3 騎士と魔導士と灰かぶり
長老の屋敷を後に、馬は走り出す。
ひどく揺れるので驚いて、とっさに男性の腰にしがみついてしまったけど、彼は何も言わずに私の身体を両腕でぐっと挟むようにした。こんなごつごつした筋肉、触るの初めて。腰に剣を下げている……騎士っぽいのはともかくとして、どういう人だろう。
村の入り口にある柵を、この二年で初めて越えた。そこには箱馬車が一台止まっていて、横に立っていた御者さんらしき人が頭を下げる。男性は私を抱えたまま馬を下り、マントを私に巻き付けてから馬車に乗せた。
「ゆっくり休め。後で○○する。……話をする」
男性はそう言って、馬車の扉を閉めた。やがて、鞭の音がして馬車は動き出した。
クッションふかふかの座席に埋まり、暖かなマントにくるまって揺られているうちに、いつの間にか私は眠ってしまった。それからも何度か寝たり起きたりしながら時間を過ごした。
やがて馬車が止まり、扉が開いた。男性が手を差し出す。
相変わらず訳の分からないまま、手を借りて馬車を降りると――
そこは、今までいた屋敷とは比べものにならないくらい立派な、白亜のお屋敷だった。綺麗に整えられた庭園に囲まれ、窓は綺麗に磨かれ、柱には装飾があって美しい。
玄関ホールに入ると、何人もの人が頭を下げて出迎える。部屋に通された私が豪華な調度に目を見張っているうちに、メイドさんみたいな格好の人に浴室に案内された。
これは、夢だろうか。今までの生活が『灰かぶり』みたい、と思っていたら、本当にシンデレラになっちゃった? まさかね。
そんなことを思いつつも、猫足バスタブで身体を洗う。……ずっとまともに入浴なんかしてなかったから、お湯が汚れて恥ずかしかったし、久しぶりに鏡を見たら目つきは悪いし痩せて不細工になってるしで、私は思わず顔を背けた。夢じゃなさそうだ。少しでも表情が柔らかくなるように、両手で頬をぐにぐにしてほぐす。
シンプルかつシックな臙脂色のワンピースと下着が用意されていたので、ありがたく着る。ボタンが後ろで、苦労していると、さっきのメイドさんが駆けつけてきてとめてくれた。梳かしてもらった髪が胸に垂らされるのを見て、こんなに艶がある自分の髪も久しぶりだな、と思った。
部屋のテーブルには食事が用意されていて、スープの具の多さに豊かさを改めて感じる。少ししか食べられなくて、メイドさんに心配された。私だってもっと食べたいよ、美味しいしもったいないし。でも、たぶん胃が小さくなっててこれ以上は無理。
食後にソファに移り、ローテーブルにお茶を出してもらったところで、あの男性がやってきた。
私たちは、ソファの端と端に座った。男性の視線をビシバシ感じるけれど、どうすればいいかわからなくて、私は黙っている。
男性は今も、かっちりした軍服だ。腰にあった剣は外してるみたいだけど、ここってこの人の自宅っぽいのに、もうちょっとくつろいだ格好をしないんだろうか。
また少し、咳が出た。
そのとたん、男性がサッと立ち上がって、私の前で片膝をついた。
「シオン、大丈夫か」
何が起こるのかと緊張しながらも私はうなずき、片言で尋ねる。
「あなたは、だれ?」
うう、声がガラガラ……
でも男性は笑ったりせず、真面目な表情のまま、私を見上げて言った。
「俺はオルセード。俺のことを、覚えていないか? 二年ほど前に、一度会っている。死にかけていた俺を、君は救ってくれた」
「え」
二年前って……思い当たるのは、一人しかいない。
瀕死の男と二人きりで、部屋に閉じこめられてた。あのときの男が、この人? でも……
「すくった、ちがう。ほかのひと」
私は戸惑う。
あの時のこの人は、すでに包帯を巻かれて手当されていた。私はほとんど見てただけ。二人きりだったから仕方なく水を飲ませたけど、他には何もしてないんだから、救ったとは言えない。
すると、オルセードと名乗った男性は眉間にしわを寄せて言った。
「いや、やはり君だ。髪の色が違うからすぐにはわからなかったが」
髪の色……そういえば、前は栗色にしていたっけ……うちの学校は校則が緩かったから。
そんな思い出が一瞬浮かんで、消える。今はすっかり黒髪だけど。
「君がいなければ、俺は死んでいた。俺のために、君はこの国に来たんだ」
「……?」
相変わらず、話が見えない。私がわかるように簡単な言葉で話そうとして、大ざっぱな表現になってるだけ?
