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第六話 葵上

 拝啓 源光みなもとひかる


 初めて貴方と言葉を交わした日のことを、今でもよく覚えています。

 あれは今から十三年前、一族全員が集まる本家の新年会での出来事でした。貴方は九歳で、私は十三歳。お互い年端もいかない子供でした。


 貴方は大人たちの飲み会に嫌気が差したような表情で、人気のない縁側に一人、寂しそうに座っていましたね。私には貴方に声をかけるような勇気がありませんでしたが、朝顔あさがおは違いました。


「どうしていっつも一人なの?」


 十一歳の彼女はとても勇敢でしたが、同時に無知でした。

 貴方は頭首こ伯父様の不義の子供。元使用人の桐子とうこさんが孕んだ子供。誰からもいい顔はされない、光のような美しさを持つ子供でした。


 貴方は朝顔を一瞥しただけで、何も言いませんでしたね。そんな貴方にあの子は


「ねぇ、いっしょに遊ぼうよ」


 と、再び勇敢に言って誘いました。


「いいの?」


 そう言った時の貴方の表情は、とても可愛らしかったと記憶しています。貴方は驚き、そして嬉しそうな表情が私の母性本能を擽っていました。


「みんなといっしょの方が楽しいよ。ね? 葵生あおいちゃん」


 急に話を振られて、何を言っていいかわからなかった私の気持ちに貴方は気づいていましたね。

 貴方は不義の子で、一族中から煙たがられているから一緒に遊んだら両親と兄さんに怒られてしまう。そんな私の迷いを直に受けて、聡い貴方は傷ついてしまった。それが今でも気がかりです。


「言いたいことがあるなら言いなよ」


 怒ったように言う貴方を見て、私は後悔しました。同時に貴方を憐れだと思い、同時に優越感に浸りました。

 捨てられた子犬のような瞳を持つ頭首の伯父様の第二子を見て、姪の私の方が立場が上なのだと思いました。


「言えないの?」


「言う必要がないから」


 貴方をそう突き放して、再び後悔しました。朝顔の勇気を無下にし、一人ぼっちの貴方に壁を作ってしまいました。

 訂正するという簡単なことができなかった当時の私を許してください。


 貴方は覚えていますか? あの時、六城むつき伯母様が生まれたばかりの秋好しゅうこをあやしながら縁側に姿を現したことを。それを言い訳にするつもりはありませんが、私たちの会話はそれで終わってしまいました。

 六城伯母様はまだ十六歳で、私とたった三歳しか離れていないのに子を産み伯父様と結婚し、私たちの一族の一員となりましたね。


 当時の六城伯母様はそれが一番の誇りであると思っていたように見えましたが、今思えばかなりの重荷だったのではないかと感じています。だって、六城伯母様はまだ十六歳の子供だったんですから。

 私はもう二十二歳なのに、今でもお腹の子を産むことが怖い。ただ、当時の六城伯母様のことを思うと勇気が湧いてきました。それだけが六城伯母様の美点でした。


 秋好をあやす六城伯母様は、私たちに気づいて軽く会釈をしましたね。

 私たちも会釈をし、気まずくなったところで朝顔がこう言ったのを貴方は覚えていますか? それとも、聞こえていませんでしたか?


「手紙だったらなんでも言えるのになぁ」


 それは私の気持ちを代弁したように聞こえました。

 だから今、こうして私は書いています。あの時朝顔があんなことを言わなかったら、いえ、あの時六城伯母様が縁側に来なかったら、私は今でも何も言えないままだったと思います。


 遅くなりましたが、貴方がこの手紙を読んでいる時、私はもうこの世にはいないでしょう。


 十年前、色んなことがありましたね。

 伯父様が早くに亡くなって、六城伯母様が未亡人となって初めて行われた新年会。三歳の秋好の側で居心地が悪そうにしていた六城伯母様に、貴方は躊躇うことなく話しかけていましたね。


 一族から見た秋好は血の繋がった可愛い姪でしたが、六城伯母様は血縁のないお嫁様です。秋好の面倒は私の両親も見ていましたが、六城伯母様に話しかけたのは貴方だけでした。

