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第二夜 激高前夜(下)

 自覚はあってもやめられない。そんな経験はあるだろうか。

 ソシエは身に覚えがある。いやむしろ身に覚えしかない。

 熱すると冷静さを瞬時に失ってしまう。そのまま自分の熱さに包まれてしまう。

 それがいかなるものか、心の底で理解していても、だ。自分でも嫌になる、幾度も恥ずかしい失敗の原因となってきた、悪癖。

 その悪癖は大学生になっても治らない。



 やはりソシエは演劇が好きだ。そのせいでどんなに苦しんでも。

 考古学研究会でのひと時は、当初の不安が嘘のように楽しかった。

 まず好きなだけ語ってよいというのが嬉しくてたまらない。次にそれを許してくれる他の面々。


 兄の打てば響くような返しは心地よい。お互いそこそこ造詣は深いつもりだが、考古学や民俗学的な見地が加わるとまた新しい発見があった。

 アシュレもアルマも、むやみやたらと意見するでもなく、かといって聞くばかりでもなく。ひとつひとつの質問が鋭い。あるいはユニーク。思わず返事に窮し、知識を総動員することも少なくない。


 加えて、顧問のラーン教授は、彼らに輪をかけて恐ろしかった。専門的な話は避けてくれるものの、あらゆる経験と知識をフル回転させて、閃かねば答えられないようなものばかり。

 答えられるギリギリのラインを狙っているとしか思えないそれらのせいで、今まで好々爺としたイメージを持っていた彼がすっかり苦手になってしまった。


 年下ながら、三人の才気は多くの人々の羨望と好意と嫉妬を買うだろうなあ、と尊敬するような、呆れるような。

 そんな日々を繰り返すうち。いつの間にだろう。

 ソシエは、アシュレに恋をしていた。


 恋、といっても、胸がくすぐったい、日向ぼっこに似た淡いもの。

 近所のお兄さん(・・・・)に憧れる園児の如き、ママゴトの恋。今まで男性といえば、玉の輿狙いか、ソシエを見下したがゆえのからだ狙いであった。


 もう体は成人した女性となった彼女にとって、恋は旬。そして紳士的で優しい彼は、とても特別な存在に思えたのだ。

 ソシエ自身も、やや身勝手な思いである自覚があった。一方的な憧れで、アシュレにアプローチを仕掛けることは躊躇われ、最初は口をつぐむことを選んだ。


 しかし、わかっていても、やめられるものではない。例えば恋慕や、嫉妬という《感情》は。

 知らず知らずのうちに、アシュレを目で追ってしまう。風で髪がなびく瞬間。可笑しそうに微笑む瞬間。そろそろ帰ろうと、すっと立ち上がって背中を向けられる瞬間。

 ちょっと病気かもしれない。そう思ってしまう。胸が弾み、同時に沈む。なんだかとても迷惑な人間になった気がして。


 恋が悪とは思わない。だが、横恋慕は?


 見ていればわかる。アシュレには、好きな人がいるのだ。

 しかも文句のつけようがない。もしもソシエが男であったら、同じように好きになっていたかもしれない。

 エセでなく本当にしとやかで。優しくて。頭脳明晰で。きっと女神か聖女様なんだってぐらいの人。


 アルマステラ・ヴァントラー。どうして、あの人はあんなに美しいのだろう。

 ソルシエールは激しく嫉妬した。自分は、どうしてああなれないのだろう。


 アルマのことは尊敬すべき先輩として大好きだ。同時に、酷く憎い。我ながら吐き気がした。ただ嫌いなだけより、ずっとつらい。

 そんな調子であったから、事件も起こるべくして起きた。

 アシュレと顔を合わせるのは考古学研究会に限っても、アルマはそうではない。


 