まさか、何かの勘違いで私を村から助けてくれたの? 勘違いだとわかったら、またあそこに戻されるんじゃ……
その時、ノックの音がした。
オルセードが返事をするより速く、勢いよく扉が開く。白の燕尾服みたいな変な上着を着た赤毛の青年が飛び込んできた。
「オルセードっ! お前本当にっ……。そこの女! ○○、○○○!」
青年は手袋をした手で私を指さして、何かキャンキャン文句を言っている。
染み着いた習性で反射的に立ち上がってしまったものの、罵倒なんて全然平気。氷の奥には、言葉の意味はぼんやりとしか届かない。
私は顔を伏せ、両手を前で揃えて、嵐が通り過ぎるのを待つ。
ゆらり、とオルセードが立ち上がった。地獄の底から響くような声で言う。
「ハルウェル。黙れ」
ぐっ、と、青年が口をつぐんだ。ちらりと横目で見ると、オルセードは明らかに――怒っていた。一言一言区切って、言う。
「今、お前がやるべきことを、やれ。まずは腕輪。次に言葉だ」
ハルウェルと呼ばれた青年は、ものすごく不服そうな顔をした。でも、しぶしぶ私に近づいてくると、何かを下手投げするような仕草で右手を振った。
私の左手で、パキッ、と音がした。びっくりして揃えていた手を解くと、手首からあの金属の輪のかけらがポロポロと落ちた。日に焼けなかった部分が、腕に白い跡を残している。
横からオルセードの手が伸び、私の手首を取って何か確認している。大きくがっしりした手のひらの上で、私の痩せた手首は棒っきれのようだ。
次にオルセードが無言で顎をしゃくると、ハルウェルはまたもや悔しそうな顔をしながら手袋を片方はずした。そして人差し指と中指を揃えて、いきなり私の額を軽く押した。
何を、と思った瞬間、レモンのようないい香りがふわりと広がった。思わず額に手をやると、指に湿り気を感じる。香水?
ハルウェルが言った。
「この香りが続く間、香りの届く範囲で、言葉の意味が伝わりやすくなる。考えてるだけのことでも、強い感情なら漏れるからな」
あれ?
今まで、意味を一つ一つ考えてからでないとわからなかったこの国の言葉が、するすると自然に理解できるようになった。オルセードが私を見る。
「シオン、君の国の言葉で話して構わない。今なら通じる」
日本語が、通じる?
「はあ」
私は返事だけはしたものの、じゃあ早速、という気分にもならず黙り込んだ。
この国に、魔法のような力が存在することは知っていた。長老を診察しにきていた医者が、たまに変な治療をすることがあったから。
今、もっとすごい魔法が目の前で行われたんだろうけど、それで気持ちが浮き立つわけでもない。聞きたいことは山ほどあるけど、質問しなくたってあっちから説明してくれるだろう。
「座って。ハルウェル、お前もだ」
オルセードは向かいのソファに青年を、そして元のソファに私を座らせて自分も腰掛けると、自分たちを紹介した。
「改めて、俺はオルセード。このチェディス王国騎士団の団長を務めている」
……さらりと言ったけど、なんか超偉そうな役職。
「このハルウェルは俺の幼なじみで、一級魔導士。やはり騎士団に所属している。君をこの国に呼んだ人物だ」
はあ。……はあ?
私はまじまじとハルウェルを見つめた。この人が私を、何だって?
彼はなにやらチッと舌打ちをして、そっぽを向く。
そしてオルセードも、うつむいた。
「元はといえば、君が呼ばれた原因は俺にあるんだ」