チュートリアルについて
『チュートリアルを始めます。よろしいですか?』
どこかで聞いたような、無機質な声がした。
どこで聞いたのか、いまいち思い出せないが、どうやら触ると勝手に始まるものでもないらしい。
「…始めてくれ」
はいとも、いいえとも選択肢がないので、とりあえず言ってみる。
ぶんと、今は慣れてしまった音がして、水晶玉が明滅を始める。
手を離して、床に座り込んで待っていると、頭の上が明るくなった。
見上げると、中空に赤い光の点が光っている。それはポインターのようにフヨフヨと動き出し、何かの模様を描き出す。
少し見ていると、それは魔法陣のようなものらしい。丸の中に、あのヘルプメニューのよくわからない象形文字が描き出される。それはある程度円の中を文字で埋め尽くすと同時に、一瞬、強く光った。
一瞬の光に目を細める。
その光は徐々に収束していき、人型のシルエットが浮かび上がる。
「…はじめまして、ナビゲーターのサティファです」
唐突に頭の中に声が響く。鈴のように澄んだ声で、聞いていて心地良いと思わせる声だ。おまけに日本語だった。
「良く出来てるな…」
それは妖精とか、そういうイメージにピッタリのなにかだった。
ふわりと背中から昆虫の被膜のような羽が広がり、なにかキラキラとした鱗粉のようなものが舞っている。ぐるりとその周りを見て回ったが、ちゃんと三次元の立体としてできているらしい。ステータスと同じでARとかああいう感じだろうか?
「ありがとうございます」
おまけに、返事まで帰ってきた。
「…どういたしまして?」
思わず間抜けな返事をして、それと見つめ合ってしまった。
サファイアのような青い目だ。その瞳から、何故か視線を感じる。カメラ的ななにかがあるのだろうか?
瞳孔もなにもない瞳。その顔は、なんとなく人の輪郭こそ取っているが、口や鼻のようなものはない。ぼんやりとした光の塊だ。光る体に、被膜のような羽。いかにもファンタジーな容姿だが、不思議と異形への嫌悪感とか、そういう気持ちはわかない。ホラー映画はだめなのだが。
そうやってしばらく互いを観察しあっていると、またサティと名乗ったそれの声が聞こえた。人間で言う口の部分が震えた。
「お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「あ、ああ。赤羽だ。赤羽修司」
思わず答えてしまったが、名前まで要求してくるのか?
俺が首をかしげていると、サティファはうつむいて、しばらく口にあたる部分をモゴモゴとさせていた。どうした?
「…それは、どのような名前なのですか?」
しばらくうつむいていたサティファは、やがて顔を上げてそんなことを聞いてきた。その、顔、というか、目元には、困惑のようなものが浮かんでいる。
「…どういうって言うのは?」
「ええと、意味、でしょうか?」
その困惑具合は人間に通じるもののような気がする。ナビゲートってこういうものなのか?
というか、なんだ意味って…。
「い、意味? 名前の意味か?」
「はい、よければ、お伺いできればと」
そういうサティファはさっきから直立不動の姿勢で、俺の前の中空に立っている。
「意味ったってな…。たしか、学問を修めて、扱えるようになれって意味で付けたんだったと思うが…」
「なるほど…、そのようなお名前ですね。わかりました。ありがとうございます」
「というか、そもそも日本語で通じるのか?」
「大丈夫です。意思を持って伝えてくだされば、その問題はありません。時間もございますので、そのあたりは後ほど」
そこで一旦言葉を切ると、サティファは俺を上から下までじっと観察して、首を傾げた。
「…失礼ですが、ダンジョンに入られたことはございますか?」
「いや、初めてだ」
「なるほど…。わかりました」
一回仕切り直したいのか、エヘンとサティが咳払いをする。
「まず、最初になのですが、装備確認など、準備はよろしいですか?」
「これでいいか?」
持ってきた木刀を見せると、サティファがふむと顎に指を当てた。しばらく観察するように木刀を見て、一つうなずく。
「…問題なさそうですね。ここで武器がなければ、簡単なものは支給させていただくのですが、支給は必要ですか?」
「いや、必要ない。…ちなみになんだが、どういう手順でやるんだ?」
