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第八夜 運河落命

 今や『仮面』という仮初を被らずとも、幻想の誰かは現界するすべを得た。

 有限にして無現。虚無であるからこその無数。

 数多の劇団員を引き連れた、最優の演じ手。

 彼女によって舞台は引き裂かれた。

 それぞれを各々に相応しき舞台に。あてがうべき敵に。思うがまま、一方的に配置する。

――怨嗟渦巻く庭から、研ぎ澄まされたもののみが残った苑へ。

 《閉鎖回廊》の主たる《ク・ルグル》の御業。

 即興で生み出した小舞台。疑似的な閉鎖回廊《沙庭(さにわ)》。


 だがそんなことを、前情報もなしに招かれたゲストたちが知るはずもない。

例えばアシュレ。彼には、突如として周囲の誰もが消えたように見えた。

 隣にいたはずのアルマとシオン。遠方から声がしたイズマ。ソシエすらいない。

 代わりに、男がいた。

 舞台の上、図々しく胡坐をかいて座っている男。身体的特徴をみるに、土蜘蛛だろうか。

 猫の仮面に(まだら)の服。さながら道化師のようないでたちであった。彼は、アシュレを一瞥すると手に持った長い棒を手持無沙汰に弄ぶ。

 先ほどまでシオンとイズマを足止めしていたようだが、今は何もしていない。

 口をへの字に曲げて、退屈そうな。唇をとがらせていじけているような。大人の体躯と裏腹に子供っぽい表情で、突如訪れた暇を持て余していた。

 そんな土蜘蛛の男は、頬をかきながらアシュレへ呼びかける。


「探しても、ここには誰もいないぜ。全く嫌になるね。人がせっかくお膳立てしようと頑張ってたのに、何がしたいんだか。女心は秋の空ってやつ?」

「お前は――」

 誰だ、と訊ねようとして、口をつぐむ。

 何故だろう。アシュレは彼に初めて会うはずなのに、どこか懐かしい。

「何? 気にしてんのかい? ああそうだ、アルマはルッフィアーナに連れて行かれちまったんだよなあ、何でかカタピーノもついていったがね」

「ルッフィアーナ? カタピーノ?」

「ソシエに聴かなかったのか? あんなになつかれてたのによ。コンメディア・デッラルテの役柄たちさ。役割を分担した基礎的なキャラクターたち。わかんだろ? 基礎は大事だぜ。基礎が一番奥深くて、基礎があれば無限に応用させられる。今の俺だってそうさ」

 饒舌に男は喋る。まくしたてる。

 異様に馴れ馴れしい。だが、何故かいやではなかった。当然の、自然な態度(・・・・・)だと思った。

 気分がよくなると急によくしゃべる。妙に親切であれこれ勝手に情報を渡してくる。そのくせ、いつのまにか情報を引き出されてもいる。

 そういった人物をアシュレは知っている。


「……お前」

「ああ、そうだ。俺が誰だかわかるかい? 俺はシャハトヘイヴ――」


「お前は、アルヴィーゼ――なのか?」


 言ってみただけだ。だがなんとなくそんな気がしたから。

 イエス、と言われても困る。しかし、シャハトは目を見開く。

 愉快そうに唇の端を釣り上げた様は、問いをこれ以上なく肯定していた。

 そして、何故そう思うに至ったのか不可解そうに表情を曇らせてもいる。


 確かに。シャハトと名乗る彼は悪意の塊だ。少なくともアシュレにはそう見える。

 何故アルだと思ったのかはわからない。背丈は似ている。口調もよく聞けば重なる箇所があった。

 根本的な理由を考えれば、それは恐ろしく単純だ。ほぼ直感といってもいい。ただ、アルもまた『役者』であったはずなのだ。ソシエの話を聞く限り、それなりに優秀な役者である。

