表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

第四話 空蝉

 拝啓 源光みなもとひかる


 君と初めて会ったあの日は同僚の結婚式の日で、初めて会ったあの場所は教会でした。君は新郎の従弟としてあの場所にいましたね。

 君と私は話がよく合い、長々と話していたのを今でもよく覚えています。そして、どっちが先に結婚できるかと冗談交じりに話していたのも。すべてが四年前の話だなんて、今でも信じられません。


 そしてその翌年、新郎の妹――葵生あおいちゃんと結婚したことも、私は信じられませんでした。


 だって、君はあの時


「結婚? 無理無理、俺は一生結婚できないよ。だから絶対空羽そらはさんの方が先に結婚できますって」


 笑いながらそう言っていたから。私はそれを信じていましたが、何故か未だに独身です。


 前置きが長くなってしまってごめんなさい。普通は葵生ちゃんに言うべきなんだろうけれど、女の嫉妬という奴でしょうか。素直に言えそうにないので君に言います。

 子供を授かったそうですね。おめでとうございます。……うーん、やっぱり葵生ちゃんに言うべきなのかな? 女の嫉妬は怖いですね。君も充分気をつけるように。


 このことは同僚である葵生ちゃんのお兄さんから聞きました。妹の素敵な報告がそんなにも嬉しかったのでしょうか。部下に上司、社内中の人間が葵生ちゃんの妊娠を知っていると言っても過言ではありません。

 四年前、君と私との会話に混ざることなく、たった一人で近くにいたあの葵生ちゃん。君は覚えていないでしょうが、あの日小さな奇跡が起こりました。それは、夕咲ゆさちゃんがブーケトスする瞬間です。


「空羽さん、もっと前に行かないと誰かに先に取られちゃうよ?」


 そう言って君は、私の背中を押していましたね。


「そんなに押さなくても取れるから」


 どんなに年を取っても、私はお気楽な大人の人間です。当時の私は二十四歳。君は十八歳。

 取れなくてもまだ平気だと、心のどこかでそう思っていました。けれど、実際取れないと悔しいものなんですね。


 あのブーケは、とってもおかしなことですが君が取ってしまいました。


 私も驚き、すぐ近くにいた葵生ちゃんも驚き、夕咲ちゃんは声も出せずに、会場にいた女性全員は君を睨んで君の美貌に気がついた途端に慌てて怖い顔をやめて。みんながすぐに君に色目を使うからおかしくて……君は困ったように笑っていましたね。


「光」


 振り返ると、そこには葵生ちゃんがいました。

 葵生ちゃんは真っ直ぐな瞳で君を見ていて、君はその視線から逃れようとしていましたね。


「何」


「そのブーケ、どうするの?」


 教会の外。雲一つない蒼い空の下。綺麗な花束を持つ君は美しく、葵生ちゃんと話す時の君には陰があるように見えました。


「捨てるよ」


「光ならそう言うと思ったよ」


「なんの用」


「そのブーケ、私にちょうだい」


 葵生ちゃんがそう言った時の君は、初めて驚いたような表情をしていましたね。そして本当にあげてしまったのだからその場にいた女性たちが大騒ぎになってしまいました。君はすごく居心地が悪そうでふらふらとどこかに行ってしまいましたが、その騒ぎは君がいなくなっても続いていたんですよ。

 そんな二人が翌年結婚したこと。これを奇跡と呼ばずになんと呼んだら良いのでしょう。そして子供を授かったのは、奇跡そのものだと思うのです。


 私は二人の結婚式の日葵生ちゃんからブーケを貰いましたが、彼氏さえまだいません。

 あの日、君じゃなくて私がブーケを取れれば良かった。葵生ちゃんが言う前に、私が君に「ちょうだい」って言えば良かった。今さら後悔しています。


 お祝いの手紙のはずだったのに、ダメですね。上手く書けません。

 やっぱり女の嫉妬は醜くて嫌ですね。





 拝啓 蝉岡せみおか空羽様


 初対面だったのに、不思議と初めて会った気がしなかったのが貴方でした。葵生の兄の結婚式、懐かしいですね。

 当時はまだ義兄ではなく、たくさんいる従兄弟姉妹の中の一人だった彼が俺を無理無理招待していなければ貴方に会うこともなかった。そう思うと、これさえも俺にとっては奇跡です。


