戦果について
それは突然人が入り込んだような動きだった。
姿勢を低く取り、逆手にスポンジの剣を構えたかと思うと、確かな足取りで俺の方に向かってくる。スポンジの体に筋肉の動きが再現されているようで、正直見た目はかなり気持ち悪い。
「…っち」
思っていたより、本格的だ。肉薄してきて、スポンジ短剣を持っていた手を俺の首筋に向かって勢いよく振り下ろす。後ろに滑って躱す。
ふぉんとスポンジの剣が空を切る音がする。偶然なのか、天井はあまり高くないのを見越してか、短剣で来たのは大したものだと思う。横に体を滑らせて、人形から距離を取る。
するすると滑るように人形は動く。腰のあたりに短剣を構えたかと思うと、こんどはそれを持って突っ込んできた。それは俺のみぞおち目掛けて確かな軌跡を描いている。あのふにゃふにゃスポンジが嘘のようだ。もうすっかりなまっている体にはきつい。だが直線的にしか動かないのが幸いか。
こんどは横っ飛びで避ける。俺の目でも避けられるのだから、これ自体は遅いのだろう。昔千代ちゃんの稽古に付き合ったときほどの勢いは感じられない。
だが狭い。もともと俺の部屋の中だから当たり前だが、ちゃんばらをやるなんてことは考えていない。距離が取りづらい。段と音を立てて着地する。
そのまま滑って壁まで距離をとり、今度は腰だめに構えて、待ち受ける。するすると足音もなく人形が突っ込んでくる。だから。
「っふ!」
こちらも突っ込む。足の指に力を込め、木刀の切っ先を相手のみぞおち目掛けて押し込める。スポンジ特有のふわふわとしたなにかに、ドフっと音がして、確かに切っ先がめり込んだ感触がした。途端にスポンジが動きを止める。途端に、人形が光になって、弾けた。
「は?」
勢い余って壁に突っ込みそうになったのを片手で無理やり止める。ドンと嫌の音がした。慌てて振り返って構えを取り直す。
振り返った先では、さっきまでいた人形は跡形もなく消えていた。あとには何か光の粒子のようなものが舞っている。それが徐々に収束する。
光の粒子が集まって、何かを形作る。ゴトンと音がして、人形が落ちていたあとには、巻物のようなものが落ちていた。
「戦闘終了です。お疲れさまでした」
サティファがふわふわと俺の所まで来て、声をかける。俺はしばらく腰だめの姿勢のままでいたが、その声でようやく構えを解いた。
「…いまのが戦闘訓練?」
「そうです。いまのが、ゴブリンを参考にした戦闘概要になります。本物はもう少し小さいですが、おおよそあのような感じかと」
「ゴブリンて、結構いい動きするんだな?」
あれは確かに殺すために動いていた。首にみぞおち。短剣で狙うなら間違いない部分だ。
俺の言葉に、サティファがうなずいた。
「それが、『モンスター』です。確実に人を殺そうとしてきます。ですので、相対するときはご注意を」
「…流石に堪えたな」
殴り合いも珍しくなった世の中だ。いきなりあんなものとやりあえと言われても、なかなか難しいだろう。今になって冷や汗が出てきた。
ぐったり座り込むと、足がガクガクしてきた。そんな俺に対して、サティファは逆に嬉しそうだ。少しだけ目元が笑っている。
「ですが、素晴らしい成績だと思います。モンスターの動きを参照しておりますので、本来でしたら当たらない、当たっても問題ない部分で受けるというのが最も最適な対応方法となります。適切でした」
「そりゃそうだろうな、普通の素人なら、そういう受け方になるはずだ」
振り回される武器に当たりたくなければ、間合いに入らないのが一番だ。安全に倒したければ、こちらの間合いを維持して相手が当てられないような間合いを維持すればいい。だが素人はそもそもそんなことを知らない。スポンジブレードが相手ならなおさらだろう。
ただ、サティファには防具はもっとちゃんとしたものを揃えたほうがいいと、シャツの裾を引っ張られながら言われてしまった。考えてみたら当たりまえか。もし本当に潜るなんてことになったら、ここは反省点だと思う。
「…ちなみに何だが、飛び道具とかはどの程度効くんだ?」
防具になりそうなものってなんだろうと思っていたら、ふとそんなことが思い浮かんだ。使うにしろ使われるにしろ、そんな物対応できるのか?