 きっと、居場所がない者同士惹かれ合うものがあったのでしょう。六城伯母様が秋好を産んで結婚した年になった私は、ぼんやりとそう思って貴方たちを見ていました。


 相変わらず大人たちの飲み会は続き、その中心にはいつも朱凰すおうくんがいましたね。弘世ひろよ伯母様は毎年鼻が高そうにふんぞり返っていましたが、その年は少し違いました。

 料理を運んでくる使用人の中に、藤子とうこさんがいたからです。彼女は一族全員から桐子さんに似ていると言われ(ややこしいですが読み方も同じですね)、肩身が狭そうにしていましたね。


 伯父様の死。藤子さんの存在。そして、貴方が自ら誰かに話しかけたこと。

 その年の新年会は、不謹慎かもしれませんが何もかもが新鮮でした。同時に、三年前何故貴方と遊んであげられなかったのだろうと後悔しました。


 いつの間にか貴方と六城伯母様は広間からいなくなり、朝顔は小さな秋好を可愛がり、兄さんや朱凰くんは大人たちに混ざりあって語り合い、私は一人ぼっちでした。三年前の貴方と同じ状態でした。ですが、貴方は一度自分を拒んだ私を誘うほど学習能力がない子供ではありませんでしたね。

 貴方と六城伯母様がおつき合いをしているという噂を兄さんから聞いた時、私一人だけが腑に落ちていました。


 そして、六年前と五年前は私たち一族の歴史の中で一番酷い年でしたね。

 父が事業に失敗し、頭首の伯父様から私たち家族が勘当された年です。貴方は十六歳、私は二十歳でした。


 立派な青年へと成長していく貴方のことを、新年会がある度に記憶に焼きつけていた日々ももう終わりです。その頃には貴方と六城伯母様の関係が冷めきっているという噂も耳にしていましたが、私には確認する術がありませんでした。

 そして、翌年教育実習先で貴方と再会しました。とても嬉しかったです。新年会には行けずとも、また貴方に会えた。それは途方もない奇跡でした。


 当時花南かなんとおつき合いをしていた貴方は私と話す時他人だとでも言うような態度を取っていましたね。実はあれは逆効果で、私は勘当される前の日々を忘れ、ただの高校生の貴方と接することができる喜びを噛み締めていました。

 教育実習が終わってしばらくすると、朝顔から貴方が勘当されたことと花南と別れたことを聞かされました。


 私の家は貴方を支援できるほどの財力がありません。それは六城伯母様も同様です。

 朝顔の家に転がり込んだ貴方のことを、働き始めた兄さんが微力ながらも支援していたのを知っていましたか?


 兄さんは私たちと同じ思いをしている貴方の力になりたいと言っていましたが、勘当されても一族の影響力は強かったのでしょう。とんとん拍子に出世と縁談が進み、翌年の結婚式で再び貴方と再会できた時は息が止まりそうでした。

 貴方が十八歳、私が二十二歳の時です。貴方は兄さんの同僚の空羽そらはさんと楽しげに話していましたね。結婚式だと言うのに、私はいつかの新年会の時のように一人ぼっちでした。


 六城伯母様は十六歳で結婚も出産もしていたのに、私は当時の彼女より六歳も年を取ってしまいました。けれど、嬉しいことがありました。

 貴方が自分がとったブーケを私にくれたことです。勇気を出して良かった。やっと自分から貴方に声をかけることができた。断られなくて本当に良かった。


 もしかしたら空羽さんにあげてしまうかもしれない。でも貴方は、私に手渡しでくれました。嬉しかったのにお礼も言えず、上手く笑うことさえできなくてごめんなさい。


 けれど風の噂で藤子さんが男の子を産んだと聞いた時、焦りが止まりませんでした。父親は頭首の伯父様だと伺いましたが、朝顔がこっそり送ってくれた子供の顔はかつての貴方にそっくりで驚いたことを覚えています。


