始まり
「ここから先は後戻りできんぞ」
「すべては覚悟の上、それにこれはあんたの願いにも繋がることだ」
断崖絶壁の端、そこには少し影がある年老いた男性と落ち着いた感じの青年が立っていた。
「そんな恨めしいか」
年老いた男性は横目に青年の顔を見てそういった。
「あぁ」
そんな男性の問いに青年はそう短く答えた。
その答えに「はぁー」と一つため息をこぼす。
「なら行け、もう何も言うまい」
年老いた男性は青年に背中を向ける。青年もそれを機に一歩ずつ前に踏み出す。
「じゃあな、父さん」
その一言と共に強い風が彼らを襲う。程なくして父さんと呼ばれた男性は振り向く。そこに青年の姿はなく、見えるのはただただ広い青い海だけだった。沈みかける夕日を目にポツリと彼はつぶやくのだった。
「どこの世界に、息子を犠牲にして喜ぶ父親がいるというんだ…」
☆
俺は長い間、車に揺られていた。外の景色をなんとなく見てはいるが、その風景は決して地球には存在しないものだった。言葉で形容するには難しいだろう。
しかし、ここを一言で表すのならとても簡易なことなのだ。その言葉ですべての説明がつくといえばそうだろう。だから言おう、今ここがどこなのか。
それは…。
「もうすぐ天界につく、降りる準備をしろ」
助手席に乗っている黒コートに身を包んだ男性が若干の威圧をかけて指示をしてくる。その言葉に返事をせず俺は降りる準備をする。
程なくして車が止まる。
「降りろ」
そう指示が出されて俺は車を降りる。助手席に乗っていた黒コートの男性も車から降りてトランクからキャリーバッグを取り出し俺に渡す。
「いいか、ここから先は認められたもの以外入ることの出来ない世界だ。お前はそれに認められ導かれた、そしてそれはお前の責務だ。役割を果たせよ、正義の味方」
「言われずとも」
渡される際にそう短く返答する。答えは充分だったのか男は再び助手席に戻る。すると、運転先の方の窓が開き変わり映えのしない男性がこのあとの指示をだした。
「この先を振り返ることなくすすめ、そうすれば向こうでお前を待っている人間がいる。あとはそいつの指示通りに動け」
それだけ言い残して車はこの場から去っていった。
俺は指示通りにこのなんとも言えない、洞窟のような異次元空間を真っ直ぐに歩き続ける。
数分間歩き続けると目の前に小さな光が見え始めた。
(そろそろ、か)
俺はその光に迷うことなく歩を進める。近づくにつれて光が強くなり、目を覆いながらその光の先へと進む。一瞬、光が強く瞬き目を瞑る。次に目を開けた時にはさっきの洞窟のような異次元感はなかった。
「君が新しい転入生だな」
そこには先程の黒コートとは違いスーツ服にきっちりと身を包んだ女性がいた。サラッと長い黒髪に日本人の特徴的な顔立ち。身長も俺より低い。印象としては仕事のできる女だ。
「蔵馬鳴瀬といいます、よろしくお願いします」
「私はサユキと言う。これから君のクラスの担任になる者だ」
「そうでしたか、これからよろしくお願いしますサユキ先生」
俺は人受けの良さそうな顔で挨拶する。そんな俺の日本人として礼儀作法で差し出した手の挨拶にも関わらず鋭げな瞳でサユキ先生は睨む。
「えっと、なにかしましたか?」
「いや、少しな…。睨んだりして悪かったな」
そう言ってサユキ先生は俺の手を取り握手する。
「では付いてきてくれ」
サユキ先生は先を歩き出す。
もう一度この世界を見渡して大地を踏みしめる。感覚は地球のそれと同じ。けれど見渡した風景は地球のものとは違う。一言で例えるのなら虹色の世界だ。草木が生い茂り見たこともない色とりどりな花が咲き乱れている。また遠目に見ると雪が降っていたり、雨が降っていたりと不思議な場所まである。明らかに異常なその光景にしばし呆気に取られる。
「最初にここに来たやつは君と同じような反応する」
「こんな風景を見せられたら誰でもこうなりますよ」
「正論だ、私もそうだったからな」
サユキ先生も俺と同じように辺りを見回す。
「いつ見ても不思議なとこだよ、ここは」
そう、懐かしむように先生は零した。
「ここが今日から君が通う学園、幻想学園ヴァルビアだ」
連れてこられたこの場所は唯一天界で許容された人工建築物、通称ヴァルビア。
神格という特異能力に目覚めた子供たちを教育する機関がこの学園。神格に目覚めた子供たちは何かしらの強い力を得ている。そのコントロールを学ぶための学園がここなのだ。それと同時にこの学園は人類の敵である混沌との最前線でもある。
ここで混沌を倒さなければ俺らの故郷である地球に被害が及ぶことになる。それを食い止めるための場所なのだ。もし万が一、ここで混沌を食い止めることが出来なければ…。その時は地球に甚大な被害が及ぶことになるだろう。地球にも何人かの神格保持者がいるし対抗策もある。まだ、神格が目覚める前よりかはマシな対処もできるようになっているであろう。
