訪問者について
暗闇の中で、何故かコーヒーの匂いがする。
寝返りをうつと、妙に硬い布団の感触が返ってきた。どうやら布団で寝ているらしい。今日は休みだったはずだ。このまま、また寝ていたい…。
「おい。修司、いい加減起きろ」
寝転がっていると、無粋な声が起こしにかかってくる。
だが、休みの日に俺が誰に起こされる?
目を開けると、目の前に長い髪をした日本人形がいた。
「…はぁ」
「起きて早々ご挨拶だな、お前?」
ちっ、と鋭い舌打ちをその日本人形は繰り出した。
寝ている俺を横から覗き込んでいたらしく、髪が顔に垂れ下がって目元が隠れている。だがその隠れた瞳がらんらんと怪しい光を放っていて、人によったらホラー映画だ。
そのホラーに出てくるようなその日本人形は過ごしやすそうなシャツにパンツという格好で、両手をポケットに突っ込みながらニヤニヤと笑っている。
「…何しに来たんだ?」
「人がせっかく心配してきてやったんだぞ? 一言目がそれか?」
「お前、そんな殊勝なやつだったか?」
「いや、全くそんなことはないな」
そう言って悪びれもせずにいうのは、昨日も話した塩屋京一だった。千代ちゃんと似た美人な顔に、似つかわしくない笑み。
なんだかどっと疲れた気がする。
「…なんか用か?」
なんだか体の調子はいいが、起き上がる気力がわかない。このまま二度寝してもいいだろうか?
そんな甘い幻想をいだいていると、京一がベッドの足をどんどんと蹴り始める。
「起きろ起きろ。いろいろ聞かなきゃならないんだ。千代のやつがコーヒー淹れてくれてるぞ?」
「千代ちゃん? この騒ぎの中連れてきたのか?」
「騒ぎなんざ、お巡りさんたちがどうにかこうにか蹴散らしたよ。今何時だと思ってるんだ?」
時計を見るともう十一時を回っていた。あれだけ夜ふかしした割には早く目が覚めたほうか? 昨日はいろいろ、ありすぎるくらいにはあった。
チュートリアル、ダンジョン、ステータス。
色々思い出して頭を抱えたくなった。
「おー、そこまで思い出したか。なら、なに聞きに来たか、わかるよな?」
俺の様子を見てにたりと笑った京一の顔は、間違いなくホラー映画だった。
リビングに行くと、そこではしきりにテーブルに固定されたコーヒーカップを弄る京一と、キッチンでコーヒーを入れてくれている千代ちゃん、そしてもう一人、男がいた。
「…ちょっと支度するから待っててくれ」
人がいるなら先に言え。文句を言ってやりたくなったが、京一が気にした様子もなく、なぜかハンマーを取り出しながら手を振っている。ぶっ叩くつもりだろうか? 千代ちゃんが京一を怒鳴っていた。
もうひとりの方は俺の方に胡乱げな目を向けてくる。あまり感じの良いタイプではなさそうだ。今日は土曜だと言うのにスーツ姿。きっちりした髪型に、胸元にはバッジ。
年は、三〇代後半? ちらっとそれらを見て、その男からの視線を背中に受けながら、俺はそそくさと支度した。
スマホを見ながらリビングに戻ると、京一がこんこんとハンマーでカップをノックしていた。スーツの男の機嫌は数段下がっていたらしい。
ひとまずソファーをすすめる。
「…さて、状況的にどうなってるのか、ご説明いただけますか?」
「随分他人行儀だな?」
「…お前な、人が来るなら先に言え」
「本当だったら、俺達だけだったんだがな…」
俺が恨みがましく見ると、皮肉っぽく京一は件の男を見やっている。男の方もあまりご機嫌はよろしくないらしく、どうにもあまり穏やかな仲ではないようだ。
ソファーをすすめて、大人しく座ってくれたのは行幸か。
気まずい空間、二人の向かいに座っていると、千代ちゃんがコーヒーを持ってきてくれた。入れ物は紙コップだった。
「…あれ? 紙コップあったか?」
「家の中のものが動かせないので、買ってきました。コーヒーもコンビニから」
「ありがとう。ごめんね、こんな状態で」
「いえ、無事なら良かったです…」
千代ちゃんは京一の隣にちょこんと座った。おとなしそうなそれを京一がおかしそうに見ている。
「…随分しおらしそうにするな? お前、行くんだ行くんだって子供っぽく大騒ぎしたろう?」
「兄さん、余計なことは言わないで」
「っつ!」
なかなかいい具合に京一の太ももを千代ちゃんがつねっていた。どうやら相当心配をかけていたらしい。
「…済まなかったね。なんかバタバタしちゃって、すっかり返事できなくて」
「さっきも言いましたが、大丈夫です。色々あったのは聞いてますから」
「そうそう。なかなか楽しいことになってるじゃないか? すごいな、この部屋。何も動かないんだから」
