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第三夜 月光後夜(下)

疑惑の天幕が焼け落ちるまで、もう少し。

真の舞台が開く前、生けるものどものエンドロール。胡散臭いほど眩しい窓越しの月光。

死にゆくもののカーテンコール。

 死者は踊る。うそつきな幻想を求めて。

 隆線を描くつまさきが、まぶたを閉じた月のようになった頃に。美しいだけの虚構が、狂気を孕んで現実を犯すのだと、醜い踊り子は知っているのだ。


 全てを観ているのは、無貌の仮面の如き月光だけ。

 役者は揃った。永い前夜祭も、もうすぐ終わる。積み重ねられた記憶の向こうで、彼らはずっと待っていた。骨に涙がしみるほど、くたびれた足が嗤うほど。


 その総数に比べれば、これはまだ生まれたばかりの泡の如き思い出(ユメ)

 しかし、この虚しい舞台にたつ役者たちによる、芳しき前夜祭でもあった。



 アシュレの過去は、遂に十二月末にまで遡った。兄妹が見舞われた災厄の、ほんの数日前。当時は悲劇の訪れを露とも知らず、冬休みの予定を立てていたものだ。


 クリスマスと年内最後のテストが同時に近づき、生徒によって纏う空気の明暗に随分なさがあった。

あと一~二回でどこの部活も終わるだろう。考古学研究会は休み明けまで活動はない。

 研究はまだ半ばだが、年始年末は誰もが忙しい。具体的に誰にでも見れる形で纏めるのは、休み明けになってからだ。

 次に会うのは一月に入ってからになる。それでも休みは二週間はあるから、休みに入る前に勉強や研究のために集めた資料を図書室に帰さねばならない。


 いつかのアルのように、胸元に抱えた本を持ち直す。高い本の山から、道を確認する為に視線をずらした時、視界の隅にひらりと何かが舞った。


「……あれ、今のは」


 一呼吸おいてはっと気づく。目の錯覚かと思ったが、違う。

足音がほとんどしなかったせいで、一瞬そうとは思わなかったが。今目の前を通り過ぎたのは、確かに人であった。


 風のように駆け抜けた人物には見覚えがある。優雅な曲線を意識したワンピース。それはソシエが好んで着ていたもの。よく部室に着て来ていたから、すぐに思い出すことができた。

 しかし、時々素がこぼれでるものの、普段は上品にふるまっている彼女が廊下を全力疾走するとは。

――何かあったのか?


 思えば、顔を覆っていたようにも思う。

 本を適当な台のうえにおき、走り出す。人影を追って廊下を曲がる。使われていない余った部室に、長い髪が跳びこんでいく。

 乱暴に閉じられたスライド式の扉の前に立ち、手を掛けた。


 しかし、分厚い壁の向こう。聞き取りにくい、嗚咽混じりのすすり泣きが鼓膜を揺らす。浅く深く、吸い込む息の量は不規則に変わり、時にか弱い掌が地団太に似て床を叩く。

それは心配したアシュレの心を更に動揺させる。


 入ったら、逆に負担になってしまうかもしれない。

 心の弱った人間に必要な時間は、二つのタイプに分けられる。


 ひとつは、己では手に入れられない安堵と慰み、勇気を与えてくれる友との会話。もうひとつは、荒れ狂う心の大波が静かになるまで、新たなさざ波を与えない静謐だ。

 蝶の羽一つでも大嵐になることがある。例えそれが良かれと思ってやったことでも。


 暴れこそしていないが、相当荒れている。何かあったのならば事情でも聴き、協力しようかと思ったが……下手に立ち入ろうとすれば、傷つけてしまいそうだ。

 どうにも、聞こえる音から判断するには、悲しみよりも怒りが強い。


――ちょっと時間を置いて、また後で様子見に来よう。

 そこまでするのはおせっかいかもしれない。盗み聞きのようで気まずさもある。


 しかし、ソシエは考古学研究会で同じ時間を共にした友人、後輩なのだから。もうすぐ冬休みに入るのだし、もし深刻な悩みであれば先送りにするのも問題だ。


 更に言えば、しばらくしてすっかり落ち着く程度のことであれば、全く問題ない。黙って帰って、見なかった・聞かなかった・知らなかったことにすればよい。

アシュレはそっと扉にかけた手を離した。



 一度置いた本を無事返却し、帰りの準備もすませ、カバンを肩にかける。

 途中で生徒会長のレダマリアとばったり会って、軽い世間話もした。今度、別の学校に行ってしまった幼馴染のユーニスやアルマも誘って、食事にでも出かけようと約束して別れた。