とはいえ、ここで混沌を逃せば地球側が大変になることは間違いないのだ。
「長旅で疲れただろうがもう少し付き合ってもらうぞ、大丈夫か?」
「はい、問題ありません」
「そうか、では付いてきてくれ」
そうしてヴァルビア学園へと足を踏み入れたのだった。
付いてきて案内されたのはこの学園の最高責任者がいる部屋、学長室。
「ここから先は鳴瀬、一人で挨拶することになる」
「一人、ですか?」
俺は不思議そうに首を傾げ不安そうにするが、内心そんなことは思っていなかった。
それはとても都合がよく、個人的にはそっちの方が嬉しい状況だからだ。
「あぁ、できるか?」
「はい、大丈夫です」
そう二つ返事で返すとサユキ先生は安心したような不安そうな、なんとも呼べない表情をする。しかし最後は割り切ったのか俺に学長に挨拶するように促す。
「くれぐれも失礼のないようにな」
「はい」
そう言って俺は学長室の扉をノックして中に入るのだった。
「よくきたな」
そこには長く白いヒゲを伸ばした厳つい顔をした老人が立っていた。
「はじめまして、今日からここでお世話になることになりました蔵馬鳴瀬です」
「聞いておるよ」
それだけ言って学長室に備えてある豪華な椅子に座る。その態度にイラつきつつも俺は挨拶を進めていく。
「神格者として精一杯努力させてもらいます」
「うむ、混沌からこの世界を守るために精一杯励むのだぞ、我らが神がついているからには安心してこの学園で過ごすがいい」
その傲慢たる態度に遂には、俺の何かが切れて袖に隠してあった折りたたみナイフを素早く展開し学長室の机を踏み越え学園長の首にその切っ先を押し当てる。その動作を何食わぬ顔でみて、学園長は一切動じずにナイフを押し当てられたまま動かない。
「なんの真似だ?小僧?」
たちまちその学園長である老人から覇気のよう、絶対的に抗えないオーラが立ち込める。ピリピリとした空気がこの場に広がる。しかし、そんな空気に当てられても俺は動じることなくナイフを押し付けたまま進める。
「今のセリフはどういうつもりだ、ゼウス」
「そのままの意味じゃが」
ギリシャ神話において最高神である存在、その者こそがこの学園の長にして天界の主神。今目の前にいる存在そのものが正しくゼウス本人なのだ。
「お前はクレイアという女の子を知っているか」
「知っているとも」
「なら、よくそんな言葉がほざけたものだな」
「どういう意味じゃのぅ」
再び睨み合う。緊迫した空気のせいか、後ろにある窓ガラスが揺れ出す。いや、実際には揺らしているのだ。ゼウスの覇気が影響しているのだ。
「お前は、この学園にいながらもその女の子を混沌に殺された。違うか?」
「なぜ貴様がそのこと知る?」
「だまれ、俺が聞いているんだ。質問に答えろ」
「ほぉ?」
さらにゼウスの顔に苛立ちが募る。人間らしく眉間に青筋がたっている。そんなゼウスの人間らしさに俺はさらに怒りを募らせる。
「そうじゃな、儂はあの子を救えなかった。それは紛れもない事実じゃ」
「救えなかった?救わなかったの間違いだろう」
俺のその訂正にゼウスは不意に表情を真剣なものに変える。そして豪快に笑い出す。
「フハハハハハハ、そうか、そういうことか。これだから人間は侮れん」
「俺はお前ら神を許さない」
「結構、誰が人の許しを得る神がいると思う?小僧」
「いずれ、貴様を殺す。それまで首を洗って待ってろ」
俺はナイフを袖に収納し、その場から退く。
「その時はせいぜい楽しませてもらうとするぞ、禁忌の小僧よ」
俺はその言葉を背に学園長室を出る。
「中で何をしていたのだ?」
「いえ、軽く挨拶をしていただけですよ?」
「そうか、それならいいのだが…」
サユキ先生は何があったのか不安そうにこちらを睨む。やがて諦めたようにまた先に進み続ける。
「これから少し学園を軽く案内しよう、詳しい話はまた明日にするからな」
「はい、お願いします」
それから俺は簡潔に学園内の構造をざっと説明されて一通り回る。
案内もそこそこに終わらして、最後に今日寝泊まりする場所まで連れてきてもらった。
本来なら寮舎で寝泊まりするはずなのだが来る時間帯が微妙に遅かったためこうして特別室の部屋で寝泊まりするように指示を受けている。サユキ先生もそこまで案内して終わりなのか「また明日に」とだけ言い残してその場を背にした。
俺はその指示を受け入れて大人しく中に入ろうとすると唐突に後ろからサユキ先生に声をかけられた。
「君は…」
「はい?」
既に去りゆくものだと思っていた俺はなんの迷いもなくドアノブに手をかけていたところだった。
「君はなんのためにここに来た?」
「どうしたんですか、藪から棒に」
「…いや、突然訳の分からない質問して悪かった」
「いえ、別に隠すことでもないですし教えいたしますよ」
そんな俺の答えにサユキ先生は唾を飲む。
