優しい初体験
私の初めての依頼人は、美少女だった。彼女のハンドルネームは「扇子」。殺害決行日、私はとある廃病院の手術室に彼女を呼び出した。
「あなたが、ヒグラシさん……ですか?」
「はい」
黒衣に身を包んだ私は、答えた。
「今日は、よろしくお願いします」
「……よろしくお願いします。では、この台に横になってください」
「わかりました」
そう言うと、彼女はコートを脱いで適当な場所に引っ掛け、台の上に横たわった。
それを確認すると、私は携帯電話で通話する「フリ」をした。
「扇子さんがいらっしゃいました。ヘヴンズキー様。はい。はい。……かしこまりました。死を望む者達に、静かな眠りを」
一人芝居を終えて、私は彼女の方を見やった。彼女は、安心したような笑みを浮かべた。
「やっと、終われるんですね……わたし」
「……嬉しい、ですか」
「……はい、とても」
「……そうですか」
「……ヒグラシさん」
「……なんでしょうか」
「……少しだけ、お話を聞いてもらってもいいですか?」
「……作業をしながらでもよいのであれば、お聞きします」
「……それで、いいです。…………わたし……姉がいるんです。血は繋がっていないんですけど」
彼女が語るなか、私はガスボンベの準備をしたり、彼女の四肢を台に縛ったりしていた。この頃の私は、ヘリウムガスによる窒息死を用いて人殺しをすることにしていた。現在は荷物の運搬や道具の調達の関係から、トリカブト水溶液を使っているのだが。
「……医者の家系に生まれた姉は、周りから『稀代の天才』といわれるほど優秀で……。将来を有望視されていました。わたしは、そんな姉になにかあった時のための予備…………影武者として用意された、捨て子だったんです」
「………………」
「家族の愛情はいつも姉に注がれていました。それに比べて、わたしは戸籍も無いまま……完全に、世間から存在を消されていたんです」
「………………」
「……それまでは、よかったんです。わたしは、姉のために役に立っているんだって、思えたから」
「………………」
「……でも、姉が一人前の医者として独立すると、いよいよわたしの価値は無くなりました。当然ですよね。姉が育つまでの間、万が一のために用意されただけなんですから」
「………………」
「……この間、親から…………いえ、姉の両親から、外国の病院に行くように言われました。そこは、臓器移植を得意としている病院で……。どういうことか、すぐにわかりました」
「………………」
「だからもう、わたしに生きている意味なんてないんです。……昔は、姉が家族の隙を見てわたしに話しかけてくれましたが、姉が成長するにつれて、どんどん引き剥がされて…………。このまま誰かの体の一部として生き長らえさせられるなら、もういっそ……。そう考えていた矢先に、このサイトを見つけたんです」
「……そうですか。……私には、よくわかりません。私は、ヘヴンズキー様の右腕として誰かを手にかける、心ない悪魔なので」
「そんなこと、ないです」
「…………?」
「ヒグラシさんは……心ある悪魔さんです。だって心がないと、わたしのような人間の気持ちを汲んで、殺そうだなんて思ってくれないから」
「………………」
「……やっていることに自信を持ってください。わたしの他にも、あなたを待っている人が、たくさんいます」
「……それで、話は終わりですか」
「はい。……もう、遺言は大切な人に届けられましたから」
「…………それでは始めます。この袋を被って、私が肩を叩いたら、思いきり袋の中の空気を吸い込んでください。それで、全てが終わります」
「はい。…………今日は、ありがとうございました」
そう最期の言葉を放つと、彼女は私が差し出した袋を頭に被った。手順が一通り終わると、私は近くにキッチンタイマーを置いてパイプ椅子に腰かけ、雑誌を読み始めた。
十五分後、大きく鳴り響くキッチンタイマーを止め、私は雑誌を置いて彼女の体に触れた。
「…………死亡を……確認」
私はひとつ深呼吸をして、呟いた。
「……こちらこそ、ありがとうございます。私を…………殺人者にしてくれて」
蜩扇。
その名前の由来は「主役を引き立てるための…………ただの、小道具だから」。
◆
決して忘れはしない。あの日のことは。
私は彼女の血を固めて作成したペンダントを見つめたあと、再びトリカブト採取へと戻った。