アシュレは知っている。何度も見たことがある。彼ではないけれど、彼の妹がそうしていたのを。

 人間の目に映る容貌や雰囲気など、容易く騙してしまう。どころか、それを真正の姿として一時的に己が身におろしてしまう。

 仮面の数だけ顔を持つ。変貌のプロフェッショナルはそういうものだと。


 動揺を抱えながらも確信をもって射貫く。

 強い眼光を振り払うかのように、シャハトは何度か首を捻った。

「変わらず鋭いな。どうやってわかった?」

「生きていたのか?」

「死んでいるとも。当然だ」

 即答。目の前でしゃべり、動くものは逡巡もなく断言する。

 間違いなくアルヴィーゼは死んだのだと、シャハトと名乗るアルはいう。

「今の俺は『シャハトヘイヴ』であり『アルレッキーノ』。軽業師、道化師。ペテン師。あいつの役の一つ、仮面の一つ。たまたまそこにアルヴィーゼがおさまっただけ」

 ニヒルな笑みとともに肩をすくませる。何を言っているのか、要領を得ない。シャハトは困ったなというように、また頬をかく。

 それだけならば、親しい友人のようだ。考古学研究会で、舞踏の知識をどう伝えればよいものか悩んでいた彼の姿だ。

 されど、彼そのものというには混ざりすぎている。同時に、純すぎた。

 それは悪意の塊ではあったが、敵意の塊ではない。

 嫉妬はなく。憎悪はなく。憤怒はなく。

 かといって、善意もない。厚意も好意も表面的。

 悪意以外のものがなかった。態度は『アル』のものをなぞっているだけ。上っ面の設定を忠実にこなしているだけ。姿の通り、猫を被っているのだ。

――なんだ、この違和感。

 圧倒的な悪意に、心が押しつぶされているのではない。

真実空っぽ。悪意を表現するためだけに用意された原型。抽出された真実、アーキ。

「俺たちが誰か、知りたいか? ソシエはお前を気に入っている。知りたいのなら教えよう」

 シャハトが舞台から降り、一歩アシュレに近寄る。反射的に槍を構えた。彼はアルではないのだから。

 所在なさげに差し伸べかけた手を下ろす。

「まあ、焦るのはわかるよ。さっきもいったが、イズマ先生たちは他の俺たちと喧嘩している。別に俺にふっかけたっていい、やり返すだけだ」

「お前たちは、何がしたいんだ?」

「それについて教えてやるには、根っこから語らなきゃならん」

「――いや、いい」

 槍を握り直す。死んだ人間は帰ってこない。これは、本来あってはならないものをこの世に引きずり出したものだ。とびきりの妄執で捻じ曲げ、現世に蘇らされた悪夢だ。

 人として、友人として、アシュレは許せない。

「シャハトヘイヴ。お前はアルの意志を侮辱している。たとえアル自身だったとしても、そんなお前のいうことは信用ならない」

 混乱していたが、状況を整理すれば彼が敵対的な存在であるのは明らか。

 ここ数日、アシュレが生存したアルだと思っていたのはソシエだった。

 兄妹が双方生きていた頃、館を訪れていた土蜘蛛がいたとイズマは言っていた。恐らく、それはシャハト。すると今度はアルとシャハトが同時に存在していた理由にならない。

 だからアシュレはこう考える。目の前にいるこの悪意は、アルの本心全てではない。

 アシュレはアシュレの信じた友を信じることにした。

「もしここにアルがいたら、絶対にお前を許さない」

 だから、お前を倒す。

 中世より続く名家の生まれであるアシュレは、教育の一環として武芸の覚えもある。しかし、実際に武器を奮うのは初めてだ。緊張に指が震える。

 それでも譲れぬ情があった。

 構えるアシュレを前に、シャハトが嗤う。嗤うことそのものを目的とするように。



 アルマは気が付くと、食卓に坐していた。

 数メートルはある長いテーブル。貴族や政治家など上流階級の会議や食卓でよく使われるあれだ。

 その端、いわゆるお誕生日席に座っている。服装はいつのまにか仮面舞踏会で着るはずだったドレスに変わっている。首筋まで覆われた清楚なデザインの淡いピンクのドレス。


――一体何?

 立ち上がろうとしたが、足が動かない。まるで床にくっついてしまったようにびくともしない。腕は自由に動く。ひじ掛けの部分を必死に押すも、ふくらはぎが痛んだだけだった。

 仕方がないので周囲を見渡す。天井には暖色のシャンデリア、床には真っ赤なビロードの絨毯。壁には蝋燭が掛けられている。

 現実離れして豪奢で完璧な食卓。いつのまにかテーブルのうえには、七面鳥にスープとこれまた手のかかるご馳走がこれでもかと乗せられていた。


 タイムスリップでもしてしまったのだろうか。あるいは夢? 