「弓矢や銃ですね? おそらく、ゴブリン、コボルト程度なら一般的な火気で対応可能だと思われます。ただ、ステータスが低い相手なら問題ありませんが、これが徐々に高くなっていくうちに弾丸程度は通らなくなります」
「なるほど」
「ただ、ダンジョンには広いところもありますが、狭い場所、暗い箇所など、様々な部屋や階層が存在します。適材適所でしょうね」
「そのへんは、普通に変わらないわけか…。ところで、ステータスって人間にもあるよな?」
「はい。ありますね。モンスターを倒すことで成長します」
「ステータスが上がると、人間も弾丸を弾けるようになるのか?」
「場合によりますね。ステータスと、撃たれた場所、撃たれたもの次第ですが、ある程度以上のVITがある方ですと、大抵のものでは通らないかと。あれは体の頑健さも表しますので」
「…そうか」
若干固まっているとサティファがふわりと飛んで、先程の巻物のところまで降りていく。支持するように指を動かすと床に落ちていた巻物が浮かび上がる。
「こちら、ドロップの再現となります。モンスターを倒しますと、このようにドロップがある場合がありますので、回収はお忘れなく。貴重な物もありますので」
そう言って俺の前まで巻物を持ってくる。見た目は、さっきのサティファのスクリーンで見たものの一つだ。俺の手に押し付けるように渡してくる。
「では、初回試練の報酬をお渡しして、今回は終わりとなります」
サティファがまた手を叩くと、短剣のときと同じ宝箱が現れた。
開けようとして、ふと手を止める。
「…宝箱にトラップとかってないのか?」
「場合によっては、ある場合もあります。ご注意ください。そちらには一切仕掛けはございませんのでご安心を」
「そうかい…」
脱力しながら箱を開けると、中には手のひらで握り込めるほどの小瓶が3つ入っていた。液体の中身は、動画でも見た謎の液体だ。
「ヒールポーション三本ですね。なかなかのものかと。では、以上で終了となります。お疲れさまでした」
そう言ってきれいなお辞儀を見せる。これで終了、らしい。
しばらくそうして頭を上げると、サティファの目元がニコリと笑った。
「では、今回はここまでですね。ここから時間はあまりございませんが、ご質問がございましたらお受けさせていただきます。残りの魔力からしてあまり時間はございませんが」
「ふむ…。なんでもいいのか?」
「私の現在の位階でお答えできる範囲になりますが」
なかなか親切な仕様だ。だが、それなら聞きたいことは少なくとも1つは決まっている。
「…ここ、俺の家なんだが、このチュートリアルダンジョン? て解除とか移動ってできるのか?」
「でしたら、こちらの宝珠を移動していただければ問題ないかと思います。起動していただいた修司様でしたら移動は簡単にできます」
これで移動も何もできないなんてことになったら目も当てられないんだが、どうだ?
そう思って聞いてみると、サティファはこともなげにうなずいた。
「うん? この空間て移動できるのか?」
「はい。床に設置していただければおおよそそこから壁、天井を含めた空間を固定し、『修練の間』を起動します。半径でおおよそ十メートルくらいですね。室内でないと効果がございませんのでご注意ください」
「うん?」
なんだか聞いていた情報と随分違うような気がするうえに、何か初めて聞く単語が聞こえた。
首を傾げ始めた俺に、サティファがふわりと寄ってくる。
「すみません、そろそろお時間となってしまいそうです。あと一つとなりますが、いかがされますか?」
「そう、ね…」
さっきので二つ扱いらしい。
どうにもさっきから妙に気だるくて頭が回らないが、それにしても。
ふむ。
「…もっと質問したいことがあるんだが、君に問い合わせ? するにはどうすればいいんだ?」
「でしたら、こちらをご覧ください」
サティファがまた手をたたくと、頭の中でメッセージでも送ったような電子音がした。
「…そちらに、私『ナビゲーター』の召喚スキルにお送りさせていただきました。私の召喚に成功した方には、自動的に付与されるスキルとなります。申し訳ありませんが、現在の私の位階ではここまでとなります。以後はそちらをご覧になって、手順を踏んでいただければと思います。…いかがでしょうか?」
「ああ、いや、手段があるならいいんだ。ありがとう」
どういう手順か知らないが、連絡手段があるなら問題ないだろう。いくつか出てきた知らない単語を覚えながらうなずいた。なんだか頭がふらふらする気がする。
その様子をこころなしか満足気に見たサティファは、コクリとうなずく。
「では、赤羽修司様、またいずれお会いできることを心より願っております。失礼します」
「ありがとう。また会えたらよろしく頼む」
そう言うとサティファは小さく目元を緩ませて消えていった。
しばらく俺はサティファが消えていったあたりを見つめていた。そして、フッと意識が遠のくのを感じて、闇に飲まれていった。