11 境遇の似た幼馴染
寝間着に着替えてベッドに入り、キキョウが
「何かありましたら、遠慮なくベルを鳴らして下さい。おやすみなさいませ」
と出て行った後も、私は眠れなかった。
時々、不思議な衝動が起こるのだ。あの村の、長老の屋敷から逃げ出すことを決めたときの気持ちが、不意に戻ってくる。ここから逃げ出せば、何かがいい方に変わるんじゃないかって。きっと、今の状況に私が納得できていないせいだと思う。
この屋敷から私が姿を消したら、どうなるかな。オルセードはこのあたりのことをどれくらい知ってるんだろう。少なくとも、自分の家の周りよりは知らないと思う。
彼は私を捜すだろう。それは自分の命が惜しいから? それとも、本当に生真面目に、私を心配して?
……しょうもないことを考えちゃったな。
私は身体を起こした。眠れるようにランプを消してしまったんだけど、やっぱりもう少し起きていよう。廊下に蝋燭の火があるから、もらってこよう。
目は暗闇にある程度慣れている。枕元のランプを手に、私は扉に近づいてそっと開けた。廊下に出ると、階段の近くに蝋燭の灯りがあった。いくつかのランプとぶっとい蝋燭の置かれた台があって、お客さんたちが部屋に引き取るときに、ここからランプを取って蝋燭から火を移し自室に持って行くのだ。
寝間着姿なので、急いで台に近づいてランプに火をともす。一応、キキョウがやるのを見ているからやり方は覚えている。
部屋に戻ろうとしたとき、話し声がした。階段の手すりから、そっと下をのぞく。
ハルウェルが、レビアナさんに手を貸して、居間からホールに出てきたところだった。今まで話をしていたの……?
「変わった娘さんだけれど、私は今のところ反対する理由は思い浮かばないわ」
よたよたと歩くレビアナさんは、それでも声ははきはきしている。って、もしかして私の話?
「恋に溺れて騎士団を辞したなら問題だったけれど、とてもそんな風ではないし。彼女、堂々としているのに謙虚ね、オルセードの家を出るべき時には出ると言っていたでしょ。オルセードが彼女に受けた恩くらい、返させてあげなさい」
レビアナさんの言葉に、ハルウェルが軽い調子で答える。
「ばあさま、そして僕はオルセードに恩がある。オルセードが変な女に引っかかりそうになったら、頑固なあいつを止められるのは僕くらいでしょ」
「あなた、シオンに声もかけないと思っていたら、そんな風に思っていたの? 何か彼女に不審な点でもあるの?」
レビアナさんの質問を聞いた私は、もう部屋に戻ろう、とそっと廊下を戻ろうとした。どうせハルウェルは、あることないことレビアナさんに吹き込むに決まってる。
けれど、結局聞こえたハルウェルの返事は、拍子抜けなものだった。
「……彼女はオルセードに相応しい身分じゃない」
「いいこと、あなたのお父様とオルセードは違うの」
きっぱりと言うレビアナさん。
「お父様にはお母様がいたけれど、オルセードは独り身。恋人くらい持たせてあげたらどう? まあ、シオンとはそんな雰囲気でもなかったけれどね」
そして、声を和らげる。
「あなたのお父様とあなたも、違うのよ。早く素敵な女性が現れるといいわね。おやすみ」
再びのぞいてみると、レビアナさんはハルウェルからメイドさんにバトンタッチされ、立ち去ろうとしていた。ハルウェルはそれを見送っている。
私も急いで、自分の部屋に戻った。静かに扉を閉める。
……何だかわからないけど、ハルウェルは自分の両親と確執があるんだろうか。「あなたのお父様とオルセードは違う。オルセードは独身なんだから恋人くらい持たせてあげたら?」って言い方をするってことは、ハルウェルのお父さんは独身じゃないのに何かやった、ってことだよね。……不倫でもしたの?
