一ノ瀬明
「あのー、一ノ瀬さん。俺とペアになってくれませんか?」
正真は明にこう言った。正真にとってはまあまあな聞き方ではないだろうか。数分にも感じられる、時間という名の平野を彷徨うような、そこだけ時が止まったような……。返事を待つ間、正真は作っては消え作っては消えを繰り返す明との妄想ラブラブデートの想像(創造でも正しい)をしていた。明の作ったお弁当を食べさせてもらったり、遊園地に行ったり、海に行ったり、公園で一緒に遊んだり…と書いていて少し気持ち悪くなるくらいのことを、正真はその数秒の間に8周以上していた。ここまで来ると逆に凄いものである。そんな妄想力があるのなら、彼女なんかいらないだろう。
明は、水槽を掃除している時の金魚のように返事を待っている男子生徒に、いつもの元気な声を使わずこう言った。
「よ、よろしくお願いします……。でも1つお願いがあって……。」
この答えは予想外だ、と言わんばかりの顔をしながら正真は、「どんなお願い?」とシンプルな答えを送り出した。
「あの、同じクラスの松野木さんにはペアになったことを知られたくないんです…。」
松野木さん?これは意外な登場人物である。
(同じ中学校でもないし、特別接点なんかないのに変な人だなぁ。接点と言えば少し雰囲気が似ているくらいか。同じような髪の色だし。仲良くなるためにも、ここは同調しておくべきだな。)
「別にいいよ。」
明は、心底良かった、いや、どちらかというと助かったという顔をしながら、幸せオーラを振りまいている正真の顔を見ていた。
次の日。正真は電車に乗り遅れるというミスを朝から犯していた。おおかた浮かれて、ニヤついて、テンションMaxで夜も寝られず、寝たなら寝たで幸せな夢で朝までぐっすりだったんだろう。読者のみんな、まだペアになっただけだぜ?さすがにここまでになるとちょっと引く。
次の電車では、相対性理論くらい確実にに遅刻するだろう。遅刻が決定したのだからもう急ぐ必要はない、なんていう謎の考えをしながらも、春の風に吹かれて少し寒くなってきた正真は、電車はまだだろうかと通勤ラッシュから1日だけ解放される喜びを噛み締めながら電車の運行表を見ていた。
「あの、一ノ瀬くん、だよね…?」
(朝から女性に話しかけられるのは悪くないもn…っ!松野木さん!?松野木さんも遅刻だろうか…。一ノ瀬さんに言われてるから、ペアのことはバレちゃいけないよね…。)
「お、おはよう松野木さん。松野木さんも乗り遅れたの?」
(ここは無難な話をして電車の到着まではぐらかすしかないな。いや待てよ。これは逆にハーレムチャンスじゃあないのか!?ここで上手く話を転がせば…!俺にも春が来る!)
相変わらず楽観的すぎて残念な男である。
「はぁ。」
正真に幸はなかったようである。この様子から見て話を失敗したことは火を見るよりも明らかだが、正真からは登校時の記憶がなくなっている。記憶をなくすほどの出来事だったのだろうか。記憶がなくても、心に残る悲しさが失敗を正真に教えてくれている。
教室では、先生が黒板に「クラス委員」と書いて、正真が来るのをタンスに小指をぶつけたような顔で待っていた。正真が来ると、やや怒りを顔ににじませながら、
「委員会はペアでやってもらいます。少しの時間話し合っていいですから、委員会に入るかどうか、どの委員会に入るかを決めてください。」
とおっしゃった。