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第二夜:激昂前夜(上)

12/11 加筆

1/6  加筆(完成)


2/9 一話でこれは長いとのことで、上下に分けました。


5/13 一部加筆

 恋と怒りに燃え盛る少女が、寝所で思い人に心寄せる夜より幾ばくか前。

 彼女には不満と、悩みと、悲しみと、そして恥があった。

 生まれ持つものは選べない。よかれ、悪かれ。

 例えばソルシエールことソシエであれば、生まれた家。母方の血が濃く表れた容貌。何より、舞を好む自身の心。


 能を舞い、演じる御業を受け継いできたデラルテ家では、たとえ女子であっても演舞の鍛錬は欠かさない。通常、神聖な舞台には男性しか立つことが許されぬときくが、デラルテ家は男女平等が叫ばれる以前から女性も舞台に立っていた。

 恐らく、家宝:《ク・ルグル》に起因するものだろう。

 《ク・ルグル》は元々、とある土蜘蛛――かつては地下で暮らし、独自の呪術的文化を築いた民族――の一族が所有していたものである。

 この世のものとも思われない幽世の民じみた能面。代々の当主と跡継ぎのみが着用を許された、現在のデラルテ家の象徴たる一品。


 一説には、デラルテ家は《ク・ルグル》を手に入れるためだけに土蜘蛛の娘を迎え入れたという。

 だからだろうか。父は、ソシエに冷たい。あるいはソシエ自身が己の血肉を嫌っている。

 ソシエは、所詮オマケでしかなかった《土蜘蛛の娘》と同じ。

 直接手ほどきを受ける時間は兄に注がれていて、ソシエは兄から美しい肉体の動かし方を習う。父がソシエの鍛錬に手を抜く以上、アル以外にソシエに教えられるものがいないのだ。


 こんな自分だ。きっと《アカデミー》でもどこでも何をしても変わらない。今までだって、周囲と違う容姿と性格で疎まれてきた。

――ずっとこんな日が続くのだろうか。

 私が私であるために?


 しかしソシエ自身すら認められなかった性分ゆえに、彼女はアシュレに恋をした。

 兄と友情を育んだ彼と彼女。この出会いと思い出こそ、華やかながら萎んでいた少女の情熱の花を、燦然と花開かせたのだ。いっそ乱れて花弁を散らすほどに。


 ソシエが《炎の魔女》になった理由を物語るなら、まず彼との出会いを語るべきだ。


 一族の願い、演じ手としての欲望、仮面の呪い。デラルテとして染み込んだ業。その背景はアシュレと出会った後、あるいはずっとずっと前にある。しかし、ソルシエールの――そして兄:アルヴィーゼが最も強き想いを抱き、縋っているのはその頃であろうから。



 《アカデミー》高等部から大学部へ進学した四月から半年。たいていの生徒は、学生生活に慣れ、時に課題と人付き合いに倦みながら、日々学校に向かうことが当たり前になる頃。


 ソシエは毎日を暗澹とした目覚めで迎えていた。他の生徒にもれず、充実というには一歩かけている人付き合い。そして他の生徒とは異なる家族との特殊な軋轢に。

 寝ても覚めても事態はソシエに都合よいように好転するわけでなく、むしろ寂しさが降り積もって居心地悪くなっていくばかり。


 だが、どんなに心が重かろうが肉体は健常。ゆったりと幽玄の美をたたえる舞を披露するためにしっかりと鍛えた彼女の体は、見た目以上に頑丈だ。そんじょそこらの男子生徒よりずっと健康であるからには、学校には通わなくてはいけない。


 少し話は変わるが、アルはどうしてか考古学研究会なるサークルに属している。なかなか日々楽しくやっているらしい。

 ソシエも料理同好会に属し、そこそこうまくやっているのだけれど、楽しいかといわれると少し違う。料理は楽しい、けれど本当のトモダチがいるかと言われれば……恥ずかしいけれど、ノー。


 相手が悪いのではない。ひとえにソシエがひた隠しにしているある性分のためである。


 『その日』は放課後、兄に暇ならサークルを見に来ないか、と誘われていた。日頃から世話になっているアルの誘いである、できる限り断りたくない。

 わざわざ誘う理由はきっと、家では伏せがちなソシエに楽しさを分けようという善意からなのだろうし。

 一方で、こんな妹で兄の人間関係にひびを入れてしまわないかと恐ろしくもあった。

 考えすぎだとはわかっているのだが。


「はあ」


 悩むうち、あっという間に約束の日が来てしまった。

 いつも通り、清々しいとはほど遠い気分で目を覚ます。心なしか、脈打つ心臓がキリキリと痛む。


 溜め息をつく。淡い色調に覆われた長方形の空間。繊細な線と華奢な実体を惜しみなくさらす、洗練された家具。宝箱のように瀟洒なはずの部屋が、今朝は無性にうっとうしい。

 カーテンを開けば、清浄な陽光が室内を満たす。兄以外の誰もが己を否定している気がした。



 夕方がやってきた。むなしいほどあっけなく。

 いつものように授業を受け、教室を移動し、熱心に話を聞いて、ノートを取り……それだけ。

 本当になにもなかった。

――だからどうだという話。

 ソシエがどう思ったからといって、どうということはない。

 