 額をおさえ、瞼を閉じる。

「アシュレは――」

「無事よ。今のところは」

 ぎょっと目を開く。すると目の前に美しい女の顔がいっぱいに広がり、押し殺した悲鳴をあげてしまった。

 影のようにアルマに寄り添い、陽気さのかけらもない微笑を向ける。黒いドレスを着て、白い手足をアルマの肩へ母親のように乗せる女性。

 見知らぬけれど美しい女――そんな印象を受けた彼女をまじまじと見てみると、知り合いの貌であることに気づく。


「ソシエさん?」

「そうだけれど、違うわ。そうね、ルッフィアーナとでも呼んで頂戴」

 芝居がかった口調で答える。

 ルッフィアーナと名乗ったソシエと同じ顔をした違う誰か。彼女はソシエよりも背が高く、大人びた顔をしていた。うっすら化粧をしているし、触れれば弾けるような敏感な空気も纏っていない。


 だが、アルマはそっと肩をこわばらせる。

 アルマを見るルッフィアーナの目は、決して暖かいものではなかったから。女性として生まれ、女性と積極的に触れあってきたなか、何度も見た覚えがある。アルマ自身覚えがある。

 羨望。嫉妬。渇き。恋慕。

 眩しさの裏にあるどす黒い、粘ついたチョコレートのようなそれ。笑みで誤魔化した視線がアルマを睨む。

「……羨ましい……」

「どういうつもりなの」

 呟かれた言葉には、怨嗟がこもっていた。三半規管を揺らし、脳裏に媚びりつく囁き。気合いで怨嗟をはねのけ、強気に訪ねる。

 ソシエの気持ちはわかった。恐らく、このルッフィアーナがソシエの恋心と無関係でないことも。

 だが、それとこれとは別なのだ。


「どういうつもり? そんなのはわかるでしょう、貴女だって恋しているのだから」

 他人に通じる理由なんて恋した理由にならない。私はルッフィアーナで、貴女はあの人に愛された人。

「この舞台はね、貴女のための舞台なの。憎くて憎くて、仕方がないのよ。大好きだから余計にね」

 動けないアルマの細い首を、ルッフィアーナが握る。いとしい人に貰った花束を抱きしめるように、両手でゆっくりとしめつけていく。


――熱い!

 途端、不自然な痛みがアルマを襲った。シナプスが明滅して脳を破壊するような激痛。身体を守る皮膚や心を舐めて剥ぎ取る無形の凶器は、炎を想起させる。

 その一方で、背筋に冷たい汗が流れていく。ぞくぞくと嫌な震えがはしる。呼吸をしようとすると氷を飲まされたのかと勘違いするほどの『凍え』が喉をおりた。

「あいされたひとなんて、いっそいなくなってしまえばいいのに」

 愛された人なんて。恋の叶った人なんて。

 そうつぶやくルッフィアーナに、一瞬だけ、別の叫びが恐怖を上回った。


――そんなんじゃない。

 私は――

――彼だってそうだった!


 どうして貴女がわからないの!

 動かない足では逃げられない。朦朧とする意識の傍ら、彼女の腕をひっかく。

 現実のものとは思えぬ彼女でも、したたる血は赤かった。

 その血をルッフィアーナが見やるのを視線で感じる。

「あ」

 急に頭上で呟きが聞こえた。すっかり意表を突かれた、全く今になってみつけた。そんな、先程までのヒステリックな激情がすっぽり抜け落ちたような一音。

「あっ……」

 わなわなと手が震えだす。何事か。怖がるように自分の首回りで震える手を、死を垣間見て気が緩んだのだろうか、つい優しく掌を握ってしまった。今は、彼女が自分のよく知るソシエである気がして。

 びくりとしっとりと柔らかな手が震える。

「ごめんなさい」

 ルッフィアーナは、チョコレートを床に叩きつけた直後のソシエそのままの儚さで謝罪を告げ、消えた。


 喉を圧迫するものがなにもなくなり、酸素を求めて大きく息を吸う。激しく胸が上下した。

 荒い呼吸をあげるなか、心臓を抑える。まだ油断はできない。ここは常識が通じないのだと改めて自分に言い聞かせる。心を強く持たねば。

 鋭いアルマの感性は、自分の座る席の正面に、新しい誰かが現れたことを敏感に感じ取っていたからだ。


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