 放課後、部活棟一階。ほとんど女性で構成された料理同好会。

 同好会では、皆で教えあえるよう、たいてい課題が決められている。課題は、和洋中、種類は多様。菓子から軽食、本格的なディナーまで。

 メンバーの誰もが、良妻賢母ここにあり。そううたっても恥ずかしくない腕前である。


 肌寒くなってきた月の末。その日の課題は、「チョコレートの菓子」。

 まだ少し先ではあるが、芽生えて間もない恋に振り回されるソシエには《あるイベント》を想起させられた。


 《アカデミー》では、年中多様なイベントが催される。勉学も進学校と同等に難しい。それと同時に、刺激的な経験や文化と実際に触れ合っていくために。

 しかし、流石にハード過ぎる。だから、修学旅行などよほどの重要行事でなければ自由参加となる。


 二月に催されるマスカレードも自由参加イベントだ。

 しかし、他の自由参加イベントと比べ、学生の参加者は多い。ただ仮面をつけ、身を飾り、踊る日――それだけの日になっていないからだ。


 二月といえば、バレンタインデーもある。バレンタインに関する行事はないが、若者は恋や愛だのに浮かれやすい。告白の日は、彼らにとってなんでもない日とは言い難かった。

 学校の指定しない、事実上の『強制イベント』。


 彼らは、マスカレードとバレンタインを結び付け、とある恒例行事――告白方法を生み出した。

 マスカレードにて、恋しい人にチョコレートの菓子を渡す。

 ただそれだけ。たったそれだけで、愛を告げられる。


――別に、あの人に渡すわけではないけれど。


 渡したところで無駄だ。わかっていても、心の隅でどこか期待してしまう。渡したい、願ってしまう。

 テンパリングをする指がつい震える。甘くて苦いチョコレートは、人気のテーマだ。何度もやったことがある。もう慣れているはずなのに、失敗を繰り返す。


 苛立ちながらも作業を続行しようとした時、そっとソシエの指を柔い指が掴む。

 白魚のようなシミひとつない肌。うっとりするほど滑らかな、彼女の心そのもののような慈愛の手。


「ソシエちゃん。それじゃあ、やけどしてしまうわ」

「アルマ、先輩」


――嫌だ、今一番来てほしくない人なのに!

 以前であれば、安堵して、次に浮き足立って喜べた。だが、今、しかもチョコレートの菓子を、あの人を思って、作っている時に!


「ほら、貸して。一緒にやりましょう?」

「……」


 沈黙を肯定か、あるいは恥ずかしさゆえとみなしたか。アルマはそっと道具を持つ。ごまかしなんてない、綺麗な手で!

 黙りこむソシエのそばに立ち、ひとつひとつ優しく説明しながら、アルマは菓子を作っていく。口をつぐむソシエと優しいアルマ。身の程知らずな後輩。素敵な先輩。


 きっとソシエがいなければ、もっと素早く作業ができるのだろう。

 きっとソシエがいなければ、ずっとずっと素晴らしい菓子ができるのだろう。

 きっとソシエがいなければ、楽しく明るく幸せな時間になるのだろう。

 

 きっとソシエがいてもいなくても、アシュレはアルマを――


「……いい、です」

「え?」


 純粋な疑問。ぐつぐつと汚らしく煮え立つ、真っ黒なソシエの内心とは裏腹な返答。それがたまらなく、むかついた(・・・・・)


「いいっていってるんですッ! 手伝ってくれなくても!

 第一先輩の助けを必要としている人なんていくらでもいますよッ、私は何度もやっているんだからいりません! 誰もこのソルシエールを助けてなんて言ってませんし、自分でやんなきゃ意味がないんです、先輩の手なんていりません!

 それにね! おせっかい焼きで優しい先輩は知らないでしょうけれど!? いらないんです、作る意味もないんです、こんなものッ!」


 早口ながら明確に聞き取れる発音。流石演劇の一族。滑舌は一流。我ながら呆れる。言葉は止まらない。

他の部員がいきなり爆発したソシエの剣幕に驚き、息をのむ。

これでは言い訳のしようがない。絶望的だな、と頭の隅、僅かに漂う冷静さで思った。


 けれど、脳の中心を支配しているのは衝動だ。

 ソシエは衝動のまま、作りかけの菓子を床にたたきつけた。



 やってしまった。明日から、どんな顔をすればいいのだろう。


「ううああああ」


言葉にならない呻き声をあげ、ソシエは自室のベッドの上に飛び込んだ。柔らかい枕に顔をうずめ、激しく足をばたつかせる。

 その度につまさきにぼふんぼふんとフカフカの布団がぶつかった。それ自体は気持ちがいい。だが、ソシエの内心は真っ暗に湿った感情で埋め尽くされていた。

 一度激高すれば、あとは冷水を浴びせかけられたように冷静になれる。


 こういった情の激しさは、我ながら病気なのではないかと疑ってしまう。恋よりずっと深刻な病。

 そのまま「うがーうがー」とのた打ち回っていると、いつ来たのか。コンコンと控えめなノックが響く。


「ソシエ? どうかしたのか」

「兄さん!」


 立ち上がって出迎えようとしたが、足に力が入らない。だが焦りと恥ずかしさでじっとしてもいられなかった。

 アルが扉を開けたのを見計らい、毛布を体に巻くようにベッドから転がり落ちる。


「まーたーやっちゃったのぉー!」

 