 どっちが先に結婚するのか、そんな話もしていましたね。今思えば、初対面の相手にする話ではなかったなぁと思います。


 確かに俺は翌年葵生と結婚しましたが、当時は本気でそう思っていたのだと言い訳をさせてください。


「結婚? 無理無理、俺は一生結婚できないよ。だから絶対空羽さんの方が先に結婚できますって」


「え〜? イケメンにそんなこと言われても、嘘くさいとしか思えないなぁ」


 俺が笑いながらそう言うと、貴方も笑いながら言葉を返してくれましたね。貴方は信じていたと言っていたけれど、冗談を返すようなノリだったので当時の俺は「信じていないなぁこの人」と思っていました。

 俺はどこか冷めた人間なのだと思います。そうでなかったら、初対面で年上の貴方にあんな失礼な話はしなかったと思います。


「嘘くさいって、地味に傷つく言葉なんですけどー?」


 本気だったけど、自分が普段から嘘くさい人間だという自覚はありました。空羽さんは深く考えないで言ったのかもしれない。けれど、俺は見透かされたような気がして恥ずかしくなりました。


「ごめんごめん。でも、イケメンがそんなこと言ったら嫌味だと思われても仕方ないんだからね?」


「えー。好きでこんな顔になったわけじゃないんですけどぉ」


「あはは。そりゃそうだ」


 貴方と話すことはとても楽しかったし、年下で親族から煙たがられていた俺に臆することなく話しかけてくれたのはとてもとても嬉しかったです。未だに独身だなんて、貴方の周囲にいる男は全員見る目がなさすぎだと思います。

 俺がまだ独身だったらお嫁に欲しい――と言いたいところですが、冗談でも言ったら葵生に殺されるのでやめておきます。このことは二人だけの秘密にしておいてください。


 こんなことを書いていると、俺も前置きが長くなってしまいました。貴方とはメールで数回やり取りをするだけで、実際に会ったのはあの日と俺たちの結婚式だけだったと記憶しています。だからでしょうか。話したいことがたくさんあり過ぎて少し遠回りをしてしまいました。

 祝福の言葉ありがとうございます。正直、葵生に言わなくて正解だと思います。最近の葵生は情緒不安定で、ちょっとしたことですぐに怒ります。そして、一人になるとたまに泣いてしまいます。


 妊婦にはよくあることだと聞いているので、特に心配はせずにそっとしている最中です。

 この手紙を書く前に二回別の人と手紙のやり取りをしたのですが、便箋を勝手に取り出すとなんとも言えないような表情をしました。物に勝手に触るなと言い、場所くらい把握しろと言い、把握して勝手に触ったらこのざまです。本当に情緒不安定ですよね。


 女の嫉妬は怖いとよく聞きますが、貴方にもそういう感情があったんですね。

 空羽さんは俺のことを「イケメン」だと言っていましたが、空羽さん自身も顔立ちがちゃんと整っていてすごく美人だと思うのに。ていうか、気をつけろって一体どういう意味ですか?


 会社で話題になることは別に構いませんが、このことを葵生が知ったら後が怖いだろうなぁと思います。ていうか、四年前のあの日葵生が近くにいたんですか? 同じく招待されていた従姉が急用で出ていってしまったことは覚えているのですが、葵生がいたかどうかはまったく覚えていません。

 まぁ、葵生は積極的に誰かに話しかけるようなタイプの人間ではないし、仲の良い従姉が出ていってしまって落ち込んでいたんでしょうね。兄の結婚式なのに、落ち込んでいる妹なんてどうかと思いますが。


