表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/24

7 広がる噂

 そこへ、背後から声がした。

「シオン!」

 庭の方から、紺の軍服姿が駆け込んで来るのが遠目に見える。久しぶりに姿を見る、オルセードだ。

 さすがにちょっと後ろめたくなって、私はオルセードに背を向けると、渡り廊下の反対側の庭を眺める振りをした。まあいいや、ラーラシアさんが彼に言いつけたいなら言いつければいい。

「うわー、どういう状況、これ」

 茶化すようなハルウェルの声もする。また彼も一緒か。


 廊下に上がってくる足音がして、私と背中合わせの位置に大きな気配が立ち止まった。オルセードの声が、ラーラシア嬢に話しかける。

「ラーラシア、ようこそ。今日は何の用で?」

 ラーラシア嬢の声が、知り合いの気安さか少し柔らかくなった。

「まあ、冷たいんですのね。王都でお会いできなくなったので、たまにはお会いしたいと思って訪ねて参りましたのに」

「それは失礼した。しかし、貴女は結婚間近と聞いている。あまり独り者の屋敷には来ない方が」

 オルセードが生真面目に言い、ハルウェルがにやけた口調で突っ込む。

「オルセードに女の影が見えたんで、悔しくなったんでしょ」

「誤解しないで下さる? 急に騎士団長をお辞めになったと聞いて、心配になっただけです。元気そうなお姿が見られて安心しましたわ」

 はきはきと言うラーラシア嬢の言葉に、私はピクリとした。


 辞めた? 騎士団長を?


 ……少し気にはなったけど、会話に加わってまで聞こうとは思わなかった。後はお二人でどうぞ……

 私はオルセードの顔も見ずに、彼の背中から離れると、キキョウに目配せして一緒にさっさと庭に降りた。

 シオン、と呼びかける声がしたけれど、聞こえない振りをした。


「シオン」

 しばらくして、背後からオルセードの声がした。私を探しに庭にやってきたらしい。

 振り向かないまま池の縁に座って、綺麗な魚を目で追っていた私の背中に、彼は平易な言葉で話しかけてきた。

「……久しぶりに会うな。さっきの女性はもう帰った。親同士が知り合いの、友人だ」


 私はため息をついて立ち上がった。

 彼女が友人だろうが恋人だろうが別にいいんだけど、さっきオルセードについて何だかビックリなこと言ってた。一応聞いておこう。


「騎士団長、やめた?」

 振り向きながら尋ねる。

「ああ、そう……」

 私と向かい合ったオルセードの言葉が、一瞬とぎれた。


 周囲が急に静かになって、どこかで小鳥が鳴くのが聞こえる。

 ……何。何でそんなにじろじろ見るの?


 視線を彼の目から肩のあたりに外すと、すぐにオルセードは瞬きをして言った。

「そう……団長を、というか、騎士団を辞めた。遠征や演習で、何日もここを離れなくて済むように」


 さすがに、えっ、と思った。

 私といないと死んじゃうから、辞めたの? 団長様がいきなりそんなことしていいわけ? 遠征とか演習とかに私を連れて行くんじゃなく? それか、その間だけ腕輪をもう一度つけさせるとか。


 まあ、もちろん嫌だけどな。


 無理にそうしないで辞めちゃったところを見ると、この人、本気で何もかも私中心に暮らして償うつもりらしい。時々家を空けていたのは、辞める準備というか、引き継ぎなんかのためだったの?

 身分のある人がよくもまあ……ハルウェルが「生真面目にもほどがある」って苛立つのも、一応わからなくもない。


「王様に、怒られた?」

 責任のある仕事をいきなり放り出したんだから、きっとめっちゃ怒られただろう。またもやちょっと「いい気味」と思ったけど、彼は私を見つめたまま首を振った。

「陛下をお助けした時、何でも褒美を下さると……。それをまだ願い出ていなかった。騎士団を辞することを、お許しいただいた」

 ……あ、そう……

 どんなやりとりがあったのかはわからないけど、一応円満に辞めたらしい。


 黙っていると、不意にオルセードの手が伸びた。

 大きな手のひらが私の腕をそっと取り、小さくつぶやく。


「……太った」


 おい。


 パシッ、と手を払うと、オルセードは少しあわてたように言った。

「済まない。痩せすぎていたのが、健康的になってきたと言いたかったんだ。まだまだ細いが。声も……美しくなった」

 すると急に、それまでおとなしく控えていたキキョウが口を挟んだ。オルセードに笑顔を向けて言う。

「シオン様本来のお姿に、近づいていらっしゃるようですね」

 オルセードは私を見つめたまま、まるで戸惑うようにうなずく。

「……夢で見たままの、声と、姿だ。あ、いや……初めて会ったときの君を、朦朧としながらも覚えていて、何度か夢に見たということなんだろう。その君が、今」


 ……まただよ……君の夢を見た、とか、めっちゃ殺し文句だな。

 まあ冷静に考えると、さっきまで超美人が来てた状況で、私の方は「前はひどかったのが元通りになってきたな」って言われただけなんだけどね。


 私は特に返事をせず、踵を返した。

「キキョウ、部屋に戻りましょう」

「はい。それでは失礼します」

 キキョウはにこにことオルセードに挨拶し、私の後をついてきた。

 オルセードの視線も、なぜか私を追いかけてきた。


部屋で一人になり、私はため息をつく。

私の人間関係は、こちらに堕とされた時に全て断ち切られた。でも、オルセードたちは複雑に絡まりあった人間関係の中で暮らしている。だから幼馴染だの、親同士が友人だのって……