 冷羽れいはの存在が、貴方の立場を少しでも良くしてくれたらいい。そう強く願っていました。


 三年前、夕咲ゆさちゃんの誘いで私たちが再び会えた時、貴方は疲れたような顔をしていましたね。兄夫婦は気づいていないようでしたが、私の目は誤魔化せません。

 そしてその日、突然私たちの縁談が決まったのです。この時の私が感じていた想いに貴方は気づけなかったようですが、それは仕方のないことですね。


 貴方の隣にいた私は、いつまで経ってもあの日の臆病ですましたままの私でした。

 内心でどれほど感情が揺さぶられていても、六城伯母様や花南や朝顔や空羽さんや夕咲ちゃんのように素直で可愛らしい人間にはなれませんでした。


 これからの結婚生活で少しでも改善できたらいい。ただ、貴方もいつまで経ってもあの日の貴方のままでした。

 覚えていますよね? 結婚式の日、六城伯母様に再会したことを。貴方は話したがらなかったから、仕方なく私が彼女と話をしました。


 貴方がふらりとどこかに行くと、六城伯母様は未練たらしく貴方のことを目で追っていました。そうして彼女はこう言ったんです。


「葵生ちゃんはあの方の何を知っているの?」


 私を葵生ちゃんお呼んだことについては許します。ただ、私が貴方のことについて何も知らないというのは違うと思いました。


「あの方は葵生ちゃんが思っているような人ではないわ。きっと、一緒に暮らしたら幻滅しちゃう。ねぇ、気の進まない縁談だったんでしょう? ならその話――」


 その先の台詞は容易に想像できました。


「――私にちょうだい」


 何故、結婚もし秋好を産んだ六城伯母様に私は貴方を譲らなければいけないのでしょう。

 六城伯母様は、女性としての幸せをあの時すべて手にしていたのに。今はもうなくとも、私の知らない幸福を知っているのに。


 私が拒むと、六城伯母様はこれでもかと言うほど貴方と過ごした日々の思い出を語りました。

 そのどれもが私の知らない貴方で、私は一人苦しくなりました。


「ほら、あの方は葵生ちゃんじゃなくて私と一緒になった方が幸せになれるのよ」


 違います。


「気の進まない縁談だったって一族全員が言っているのよ? だったら私でもいいじゃない」


 違います。


 少なくとも私は嬉しかったんです。貴方に想われていなくても幸福だったんです。だから私は貴方と同じように六城伯母様から逃げました。けれど、何年経ってもあの日の六城伯母様が私の中から消えることはありませんでした。


 お腹の中にこの子がいると知った時も、六城伯母様の影がしつこくつき纒う。

 私も貴方も勘当されたのに、頭首の伯父様たち以外の一族からはたくさんのベビーグッズが届きました。両親、兄夫婦、朝顔の家族、意外なことに朱凰くんや藤子さんからは冷羽のお下がりを貰いました。


 貴方はよく冷羽のお下がりを手に取って眺めていましたね。私もそれをよく見ていました。

 でも、お互いに六城伯母様から送られてきた秋好のお下がりにはまったく触れませんでしたね。


 あんなに小さかった秋好はもう十三歳。あの日、初めて六城伯母様を見た時に彼女が使っていた道具が大人になった私たちの家にあるのです。


 不思議ですよね? 六城伯母様は秋好が可愛くてベビーグッズを取っていたのでしょうか?


 いいえ違います。多分、貴方との子供の為に捨てずに取っていたんだと思います。貴方と六城伯母様がつき合っていた頃、子供の話でもしていたんですか?


 本当のことはもうわからないけれど、わかったこともあります。

 冷羽が貴方の異母弟ではなく貴方の息子だと知った時は、ショックではなく別の感情が私に中にありました。


 冷羽は貴方の救世主じゃなかった。

 冷羽は貴方を苦しめる子供だった。


 貴方がどれほど悩んでいたのか、手紙で初めて知りました。


 どうして手紙のことを知っているのか。


 貴方はそう思いましたか? 忘れっぽい貴方のことなので、もう一度ちゃんと書きます。

 私は手紙がなかったら、今でも何も言えない臆病な人間だったんです。かと言って、貴方が私の書いた手紙を前にして素直になるとも思えません。だから私は、あの子たちの名前を借りて貴方に手紙を出しました。