ここに来る学園生というのは殆どが身寄りのない生徒ばかりなのだ。そういう子は何かしらの重たい事情を抱えている者が多い。俺はその事を知っていたからこそ、答えるのだ。
「その前に一つだけ、質問いいですか?」
「なんだ?」
「先生にとっての正義とは一体なんですか?」
「正義?」
「人にとっての正義は捉え方によって善悪はっきりと分かれます。そんなあやふな価値観を先生はどう捉えますか?」
「君は、なかなか難しいことを考えるんだな」
「そこまで難しいものじゃないですよ。ただ単に先生が敵か味方か問うているだけです」
「なるほどな、君にとっての敵は混沌だけではないと…」
「まぁ、ぶっちゃけた話をするとそういうことになります」
「君にとっては私達さえも敵になりかねないと」
「そのための確認です」
至って俺は真剣な眼差しで先生と向き合う。また先生も俺の瞳を見据えるようにその視線の先をずらさない。
「君が校則さえ守れば私は君の味方だ。もちろん、校則を破れば君の教師として罰を与えるのは私の責務だ」
サユキ先生はそれだけ言って俺の返答を待つ。そうして、お互いが見つめ合うこと数秒。
「わかりました、校則はなるべく守るように心がけます」
サユキ先生はその答えにほっとため息を吐く。
「私はほかの教師よりも厳しいからそのつもりでな」
「はい」
そう最後に釘を刺してその場から去った。
そんな先生の後ろ姿を見ながら俺はこれからの方針を考えるのだった。
来客用の宿泊室で俺は一人、幻想とも呼べるオーロラ色の夜空を眺めながら窓の淵を背に考える。
これから俺が行うべき事の再確認だ。
俺の最終目標、いわば終着点はこの世界をある意味で混沌に巻き込んだ原因。ゼウスの暗殺がゴール地点だ。だが、今の俺の実力ではゼウスを殺すどころか触れることさえもできないだろう。今日の不意の一撃ですら奴は動じなかった。いや、動じる必要がなかった。なぜなら人間は神を絶対に殺すことが出来ないからだ。だからこそ奴は防御さえしなかった。
現に、懐からだした俺のナイフには血の一滴すら付いていない。攻撃を与えるどころかそれすべてをはじき返す輪廻の力。全知全能にしてすべての神の上に立つ主神。やつが地球にもたらした混沌の襲来は正しく悪だ。しかし、その後に起こったことはすべて善なのだ。人の錯覚とでも言うのだろうか、今まで悪いことをしていた人が急にいいことをしだしたら人一倍良く見える。そんな錯覚を利用したのか、今ではゼウスを崇める人々が多く信仰心も強い。そんなゼウスを殺すことは果たして悪なのか?
そもそもな話を考えよう、なぜゼウスを殺す必要があるのか。
それはゼウスがもたらした世界の救済が原因だった。もちろん、救済というからには悪い事ではない。むしろ、そのおかげで饑餓で犠牲になるものは減り戦争もなくなり世界の均衡と平穏は保たれたのだ。それ自体悪くは無いのだ。ただ、問題は子供たちにあるのだ。最初の定義を話そう。そもそも神は地球を見放した存在でもあるのだ。それが唐突に自分たちの世界がピンチになったからと地球にいる戦闘能力に長けたもの、人間に彼らは自分たちの加護を付け戦わせることにしたのだ。それが神格だ。しかも、それは子供にしか発揮することができない。また、通称大人と呼ばれる年齢、成人式を迎えればその力は徐々に弱くなりやがて無くなる。
つまり、大人にはその力が備われない。ということは最前線に立たされるのはまだ幼い子供たちなのだ。
俺の言いたいことはそういうことなのだ。
もちろん、子供にしか発言しないこの神格は子供なら誰でもなのだ。幼稚園児でさえも前線に立たされる可能性はあるということなのだ。
そして、少なからず戦死者がいることもまた事実。
もちろん、これには道徳に反すると抗議する大人達もいるが大半の権力所持者は子供を前線に立たすこと意としている。実際問題、混沌は子供達の持つ神格でしか倒すことは出来ない。いくら人が作り上げてきた兵器を向か合わせようが無意味なのだ。
そうした事柄から神格に目覚めた子供たちは逃げることが出来ないのだ。国を、世界を守るために。
そうして駆り出されつつある子供たちを守るのが今の俺の役目なのだ。
あくまでも報復のついでなのだが。
犠牲者の中には俺が昔に、まだほんの小学四年生程の頃に出会い一緒に育った女の子クレイアも含まれているのだ。俺は少なからず彼女のことを思っていた。けれど、それはあっさりと大人達に連れさらわれた。そして、数年経って届いたのは一通の手紙。戦士を意味する手紙だった。
(俺はもうあの時から神に報復すると決めていたんだ。だからそのついでに混沌も皆殺しにする)
それが俺にとっての目標なのだ。
そのために俺は初めて善に反したのだから。
夜空に輝く色とりどりの世界が酷く汚く見えたのは多分、俺の世界が色褪せてしまってるからなのだろう。