 腹から声を出す。演劇仕込みの本格的発声だ。よく響く。

 勢いをつけて床を横に転がり、アルの足元で『芋虫』になる。

 くぐもった苦笑が耳に届いて、またごろり。もぞもぞ右へ左へ転がり、渦巻く負の感情を霧散させようと試みた。しかし、突如として防護壁が奪われてしまう。


 まぶしくなった視界。頭の上で、ひっぺはがされた毛布がカーテンのように揺らいでいる。


「ほら、起きなさい」

「ううーうー」

「やっちゃったものはしょうがない。悪いとは思ってるんだろう?」

「……うん」

「じゃあ、謝りに行け。極力早く」

「……うん」

「あと今、お父さんゴタゴタしてるから。電話をするにしても、後にした方がいいぞ。直接謝まりたいなら、無用な心配だけれど」


 ゴタゴタ。父は機嫌が悪いとソシエに厳しい。普段はどうにでも好きにやれ、と放任主義なのだが、神経がささくれ立つとアレコレ気になって仕方がないらしい。

 原因は様々。機会は稀。

 しかし、ここ数週間は事情が違う。同一にして粘着質な原因が、外部から自ら訪ねに来る。


「またあの人?」


 遠慮がちにきけば、眉が八の字を描く。予想通りだ。

 三日とおかずやってくる、嫌な人。思わずソシエも顔を顰めた。先程人に当たり散らしたことを反省していた人間の態度ではない。一瞬自分を責めた。

 しかし、そうしてしまうだけ、彼には困らされている。ソシエのみならず、デラルテ家全員が。



 シャハトヘイヴ。陰気で粗野で、踏み入れられたくない心の奥を土足で蹴り上げるような、厭らしい目の男。

 土蜘蛛の男。


 ソシエは、デラルテ以外の土蜘蛛を知らない。そのデラルテでも、ソシエは特に血が濃い。だから、自分と同じかそれ以上に土蜘蛛らしい土蜘蛛は知らない。

 一応、学校でイズマガルムという土蜘蛛の男を見かけたことはあるのだが、怪しいうわさも多く近寄ったことはない。

 だから、シャハトヘイヴは実質的に初めて接する『土蜘蛛』であった。


 期待する気持ちもなくはなかった。

 父は土蜘蛛を嫌うが、その血が濃いからといって――ソシエ自身が選べなかったことで――存在を否定される、それを気にする必要はないかもしれない、と。

 実際は、逆。


 呼び鈴を鳴らした男に応対したのは家政婦だが、直接出迎えたのはソシエだった。

 夜遅くで家族はいたけれど、一番玄関に近い位置にいたのがソシエだったのだ。

 見た瞬間「土蜘蛛だ」とわかった。どうしたら土蜘蛛の娘ではなくソシエという個人を見てもらえるのか知りたくて、種族の特徴はばっちり把握していた。


「こんばんは。何か御用でしょうか?」


 愛想笑いを浮かべて、緊張を隠す。

 男は、ソシエを見て一瞬目を見開き、にやりと嗤う。


「こんばんは。私はシャハトヘイヴと申します、以後お見知りおきを。デラルテのお嬢さん。今宵訊ねさせていただきましたのは、他でもありません」


――一族の宝をかえしていただきに参りました。


「……宝?」

「ええ。仮面ク・ルグルを」

「それは――」

 我が家の家宝です! 言い切る前に、口をつぐむ。

 ソシエは好かない、奇妙な仮面。父が毎日丁寧に磨いている逸品だ。

 かえすもなにも、覚えがない。しかし、彼は土蜘蛛。すなわち、デラルテの縁者である可能性もゼロではないのだ。


 自分は知らずとも、父なら。なんであっても、家に関わること。無断で自分が応対してもまずいだろう。

 断りを入れ、父を呼ぶ。後のことは知らない。

 ただ、余程癪に障ったのか、今までになく激しく父が憤っていたのが結末を表している。

 その時の


「この間といい、これだから土蜘蛛は!」


という叫び。それはきっと、今後なにがあっても血への嫌悪は消えないのだろうと、そう思わされた。


 その男が、頻繁に訪ねてくる。あいもかわらず《ク・ルグル》について。慇懃無礼な態度はどんどんエスカレートして、近頃は旧友のようになれなれしく接してくる。

 絶対に近づけるな、応対するなといっても、いつの間にか玄関にいるのだ。