 わからないように筆跡を変えることにかなり苦労しましたが、それに相応しい貴方の思いが詰まった手紙を読むことができました(怒らないでくださいね。だって私は、もうこの世にはいないのだから)。

 私がどうしてこんなことをしようとしたのか、もう少し理由を書いておきます。


 何度も言いますが、私は何も言えない臆病な人間なのです。

 私たちは、あの日から何も変わっていない仲の悪い夫婦なのです。


 私は違うけれど、貴方は好きじゃない人と結婚した。離婚するかもしれないのに、子供ができたから産む前に貴方の本当の思いを知りたかった。

 そして最後は、六城伯母様の影でした。私は早く彼女のことを殺したかった。


 最初は花南になりました。

 私が貴方と再会した時、身近にいた子です。彼女に会って話をしながら住所を使う許可を得て、本当にあの会話をしました。けれど、他の文は花南の本心ではありません。性格の悪い私の本心です。


 年下の彼女と年上の私。どっちを貴方は選ぶのか。本当に私で良かったのは。それを聞きたかった。

 私のことについて色々言っていたけれど、そんなのはどうでもいいのです。貴方が私を選んでくれた。それがすべてです。


 次は朝顔になりました。

 初めて知った君の勘当理由に驚きながら、仲が良かった朝顔になって四年前の疑問をぶつけました。

 違っていたら恥ずかしいけれど、そう思えば思うほど否定できなくなっていく。


 私の疑問は正解でした。

 冷羽はやっぱり貴方に似ていたのです。その時思ったことはさっき言った通りです。


 次は空羽さんになりました。

 あの瞬間のことをどうしても聞きたくて、貴方の返事を待っていました。


 空羽さんとの会話は、あの日私が立ち聞きしたまんまです。そしてそれ以外はやっぱり私の本心です。

 私じゃなくて桐子さんにあげれば良かったのに。貴方は優しい人ですね。


 最後に夕咲ちゃんになりました。

 これが、私が一番聞きたかったことです。途中で感情が出て夕咲ちゃんっぽくなかったけれど――あの日、貴方はどう思っていましたか?


 書いた日は出産間近で、死にそうになりながらも頑張りました。けれど、本当の意味で死にそうだったのは貴方だった。

 お腹の子は冷羽じゃない。重さが違うのです。私は、私という存在は、小さな頃から貴方をたくさん傷つけていた。そのことにようやく気づいたのです。


 結果は、六城伯母様の言った通りでした。私の知らない貴方があんなにもたくさんいたことにさえ、ようやく気がついたのです。

 六城伯母様は玉の輿をして私たちの一族の一員となりました。理由は知りませんが十六歳ですべてを得た彼女のことを私は卑しいと思っていました。


 秋好を女手一つで育てたことに関しては、同じ母親として本当に尊敬しています。ただ、それ以外がどうしてもダメでした。

 葵生ちゃんと六城伯母様から呼ばれた時、私はこの人とまったく同じ立場にいるのだと気がつきました。


 貴方を見て私の方が立場が上だと思った私です。卑しいと思った彼女と同じ立場にいる自分が信じられませんでした。

 彼女はそうして、私の中に入り込んで来ます。一族としての立場は私と同じくらいどこにもないのに、プライドだけは私と同じくらい高いのです。


 違いますと否定できませんでした。


 だって、貴方は六城伯母様の言う通りだった。本当に無知で愚かだったのは私だったのです。それを私は、六城伯母様に気づかされてしまったのです。


 私にはずっと貴方を見てきたという自負があります。ただ私は、見てきただけだったのです。他の子みたいに貴方と関わろうとしなかったのです。

 それどころか貴方を苦しめ続けていた。苦しむ貴方をこれ以上隣で見続けるのは私も辛いです。


 貴方は少しでも私のことを想ってくれていましたか?


 それが今でも気がかりです。口では一度も言えなかったけれど、私は光と夕霧ゆうぎりのことを愛しています。

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