながら俺も黙ってコーヒーを啜る。カップも新しくしたが、少し大きいものにしてよかったと思う。櫛田さんとの長話が合ったにもかかわらず、中身のコーヒーがまだ温かい。さて。
「で、お前はなんで残ったんだ?」
「要請がある。受けるか、受けないかだ。ちなみに正式なやつな」
京一はふんぞり返ったまま、顔だけ真剣なものになった。
ふむ。
「まず要請ってなんだ。それって、国絡みか?」
「そうなるな。詳しい話、聞きたいだろ?」
「聞きたくない」
「まあ、そういうな。そのへんのアフターサービスはしっかりしてるから、な?」
まるで子供に言い聞かせるように言いながら、京一がにじり寄ってくる。その無駄に端正な顔を押しのけて、さっきの現金の束をかばんに放り込む。
「…ひとまず、話を聞いてから判断てできないのか?」
「できない、と言われてるが、まあ、俺は口がゆるいからな。ちょっと話しちゃうかもな」
「掌返すが、お前の口の軽さはありがたいな」
「そうだろう、そうだろう?」
そう言って、京一はノートパソコンを取り出して電源をつける。慣れた手つきでキーボードを打ちながら口をひらく。
「まず、大まかな内容について言うと、スキルの検証だ」
「検証?」
「そ。お前、結局スキル使えたか?」
「いや、あれからうんともすんとも言わないな」
続報がないといえば、スキルに関しても進展がない。例のスキル使用のライブ中継も途中で投げだしてしまったらしい。おかげでポーションの値段は高騰したままだが、例のスクロールは値段がガタ落ちだ。
「それなんだがな。必要な要素があるんじゃないか、という話が上がってる」
「必要な要素?」
「ああ、これ見てみ?」
パソコンをくるりとこちらに向けて画面を見せてくる。それはなにかの波形のグラフだった。タイトルもなにもないから何なのかはわからないが。
「なんだコレ?」
「ちょっとした調べ物の成果だ。で、これがダンジョンの外で取ったもの、そして、こっちが中で取ったものだ」
そう言って2つの波形を上下に並べて、違いがわかりやすいようにしてくれる。上は凪いだような線だが、下はその上下幅が強くなっている。
「実は、ダンジョンの中と外で環境その他、全くといっていいほどの違いがあるのがわかっててな。俺の分野だと、これが一番変化がある」
「ふーん…?」
こいつの分野、ね。
「…それって、人体に影響があるってことか?」
「あるな。ただこの波形自体には人体への効果はない。ただ、中に入った瞬間に下の波形に変化する」
「なるほど?」
それ、かなり重大な変化なんじゃないのか?
「他の研究員がガイガーカウンターも試したし、大気成分、その他有害だって考えられることは粗方試したが変化なし。せいぜい、大気成分が数十年前の地球の大気みたくクリーンだったくらいだ。試しにラットを3日入れて経過観察したが、これも元気に生きてる。ま、なんだ、何かあるとすればこれくらいだ。この波形だって無害なのが証明されてる。つまり問題なし。安心だろ?」
「慰めにもならない慰めをありがとう。で、それとスキルがどう繋がるんだ?」
「実はな、全く関係ない」
思わず真顔になってしまった俺は悪くないと思う。京一は可笑しそうに喉を鳴らす。
「そんな顔するなよ。スキルに関しては正直手詰まりでな」
「なら、のんびり研究してりゃいいじゃないか。お前なら予測が立つまでモルモットは使わないだろ?」
「俺は、な? だが世の中焦る連中もいる。他のこと調べてる研究者もいるしな。今回のこれは警察組からの要請さ」
「警察?」
京一の口から出てくるとは思えない単語に思わず声が出てしまう。今のところお世話になってはいないが、京一なんていつ面倒をかけるかわならない人種だ。そんなやつが、警察?
「そんな顔するなよ」
「されるような自覚はあるんだな? だが、なんでスキルのことを警察が知りたがるんだ?」
こと新技術なんてものには無駄に鈍感であり、余計に過剰な警察が、なんでこんな眉唾話にでてくる?
それを言うと京一も困ったよう頭を掻く。
「正直、警察が出てくるのはもう少し先だと思ったんだがな。俺にも理由は分からん。予想はつくがな」
「まあ、な」
もしゲームのように人がファイアーボールなんて撃てたら物騒なことこの上ない。しかも拳銃のようには発見されないだろう。もし殺人事件なんて起きたら警察は相当苦労する。しかし、だ。
「まだ使えるやつはいないだろう?」
「まだ、な。警戒してるんだと思うが、理由は分からん。だが、ちょうど良いんだ、俺としては」
そう言って今度は書類を一枚取り出した。
そこには『深部研究領域におけるスキル使用可否研究に関する契約書』という題名が書かれている。題名こそ見慣れないものの、いつもの契約書のように読む気も起こさせないためにずらずらと長い条項の羅列を入れた見慣れた紙だ。
「なんだ、それ?」
「要約すると、スキルを持ってる奴らを集めてダンジョン内で使わせて、その経過を見ようって研究の企画だ」
「スキルを持ってる奴ら?」
ピクリと眉をひそめる。
京一が肩をすくめた。
「俺はお前のことは報告してないぞ? だから自由参加だ。ついでに言えば、これは主に動画投稿してた連中とか、SNSで無警戒に情報垂れ流してくれた連中向けの企画だ」
「個人情報も何もあったもんじゃないな…」
「用心しないほうが悪いって理屈だな。一応申し訳程度に役所側も何人か参加するしその間も警備はするが、なにか影響があった場合、責任負いかねるっていうのが契約内容だ」
「対価は?」
「実験期間中の寝食の保証と給料、日本で最も早くダンジョンに入れる一般人っていう称号」
「割に合わないんじゃないか?」
下手をすれば一生体を悪くしかねないのに、対価がその程度というのでは、集まる奴らもいないんじゃなかろうか?