不倫相手が、私に似てでもいたのかな。そんなくだらない理由で蔑まれても困るんだけどね。
翌朝、オルセードが部屋まで迎えに来て、私たちは食堂に降りた。
列車の時間があるので、慌ただしく朝食を済ませて支度をする。そろそろ出発、という時に、レビアナお祖母さんが玄関ホールまで見送りに出てきてくれた。
「シオン、何か困ったことがあったら、私に連絡してくれてもいいのよ。それまでに私が天に召されちゃったらごめんなさいね」
ホールに置かれた長椅子に腰掛け、レビアナさんは茶目っ気たっぷりに私に言うと、オルセードに目を向けた。
「オルセード、そういえばセヴィアスの任期はそろそろ終わりかしら」
「予定が変わらなければ、来春帰国するはずです」
「そう。手紙を出してもちっとも返事を寄越さないわよね、あの子」
ああ、誰のことかと思ったら、オルセードのお父さん? つまり、レビアナさんの息子さん。海の向こうのどこだかの国に駐在しているって……どんな人だろう。戻ってきて私がいたら、やっぱり嫌がるかな。
そんな風に思っていると、レビアナさんは言った。
「例の女性も連れ帰るつもりかしらね」
「おそらく。父に良くして下さっているようなので、俺は歓迎します」
「あなたがそれでいいなら、一度こちらにも連れてきてちょうだい。まともな方なら私はちゃんと紹介しますからね」
……?
馬車の用意ができ、私たちはレビアナさんに別れを告げて乗り込んだ。同じ列車に乗る人たちが他にもいて、別の馬車と連なって出発する。
「さっきの話だが」
動き出した馬車の中、オルセードが私の顔を見た。
「父が戻ってくると言っても、父は王都にある家の方に暮らすことになる。シオンのことはもちろん話しておくが、君の暮らしは変わらない。心配はいらない」
私が黙ってオルセードを見つめ返すと、言いたいことがわかったのか、彼は続けた。
「母とは、俺が子どもの頃に離縁している。父はそれ以来独り身だったけれど、駐在先で良い女性を見つけたらしい」
ああ、そういう……
あの肖像画のお母さんは、お父さんと一緒に海の向こう、じゃなかったんだ。
「お母さんはどこに?」
聞いてみると、オルセードは淡々と答える。
「最後に会った時は、国の西の方の町で暮らしていた。今は連絡を取っていない。もう会うことはないと思うから、シオンは心配しなくていい」
いや、別に、オルセードのお母さんになんやかんや言われるのが嫌だとかそういうアレで聞いた訳じゃなかったんだけど。
もう会うことはないって……こじれた別れ方をしたのかな。
子どもの頃に、お母さんと離ればなれになったオルセード。
ハルウェルもどうやら、親のことで何かあったみたいで。お父さんが不倫したっぽい言い方をしていたから、やっぱり別れちゃったのかも。
二人は、境遇が似ている幼なじみ同士……?
それと、さっきお祖母さんが、オルセードのお父さんの新恋人? を連れてくるように言ってた。紹介するから、って。
侯爵夫人から紹介されれば、皆が認める、ってことなんだろう。そう……今回の私みたいに。
「もう少し落ち着いてから段階を踏んで、と思っていたが、いきなりの夕食会になってしまって済まなかった。しかしこれで、俺に何かあったときに、あそこにいた人々から多少の援助が期待できる。安心してほしい」
相変わらず生真面目口調で、オルセードは言う。
……そうか。
……そういうことを考えてくれてたんだな、一応。さすがに、自分に何かあったときに私をあのハルウェルに任せようとは、彼も思っていないらしい。
彼は私の様子を窺うように続けた。
「疲れていないか、シオン。辛かったら眠ってもいいんだ」
確かに、昨夜は結局あまり眠れなくて寝不足だけど、オルセードの前で寝ようとは思わない。
私は黙って、窓の外に視線をやった。
とにかくこれで、レビアナお祖母さんと会う用事は済んだ。オルセードのお父さんは来年の春まで帰ってこないし、しばらくはバタバタしないで過ごしたい……
駅に到着して馬車から降りると、別の馬車からもイーラムやラーラシア嬢が降りてくる。ちょっと路面電車みたいな雰囲気のホームに行き、ベンチに腰掛けて列車を待っていると、ラーラシアさんがオルセードに近づいてきた。
「私はこのまま、王都まで行きますので。あまりお話できませんでしたけれど、またお会いしましょう」
「ああ。いつも祖母を気にかけてもらい、感謝している」
オルセードが答える。「いいえ」とラーラシアさんは微笑み、それから私を見た。
「あなたも。また、お会いしましょう」
目が笑ってなかったけど、それはこっちも同じだ。私は立ち上がり、ただ「お気をつけて」と言った。
もしかしたら、ラーラシアさんと同じように「またお会いしましょう」って言うべきだったかもしれないけど、またっていつ? と思ったので。だって、前にラーラシアさんがオルセードの家に来たときは、オルセードが「独身男の家になんか来るな」ってたしなめてたし。今後あっちから来ないなら、私から行くことはないと思う。
それとも、ラーラシアさんは、私とまた会うような状況を何か想定してるんだろうか?