 しかし、どんな顔をすればいいのだろう。どういう言葉が正解だろう。どの服を着ればいいのだろう。

 顔は変えようがないし、言葉もありのままとしかいいようがなく、服に至ってはいまさら選びなおせない。

 誰もが悩みそうで、一方でそこまで深刻にはならないグルグルと回る思考。ほんの少し他者と違うのは、どうふるまおう、どう手足を動かせば好意的に映るだろうかと演劇的な試行も加わっていたことであろうか。

 

――こんなに悩んでいるのに、どうしてうまくいかないの。

 本当に、思ったからどうなのだ、という話だった。悩んだだけで物事を動かすことはできない。答えを出さなければいけないのだ。

 誰も内面に触れてくれない、世界の無関心さに腹をたてるのは我儘だ。


「……行くしかないわよね」

 

 静かにひとりごち、そっと席を立つ。

 初めての訪問だから迷ってしまうかもしれない。早すぎるくらいでちょうどよかろう。「迷う時間はまた別の焦りを生む」。それだけがここ数日ではっきりしたことだ。


 考古学研究会は授業を受ける教室が集った棟とは別に、部室棟と呼ばれる敷地内に建てられた建築物内にて活動している。

 考古学などいったい世の何人程度が好むのかは知らないが、一大学の設備とはしては《アカデミー》のそれは相当設備が整っているという。だが外観は似たりよったりで見分けをつけるのが難しい。


 あまりに膨大な設備のうちには、作ったはいいが時間とともに自然消滅してしまった部も少なくなく、空き教室もちらほら点在する。一か所に向かうだけでひと手間だ。


 時折立ち止まって兄にもらったメモとにらめっこしながら、あっちの階段をのぼり、こっちの階段を下っていく。何度か同じ道を行き来してしまったが、最後の教室を出て十数分かけて目的の部室にたどり着くことができた。

 

 部室の前には流麗な文字で札がかけてあり、明るい窓の向こうから明るい談笑が響く。

 学校自体が若者の密集地であるからして馬鹿騒ぎは珍しくもないが、貴族のお茶会じみた慎みのある笑い声はソシエの耳にとって心地よかった。


 スライド式の扉に手をかけ、ふすまを開くように丁寧に、音もなく押し開く。

 ソシエが現れたことに、一瞬誰も気づかなかった。しかしソシエが声を発する前に、聞きなれた兄の声が耳朶を打つ。


「ソシエ!」

「兄さん。こんにちは、失礼致します」

 

 にこやかに首を傾げ、柳のように腰を折る。ソシエの性格を知っているアルは微妙に苦笑していたが、他の面々の反応はさほど悪くない。

 いかにもみな良識ある紳士淑女といった風で、いっそ腹立たしいくらいだ。


「皆、この子が俺の妹のソルシエール。ソシエ、彼らが僕の友達の考古学研究会の皆」

「初めまして。ソルシエールと申します、ソシエと及びください。兄が常々お世話になっております、此度は突然すみません」

「いえいえ。こちらこそ踊りについて教えてもらえるだなんて、貴重な経験だわ。急なお願いだったでしょうに、ありがとう」

「……アルマ先輩?」


 兄ほどではないが聞き覚えのある声に、きょとんと眼を丸める。

 おもてをあげると、予想外な想像通りの相貌が一室の隅で微笑みかけてきていた。


 アルマステラ・ヴァントラー。料理同好会の先輩でもある女性だ。

 秀麗な美貌と飛び抜けた記憶力の持ち主で、四カ国語を堪能に操る稀代の才女。読み書きだけならさらに三カ国語という優等生という言葉すら足りない、皆が知っている憧れのマドンナ。

 その評判を驕ることもなく、物静かで思慮深く、世話好きで慈悲深い。一部では聖女とまで呼ばれている人。


「アルマ、知り合い?」


 穏やかな瞳が印象的な青年が問う。ほんの少し兄に似ていて、どことなく興味をそそられた。

 短くかった髪形は整った相貌を際立たせる。何気ない問いかけは滑らかに溶けるよう。意識して聞けば、そのしぐさや言葉も洗練されたものであると気づく。

 特に、周囲に不快さを与えない口調は役者である自分も目を見張るものがある。


 その視線に気づき、兄が

「アルマさんとは知り合いだったのか。じゃあ俺が言うことも特にないかな。そちらの好青年はアシュレダウ・バラージェ。俺たちはアシュレと呼んでいる、本当にイイヒトだよ」