そう言ってみると、京一は静かに首を振る。
「実はな、結構人気なんだ。もう少し値上げ交渉くらいするかと思ったんだが、動画投稿者ってのは素直なんかね?」
「いいのかそれ?」
そんなにほいほいOKを出せるような内容なのかと契約書の中身を見れば、契約期間は1ヶ月、ドロップ品の買取契約、実験に関しては研究員の支持に従うこと、あとは守秘義務が発生するくらいだ。だが。
「一ヶ月も缶詰になるのか?」
「一ヶ月も缶詰になるな」
普通に勤め人をやっていれば、職場を一ヶ月も休みますなんてまず言えないだろう。それをやれと書いてある。
「…そういうところがお役所仕事が常識ないって言われるところなんじゃないのか?」
「だろうな。だが、今はそうとも言えない。そうだろ?」
「…なんで俺にそれを振る?」
「今日平日だろ? なんでお前家にいるんだ?」
にまにまといやみったらしい笑い方をしてくれる。ったく。
「…有給取ったんだよ」
「この間も取ったろ? 千代の大学見学付き合って、例のガラクタ市行ったんだろ?」
「まあな…」
「前ならお前が有給取るなんて、千代の見舞い行くくらいしかなかったろ? 会社の方、うまく言ってないんだって?」
「…戸田か?」
「情報源は秘密だ」
いたずらが成功したように楽しそうな笑みを浮かべる京一に、思わず舌打ちが漏れる。図星だからだ。
いよいよ会社がまずい。何がまずいって社長が戻ってきた。もっと入院してればいいものを。
戻ってきてそうそう社長室に呼ばれた俺は、二時間近い説得を食らっていた。誰かが俺と京一のことを社長にまで伝えたらしい。ねちねちねちねち、京一に連絡を取れというのを遠回しに話されること数時間、そうですね、はあ、とすっとぼけてボーッっと突っ立ってすごすという無為な時間を過ごし、早々に退社というのがここ数日の過ごし方だ。
今日も長話になるからという理由にならない理由で無理やり有給をとったのだ。
「お前、このあとどうするんだ?」
京一がどこか伺うように俺を見てくるが、正直気持ち悪い。
「まあ、まず間違いなく転職はするな。ストレスで禿げそうだ」
「…すまん」
「お前が謝るな、怖気が走る。むしろそのへんの判断がついてないあのバカが悪い」
プライベートと仕事くらい分けてくれと俺は言いたい。少なくとも、俺があれに京一を紹介したいかどうかの意思確認ぐらいはしろ、と。そんな俺の様子を見たからか、戸田みたいな若い社員のやる気の低下が目立つ。先輩方も上司連中に文句を言ってくれていたりしたが、このままだと会社自体がまずいだろう。明らかに内輪もめの流れだ。
「と、言うわけで、この話を持ってきたわけだ。お前的には、悪くない話なんじゃないか?」
「なるほど?」
戸田が京一にこの件を話し、ちょうど出てきたスキル検証の被験者に京一が推薦し、俺はそういう名目で休みを取れる。まあ、休みになるか、退職になるかわからないが。
「一応、言っておくと、なんかあったら泉田理工の事務員の席が開いてるぞ?」
「遠慮しとくよ。…ふむ」
どの道、今は会社に仕事がない。
例のチュートリアルダンジョンの騒ぎの結果、やはり気味悪がって引っ越しをするグループが出てきた。人によっては会社をやめたり、学校が休校になったりとなかなかな混乱具合だ。おかげでスケジュールはがら空き、引き継ぎ事項はない。
おまけにうちの会社の商品は、『TOWER』騒ぎ前の生産拡大もあって順調に在庫を積んでいて、そっちが掃けないことにはおそらく当面はなにもできない日々が続くだろう。そして何より、俺が会社に行きたくない。
「…多分、休みっつーか、休職にして行くかな? ちなみにいつからだ?」
「来てくれるなら、最速で三日後だ。もし必要なら、お前の場合は半強制だからな。それを盾にしてもいい」
「…ありがたく使わせてもらうか」
「そうしろ、そうしろ。で、色々実験に付き合ってくれ」
「…一応聞いておきたいんだが、危険に関しては本当に大丈夫なのか?」
すっかり聞きそびれていたが、環境の安全性は聞いたが、中身の安全性を聞いていなかった。京一は小さく肩をすくめた。
「その辺は、問題ないとしか言いようがない、というか。実際入ってみればわかるが、危険に関しては注意してれば肩透かしだ。今のところな」
「肩透かし? なんかイメージと違うんだが」
「なんつーか、そうだな。口で説明するのが難しいんだ。装備は向こうで渡すから、用意は身一つでいい。つまるところ、一回来てくれ」
何が待っているのか、その言い方だと不安にしかならないぞ?
俺の表情を読んでか、京一も苦笑いを浮かべる。なんだ?
「ま、来てみて後悔はしないよ」
そこで、京一は言葉を切った。何か思い出したようにぼうっと遠くを見るような目になった。
「…立地はともかく、あそこの景色はすごいぞ?」
嘘ではないのだろうが、俺はそんなことよりこのバカがこんな目をしていることのほうが気色悪かった。




