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第六夜 睡蓮蝶理

「愛や恋なぞあったとしても、私の心はやすまらない」


 舞台に立つ少女が、ぽつりぽつりと言葉を落とす。

 かつて恋心を告げた相手。アシュレに向けた言葉?

 いや、違う。

 

 スローモーションに振り返る肩は、星が乗っているように重い。

 憂鬱にふせられたかんばせには仮面。

 

 かすれた喉から、血を吐くように愛を捨てる。

 それは無垢な少女の言葉ではない。純粋な少女の声で語られる、矛盾したもの。矛盾すらも正当で当然な存在。

 人でない者の言葉だった。

 人でない者が、かつて人だったものに言葉を送っているのだ。

 人の心を潰すように。新たな思いを形にして積み重ねることで、塗りつぶしてしまおうとしていた。


「憎しみが(ソシエ)の骨を白く照らし、魂の(うろ)を赤く燃やしてくれる」


 薄く開かれた花の唇から、空焚きされた憎悪が歌われる。

 浅い呼吸が合間に混じった。ひゅうひゅうと、苦しそうなそれ。

 高熱にうなされた患者もこのような音を漏らすと、アルマはぼんやり思いだす。


「痛みに焼かれ、焦がれ……それってそんなに、悪いことだったかしら」


 仮面を被った少女が、言葉を投げかけてくる。

 アシュレにはわからない。それは、『ソシエ』の言葉だろうか。それとも『誰か』?

 少なくともアシュレの知っているソシエでないことはわかる。

 目の前の存在は、静かに観客を睥睨(へいげい)した。


「あああああああああああああ煩い五月蠅いうるさい! どいつもこいつもヒロイックで嫌になるわ!! そういうものに憧れて喜んで妬んで嫉んでどうしようもなくって、ああそうよ私が悪いのよだからってあんたが踏み込んでくる必要があるの!? 私の王国は滅茶苦茶よ!」

「ソシエ」

「――ええ、でも、そうね。呼んだのは『私』だもの……ありがとう。ようこそ、私の初公演へ。舞台がまだ未完成で、(ソシエ)としてはうれしくて、私としては申し訳なくて――あれ? 私、何をいってるのかなあ。アシュレさん、アルマ先輩、私のいってること、わかります?」

「君は……」


 自分に言い聞かせるように、とうとうと語っていく。

 壊れたラジオを叩いたら、急に動き出して止め方がわからない――そんな不安に駆られた。

 表情に出てしまったのだろう。ぴしっ。空気にひびが入った気がした。


 まっすぐにソシエが来訪者をねめつける。

 彼女の纏う歪んだ気配。

 はじけ飛んで輝く火薬のような歓喜。地を這う気体のような憎しみ。腹の底から臓物がこぼれるような不快感。体を糸でつられたような、喜びにも似た曖昧な浮遊感。

 そういったものが、わけがたく一体となって混じり合った空気に。気配に。ひびが。


「先輩方」


 紛れもないソシエの声で、それはいう。


「私は、狂ってなど、いませんよ」


 おわかりでしょう、と。やはり自分に言い聞かせる調子で。


「確かに、今私はひどく感情の振れ幅が大きい状態ですけれど、ええ、それはいつものことですから。自分で自分のいっていることに不調を感じれば、ちゃんとおかしいと思うことができる……これは正常である証拠です、そうでしょう」


 でも、でもね。

 正常って、何かしら。正常だとか異常だとか、そんなに大事だったっけ。


 突如あどけない子どもに戻って、小首をかしげる。

 己の異変に苦しむ様が、変わり始める。

 乱れていた呼吸と調子が一定のテンポを刻む。


――昔は思いのままにふるまっていたものだわ、私のやりたいことが私のあるべき姿だった。

 次の瞬間には、欲を知った女の顔に。

――でも、世界を覆う空。その青さと高さを知ってしまったら、手を伸ばさずにはいられないでしょう。


「そう、そうなの……変わりたくなんてないのに、そのためには、変わらなくちゃいけないのよ……ねえ、どうすればいい。どんな名作の台詞だって、私の渇きを満たしてくれない。心に雨を降らすような悲劇も業苦も、冷えと孤独を癒す喜劇も恋愛も。すべて、ますます餓えるばかり」