そう言って痛みから早くも回復した京一が、指で動かないカップを弾く。相変わらずそこに固定されたままらしい。それはいいんだが。
「…そちらを、紹介してくれないか?」
さっきから見知らぬ男は不機嫌さを隠さずに、むっつりと黙り込んでいる。コーヒーにも手を付けないあたり、相当だ。堅物そうなメガネを掛けて、その奥からじっとりとした双眸が俺を見つめている。
「…今回の広域災害対策本部に所属しています、新井康介です。昨日の特殊事象による、変異物件の引き渡をしてもらいたい」
「…はい?」
自己紹介と要件を一緒に言ってくるやつにろくなやつはいない。警戒段階を一つ上げたほうが良さそうだ。
意味がわからないという顔をしながら京一に目配せすると、コーヒーをすすっていた京一がくくっと笑い声を上げた。
「あんた、こういうのは本職に任せたらどうだ? 高圧的に行かないと交渉できないのか?」
「民間に、あんなものが出回るのがおかしいんだ。何か取得物があるなら、それも引き渡してもらわなければ」
「おいおい。そこまでやるならなんかしら法律の根拠がないとできないだろう? あんたのところじゃそんな事できないはずだぞ?」
「こちらの方に協力してもらえば、問題ないだろう?」
そう言って睨むように俺を見てくる。大丈夫か、こいつ?
コーヒーを一口飲んで、さてどうするか。
「…まあ、協力する分にはやぶさかじゃないんですがね。その場合、仮住まい等の提供はあるんですか?」
「今は法整備の段階になりますので、しばらくはこちらから提供できるものはありません。ご友人やご親戚を頼って頂く形になります」
「…つまり、見返り等はなし?」
「政府へご協力いただく形になります」
なんの悪びれもなく新井は言う。その目になんの曇りもない。
こいつは一体何を言い出したんだ?
「…新井さん、申し訳ないんですが、なにか法的な根拠があってのお話ではないんですよね? それは」
「ですが、危険性が排除しきれません。いずれ、退去勧告が出ると思いますが…」
「つまりまだ出ていない?」
「そうなりますが…」
話にならないな、これは。
なお言い募る新井さんの話を聞き流しながら、内心でため息をつく。
どうやらこの新井という人は、本当に交渉系の部署の人ではないらしい。仮宿くらいは用意してるかと思ったんだが、そこまで対応が追いついていないらしい。
「…でしたら、その法整備なり政令なりがなって、退去勧告が出たあとでまたおこしください。いずれにせよ、今は特段の問題もございませんし、しばらく退去はしたくないので」
「…なんですって?」
なにかありがたそうな話を始めていた新井さんを遮ると、もともと温かみのなかった表情の温度が数度下がった。どうでもいいんだけど。
「今回の政府対応については、確認させていただいております。今の所、退去勧告も何もなし。特段問題があるとは思えませんが、政府が公式発表として、何らかの措置をした場合は、そのときにお願いします」
「…もう少し、協力的だとありがたいのですが?」
「残念ながら、私はあまり協力的ではなかったようですね?」
ニコリと笑いかけると、新井さんの顔が真っ赤に染まっていく。だが、こちらからそれ以上言うことはない。無言で見つめ合っていると、ふいっと新井が目線をそらした。
「後で後悔するかもしれませんよ?」
「それは脅しととってもよろしいですか?」
そう言って録音中とデカデカと表示されてるスマホを取り出すと、今度は新井さんの顔が青くなった。
「…いえ、何か合ってからでは遅いですからね。ご心配から申し上げただけです。私はこれで一旦失礼します」
そう言って手慣れた様子で頭を下げて、そそくさと帰っていく。ドアの開閉音がするまでそれを見送って、俺はため息を付いた。千代ちゃんの淹れてくれたコーヒーが美味い。
「…何なんだあれ?」
「いやぁ、済まん。ほら、あれだ。俺のいろいろだ」
「説明になってない説明をありがとう。ああいうのがいるなら、起こしに来たときに言え」
「どうせお前のことだから、なんとかするだろう? 実際なんとかなってたし」
「たまたまだ。ああいうタイプで助かった」
役所系の人間なのは、バッジを見てわかっていた。ああいうのは割りかし個人情報がだだ漏れなので、交渉のとき助かるのだ。だから髭をそっている間に政府系の広報を確認して、夜中に確認したときから特に動きが無いことを見て出てきたのだ。そうじゃなきゃ、あんな対応できない。最初見たとき、内心では焦りまくっていた。
俺がそういうのを、京一が楽しそうに笑って聞いている。この野郎。
「…で、実際問題どうしたんだ? また何かやらかしたんじゃないだろうな?」