「そこもご説明させていただきます。ですが、時間がありませんので、少々簡略化させていただきます」
サティファがぽんと手を叩くと、いつものステータスに似たスクリーンのようなものがサティファの横に展開される。俺達のが黒板サイズなら、彼女のはTVサイズだ。
そこにはステータスで見慣れた文字がサラサラと書かれていく。書き終わるまで固まっていたサティファが動き出す。
「まず手順ですが、武器選択について、アイテムについて、モンスターと戦闘基礎となっています。計三つですね」
「なるほど…?」
随分親切に教えてくれるものだ。
感心する俺に後ろを向き、書き出された文字を指差しながらサティファが言う。
さっと文字が消え、今度はいろいろな武器の絵が浮かび上がる。
「まず、本来装備に関していくつかご説明させていただくのが通例です。ですが、修司様はそちらの武器はある程度使い慣れてらっしゃいますね?」
「わかるのか?」
「はい。いくらかは使い込まれた様子がございます。剣は切り裂く、突くとオーソドックスな分類の武器ですが、刃先がしっかりと切る方向に向いていないと扱いづらくもあります。初心者の方ですと、棍棒やメイスの方がいいかもしれません。その点は大丈夫ですか? 」
「まあ、一応。ほかには何かあるのか?」
「オーソドックスなものですと、槍、斧、短剣、先程申し上げた棍棒。飛び道具として弓、銃などですね」
「銃?」
「はい。習熟すれば誰でも使える手軽な火器ですね。ステータスが低いうちですと、女性や子供でも簡単に火力が出せます。…他に何かご所望の武器などございますか? 持参された品とは別に、今回は近接武器のみですが、一つお渡しできます」
「…短剣はもらえるのか?」
「問題ありません。こちらをどうぞ」
サティファがぽんと手をたたくと、宝箱が光の粒子とともに現れた。おそらく会社でもよく見る、六〇サイズのダンボールくらいの大きさだ。形は、人間がイメージできる宝箱そのものだ。
「そちらに入っていますので、どうぞお持ちください」
言われるがままそれを開けてみると、中に刃渡り三十センチほどのナイフが入っていた。焼入れなどはしていない、一般的な西洋ナイフだ。持ち手には布が巻いてあり、一応鍔が付いている。そんなものがなにもないところから現れた。
ナイフを手に取ると、宝箱は空気に溶けるように消えていった。
「…あー、もらっておいてなんだがこっちを使っても問題ないのか?」
「大丈夫です。今回は戦闘に慣れてもらうというだけですので、問題ありません。使い慣れたもののほうがいいでしょうから」
実際多少慣れたもののほうがまだマシだ。
ナイフはハンカチで刃先を包み、そのまま部屋の隅のどけておく。
そこまで見届けて、サティファが一つうなずいた。
俺がサティファの前に戻ってくると、また画像が切り替わる。
「では、ここからアイテムの説明に移させていただきますね」
スクリーンにはいろいろな『アイテム』とやらの映像が映されている。
瓶に入った液体、何かの玉、あとは巻物ののようなものもあった。種類だけなら数十種類はありそうだ。画像が移り変わるたびに、サティファが一言説明をつけてくれる。正直目が回りそうだった。
俺が説明を必死に頭に入れていると、説明が終わったのか、サティファが俺に向き直る。
「…こちらに映っていますのは、およそダンジョンで現れるアイテムの一部となっています。モンスターからドロップしたり、宝箱に入っていますね。何か気になるものはございますか?」
「あー、大事なものとかあるのか?」
どれを見ても見慣れたようなものがない。形状は知っているが、中身はまったく別物だ。
俺の質問にサティファがまたふむと首を傾げた。
「…うーん、大事なもの、というと、ヒールポーションなどはありがたいですね。ダンジョンでは宝箱に入っていることが多いです。調薬スキルがあれば作ることもできます。怪我などの治療に重宝しますね」
「どの程度の怪我なら治せるんだ?」
「品質レベル次第ですが、レベル5程度あれば、ちぎれた手足くらいなら生えますね。ほぼ必需品と言っていいでしょう」
「そんな物があるのか?」
「はい。貴重なものですが、その分効果は強力ですね」
「はー…」
本当か? いや、さっきの動画の切り傷でさえ、なんだかよくわからない原理で治っていた。アレの強力版と思えば、ありえなくもないのか?