 ただ、貴方の言う奇跡は俺もよく覚えています。あんなにたくさんの人間に注目されて恥ずかしかったので。

 あの時、手前の方に婚期を逃したくない人たちがいるのが見えたんです。隣を見ると、すごくキラキラとした目でブーケを見ている貴方に気がつきました。


「空羽さん、もっと前に行かないと誰かに取られちゃうよ?」


 そんな貴方が可愛くて、ついつい子供扱いするように背中を押してしまいました。


「そんなに押さなくても取れるから」


 いや無理でしょ。俺はそう思って貴方のことを見ていました。貴方はまだ若いから遠慮してるんだなぁって思っていました。


「いくよー!」


 と、夕咲さんが声をかけた時、俺は空を見上げました。

 蒼い蒼い空。雲一つない空。そんな空に舞う花がありました。それは、夕咲さんが投げたブーケでした。


 女の子がブーケに憧れている理由が、その時なんとなくわかりました。それくらい綺麗で、儚くて、そんな普通の幸せを得られなかった母親のことを思いました。

 風が吹いたのはその時です。気づいたらブーケは俺の手の中にありました。顔を上げると、声も出せずに驚いている夕咲さんが見えました。さらに視線を感じて周りを見ると、誰もが俺を見ていました。貴方の言う通り、困ったように笑うことしかできませんでした。


「光」


 そう名前を呼ばれたのは久しぶりで、睨むように俺を見上げる葵生がそこにはいました。

 当時葵生から俺に声をかけることは珍しく、思い返せば初めてだったと思います。何を言われるのかわからなくて、無駄に身構えていた自分は滑稽でしたね。だって葵生は、俺を真っ直ぐに見つめながら


「そのブーケ、どうするの?」


 そんな間の抜けたことを言ったのだから。

 どうするの、そう尋ねられてどうしようと思いました。母親の墓の場所なんて教えてもらっていませんが、母親にあげるのも悪くないのかもしれない。陰があるように見えたのは多分そのせいです。


「捨てるよ」


 母親にあげるというのは、捨てるのとほとんど同義でした。


「光ならそう言うと思ったよ」


 なら、何を言いに話しかけてきたのか。


「なんの用」


 葵生の考えていることは、当時も今もわかりません。


「そのブーケ、私にちょうだい」


 ほら、まったくわかりませんでした。

 その言葉の意味を理解した時驚かずにはいられなくて、葵生も貴方と同じようにブーケに憧れている女の子の一人なのだと気づかされました。


「ほら」


 投げるように渡すのはブーケトスみたいで嫌だったので、手渡しをしました。その時の葵生は笑おうとしているのに上手く笑えなくて少しだけ可愛かったですね。

 騒ぎよりも目の前の葵生の表情に居心地の悪さを感じて、俺はその場から逃げ出しました。


 そんな俺たちが翌年に結婚するだなんて、当時の誰が想像していたのでしょう。確かに奇跡の連続でした。


 俺たちの結婚式の日、親しい親族以外で誰を呼ぼうかと考えた時真っ先に浮かんできたのが貴方でした。

 友人として、一日だけでしたが一緒にいて楽しかったのは貴方です。葵生も異論はなかったようで、貴方の招待を誰よりも先に決めました。


 ブーケトスをする前、葵生がこう言っていたのを覚えています。


「これを受け取ってほしい人って、空羽さんしかいないんだよね」


「朝顔は?」


「あの子はまだお嫁にはあげないから」


 葵生は朝顔にとってただの従姉というだけなのに何を言っているのかと呆れましたが、葵生の葵生の言うことも一理あったので俺も貴方の下へと行くように祈りました。

 友人と呼べる人がほとんどいない、冷たい人間の俺と葵生ですが。神様は願いを聞いてくれたようで、貴方の元にブーケは届きました。


 そんな俺たちのブーケだからでしょうか。それとも、葵生が呪いをかけたのでしょうか。決して貴方がダメというわけではないと思います。貴方はもっと、自分に自信を持ってください。


 貴方は素敵な女性だと思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