と流れに乗って一人一人、他の部員も紹介していく。


 成程、アシュレダウ。小さく口内で口籠る。くぐもった音の粒もなかなか心地よい。いい名前だと思った。

 語呂は大事だ。脚本も語呂の悪いものとよいものでは、客の印象も台詞回しの冴えも全く変わってしまう。


「ええ。料理同好会で何度かお見かけしたわ。同じ部活なのに今までお話したことがなかったわね、彼の妹さんだったの」

「はい。私も驚きました、まさか、兄とアルマ先輩が知り合いだったなんて。嬉しいやら、恥ずかしいやら」


 ついでにいえばアシュレも。名前だけなら聞いたことがある。なんでも《アカデミー》でも類をみない天才で、座学も実技もトップクラス。教師陣の期待の星だとか。

 生まれも中世以前から続く名家。鎧とか槍とか盾とか、そんな逸品まで残っていると聞いたことがある。

 こんな有名人たちと兄が同じ部活とは、世の中わからないものだ。

 いや、今はそれよりも。


――兄さん、踊りについて教えるってどういうこと?


 こっそり横目で睨んでみるも、アルは少しも悪びれない様子でいけしゃあしゃあと口を開く。

 ちゃんと僕は伝えてますよ、というていで。


「俺も多少は舞踏を学んではいるけれど、正直この子の方が物覚えがよくてね。経験こそ年の功で上だぜ、でも知識はソシエがずっと豊富だから。能以外の研究にも熱心なんだ。いやあ、引き受けてくれてよかったー、俺じゃあ緊張してまともに話せないんだよなぁ」

「……兄の謙遜です。ですが、お呼び頂いたからには誠心誠意、できうる限りご協力いたします」


 理由がなければ留まれない。逆に言えば、理由があれば簡単には返れない。

 気遣いでもあり、罠でもある。人見知りのソシエを気遣う気持ちは嬉しいが、あとで文句を言わねばなるまい。

 とにかく、まあ、今はそれよりも。この素晴らしく賢明な方々だ。


「それで、一体何についてお答えすれば?」

「ありがとう。そうだな、詳しい説明はアシュレから。彼は俺たちのリーダーみたいなもんだ」

「初めまして、アシュレダウ・バラージェです。今、僕たちは古代における舞踊と祈りについて調べているんだ」

「それでいて考古学と申しますと……例えば、神に供物として捧げる舞――神楽舞のことですか?」


 古代の踊りといっても多岐に渡る。しかし、生活に密着し、大きな意味を持っていたものの最たるものといえば食物・建築、そして信仰だ。

 木の実や海・山の幸が捧げられる一方、踊りという形なきものも神への供物となった。実利のあるニエと対照的に、時の流に残すこともできない楽しむためのもの。

 そこに興味を抱くというのは、ソシエ自身わからないでもない。


「概ね正解、流石だね。物質よりも観念的な意味合いが強い踊りが何故贄となるのか、そこに規則性や年月が経つごとに起きた変化はあるか。今のところはそういったものになるだろうと思っている。でも、研究の進行によっては少し変化があるかもしれない」

「学園祭で研究発表として展示するんだー。神楽舞だけじゃなくて、世界中に『踊り』を用いた儀式は存在する。もしかすると人間の意識に響く何かがあるのかもしれないじゃないか」


 アルが茶々を挟む。彼もまた不快にはならない話し方をするけれど、流石にそれで態度まで完璧に緩和されるはずがない。

 アシュレは苦笑を浮かべてアルを見た。一瞬心配になったものの、すぐ逆に安堵する。

 それは「いつも通り」といった様子の呆れ半分、親しみ半分の笑顔。成程、兄と仲がよいらしかった。


「なるほど。ではなるべく関連知識は多く述べさせていただきますね」

「助かるよ。学校資料も集めたんだけれど、経験者の話も聞いておきたくて」

「体感で得るものもあるでしょうしね、私などでもお役に立てるのでしたら光栄です」


 それに、アルがいちいちかまってくれるおかげで肩の力が少し抜けた。

 当初の緊張はどこへやら、いつのまにか嬉々と話している自分(ソシエ)がいる。


――また来たいな。話をする役目があれば、来てもいいかな?


 彼らにとっては迷惑かもしれないから、今度茶菓子でも持ってこよう。ソシエはひそかに決心した。


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