 そう、そう、そう。つぶやく小声がだんだんと、熱が入り、同時に迷いが振り払われ、高まっていく。恥を知らぬピエロの慟哭。燃え盛る英雄の宣誓。いずれともつかぬ愚鈍な絶叫。


 ひどく『混ざって』いる。彼女と彼女でないものが、複雑怪奇に混ざっている。

 ぐちゃぐちゃで、めちゃくちゃ。

 激しく変異する状況。彼女。どのような事態が起きているのか、アシュレ達にはすぐには推し量れない。

 ただ、目の前にいるのは、一人であって、ひとりでなかった。

 膨大な量の気配が、舞台一帯に渦巻いているのをひしひしと感じる。

 目に見えない誰かが、激しく踊り狂い、声もなく熱狂の歌を奏でていた。


 例えるならば、粘ついた絵具が、水を流し込まれ、一色に溶けだしているような。

 気配がソシエに集まり、少しずつ完全な『一』になろうとしている。


 叩きつけられる台詞は常であれば、冗長であるはずだった。

 いつだって舞台に手をかけよじ登り、少女を引きずり下ろすことができるはずだった。

 アシュレは彼女の望みに応じ、救いにきた。あの舞台から、現世へ呼び戻さねばならないのに。


 見とれていた、というには気味が悪い。アシュレとアルマの脳髄に、無理やり押しかける激情。

 誰もが心の中に、自分だけの王国を持っている。心にすまう数多(あまた)の感情、絶えぬ望み。いかなる形を求め、形作るか。希望と悪意を大事に包み、安易には踏み込ませぬ秘密の王国。

 簡単に揺らいでしまう、根源。

 望みの源泉が湧く領地に招くには、横暴に過ぎる。だというのに、拒めない。うかがいをたてるために、門をたたくことすらしないのだ。

 有無を言わさぬ一撃。踏み込むなどという域か。向こう側で、誰を気にするでもなく、声高に奏でられる絶唱。降り注ぐそれは、耳を塞ぐ暇も隙も与えない。

 あちらからすれば、誰であろうとも関係ない。『それ』は演じるもの――観客さえいれば、それでよい。


 『主役(それ)』の妨げを、骨の舞台も許さない。長きに渡って血の涙を落とし、身を砕いて骨を粉にして、ただひたすら至ろうとした屍人どもが。

 待ち望まれた主役は、遂に魔女となった少女の()(ココロ)に溶け込んで、現れようとしている。


「故にこそ、復讐」


 少女の奥底に潜むそれが、彼女に言葉を紡がせる。それこそが望むものと、導いていく。

 唐突に示された目的だった。けれど、当然の結末だった。

 人間は復讐譚を好む。正当で圧倒的な復讐は、人々の胸をうつ。

 なにより、復讐は神にゆだねられる領域であるのだから。


 眠れる獅子を叩き起こそうと。泥の中で微睡む子は、心を千々に裂かれ目覚めんとする。叫ぶ声に血を流し、語る情を肉を刻み。


「嵐のような復讐を。愛を。憎しみを! 我が臓腑を焼く激情こそが、私をすくいあげてくれる!」


 初々しいコール。第一幕の締めくくり。主役の熱演にこたえ、激しい拍手が鳴り響いた。

 耳朶を暴力じみて打ち付ける拍手喝采に、はっと二人は瞠目する。この場にいるのは、ソシエ、アシュレ、アルマ。他はどんな影もここにはない。骨の柱のものさえも。


 されど。二人は天を見上げた。煌々と青い月が嗤う空を。

 暗澹(あんたん)を抱いた夜が、白く染まり始める。

 麗しき香とともに、一帯に降り注ぐ白い花びら。ソシエがまとう着物に描かれた花と同じもの。

 木蓮(もくれん)――地球上で最古の花木。一億年以上も、不変のまま美しさを保つ大花。

 一枚一枚が大きい花弁は、地上に触れるとともにバラバラと喝采する。


「さあ、特別閲覧席のお二方。貴方達にだけ見せられる前座――お付き合いくださり、ありがとうございました。いよいよ他のお客様も招いての本番です」


 いずまいをただしたソシエは、一つ大きく息をつき。一瞬瞳に穏やかな光がともった。


「真摯で大好きなアシュレさん。優しくて素敵なアルマ先輩」


 そっと胸の上に片手を置き、一礼する。あくまで、役者として。


「狂える思いの前では、あらゆるものが塵のようです……あなた方は、どうですか」


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