「…ちなみになんだが、それって、病気とかにも聞くのか?」
「残念ながら、病気には効きませんね。そちらはキュアポーションの領分になります。ヒールポーションと同じく、レベル5程度あれば、大抵の病気には効きますね。あとは、キュアやハイヒール等のスキルで対応するという手もありますが」
ああ、やっぱりと言おうとしたら、効くものがあるらしい。しかも、スキルにも似たようなものがあるらしい。
マジか。
「…信じがたい話だな」
「今は、そういう物もあるとご納得いただくのがいいかと。それなりに貴重なものですが、ダンジョンに入れば目にする機会もあるかと思いますので。次の項目に移させていただいてもよろしいですか?」
情報の洪水を一回飲み込むと、またスクリーンが切り替わった。
「次がモンスターについてと、模擬戦闘となります。なお、今回ご紹介できるのは、ほんの一部となりますのでご了承ください。ダンジョンには、まだよくわからないものがありますので、その危険も、よくご理解ください」
「まあ、それはな…」
スクリーンが切り替わり、いくつかのモンスターのシルエットと名前が表示される。
そこに表示されているのは、俺でも知っているようなモンスターだ。スライム、ゴブリン、コボルト。浅い層で出てくるのはこのあたりだそうだ。そこから深くなるにつれ、オークになったり、オーガになったり、強力な、なんだかマイナーなものになっていくらしい。
「おそらく最初のうちは、そこまで問題ないと思います。ですが、中には恐ろしいほどの力を持ってるものもいます。ドラゴンなどは、まず逃げることをおすすめします。今回は本当に模擬戦だということをご理解ください。では、始めさせていただきます」
「あー、ちょっとまってくれ。ちなみになんだが、それって大きい音出るか?」
ここまで聞いておいてなんだが、ここはアパートだった。
今は夜中の一時過ぎ。ほぼ二時になろうとしている。こんな時間にどたんばたんなんて騒ぎを起こせばご近所トラブル待ったなしだ。
俺がそういうと、サティファは心配ないと太鼓判を押した。
「こちらは、今は空間魔法のスキルで固定されています。多少大きい音を出しても問題ありません。試してみますか?」
「…いや、大丈夫だ」
本当かどうか試すのに大騒ぎするわけにも行くまい。最悪、部屋がダンジョンになりましてとでもいって言い訳させてもらおう。
俺が納得したのを見て取ったのか、サティファが横の空間に向けて手をかざす。
さっきの魔法陣よりさらに大きいものが現れた。ほとんど人一人分くらいの大きさだ。それが光をだして、同じように収束する。
「こちらの人形がお相手いたします。準備はよろしいですか?」
それは真っ白な人型だ。それが直立不動で床の上に立っている。のっぺらぼうの顔が何となくこちらを向いているような気がする。手にはスポーツチャンバラで使うような柔らかそうな短剣を持っていた。
「これをどうするんだ?」
もしこれが刃物なら、包丁くらいの大きさだろうか? 試しに触ってみると、それはスポンジのような素材でできていた。腕に当たるあたりを握ってみると、芯が入っているような感じはない。それがどういう原理か、直立している。
「襲いかかるので、倒してください。規定量のダメージを与えますと、"倒した"扱いになります」
「襲いかかる?」
「はい。ちなみに戦績次第では景品が良くなったりします。…始めてもよろしいですか?」
これがどうやったら襲いかかってくるのか。
釈然としない思いを抱えながら、俺はうなずいた。どうせなにか謎エネルギー的ななにかだろう。
場所を取りたいので、精一杯スペースが玄関側のスペースに移動する。取れる物が物なので緊張感には欠けるが、正眼の姿勢で、おぼつかないなりに構える。この構えは苦手なんだが、ここだとこっちのほうがいいだろう。
俺が用意できたのを見て取ったのか、サティファが一つうなずく。右の手を上に上げた。
「では、…始め!」
サティファが声を上げた瞬間、人形が、命を吹き込まれたように動き出した。