できるだけ関わりたくない、と思う反面、羨ましかった。

いずれ、私も少しずつ、こちらでの人間関係を築いて行くんだろうか。そうじゃなきゃ生きていけない気がする。そしてその人間関係は、私とオルセードの命の関係上、オルセードと全く関係ないところで築くのは無理なんじゃないか……そんな風に、私は悟りつつあった。


 それから数日して、ハルウェルがアポなしで私を訪ねてきた。

 オルセードの幼なじみとかいうこの男、いったいどれくらいの頻度でこの屋敷に来てるんだか。

 一度はキキョウを通じて断ったけど、どうも別の部屋でずーっと待ってるらしい。それはそれで気持ち悪いので、仕方なくこの間の外廊下で会うことにする。


 廊下にある石のベンチに座って待っていると、キキョウに案内されてハルウェルがやってきた。

「よう」


 何が「よう」だ。

 黙って彼を見上げる。私は、自分がやったことの責任を取らないこの人が嫌い。私に嫌われてるのをこの人もわかってるから、門前払いされないように不意打ちで来たんだろう。今日はオルセードもいないし。私が早くここを出て行くように、嫌みでも言いにきたのかな。

 ……あれ? 少し、目の周りが赤い。もしかして、お酒を飲んでる? お酒でも飲まなきゃここに来られないほど、私のことが気に入らないのか。何なんだ一体。


 ハルウェルはまたもや勝手に魔法を使っておいてから、廊下の手すりにもたれ、いきなりこう言った。

「なあ、お前ゲイルド家のラーラシア嬢が来た時、彼女に何言った?」

 ……ラーラシアさんを挑発したことを言ってるんだろうか。私を責めるつもり?

 私は冷ややかに教える。

「言われたことに、返事をしただけ。私がここに住んでからオルセードにおかしな噂が立った、気をつけろ、って言うから、『それは仕方ない。オルセードは私がいないと死ぬそうだから』って」

「はー……。それか」

 かくん、と首を前に倒すハルウェル。


 ラーラシアさんとオルセードの仲がこじれでもしたの? オルセード、相思相愛の女性くらいにはちゃんと説明するかと思ってたのに。相思相愛じゃないなら知らないけど。

 私は、放っておいてくれさえすればこちらから邪魔なんかしない。オルセードの奥さんがこの家に住むとしても、今まで通り会わないようにするだけ。奥さんがらみであまり面倒なことになりそうなら、そのときはまあ魔石入り腕輪も考えてもいい。どっちがより面倒かを天秤にかけて、選ばせてもらう。


 でも、ハルウェルがそっぽを向きながら言ったのは別のことだった。

「ラーラシア嬢からお前の噂を聞きつけた侯爵夫人が、オルセードとその想い人を屋敷に招きたいと言ってきたんだよ」

 はい? 侯爵夫人って誰。

「何度も誘いがあって、オルセードがずっと断ってたら、今度は夫人は僕に手紙を寄越した。僕から誘えと」

「行かない」

 私は即答する。義理もないし、だいたい想い人じゃないし。

 ハルウェルも私の返事を予想していたのか、「だろうな」と言って、面倒くさそうに続けた。

「そうするとあっちから来るだろうから、そのつもりでいろよ」

 ……誰が?

「侯爵夫人は、オルセードのお祖母様だ。オルセードが騎士団を辞し、しかも謎の女と暮らしてると聞いて、心配してる。高齢で持病もあるが、孫のためなら結構無茶するお方だ、シオンに会いに来るだろう。困ったもんだ」

「独り言は一人でやって」

 私は立ち上がった。そして、ハルウェルを放っておいて庭に降りる。

「お前が自分で蒔いた種だからな!」

 ハルウェルはそう言い捨てて、廊下を去っていった。気配が消える。


 ……また、怒りを感じたよ。オルセードのお祖母さんが無理をして私に会いに来て体調でも崩したら、私のせいだって言いたいんでしょ?


 ふと、自分の祖母の記憶が、氷の中に浮かび上がる。同居していた父方の祖母……私が中学生の時に病気で亡くなってしまったけど、私をとても可愛がってくれたおばあちゃんだった。

 そういう思い出を刺激してくれて、ハルウェルめ、よくも。絶対あいつの言うなりになんかなるもんか。


 でも……失敗したな。ラーラシアさんを挑発なんかしなきゃよかった。

 オルセードとハルウェル以外の人に迷惑をかけるのは、私の本意じゃない。そこだけは、しっかりしないと。私のせいで誰かが不幸になったら、私も彼らと同レベルになってしまう。そんなのは耐えられない。

 せめて……そう、オルセードから懇願されたなら、お祖母さんに会いに行ってもいい。会うだけなら。でも絶対あの人、私に頼みごとなんてしないだろうな。これ以上シオンに迷惑はかけられない、とか言って。

 どうしたもんか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