 一体どんな手段を使ったのか。とんだ役者である。



「いつまで来るのかしら、あの人」

「そうだな。でも、大丈夫。もう少しで来なくなるから」


 安心させる微笑みを浮かべたアルの囁きの意味は、何だったのか。

 もうわからない。



 真夜中に目が覚めた。

 就寝前に綺麗に整え直したベッド、消した照明。

 だといのに、天井は煌々と輝き、全身を不快な感覚が覆っている。

 掃除も欠かさない。だが、喉は痛み、意識が覚醒した瞬間激しく咳き込んでしまう。


 必死の思いでベッドから這い出す。転がるようにとはいかない。転がり落ちるように。転落のように。墜落のように。

 床に体を叩きつけ、節が痛む。ぴりぴりと弾けるような眼球をこすり、周囲を見渡す。事態は急変していた。

 夕焼けのように赤い世界。扉の隙間から這いよる煙。


――火事!?


 兄は、父は? 無事だろうか。

 煙を吸い込まないように、籠から適当なハンカチを掴み、匍匐前進の体勢になる。演劇の練習の一環で、特訓したことがあった。

 苦しい息も、何時間も激しい稽古を続けた時よりはマシだ。

 そう自分に言い聞かせ、自室を出る。耳をすませ、声や物音を探る。


 弾ける火の粉の音。いためつけられる家の悲鳴。

 ほとんどがそればかり。苛立ち、恐怖。脳が焼ける。その間に、服と髪が焦げるにおいが漂う。まだ先をかすめただけ。


 しかし、火は着実に後ろ髪を引く。このままでは。逃げたほうがいい?

 もしも家の中に残っていたらどうする! 自身を叱咤する一方で、もう逃げているかもしれないじゃないかと悪魔が告げていた。


――バカ、だったらどうして私を呼ぶ声が、外からしないんだ!


 ちろちろと形を変える、魔の手のかぎづめが迫る。そう長くはいられない。


「ソシエ!」


 聞き間違えるはずのない声。一番の味方。唯一の理解者。

 アルだ! 嬉しさにそちらを向き――絶句した。悲鳴をあげようとしたが、声がでなかった。空気そのものに圧迫されているようだ。


「ソシエ、演じろ」


 兄は、燃えていた。

 何故か羽織を着て、しかも仮面――家宝ク・ルグルで優しい相貌を覆い隠している。

 こんな状況で立っても、喋れもできるはずがないのに。アルは地獄の業火の如き炎にまとわりつかれながらも、しっかりと二本の足で仁王立ちしていた。廊下の端から端まで響く、深みと強さのある声を発していた。

 反響する声は、酸素不足におかされたソシエの脳を容赦なく揺さぶる。


「演じるんだ。炎を恐れぬ役を。死を拒絶する役を。従属し、支配し、一体になれ」

「に、いさん?」

「でなければ死んでしまう。人を演じていては」


 視界がかすむ。いよいよ死神が迫ってきたらしい。

 今見ているのは、現実か? 死に際の願いが見せた妄想か。

 アルが――羽織の男が一歩一歩、近づいてくる。床が軋む。のっぺりした無貌の仮面が、ソシエの眼前に迫ってくる。魂が軋む。恐怖が絶望となって、ソシエの命を食らおうとしてくる。


「ソシエ――演じろ。それは、恐怖しないものだ」


 羽織の男は、自身の顔に手を掛けた。

 取り外された向こう側は、ぽっかりと穴が開いている。人ならざるもの、人の死を持たぬもの。


――嗚呼、私はおかしくなったな。


 白目をむきそうな吐き気。家族は助かった? それならば、何も悔いはない――ない、はずだ。


「ソシエ、生きろ」


 瞼を瞑ろう。閉じかけた薄い膜を、冷たい指が突く。羽織の男だ。無理矢理目を開かされ、不自然に生暖かい仮面を被せる。


「生きれるものなら、生きたいよ」

「じゃあ、考えて。どうしたら、誰なら、できる?」


――まあ、そうだな。最期に、それぐらい夢想するのも、悪くない。


 閉じることのできない瞼で、焼けていく肉と崩れゆく穴を観る。生きろ、演じろ。繰り返して死んでいく男を見届けながら、ソシエは考える。考える、考えて、考え、考――


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