 流石に色とりどり鮮やかに華やかな女性のなか、ひとつ黒が混ざっていては目立つ。先輩のネロ・ダーヴォラを誘おう。その彼女のメルロテルマ・カーサ・ラポストールも誘えば、一組のカップルを中心に集まったグループに見えなくもない。


 別段、他人にどう見られても構わないが、変に絡みたがる男どもが寄ってくるよりはいい。アルマと仲のいいアルも誘おうか考えたが、彼は最近やたら忙しそうだ。


 それはともかくとして。

 時計をみあげれば、ソシエが部屋に閉じこもってから三十分が経過していた。

 もう数十分で、日も落ちるだろう。ソシエは寮に住んでいるわけではないから、残っているようならそろそろ帰るよう促さねば。

 当初の予定通り、彼女がいるはずの部屋へ足を向ける。


 やはり誰もいないのだろう。アルマが料理同好会は今日が最後の開催日だといっていた気がする。恐らく、他に活動している部はそうあるまい。


 人がいない廊下は閑散として、窓越しに揺れる木の葉の影さえ、何かささやいているようだ。

 暖房もつけられていないから、肌が泡立ちそうに冷える。寂しく流れる一刻に酷似した冷風は、心の隙間に這入り込もうと周囲を(うごめ)く。


 友人との会話で暖まった灯すら、油断すると吹き消されそうだ。

 腕を軽くさすりながら、目的地にたどり着く。


「……?」

 違和感にアシュレは首を傾げた。扉の上部にはめられたスモークガラスは、古い電球の光を透かせている。だというのに、少しも音がしない。

――電気をつけっぱなしで帰ってしまったのかなあ。


 ならば消しておかないと。

 中に入ろうと部室に入った途端、ぶわりと乾いた風がアシュレの髪を舞い上げた。いつの間に外ではこんな強い風が吹き始めていたのだろう。室内の窓は全て開け放たれて、暖房で緩慢としていた肺が急に活き活きと動き出す。

 変動に心臓が痛む。新鮮な空気に、赤血球が歓喜する。


 思わず(つぶ)った目を開けば、目の前に大輪の花が咲いていた。

 いや、花と思っただけ。実際に開いたのは円形のスカートだった。長い脚を軸にくるりとソシエが踊っていた。


 重みを感じさせないステップで室内を飛び回る姿は、清き湖畔を巡る妖精のようでもあり、煌びやかな舞踏会の女主人のようでもあり。

 肩から力を抜き、重力に従い(たお)やかに折れた腕が、そのまま垂れ下がるかと思われた途端、今度は荒々しく跳ね上がる。

 力強く床を踏み、指の隙間の角度さえ完璧に掌を天に向け、稲妻に打たれたがごとく背筋を仰け反らす。


 一連の動作は全て異なる性質を持ちながら、他の繋がりはあってはならないと思わせるほど無駄のない『流れ』をもっていた。

 見惚れているうちに気づく。これは、舞踏ではない。演舞だ。


 瞼を閉じ、長い睫毛を伏せたまま、ソシエは踊る――演じる。

 可憐な処女(おとめ)を、(たっと)き女王を、(たけ)き女神を。

 台詞もなく、動きだけで。


 彼女は数十分にわたり、踊り続けた。

 現実と幻、嘘と芸術。なくとも世界は成り立つが、それは世界を変質させるだけの力がある。

芸術、想像、創造物。人の手によって降ろされて、この世に在った夢が終る。

 教室に入ったばかりの時は、薄闇色の夕暮れだったのに、今はすっかり墨汁で塗り潰したような闇がバックを占めていた。


 ふう。


 ソシエは息をひとつつき、目を開ける。

踊っていた間はあんなに楽しそうだったのに、今や三日月型に開かれた瞳は不機嫌に床を睨む。そのままゆっくりと半月に近づき、アシュレの姿を認めると一気に満月に変わった。


「あ、アシュレさん!? どうしてここに!」

「結構いたみたいだね。見惚れてて気づかなかった」

「え、い、やだ、全然気づかなかった……見ちゃいましたか、見ちゃいましたよね、ああああ!」


 両手で顔を覆い、丸まって座り込んでしまう。幼子のようにいやいやをする。

「ソシエ?」

「ああ、ごめんなさい、ちょっと、びっくりして……練習途中なものだから」


 座り込んだまま、ソシエは答える。顔をあげる気配はない。

 一方であれでまだ未完成なのだということに驚く。舞踏とはそこまで厳しい世界か。そこで疑問を覚える。


「今のは……演技でも、踊りでもあるみたいだった。けれど、能、なのか?」

「ああ、そう思われるのも最もかもしれませんね。これはコンメディア・デッラルテという即興演劇です」

「デッラルテ?」

「ええ」


 知識を脳から引き出すうちに、落ち着いてきたのだろう。顔面から手を離し、膝にあてる。視線は床のままだが。


「コンメディア・デッラルテ。俳優達が類型的なキャラクターをユーモラスに演じる。そして、類型的な状況設定をベースに即興的に物語を展開していく。初期のコンメディア・デッラルテの一座は旅回りをし、屋外に設置した簡易舞台などで上演したらしいです。