「今回、俺はやらかしてない。そう断言する」
「お前の断言は信用できないんだよ。誰だあれ?」
「たしか、技術系の課長クラスだったかな? ぶっちゃけあんまり偉くない」
「そんなのはどうでもいいんだよ。なんであんなのがついてきた?」
あれは、明らかに関わるとまずいタイプだ。
プライド高そうだし、今回はなんとか追い返したが、次回に何を持ってくるかわからない。ひとまずボイスレコーダーは取っておいたが、自分がやっているのがまずい行為かどうかの区別がついていない段階で、まずい。面倒事は勘弁願いたい。
京一の頭を掴んでグリグリとやってやると、ようやく京一は口を割った。
「…ほら、俺がやめさせた学部長、いたろ?」
「いたな。お前のせいで大学から追い出された人」
「自分のデータもまともに把握できないあっちが悪い。だいたい、助手の論文なんざ、ぶんどって何が楽しいんだ?」
「人によるんだろうよ。それで、あれがどう関わってくるんだ?」
「ほら、あの学部長、色々他にも手広くやってたろ? いた…」
「あー、週刊誌で色々見たな…。それで?」
「ほら、天下りの斡旋もやってたろう…。痛い痛い…」
「やってたって聞いたな。それで大騒ぎになったわけだが。で?」
「あいつもその候補の一人だったらしいんだよ。頭が割れる…」
京一の頭蓋骨の感触を手に感じながら経緯を聞くと、どうやらあの新井さんとやらは、省の方でも芽が出ずに本来であれば例の大学に教員として迎えられる予定、だったらしい。
だが、京一とやりあった学部長が放り出され、その道が閉ざされてしまった。おそらくこのままだとどこかの閑職に飛ばされるのがオチだという。
「つまり全面的におまえのせいじゃないか?」
「なんで俺なんだよ…」
さらに手に力を込めながら話を聞き出すと、新井さんはなんとか巻き返しをしようと、今回の騒動に賭けたらしい。確かにこんな不思議現象を解析なり対策できれば、将来は安泰だろう。
だが、そこに京一が送り込まれてしまった。こんな事態になるまで追い込んだ張本人が。本人からしたら、間違いなく面白い事態ではなかったろう。
「で、後をつけられたと?」
「そんなはずはないんだがな…。なんでだか知らんが、ここに来たら、あいつがいたんだ。なんかあるかもな」
「まあ、お前のことだからどうせ妙なことになってるとは思ってたけど、なんでよりによって…」
京一を放して、自分の頭を抱えてしまう。明らかに恨みを買っているとかそういうそういう案件だ。金とか要件とかで解消できない分めんどくさい。
両手を下げた頭の上で合わせて京一が見せてくる。その顔は全く反省した感じはない。
「正直、巻き込んじまってすまん。後でこの件はお嬢様に報告しとくから、そこまで心配はないだろうけど、ちょっと注意しとけ」
「…泉田さん、巻き込んだのか?」
「言ったろう? カネになる話だって。あいつが絡んでこないわけ無いだろう? まあ、そういう意味での心配はないわけだ。でどうする?」
そう言って、頭を下げながら視線は部屋の隅に固定されていた。その先を見ると、昨日サティファからもらったり、ドロップ体験した品がまとめられていた。
どうするというのは、つまりあれらの処遇だろう。正直手に余るんだが、じゃあ渡す、というわけに行かなくなってしまった。
「…ああ言っちまったからな。有償提供だ。あと法律的にある程度まともな形にしろ」
「そこは大丈夫だ。調査費をいくらかもらってあるからな。そこから出して、あとは委員長あたりの一筆を、お嬢様あたりからもらってくる。金額については、向こうと相談だな」
「…そんなスムーズに行く手続きを、なんであの新井とかいうのはできなかったんだ? つーか、これ、他でいくらでも手に入るんじゃないのか?」
「俺のが今は偉いからな。アイツは委員会の厚労省出向組のおっさんの部下で、俺は委員会直属の研究員だ。アイツは予算と権限を直接は持ってない。俺は持ってる。その差だな。あと、ここの諸々を欲しがってるのは、ちょっとした手続き上の理由だ」
「世知辛いね…」
つまり完全に越権行為なわけだが、そんな判別もついてないって相当追い詰められてるんじゃなかろうか?
そんなことを思っていると、京一が部屋の隅から例の品々を持ってきた。ハンカチにくるんだナイフ、ポーション3本、巻物だ。改めて日の光の下で見ると時代錯誤な感じだ。
「邪魔は入ったが、とりあえずなんだってこんな物持って床に転がってたのか教えてくれ。何がどうしてこんな事になったんだ?」
「…とりあえず飯食ってからでいいか?」
質問してくる京一は顔が輝いているが、空きっ腹の俺は朝からうんざりだった。