 女性が演劇をすることが有り得なかった時代でも、女優を舞台上に登場させたらしくて.、あ、これは、関係ないですね」


「君の家に関係が?」

「さあ、それはわかりません。ただ、仮面をつけて演じるとか、能――狂言に似ている箇所あ多々あるんです。最近はこの二つを融合させる取り組みもあって、私も何か得られるかもなって」


 恥ずかしそうな調子はまだある。それ以上に、楽しそうだ。

 前髪の隙間から覗いた表情は、少しだけ緩んでいる。


「よかったよ! でも、どうして今ここで」

「それは、その。部活でミス、いえ、粗相、じゃなくて、無礼を働いてしまって、ですね」


 明るくなった声がまた(しぼ)む。

 部活。ソシエが属しているのは料理研究会だったはず。

「アルマ先輩に酷いことをいってしまって、先輩が嫌いだというわけではないのですが、ああ、うう」

 どうにもそれが先程の荒れの原因だったようだ。


「その、ですね。すみません、先輩にとっても嫌な話ですよね。でも私……せっかくアルマ先輩が手伝ってくれるって、好意でいってくださったのに。私だけじゃだめなのかって、勝手に頭に血をのぼらせてしまい」


 酷いことを、してしまいました。

 醜いのは、私だけです。


 哀しそうに呟かれた言葉は、己に言い聞かせているようでもあった。

「冬休みが明けて、二月になったら。仮面舞踏会(マスカレード)ですね」

 突然の話題に返しが浮かばなかった。構わずソシエは続ける。


「この学校では少々違った意味も持っていますが。元々の仮面舞踏会は、顔を隠し、誰もが平等にふるまうことができたそうですね。誰が誰かも関係なく、家も過去もなく、自由に。……羨ましいことです、いっそそのままでよかったのに」


 ソシエにとっては繋がりがあることなのだろう。それ以上、舞踏会や料理研究会について尋ねるようなことは控えた。

 ただ、一言。己を責め、憎むような発言が気になったから。


「僕は、そういうところも可愛いと思うな」


 美しい舞を踊るから心も美しいなどいわないが、ここまで詳しく研究と実践を重ねる人物が醜いとは思えなかった。

 間をあけて、ばっとソシエが顔をあげる。目があった途端、風の音が鳴るほどのスピードで顔をそむけた。耳は真っ赤に染まって、落ち着きなく己の指と指を絡ませる。

「かわいいとか、そんな、こんな性格なのに、」


 先程までとは別種の荒れように声をかけようとしたが、跳びあがって立ち上がり

距離を取られた。

「だ、だって、だって!」

「感情の爆発ぐらい誰にでもあるよ。それだけ物事に夢中になれるのは、凄いことだと思う


 実際、アシュレが入ってきても終るまでちっとも気づかなかったのだから。相当な集中力だ。

 良くも悪くも、物事に込める気持ちが強すぎるのかもしれない。

 それだけ一生懸命に頑張れるのは、素直に素晴らしいことだし、愛らしいとすら思った。

「そ、そんなだから、だからですねッ」

「ん?」


「私、アシュレ先輩が好きになっちゃったんですよッ!」


「……え」

 今度はアシュレが目を丸くする。

 一方で、ソシエもしまったと唇に手をあて、青くなったり赤くなったり忙しい。


「やだ、また私勢いで、うわああああ……ちが、違わないけれど、その、ごめんなさい!」

 止める前に、再び叫ぶ。足をもつれさせながら、あっという間に彼女は消えてしまった。

――返事、どうしよう。

 部活はないし、学年も違う。そもそもクラスを知らない。アルにきけば教えてくれるだろうが。


――とりあえず、どういうかだけでも考えないと。

 学校は明日だってある。ひとまず、今日は帰ってしばらく考えることにした。

 ソシエは友人の妹であるし、彼女自身も憎からず思っている。だが今の様子では『友人』

としての好きではなかろう。

 下手な返事はできない。自分の気持ちを正しく、無自覚にごまかしが生まれるようなこともなく、きちんと伝えるべきだと思った。


 その前に兄妹の全てが燃え尽きてしまうとは、わかるはずもなかった。


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